90 不意打ちの労い
アイザックが漸く少し笑ってくれた事にホッとた私は、ずっと気になっていた事を質問した。
「……つかぬ事をお聞きしますが、私の書いた手紙の結果って、今どうなっているのですか?」
するとアイザックは「あぁ」と、納得した様な声を漏らした。
「そうだね、正式発表されていない事は、分からないよね。
先ず、一通目の陛下の体調不良は、既に対処されているから心配要らない。
それから、二通目は災いの予知じゃなかったよね」
「はい。あれは王太子殿下に予知を信用して頂く為に書きました」
「うん。だと思った。
三通目は新聞でも報道されたから知ってるだろうけど、イヴォルグの王弟の企みは阻止されたし、取り締まりも強化されたから残党が問題を起こす事も無いと思う」
ここで、それ迄の会話では説明不足な部分があっても、黙って聞いてくれていたジョエルが「ええっ!?」と驚愕の声を上げ、私を凝視した。
「アレに姉上が関わっていたのですか?」
「あ、うん、まあ……」
『関わっていた』と堂々と言えるほど大した事はしていない。とても短い手紙を書いただけなのだから。
気まずくなった私はスイッと視線を逸らしながら小さく頷いた。
目を見開いたまま絶句するジョエルを置き去りにして、アイザックは話を先に進める。
「で、四通目だが、コレはこの前僕がサディアス殿下の視察に同行した時に、対策の下準備をして来た」
「あ、やっぱり。
タイミング的にそうかもしれないとは思ってました。
因みにどんな対策を?」
「王家は国内の作物の供給バランスを保つ為の農村を所有している。
そこの収穫量を増やす事で、不作によって不足する麦の一部を賄う予定だ。
残りは備蓄や他領からの支援で、計算上はなんとかなりそう」
前世の日本でも食の欧米化や人口の減少で米の需要が減った時には減反政策を行ったり、インバウンドで需要が伸びたら作付面積を増やしたりしていると聞いた事がある。まあ、賛否両論の政策だったみたいだけど。
この国でも収穫量の調整をしていたなんて驚きだ。しかも農村を所有って、なかなか大掛かりだな。
「そんなシステムがあるなんて、知りませんでした」
「別に隠してる訳ではないけど、大規模な穀蔵地帯の領主くらいにしか、知られていないんじゃないか?
オフィーリアが一年以上前に予言を送ってくれたお陰で、土作りから余裕を持って対応出来そうだよ。
まあ、あの頃は半信半疑のままに動いていた訳だけど」
「お役に立てたなら、良かったです。
どんな対策をなさるのか分からなかったので、余裕を持ってお知らせしました」
「うん。良いタイミングだったと思う。
よく考えたら、君が予言をして僕が対策の準備をしたんだから、初めての共同作業だな」
「はい?」
ちょっと何言ってるのか、良く分からない。
共同作業に参加したの、二人だけじゃないからね?
ど真ん中にサディアス殿下が挟まってるけど、それで良いの?
「何を馬鹿な事言ってんですか?」
さっきまで固まっていたジョエルがやっと復活し、アイザックに冷めた視線を向ける。
それをサラッと無視して、アイザックは次の件について話し始めた。
「最後の五通目の感染症は、ダドリー医師と王宮医と文官でチームを作って対策を練る事になりそうだ。
さっき丁度ダドリー医師の所に寄って、予防対策マニュアルの作成とワクチンや薬の確保を依頼して来たんだけどさ、驚いた事に───」
途中で言葉をピタリと止め、怪訝な表情で私を見詰めるアイザック。
「…………んん?
もしかしてオフィーリア、なんかやったのか?」
多分、作戦が思った以上に成功していたから、私は無意識の内に笑みを零してしまったのだろう。
「ええ。ちょっと。
傷痕の治療をして頂いていた頃に、可能性を仄めかした事があります」
「なんだ。どうりで薬とか揃い過ぎてると思ったよ。
そっか……。本当に長い間、一人で頑張っていたんだな」
アイザックの言葉に照れて、フフッと笑った瞬間───。
私の瞳から大粒の涙がポロッと溢れた。
「……えっ………あれっ?」
最初の一粒が流れてしまえば、もう全然止められなくて。
次から次へとポロポロポロポロ溢れ続ける。
「オフィーリア?」
「姉上っ?」
立ち上がり掛けた様な中腰の姿勢でオロオロする二人がおかしくて、私は泣きながら笑った。
大好きな二人に手を握られ、背中を撫でられ、頬を拭われて……。
漸く私の涙が落ち着いた頃には、二人の方がちょっと泣きそうな顔をしていた。
そう言えば私、前世の記憶を取り戻してから、あんまり泣いた事なかったな。
ジワッと滲むくらいはあったけど、こんなにボロボロに泣くのはいつ振りだろう?
ジョエルだって、魘されてる時くらいしか見た事ないんじゃないかな?
ああ、だから二人共、あんなに慌ててたんだ。
「済みません、いきなり泣いたりして。
きっと私、自分で思っていた以上にプレッシャーを感じていたんだと思います。
だから、アイザック様。気付いてくださって、ありがとうございます」
心からのお礼を述べると、アイザックは少し照れ臭そうに微笑む。
「どういたしまして。
オフィーリアの力に少しでもなれたなら、嬉しいよ」
「それにしても、どうやってアレを書いたのが私だって分かったのです?
筆跡は変えたつもりだったのですが、上手く偽装出来てなかったですか?」
絶対バレないと自分では思っていたのだが。
「いや、偽装は完璧に近かった。
全く違う字を書くんじゃなくて、ちょっとだけ違う癖を演出しているのが憎いよね。
お陰で四通目の手紙だけを読んだ時はすっかり騙されて、似た字を書く別人だと思った。
元々オフィーリアの字ってかなり綺麗で癖が少ないから、似た字を書く人って意外と多いのかもなって」
「凄く褒めてくださって、ありがとうございます。
でも……、じゃあ、どうして?」
重ねて問うと、アイザックはちょっとばつが悪そうな顔をした。
「それは、五通目の手紙が、まだ開封されてからそんなに日が経っていなかったみたいで、その……、ラベンダーとオレンジの匂いがしたんだ」
「「はぁ? ニオイ??」」
ジョエルと私の声が揃った。
え? 匂い?
この人、匂いって言った?
「そう、ラベンダーとオレンジの香り、最近オフィーリアのお気に入りだろ?
で、もしかしたらって全部の手紙を見直してみたら、香りは消えちゃってたけど、文章を綴る時の癖っていうか、言い回しとか語彙とかがオフィーリアっぽい事に気付いて確信した」
いや、確かに最近はラベンダーのバスソルトと、オレンジの香りのマッサージオイルを良く使っているけど、使用後は仄かに香る程度だし、手紙に態々香りを付けたりもしていないよ?
そんな微かな香りに普通気付く?
犬なの?
彼の前世は警察犬か何かなの?
「えーと……、アイザック様は随分と鼻が敏感なのですね」
それならもしかしたら、シナモンとハチミツの匂いにも心当たりがあるのでは?
……と、少し期待したのだが。
「いや、オフィーリアの匂い以外には興味がないから、他については寧ろ鈍感な方かも」
そんな事ってある?
「では先程の抱擁は、姉上の匂いを確認したって事ですよね?
態々抱き締めなくても、他にやり様があったのでは?」
ジトッと目を眇めたジョエルに、アイザックがちょっと困った様な顔をした。
「いや、アレが一番確実だから……」
「「………………」」
「……ごめんなさい。私欲に走りました」
私とジョエルが無言でジッと見詰めると、彼は降参と言う様に両手を上げた。




