156 久し振りの日常
「おはようございます」
夏期休暇前の最終登校日。
教室に入った私が挨拶をすると、読んでいた書物から視線を上げたベアトリスが、ちょっと意外そうな顔をした。
「おはよう、オフィーリア。
あら、アイザックも居るのね。久し振りじゃない。
仕事はもう良いの?」
「休暇に入れば学友にも暫く会えないんだから、最終日くらい登校すればって殿下に言われたんだよ。
普段散々こき使ってる癖に、変な所で気を使うんだよな、あの人」
「良かったじゃない。
明日には私やメイナードも領地に行っちゃうから、淋しいでしょう?」
ニヨニヨしながら肘でつつくベアトリスに、アイザックは無表情で「別に」と答えた。
「僕はオフィーリアさえ居れば、他はどうでも」
「ブレないわね」
「それ程でもあるけど。
そんなに褒められると照れるな」
それ程でもあるって何だ?
「褒めてないから。
嘘でもちょっとくらいは淋しがってくれたって良いじゃない。
友達甲斐の無い奴ね」
冗談半分でプンスコしているベアトリスがとても可愛い。
アイザックがベアトリスとふざけ合っているのを見るのは久し振りで、なんだか心が和む。
「フフッ。相変わらず、仲良しですねぇ」
微笑ましい遣り取りを眺めながらウンウンと頷いていると、二人はバッと勢い良くこちらを向いた。
「「何処がっ???」」
「いや、そーゆー所が」
「やめてよ~。私はオフィーリア一筋なんだからぁ。
アイザックなんて、オフィーリアの付属品みたいなものよぉ」
そう言いながら抱き着いてきたベアトリスの頭をヨシヨシと撫でていたら、アイザックにベリッと引き離された。
「それは僕の台詞だよ。
ってゆーか、僕のオフィーリアに気軽に抱き着かないでくれないかっ!」
「まあ、心が狭い!!
昨日までは私がオフィーリアを独り占め出来たのに……。
そうよ、まだ捕まってない容疑者もいるんでしょ?
捜査に戻ったら?」
シッシッと追い払う様に片手を振るベアトリスに、アイザックは苦い顔をした。
私達は束の間の日常を楽しんでいたが、残念ながら、未だに事件が完全に解決したとは言い難い状況である。
関係者達の取り調べや事情聴取はかなり進んでおり、事件の全容が見えて来たが、『レイラ』の正体についてはサッパリだ。
プリシラの証言から、『レイラ』の勤め先という中央教会のほど近くにある治療院が調べられた。
院長の話によれば、確かに三年近く前から『レイラ』と名乗る若い女性を事務員として雇っていたそうだ。
しかし、教会に強制捜査が入った頃から無断欠勤が続いており、彼女が住んでいたという集合住宅の一室も、騎士が駆け付けた時には既にもぬけの殻だったらしい。
「『レイラ』とかいう女については、情報が少な過ぎて、正直お手上げなんだよな」
「珍しいわね、弱音を吐くなんて」
「弱音を吐きたくもなるさ。
オフィーリアを危険に晒す諸悪の根源かもしれないのに、全く手掛かりが掴めないんだ。
養女だと言っていた事から、全ての養女申請の記録を調べたが、該当者は居なかった」
「養女と言っても、平民だと戸籍がない場合も多いから、調べようが無いわよね」
この国では、平民でも大商会を営む様な上流階級の人間であれば、戸籍で管理されている。
しかし、受け継ぐべき家業も無い様な人達については出生届などを出さない場合も多いのだ。
「でも、ヴィクターの証言によれば、いつも貴族令嬢が着る様なデイドレスを着ていたと言うから、金に困る様な身分ではないはずなんだ。
まあ、逆にウェブスター嬢は、質素な服装だったと証言しているけど」
きっと彼女は服装を使い分けていたのだ。
恋人の前では綺麗な格好をしたかったのだろう。
ヴィクター・リンメルは子爵家当主でもあるし、如何にも平民っぽい姿であれば、近付く事すら難しいからって理由もあるかもしれない。
しかし、高価な服で平民向けの治療院に出勤したら浮いてしまうし、プリシラに近付くには、気さくな平民女性に見えた方が良かったのかもしれない。
「養女っていう話も、怪しいかもしれないですよね。
リンメル先生に親近感を持たせる為に、同じ境遇であると偽っただけかもしれません」
私の意見に、アイザックも頷く。
「そうだよね。
でも、将来貴族籍を抜ける予定の下位貴族の令嬢とか、没落貴族の元令嬢とかも調べたんだけど、それも空振りでさぁ」
治療院の勤務記録からも、『レイラ』が学園に通っていない事は確定している。
だから、彼女が高位貴族の令嬢である可能性は無い。
「所作が綺麗だって話らしいですが、貴族を相手にする商家の娘も、マナーの教育は受けますよね?」
「そうね、後は、貴族家に行儀見習いに入っていたのかも」
「あーー、調べる範囲が多くて頭が痛いよ。
オフィーリア、癒して」
「はいはい」
疲れた表情のアイザックの頭を撫でて慰めると、ベアトリスが悔しそうに抗議する。
「婚約者と離れている私の前で、イチャイチャしないでくれない?」
「領地へ行ったら存分に甘えれば良いじゃないか」
「……まだ、そんな関係じゃ無いもの」
シュンと項垂れたベアトリスを見て、私とアイザックはチラリと視線を交わす。
『そんな心配する必要は無いのにねぇ』と、目で会話をして、小さく頷き合った。




