第三十七話「グレゴリウス、陽動作戦を発動する」
統一暦一二一七年六月十六日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン北東、森林地帯。魔神ダグマー
日付が変わる前、ゾルダート帝国軍の第三軍団に攻撃を仕掛けた。
しかし、思ったほど兵士を殺せていない。
理由は二千人ほどに分かれて行軍していたため、一網打尽にできなかったことと、反撃することなく、いきなり逃げ出したためだ。
予想では武人としての矜持から敵わないまでも抵抗してくると思っていたので、肩透かしを食らった形だ。
(大賢者の差し金か……まあいい。多少散らばっても我らからは逃げられぬのだ。それに大賢者もこちらに来ることはない。ゆっくり始末していけばよい……)
三万人の帝国軍と七万人以上がいるエーデルシュタインのどちらを守るかは自明だ。だから、大賢者がこちらに向かうことはないと確信している。
私の配下には魔将二、魔竜二、上級悪魔十、悪魔七十がいる。
魔将は部下であった導師であるため信用できるが、魔竜は知性が低い翼竜で、私の指示通りに動くか微妙だ。そのため、魔将と組ませて動かすしかない。
魔将と魔竜だが、帝国軍の隊列の後方に向かわせた。逃げようとする帝国兵を街道付近に押し留めるため、森を焼かせるためだ。
私の眼下では若い導師であった上級悪魔が魔導を連発し、嬉々として兵士たちを殺している。夜であった悪魔たちも周囲に散らばり、逃げる兵士を着実に殺していた。
十分ほどで三千人近い兵士を殺し、徐々に北東に向かっている。
(効率が悪い。本来ならこの時間で一万は殺せていたはずだ……帝国兵の動きが速いのも解せぬな……)
そんなことを考えていた時、北東で巨大な火柱が上がった。
魔竜が最大出力のブレスを放ったようだ。
「何をしておるのだ!」
思わず怒りの言葉が口を突く。
大賢者に気づかれることを防ぐため、第五階位以下の魔導か、それと同等の攻撃しか許していない。
(グレゴリウスに嵌められたか……)
苛立った魔竜が怒りに任せてブレスを放ったのだろうが、魔将が横にいるのに私の命令を無視してブレスを放つことは考え難い。
グレゴリウスが予め言い含めていたのだろう。
(大賢者をなすり付けようと小細工をしたのだろうが、こちらに気づいたとしても大賢者は来ぬ。エーデルシュタインを空にするわけにはいかぬのだからな……)
内心でグレゴリウスを嘲笑う。
人であった時には有力な神候補であり下手に出ていたが、この身体を得た今、魔象界から力を得ることができれば、奴を超えることは容易い。
(こうなった以上、遠慮する必要はないな……)
私は配下の悪魔に命令を出す。
「魔将たちに伝えよ。魔導を抑える必要はない。森ごと焼き払え」
この辺りに魔素溜まりはないため、森を焼いても魔素溜まりが強化されることはなかったが、数千人の兵士を殺せば、魔導器が魔素溜まりに変質する可能性は高い。それならば、炎の力を加えることでより大きな魔素溜まりにすることができる。
命令が届いたのか、魔将たちが第七階位の魔導を放ち始めた。
直径百メートル以上の巨大な炎の竜巻が森を焼き尽くしていく。その向こうでは何百本もの雷が煌めいていた。
第七階位の魔導は戦略級と呼ばれるもので、一発で城塞都市を壊滅させることができるが、人族の魔導器ではそれだけの魔素を具象界に権限させられないと言われている。
それを導師であった者が容易く使っていることに満足していた。
(これで私が手を出すことなく、帝国軍は壊滅させられるな……)
私が手を出した方が早く終わるのだが、高みの見物をしている。理由はこれ以上体内の魔素を失いたくないためだ。
既に少しずつだが、力が流入し始めている。しかし、大賢者と戦うには全く足りないし、逃げることすらギリギリの量しかない。万が一に備え、部下たちに力を使わせ、私自身の力は温存しているのだ。
慎重すぎると思わないでもないが、これほどの好機を油断で失いたくないという思いが強い。
「上級悪魔たちにも第六階位の魔導を使うように伝えよ」
伝令である悪魔にそう命じると、近くでも太い火柱が上がり始める。
爆発音の中から兵士たちの悲鳴が微かに聞こえてくる。それが心地よい。
「一時間で殺し尽くせ。それが終わったらリヒトロット市に向かう」
この調子なら一時間でグレゴリウスの力を凌駕できる。そうなったら奴とは袂を分かつつもりだ。
「殺せ! 殺せ! この辺りにいる者どもを殺し尽くすのだ!」
魔神の破壊衝動に心を支配されていたが、そのことを気にすることはなかった。
■■■
統一暦一二一七年六月十七日。
ゾルダート帝国南部エーデルシュタイン南、森林地帯。元第二王子グレゴリウス
ダグマーの部隊が出撃してから一時間ほど経った。
(そろそろ攻撃しているはずだ……)
俺はエーデルシュタインの南、約十キロメートルの森の中に身を隠している。
周囲には魔将や上級悪魔、死霊魔導師ら人型の魔獣の他に、一つ目巨人合成獣が数十体待機している。
ここまで近づけば大賢者に察知される可能性がある。だが、陽動作戦が成功した際にエーデルシュタインを早期に全滅させるには全戦力を早期に投入できる体制にしておいた方がよいと考えたのだ。
そろそろ動きがあると思い、エーデルシュタインに意識を集中させる。大賢者ほどの強大な力を持つ存在であれば、動いた瞬間に必ず察知できるが、万が一にも見逃すわけにはいかないからだ。
更に十分ほど経った頃、北東で大きな力の揺らぎを感じた。
(魔竜が計画通りに暴走したようだな。これで大賢者も確実に気づいたはずだ。さて、帝国軍を見捨てることができるかな……)
魔竜には人族を見たらダグマーの命令を無視して暴れろと強く暗示を掛けておいた。
元々破壊衝動の塊のような存在であり、人族を殺すことに愉悦を感じるような者たちだ。そのため、最上位者である俺が認めたというで簡単にタガが外れると思っていたが、それが上手くいったようだ。
ダグマーは大賢者が帝国軍とエーデルシュタインを天秤に掛けた場合、帝国軍を見捨てエーデルシュタインを守ることを優先すると確信していたようだが、俺はそうは思わない。
大賢者は管理者の忠実な部下であり、人族を庇護する存在だ。七万人と三万人という単純な数の問題ではなく、両方を守ろうと足掻くと見ている。
(問題はラウシェンバッハがいることだ。奴は目的のためなら我が身すら犠牲にするような男だ。帝国軍に何らかの策を授け、それをもって大賢者を説得している可能性は否定できん。それが何かは分からんが……)
大賢者の動きなら読めないこともないが、ラウシェンバッハはこれまでも俺の予想を何度も裏切っている。
(まあいい。大賢者は必ずダグマーに向かう。それにこれだけの戦力があるならラウシェンバッハが策を弄しても力でねじ伏せてやる。あとはダグマーがどの程度時間を稼いでくれるかだが、一時間もあれば、ジークフリートを殺すという目的は十分に達することができるはずだ……)
自らが力を得ることよりもジークフリートを殺すことが目的になっている。
そのことに俺は疑問を持っていなかった。
そして、ついにその時がやってきた。
(大賢者が動いたな。あとは奴が十分に離れるのを待つだけだ……)
大賢者の気配が動いたことに俺は歓喜していた。
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