36 備えあれば
色々あったアディンセル侯爵邸のパーティーから一夜明け、今日はダドリー先生の往診日である。
私の額の傷をマジマジと見詰めた先生は、悔しそうに顔を歪めた。
「残念ですが、この辺りが限界かもしれませんな……。
力及ばず、申し訳ありません」
「そんなっ、とんでもない事ですわ。
先生のお陰で、ここまで傷が目立たなくなったのですから。
先生には感謝しかありません」
ダドリー先生は、とっくの昔に塞がった傷痕を少しでも目立たなくさせようと、今でも定期的に経過観察に来ては、皮膚の代謝を促進するクリームなどを処方たり、試行錯誤してくれていた。
そんな彼を責める気持ちなどあるはずもない。
「では、今日はこの辺で……」
「ダドリー先生、この後はご予定がお有りですか?」
診察を終え、帰ろうとする先生を呼び止めた。
「いえ。今日はもう戻るだけですよ」
「でしたら、お天気も良いですし、ご一緒にお茶でもいかがですか?
珍しいお菓子が手に入ったのです」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
診察を終えた先生をお茶に誘うと、嬉しそうに了承してくれたので、テラスへと案内する。
小さなテーブルを挟んで着席すると、リーザが手際良くお茶と焼き菓子を用意してくれた。
「本当だ。初めて見る菓子ですね」
「他国の伝統菓子らしいですよ」
たっぷりの胡桃にキャラメルを絡めて、クッキー生地で包んだ様な焼き菓子。確か、前世の日本ではエンガディナーと呼ばれていた。
「へえ。
あ、美味しいです」
一口食べて、笑顔で頷いている。ダドリー先生は意外と甘い物がお好きらしい。
「他国と言えば……、小耳に挟んだのですが、リルハン王国との国交が開始されるそうですね」
「ほぉ、オフィーリア様はお耳が早いですな」
ご自慢のお髭を撫でながら感心した様に褒めてくれるダドリー先生だが、実はコレ、ゲームで得た知識である。
今から二年以上先の話になるが、リルハン王国との国交が盛んになる事により、リルハン独自の伝染病が、この国にも流入してしまう。
例によって、それもプリシラが治癒魔法で解決するシナリオなのだが───。
「リルハン王国と言えば、近年迄あまり他国との交易をして来なかった国だと聞きます。
そういう閉ざされた国には、きっと独自の文化や生態系があるのでしょうね」
「そうですね。珍しい野生動物が沢山いるらしいですよ」
「もしかしたら病も……、独特な伝染病などがあるとしたら対策が必要かもしれませんわね」
私の言葉に、ダドリー先生はそれまで浮かべていた柔らかな微笑みを一瞬で消し、真剣な表情になった。
先生は怪我の治療技術も一流だが、『本来は感染症対策が専門なのですよ』と、以前、雑談の中で教えてくれた事がある。
それを聞いた時から、いつか先生にこの話題を向けてみようと思っていたのだ。
「……そう、ですね。
確かに、万が一に備えて、事前に準備をしておいた方が良いかもしれませんな……。
先ずは、彼の国でどういった病が流行っているかを調べて……、治療薬やワクチンも、ある程度は確保しておかないと……」
すっかり自分の世界に入り込んで、ブツブツと呟くダドリー先生。
うんうん。しっかり対策お願いします!
「……先生? 大丈夫ですか?」
あまりに長く考え込んでいるので遠慮がちに声を掛けると、状況を思い出したダドリー先生はハッと顔を上げた。
「済みません、オフィーリア様。
やらねばならない事が出来ましたので、これにて失礼させて頂きます」
「ええ、今日はありがとうございました。
お気を付けてお帰りくださいね」
ペコペコと頭を下げながら、慌てた様子で立ち去るダドリー先生の背中を、笑顔で見送る。
ダドリー先生はこの国で指折りの名医である。
その先生が今から対策をしてくれれば、ゲームの中みたいに感染症が蔓延する恐れはないだろう。
こうして着々とイベント潰しの根回しをしているけれど、どれも直ぐに結果が出る物ではないので、時折不安に襲われる。
プリシラを虐めたくはないけど、強制力が働いたりして、勝手に身体が動いてしまうかもしれない。
プリシラが転生ヒドインで、私達を陥れようとするかもしれない。
第二王子が、ベアトリスの有責で婚約破棄をする為に、私達の罪をでっち上げるかもしれない(これが一番有りそう)。
一人になると、嫌な想像ばかりが膨らんでしまう。
何か少しでも良いから、断罪回避が進んでいるのだと実感したい。
乗馬は上達したし、最近は護身術だって習ってるけど……。
でもそれは断罪が回避出来ず、最悪の結末になってから役立つスキルなのだ。
(……そう言えば、国王陛下のアレルギーってどうなったのかしら?)
陛下の体調不良については元々一般に公表されていなかったので、現在の状況についても全く情報が入ってこない。
ダドリー先生なら王宮医師にも知り合いがいるだろうから、何か知っている可能性もあるけど、下手な質問をすれば危険人物と見做されてしまうかも。
効果の程は不明だが、そろそろ王太子殿下に次の手紙を出してみようか。
私室に戻った私は机に向かい、引き出しの奥から蔦の模様のレターセットを取り出す。
「どんな内容が良いかな……」
初めの内は不穏な予言ばかりじゃない方が良いだろう。
人の行動では変えられない事であれば、本物の予言者であると信用されやすいかも……。
思案しながら、ゆっくりとペンを走らせた。




