6話⑵
後ろ髪を引かれながら食堂を後にした私は、剣の修練場へ向かっていた。
やめとくとは言ったもののやはり気になる。
万が一どちらかが大怪我をした時に、
「私がいたらすぐ治せたのに!」
となってしまったら後悔どころではない。
(でももう終わってそうだなぁ……)
石畳みに足音を響かせない程度に急ぎながら、怪我がないことだけを祈る。
たどり着いたその場所は、想像していたより静かだった。
皆んなが待ちに待った練習試合、と言っていいのか分からないが、観てみたかったらしいカードなのだ。
もっと歓声とか何かありそうなものだが。
勝負がついているのだから。
石畳みに横たわるエラルド。
その首のすぐ横には練習用の剣が立っている。
それを持っているのはもちろんバレット。
剣を握ったままエラルドに覆い被さっていた。
響くのは2人の荒い息遣いのみ。
「ネルス」
私は体格のいい生徒たちに混ざって1人華奢な背中に声をかける。
びくりと肩が上がり、ネルスが振り返った。
「し、シン……!」
なんというか、変なタイミングで来てしまった。
もう少し後なら、ちょっとは場が和んでいただろうに。
それもこれも急かしたアレハンドロのせいだ。
後でアンネとあの後どうなったか根掘り葉掘り聞いてやる。
「……また明日やるぞ、エラルド」
静かな空間で、剣を支えにして先に立ち上がったバレットが口を開いた。
そして感情の読めない表情で手を差し出す。
「期待に応えられたってことか?」
「そういうことだ」
いつもの柔らかく明るい声と共に手を握り返したエラルドの表情は見えない。
そのまま引き上げるのかと思ったが、エラルドは手を離してから自分で立ち上がった。
「悪い。想像以上に手に力が入らない」
バレットは手を見つめ、握ったり開いたりしながら呟く。
それに対して、膝の砂を払っていたエラルドは、
「俺も」
と笑ってぷらぷらと手を振っていた。
ようやく、見物客たちも呼吸ができる状態になってきた。
なにやら壮絶な戦いが繰り広げられたらしい。
◇
「凄かった!!」
剣の修練場からの帰り道、大興奮中のネルスが林に響き渡りそうな声を出す。
「すごくすごくすごくすごく格好良かったぞ!」
ちなみにこの子、さっきから「すごい」「格好良い」以外の語彙を失っている。
2人の稽古試合が相当楽しかったらしい。
「エラルド!君は凄いな!家を捨てて騎士になりたいと聞いた時は、正直、狂気の沙汰だと思っていたが!」
「思ってたのか」
「思われてたのかー」
バシバシとネルスに背中を叩かれながら、びくともしないエラルドはいつも通りだった。
「君なら騎士になれる! 普段はヘラヘラしているのに剣を持つと別人のようだな! 本当にすごく格好良かった!」
褒めているのか貶しているのか分からないが、おそらく本人は褒めているつもりなのだろう。
キラキラしたおめめの美少年とは逆に、好青年は困った笑顔でくしゃりと頭を掻いた。
「いやでも、負けたんだけど……」
「それは僕も悔しい!!」
(相当エラルドに肩入れして観戦してたな。当たり前だけど)
戦った本人に対して間髪入れずにうんうんと頷いている。
当然悔しいだろうエラルドは、実はそんなことを一言も言っていないのだが、ネルスは言葉通り悔しそうに眉を寄せる。
「あの男、戦っている最中に『期待外れだ』とかいっていたのが聞こえたぞ……!」
エラルドが期待外れとはまたとんだ化け物だなバレット・アコニツム。
見るからに強そうだったけど。
「でも最後は完全に前言撤回ということになったな! なんだか上から目線だったのが気に入らないが!! さすがだエラルド!」
この子さっきからず――――っと1人で楽しそうにおしゃべりしてる。
しかも何故かドヤ顔。
かわいい。
エラルドに落ち込む隙すら与えない勢いだ。
まるでテンションが上がると手がつけられないオタクのよう。
いや、ヒーロショーを観に行った後の幼児だろうか。
普段は賢い優等生なのに。
普段からやかましい気はするけど。
和んでいると、エラルドが動いた。
ずっとされるがままになり話を聞いていたエラルドが。
勢いよくネルスの方を向くと、正面から抱きしめたのだ。
小柄な体はエラルドの腕に完全に覆われてしまった。
「!? ど、どうしたんだエラルド!? 大丈夫か!?」
「……ありがとう、ネルス。おかげですごく元気になった!」
少し震えるその声を聞いて、ネルスは瞬いたあと、静かになる。
そして、さっきから遠慮なく叩いていた背中を優しく上下に撫でている。
のかと思ったが、
「た、頼む……っ苦しいから少し力を……!」
もがいていただけだった。
(泣けばいいのか笑えばいいのか萌えればいいのか)
当然、私の心は「友人として」「大人として」「腐女子として」さまざまな方面で大忙しだった。
心の底から思ったのは、観てなくて良かった、ということである。
多分、観てたら、今、泣いていた。
エラルドの目標を知っていて、真剣勝負を観てからのこれは、泣いてたと思う。
年々、涙腺がゆるっゆるになっているんだ。
本当に泣くし、普通に今の光景を見泣きそうなんだけど今泣いたら変な奴すぎる。
なんでお前が泣くんだ、と、心の底からネルスに首を傾げられるに違いない。
ネルスが幼児みたいで面白い方向か、今日はネルスがやたらBLフラグを立てているという風な方向に思考を無理矢理にでも持っていかないと。
泣く。
(うん、BLだったらこの後なし崩しにキスシーンじゃない? ね?)
