93 アドバイザー《プリシラ》
とある衝撃的なニュースが光の速さで学園内を駆け巡ったのは、プリシラ達が二年生に進級して、少し経った頃の事だった。
『あのアイザック・ヘーゼルダインとオフィーリア・エヴァレットが、とうとう婚約したらしい』
そのニュースを最初にプリシラの耳に入れたのは、彼女の側仕えをしている女性神官である。
「おめでたいニュースですわねぇ。
なんでも、ヘーゼルダイン公爵令息が情熱的なプロポーズをして、エヴァレット伯爵令嬢も喜んで受け入れたとか……。
ヘーゼルダイン公爵令息と言えば、全くご令嬢を寄せ付けないと噂でしたし、冷たいお方なのかと思っていたのに、なんだか意外でした」
恋物語に憧れる乙女の様な顔でフフッと笑った神官に、プリシラは微かに顔を顰めた。
「……何よ、それ?」
小さく零された呟きの声は思いの外低く、天真爛漫で可愛らしいプリシラしか知らなかった神官は密かに瞠目する。
「プリシラ様?」
「……あぁ、いえ。何でもないわ。
急用を思い出したから、これから出掛けたいのだけど、着替えを手伝ってくれるかしら?」
「あ、はい。直ぐにご用意しますね」
ドレスの準備をする為に部屋を出て行く神官の背中を見送りながら、プリシラはイライラと爪を噛んでいた。
(あの人に、会いに行かなきゃ)
「ああ、どうしましょう? あの二人が婚約しちゃうなんて……。
しかも相思相愛だって噂になっているらしいのよ!
一体どういう事なのかしら?
貴女に聞いていた話と全く違うじゃないの」
プリシラは目の前に座ってお茶を飲んでいる女性に、恨みがましい視線を向ける。
クリスティアンはアイザックが自分の元から離れてしまった事を、大いに憂えていた。
それは多分、有能な側近候補を失ったからという理由だけじゃない。
彼がクリスティアンにとって大切な友人だったからなのだ。
そんな傷心のクリスティアンの為にアイザックを取り戻してあげたいと、プリシラは願った。
オフィーリアと引き離せば、アイザックも目を覚まして側近候補を降りた事を後悔し、自ら頭を下げて戻って来るだろうと思っていた。
その為に『彼女』のアドバイス通りに行動したのだ。
プリシラだけではどうしても上手く行かなかったから、結局は事情を話してクリスティアン本人の力まで借りたというのに……。
まさか、元凶であるオフィーリアと婚約してしまうだなんて、大きな誤算である。
既に婚約が成立してしまっているこの状況だと、外部からそれを壊す事は不可能に近い。
これではアイザックがオフィーリアに囚われたままになってしまうではないか。
焦燥と苛立ちをぶつけるプリシラに、『彼女』は眉根を寄せて小さく首を傾げる。
その動きに合わせてライトブラウンの艶やかなストレートヘアがサラリと揺れた。
「おかしいですわね……。
もしかしたら、今頃になって強制力が働き始めて、二人が婚約してしまったのかしら?
でも、それなら相思相愛だなんて、そんなおかしな噂にはならないはず……。
だって、あの二人は、責任感から婚約しただけの冷え切った関係だったもの。
それに、裏設定ではオフィーリアが本当に愛している相手はクレイグだったのだから、お互いに愛なんて無いはずなのに……。
前々からシナリオと違うとは思ってたけど、やっぱりバグってるのかな?
だけど噂が真実とも限らないし……」
『強制力』『裏設定』『バグ』
虚な目をしてそんな聞いた事もない言葉を延々と呟く『彼女』に、最初は胡乱な眼差しを向けていたプリシラ。
だが、あまりにも『彼女』の様子がおかしいので、徐々に心配になって来た。
「ね、ねえ……、ちょっと。
どうしちゃったの? 貴女、大丈夫?
さっきから何をブツブツ言っているの?」
おずおずと問い掛けながら顔を覗き込めば、『彼女』はハッと我に返り、プリシラを安心させる様に微笑んだ。
「大丈夫ですよ、プリシラ様。
当初の予想とは少し状況が違って来てしまいましたが、基本はそのままな筈ですから。
ヘーゼルダイン様は、きっと悪女オフィーリアに騙されているのですわ。
出来るだけ早くお救いして差し上げなければいけませんよね。
だって彼はクリスティアン殿下の大切なご友人なのですから」
プリシラの胸の中にはついさっきまで、確かに『彼女』への憤りがあった筈なのに……。
その気持ちはいつの間にか消え去り、代わりに妙な使命感の様なものがジワジワと湧いて来ていた。
単純なプリシラは自分にとって都合の良い言葉に縋ろうとする悪癖があるのだが、本人はそれに気付いていない。
「そう……、そうよねっ!
ヘーゼルダイン様も、このままではお可哀想ですもの。
彼をお救い出来れば、クリスティアン様もきっと安心なさるわよね」
『彼女』の笑顔の不穏さにも気付かずに、プリシラは無邪気な顔で決意する。
「でも……、相手は伯爵令嬢だし……。
これから先は、どう行動すれば良いのかしら?」
既に当初の計画は破綻した様に見える。
自分よりも身分の高い令嬢を相手に、ここからどう挽回すれば良いのかなんて、プリシラには皆目見当も付かない。
「プリシラ様はゆくゆくは聖女となるお方ですので、その点に関してはあまり気にしなくて良いと思いますが……。
では先ず、お手紙でも書いてみましょうか。
心を込めて説得すれば、彼女も改心してくれるかもしれません」
「分かったわ。どんな内容にすれば良い?」
「そうですねぇ、文面は……」
プリシラは彼女が語る内容を真剣な表情で頷きながら聞き、熱心にメモを取る。
その姿を、『彼女』は双眸を細めながら満足そうに眺めていた。




