9 婚約回避の代償
「ヘーゼルダイン様、私に申し訳ないとお思いでしたら、一つだけ私のお願いを叶えていただけますか?」
黙って成り行きを見守っていたアイザックにそう聞くと、彼は微笑みながら「内容によるけど?」と、話の先を促した。
「彼女に休暇を与えてください」
「良いけど、そんな事が君の望みなの?」
私達の会話を聞いた侍女は、驚いた様な顔でブンブンとかぶりを振る。
きっと『必要ない』と言いたいのだろうけど、主と客の会話に口を挟む訳にはいかないから、ジェスチャーで伝えようとしているのだ。
「エイダ」
恐縮している様子の侍女の名を、アイザックが静かに呼んだ。
彼女の肩がビクッと跳ねる。
「お客様に気を遣わせる様な体調で、仕事をしてはいけないよ。
今日の所は取り敢えず、下がって休みなさい。
明日は休暇を取って、医者へ行くように。
ユーニスも、ここは良いから、エイダを部屋まで送ってあげなさい」
「ですが……」
「良いから」
「……はい。本当に申し訳ありませんでした。
お言葉に甘えて、失礼させて頂きます」
深々と頭を下げたエイダと呼ばれた侍女は、もう一人のユーニスという侍女に支えられて、去って行った。
二人が居なくなり、その場に残されたのは私とアイザックだけ。
とは言え、少し離れた位置で警備をしている騎士が居るので、完全に二人きりという訳では無いけれど。
「ウチの侍女が済まなかったね」
「いえ、急に体調を崩したのでしたら、仕方がありませんもの。
それより、私の方こそ、余計な事をしてしまって申し訳ありません」
ウチのリーザも、責任感から体調が悪くても無理をしてしまう事があったので、他人事とは思えずに、つい心配になってしまった。
それに、もしも妊娠しているとしたら、初期は不安定で流産しやすいと聞いた事があったので、無理をさせない方が良いかもと思ったのだ。
でも……、やっぱり他家の使用人の事に口出しするなんて、差し出がましい真似をするべきではなかったよね。
その点は反省しなきゃ。
「君の寛大な対応には感謝しているし、謝る必要なんて無い。
侍女達を下がらせてしまったから、僕が新しいお茶を淹れようか」
「あ。それなら、私が……」
公爵令息にお茶を淹れていただくなんて、恐れ多いと思ったのだが……。
「こう見えても、ちょっと得意なんだよ。
お客様は座ってて」
「……では、お願いします」
特に喉が渇いていた訳でもないのだが、固辞するのも失礼な気がしたのでお言葉に甘えた。
「喜んで」
ニコリと笑ったアイザックは立ち上がり、手慣れた様子で茶葉を適量ポットに入れて湯を注ぐと、砂時計をコトリとひっくり返した。
砂が落ち切るまで、待つ事暫し。
お茶をカップに注ぐ何気ない仕草まで優美で、つい見惚れてしまう。
「口に合うと良いけど」
「ありがとうございます。頂きますね」
提供されたカップをそっと持ち上げ、琥珀色の液体に口を付ける。
渋味や雑味は全く無く、花の様な甘い香りがフワッと鼻に抜けた。
「美味しい……。凄く手際も良くて、驚きました。
ヘーゼルダイン様は、何でもお出来になるのですね」
心からの賞賛がスルリと口から零れた。
ゲームの中でアイザックが自らお茶を淹れているシーンがあった様な気もするが、こんなに幼い頃からやっていたとは驚きだ。
「常に人を侍らせていると落ち着かなくてね。一人になりたい時があるんだ。
だから、何でもって程ではないけど、大抵の事は自分で出来る様になった。
そうは言っても所詮は素人の真似事だから、普段ならば自ら客人にお茶を淹れたりはしないよ。
そういえば、僕が淹れたお茶を飲むのは、家族以外では君が初めてだな」
「それは、光栄です」
何処かで聞いた様な台詞だなぁと思いながら、私は無難な言葉を返した。
そんな私にアイザックは、会ったばかりの時よりも柔らかい微笑みを向ける。
「ねぇ、オフィーリア嬢。
婚約者になるのは一旦諦めるから、僕と友達になってくれない?」
「友達……、ですか?」
「そう。是非、君と友達になりたい」
(友達、ならば大丈夫だろうか?)
断罪回避の為には、ゲームの登場人物とは関わらない様にするべきだと思っていたけど、逆に私を断罪する人物と仲良くなってしまうという手段も悪くないかもしれない。
そんな風に考えたのは、『友達になりたい』と言われて、ちょっと嬉しいと感じてしまったからだ。
ゲームの中のアイザックは、オフィーリアとの関係が上手く行ってなかったイメージが強い。
だから、今日も『きっと冷たくあしらわれるのだ』と、思い込んでいた。
でも実際に会ってみれば、アイザックは私の傷を心配してくれたし、婚約についても私の考えを聞こうとしてくれた。
……そんな事で、簡単に絆されてしまうなんて、自分がチョロくてホント嫌になるけど、きっと、私は彼にある種の好感を持ってしまったのだろう。
でも───、
(アイザックにとっては、私と友達になる事がプラスになるとも思えないんだよなぁ)
どうするべきなのか決められなくて、答えに窮した私は「少し考えさせて下さい」と返事をした。
何処かで聞いたと思ったアイザックの台詞が、乙女ゲームの中では、好感度が上がったヒロインに対して向けられる物だったという事実を、私が思い出すのはもう少しだけ先の話である。