BL漫画でもこのシーンあったら泣いてる気がする。
これはいけない。
どうしようか。
無になろう。
私は、15歳の男の子です。うん。
混ざろう。
高速脳内会議の末、謎の結論に辿り着いた私。
腕を広げて左にエラルド、右にネルスの状態で2人まとめて抱き締めた。
「お前までなんなんだシン!」
「楽しそうだから混ぜてもらおうと思ってな」
「あはは、シンって面白いよなー」
エラルドは右腕を動かして私の背中に回してくれる。
しかし、私が加わると、逃れようとしてもぞもぞとネルスが動き出した。
エラルドが良くて私はダメなのなんなんだ。
そうこうしている内に、3人で抱きつき合っている上にネルスが動き出したことでバランスが崩れた。
「わ」
「お」
「あ」
思い思いの発声をしながら、ネルスの方へ傾いていった。
そちらに倒れるのが一番まずい。
慌てて私は足に力を入れ、自分の方へと体重を移行させようとするが、強い重力に引っ張られて上手くいかない。
そのまま3人でドサッと倒れた。
左肩に軽い衝撃を感じる。
慌てて起き上がると、ネルスはエラルドを下敷きにしていた。
「いててー」
重力に逆らえなかったのではなく、エラルドに引っ張られていたらしい。
「え、エラルド! 大丈夫か!?」
「す、すまない! 私が要らないことをしたから……!」
ネルスはエラルドに跨ったままで、私は上半身を起こして仰向けになっている顔を覗き込んだ。
「大丈夫大丈夫!2人とも怪我はないか?」
手を使わず腹筋を使って起き上がっているところを見ると、元気そうだ。
ホッとしたら笑えてきた。
ネルスも力が抜けたのか、口元が緩んでいる。
なんだか楽しくなってきたので、エラルドをポンっと押してみる。多分、悪戯をする子どものような顔になっている。
「おお?」
エラルドはそのまま倒れそうになったが、背中がつくギリギリで止まって、またすぐ軽やかに戻ってきた。
同じように何度も押してみると、その度に速度を落とさず疲れる様子もなく戻ってくる。
「おー! すごいすごい!」
思わず拍手すると、エラルドが笑った。
「何するんだよシンー」
「な、なんでそんなに何度もちゃんと戻って来られるんだ?」
心底不思議そうなネルスを見て、私とエラルドは顔を見合わせてまた笑った。
「よし、次はネルスと私2人で体重をかけてみよう。何秒倒れないでいられるかな?」
「待て待て! ネルスが2人ならともかくシンとネルスの2人は流石に」
「僕2人ならってどういう意味だエラルド!」
(言葉通りの意味……)
エラルドの両手と指を絡めて押し倒そうとするネルスと、笑いながらびくともしないエラルド。
BL萌っていうより父子の戯れだなこれ。
私はネルスの後ろに回ると、ペンだこの出来ている手の上から同じように掴んで加勢する。
しかし、必死そうなネルスが面白くて力が入らない。
エラルドは流石に後ろに動いたが倒れなかった。
こんな道の真ん中で馬鹿なことやってるなぁと冷静な自分もいるのだが、まぁ公道じゃないので良しだ。
「何をなさっているんですの?」
嘘でしょこんなアホなところ人に見られることある?
いや、こんなところでアホなことしているんだから見られるのが普通か。
ゆっくり顔を上げると、人影が2つ。
艶のある金の縦巻きロール、ルビーのように赤い瞳、それを縁取る付け睫毛かエクステしてますかと聞きたくなるようなバサバサの睫毛。
右の目元には黒子。
肌は白いけれども血色のいい頬と唇。
近くで見ても隅から隅まで美しい女の子が首を傾げて立っていた。
「ラナージュ嬢! お恥ずかしいところを……!」
ネルスが勢いよく立ち上がって制服と姿勢を整える。
言葉通りのお恥ずかしいところすぎて改めて笑いが込み上げてきたのをなんとか飲み込む。
そして、
「あれ、バレット?」
座ったままのエラルドは気の抜けた声で美女の一歩後ろにいた無愛想くんの名前を呼んだ。
よりによってなんでお前がこんなところにいるんだ。
私は思わずエラルドの顔、特に目元を確認した。
よし、いつも通りだ。
いつも通り爽やかな好青年だ大丈夫。
そう、ラナージュとバレットがセットで登場したのである。
(あーそういう? そういうこと? お嬢様と騎士的な?)
設定、盛ってくるじゃん?
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