49 どのツラ下げて
顔を上げた私の視線の先には、会いたくもない人物の姿があった。
アイザックはその人物の登場に渋面を作り、チッと小さく舌打ちをする。
「久し振りだね、フィー。
……その、……元気、だった?」
気まずそうにおずおずと挨拶をしたその人物の名は、クレイグ・ボルトン。
私の元婚約者だ。
久方振りに顔を合わせたのだから、少しくらいは懐かしさを感じても良さそうな物だが、私の心に湧いてきたのは不快感だけだった。
クレイグに対する淡い恋心のみならず、幼馴染としての情さえも、私の心の中からは綺麗さっぱり消えてしまったのだと改めて思い知らされる。
「お久し振りです、ボルトン様。
ご覧の通り、つつがなく過ごしておりますわ。
ところで、いつまでも愛称で呼ぶのはやめてくださらない? とっても不愉快」
おっと、うっかり辛辣な本音が飛び出してしまったわ。
まあ、それも仕方のない事よね?
あんな風に私への誠意も配慮も見せずに婚約を解消しておいて、どのツラ下げて声を掛けてきたのか?
しかもここはAクラスの教室。
Cクラスに所属しているクレイグには、何も用の無い場所のはずだ。
態々私に会いに来たのだろうか?
婚約解消以来、一度も連絡してこなかった癖に、今更何の為に?
「そんな冷たい事言うなよ。君と僕との仲じゃないか」
クレイグが変な事を言うせいで、私の両隣に座る二人の機嫌が急降下している。
本当にやめて欲しい。
この人、まだ私が自分の事を好いているとでも思っているのかしら?
無いわぁ。
「貴方と私の仲ですか?
とっくの昔に婚約を解消した仲って意味かしら?
それって一般的には、何か特別な配慮をして差し上げる様な関係性ではないと思いますが」
ニッコリと微笑みながら事実をそのまま口にすると、クレイグは一瞬言葉を失った後、引き攣った様な笑いを零した。
「…………ハハッ……。参ったな、拗ねているのかい?
あの時は悪かったよ。僕だって本当は、ずっと君に謝りたかったんだ」
媚びる様な眼差しが気持ち悪い。
一体何を企んでいるのか?
必死で機嫌を取ろうとしているみたいだが、私の心は冷めていく一方だ。
「謝りたかったのであれば、もっと早くに機会は幾らでもあったはずでは?
まあ、謝罪を受け取るつもりもありませんでしたけれど」
「そうだね。もっと早くに謝るべきだった。
でも、父に止められていて……。
そんな事よりも、ずっと会っていなかったから、君に話したい事が沢山あるんだ。
少しで良いから時間を作ってくれないか?
二人きりでじっくり話せば、きっと分かってもらえると思うから」
(そんな事よりも?)
お話にならない。
自分から『謝りたかった』などと言い出した癖に、その謝罪を軽視する様な発言をするなんて、どういうつもりなのか?
ボルトン子爵も、私との接触を禁じていたのならば、最後までそれを貫いて欲しかったわ。
「私の方には、友人でも婚約者でもない殿方と、二人きりで話さねばならない事など何もありません。
百歩譲って、この場でお話ししてくださるなら、聞いて差し上げない事もありませんが」
「いや、ここではちょっと……」
クレイグはチラチラと私の左右に視線を向けて、顔色を悪くした。
右隣ではベアトリスが、左隣ではアイザックが、彼に向けて無言で威圧を放っている。
美形の怒った顔って怖いよね。
「では、速やかにお引き取りを」
「…………仕方ないな。
今は君も感情的になっているみたいだから、また日を改めるよ」
聞き分けのない子供を諭すみたいな言葉だが、感情的になった覚えなどない。
「『また』は必要ありませんわ」
逃げる様にそそくさと帰っていくクレイグの背中に、『もう来るな』と言う意味の言葉を投げつける。
いつの間に、あんなに訳の分からん人になったのだろう?
同じ言語を話しているとは思えないほど、全く話が通じなかった。
「私、感情的になってました?」
強い疲労感に襲われながら問うと、ベアトリスはゆるりと首を左右に振った。
「全然。
苦し紛れの捨て台詞でしょ?
私達の方が感情的になりそうだったわ。
ほら、ご覧なさい。アイザックなんて、爆発寸前よ」
その言葉を受けてアイザックに視線を向けると、彼は見た事ないほどに冷たい目をしてクレイグが去った方向を睨んでいた。
この目で睨まれながら、あそこまで会話を続けたクレイグって、ある意味凄いわね。
見習いたいとは思えないけど。
「本当に腹立たしい。
せっかくずっと避けて来たのに……。
どうやら偶然を装って接触するのは諦めて、方針を変更したらしいな」
(ずっとって、何?)
苦々しく放たれたアイザックの台詞に、少し驚いた。
「ずっと避けて来たって……、初耳なんですけど。
もしかして、今迄もクレイグは私に接触しようとしていました?」
「ええ。学食や廊下で待ち伏せたりしていたから、私とアイザックであの男がオフィーリアの視界に入らない様にブロックしたり、C教室の近くはなるべく通らない様に誘導していたの。
貴女の弟君も心配していたから……。
勝手な事してごめんなさいね」
「あ、いいえ。
全く気付かなかったですが、クレイグとは関わりたくなかったので、助かりました。
面倒な事に巻き込んでしまって済みません」
次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴ったので、お喋りはそこ迄で終了となった。
だが、私はクレイグの事が気になって、その後の授業には集中出来なかった。
ベアトリスとアイザックの話によれば、クレイグは入学当初から私と話す機会を窺っていたらしい。
最初は偶然の再会を狙っていたけれど、二人に邪魔をさたから、正面突破で会いに来る事にしたのだろう。
ただ、その目的はよく分からない。
私とクレイグが婚約を解消して暫く経った頃、色々とボルトン子爵家に関する良くない話が社交界に広がって、クレイグの評判も一気に下がった。
多分アイザックかジョエル辺りが噂を流したのだと思うけど、真相は不明だ。
その噂のせいか、未だにクレイグには新しい婚約者がいない。
クレイグは、ヘーゼルダイン公爵家の兄妹や、ベアトリスなど、高位貴族と親しくしている私に、新たな利用価値を見いだしたのかもしれない。
そして、私の額の傷痕が意外と目立たない事を知って、復縁をしようと企んだ……、とかかしら?
まあ、流石のお父様も再婚約をしろとは言わないと思いたいけど……。
プリシラとクリスティアン殿下への対応だけでも頭が痛いのに、面倒なヤツがまた一人増えてしまった。




