末裔
「守り人を貴賓室に通しただと?―――私は王妃の間へ通せと言ったはずだ!何故貴賓室になど通した!」
「申し訳ございません」
フローラン・オギュスト・ライ・ショワズール・グリフィエールのすさまじい怒声に、膝まずいていたリレイアは無表情に深く頭を下げた。
視界が下へ行ったことで美しい玉座に座っている王が今どんな顔をしているのかは解らないが、見るもの全てを虜にすると評判の美貌が憤怒の相を浮かべていることは容易に想像できる。見ずとも解るほどの怒気に恐ろしさこそ覚えるが、しかし、リレイアの心は凪いでいた。
リレイアは心に大きな存在が己を奮い立たせているような心持ちで、国王たるオギュストに静かな声音で説明させていただきとうございます、と言った。
「どうか、わたくしに発言の許可を」
「・・・陛下」
傍らに控えていた宰相が、荒ぶる王へ静かに声を掛けた。一瞬の間の後、苛立たしげなため息とともに怒気が薄れ、冷静さを取り戻したらしいオギュストの声が響く。
「―――発言を許す。何があったのか全て申せ」
「御意」
床に付きそうになるほど下げた頭を戻し、リレイアはぐっと頭を上げる。
その顔に宰相も王も他の側近も、皆がわずかに驚いた。王命を果たさなかったという、今までの侍女長としての働きの信用を失くしかねない事態にも関わらず、リレイアのその顔は怯えも悔いもない、ともすれば誇らしさを感じる表情すら浮かべていた。
* * *
「――――男、性、で」
いらしたのですか、と。
傷と刺青のような蔦模様がある以外、他に凹凸の見つけられない平坦な胸部を凝視して言うリレイアに、リツは何も言わずただ肩を竦めた。シャツを破いてはだけた胸は一切隠そうとせず、リレイアと同じくショックで呆然としているザイオン共々、むしろその反応がどうでも良いとでも言いたげな表情でリツは佇んでいる。
「ば……馬鹿な、姫様は確かに、神は守り人は女だと言ったと―――」
「神、ねぇ。……よく知りもしない存在のほざく事を疑いもせずよく真に受けられるな。私から見たらあんたがたの方が救いようもない馬鹿に見えるがねぇ。―――それで、どうするんです」
愕然と呟いたザイオンに吐き棄てるようにそう返すと、リツは呆けているリレイアに視線を投げた。
「部屋換えしないわけにはいかんでしょう。【王妃の部屋に女性以外は入れない】、そうでしょう?」
言いながら、リツは破れたシャツを見下ろして目を細めると勢いよくそれを脱いだ。はっとして止めようとしたが間に合わず、リツの上半身が露になり脇腹から胸部にかけて伸びる蔦の模様が全て目に入る。慌てて見渡した周囲はいつの間にかちらほらと人が集まっており、遠巻きに貴族や使用人がリツの異様な姿を繁々と見つめていた。何だあの男は、何だあの模様は、とさざめく様に声が聞こえる。
リレイアの背に汗が落ちる。そうか、と苦い思いで理解した。こちらが呆気に取られるくらい派手にシャツを破いて見せたのは、わざとであると。この守り人がこんな品の無い方法を取ったのは敢えてそうしたのだ。態とそうして、人目が向くようにした。
【王妃の間には、王以外の男は入ってはならない】。
それはオンコールォ・フィンディルカの長い歴史でいつの間にか産まれた決まり事で、常識とも言うべき当たり前の事だ。この決まり事が出来た経緯は定かではないが、歴史家の間では国王の正妻たる王妃を守る為とも王妃の不義を防止するためとも言われている。そして万が一この決まり事を破った場合、例えそれを実行したのが国王であっても罪に問われると定められていた。つまり、リツのこの女性の象徴たるふくらみが一切無い体が複数の人間に見られた今、もはやリレイアはリツを王妃の間へ連れていくことはできない。
―――この状況で私が王命を果たすには。この方を王妃の間へ連れて行くには。
リレイアはさっと遠巻きの見物人達へ視線をやり、次いでリツへとそれを向けた。向けて、悟った。
無理だ、と。
無意識に呼吸すら忘れて、無感動にリレイアを見るリツを見詰めた。先程まであったはずの黒く清廉な瞳、それが淡い緑を纏い体と同じ蔦の模様が渦巻いている。見た瞬間から隙こそ無かったが、僅かに取り巻いていた柔らかな空気が消えていた。あるのはただただひれ伏したくなるほどの神々しさだけ。
リレイアは思う。腐りきった神殿にないこれは、これこそが本来神殿にあるべきものなのではないかと。
そうして、思う。否。
思い出した。
脳に言葉が生まれた。
《しなやかで強靭な蔦を纏い、
我らと共に生きる神。
戦神。
その使徒たる我らの使命はかの神を見つけること》
ああ。
《み つ け た》。
リレイアの目が見開かれた。
雷に撃たれたような激しい何かが脳ではぜた。
それは記憶であり、真実であり、覚醒だった。
リレイアはその瞬間に、己の存在が変わったと識った。
「――――――あの?どうしました?」
リツの訝しげな声に、リレイアの目の焦点が唐突に合った。
「―――いえ、いいえ。ええ。大変な……大変な失礼を、致しました。リツ様は貴賓室へお通し致します」
目を見開き硬直したように上を向いていたと思ったリレイアが、何かを堪えるような震え声でそう言った。
「貴賓室?」
「はい。高貴な客人をもてなす部屋でございます。そこならば問題はないかと」
「侍女長?!王命に背くのか!」
慌てた声で静止をかけるザイオンに、いいえ、とリレイアがきっぱりとした口調で否定した。
「わたくしは確かに侍女長を王より任されております。しかし、この方を《見つけること》ができた今、わたくしはもう侍女長としては生きられないのです」
「―――なにを」
気でも違えたか、と言わんばかりのザイオンから視線をはずし、リレイアがリツを見た。
そのリツが、リレイアの目を見て。その色を見て、まさか、とつぶやいた。
リレイアは少しだけ微笑み、頷いた。
「改めまして。
初めまして【戦神】リツ・グレルロワナ様。わたくしの名はリーフォン・リレイアと申します。"芽吹きの民"の末裔で、戦神の使徒である、今代の【リーフォン】でございます」
「――――――じぃさん、マジで説明はぶき過ぎだっつの」
脱力したようにしゃがみこんだリツが思わずそう言ったのは、仕方のないことかもしれない。
【戦神】の知識を唐突に引き継がされたリツと同じく、唐突に《名の管理者》【リーフォン】の知識を引き継がされたリレイアも、苦笑ぎみにそう思った。
ちょっとミスおおそうだけど、とりあえずストーリー出そうという努力