第63話:森が枯れれば、薬が尽きる
なぜクローヴ商会は、三十年もの間あの森に執着しつづけるのか。
薬草の売り買いだけなら、もっと楽な稼ぎ場がいくらでもある。危ない橋を三十年も渡りつづける理由。毒を使い、人を消してまで守りたい利権の正体。……私はその答えを探しあぐねていた。
その謎を解く鍵は、グレタ婆さまのいちばん古い記憶の中にあった。
「聖樹さまはね」グレタは声をひそめた。「ただの大きな木じゃないんだよ。あの木が、あの森があるおかげで、この北の大地に薬草が育つのさ。聖樹さまの根が水を清め、土を肥やし、その陰が寒さから草を守る。……薬師のあいだじゃ昔から言われてる。『聖樹、枯るれば、薬、尽く』ってね」
私は背筋が冷たくなるのを感じた。
思い当たることがあった。東の谷のあの豊かな群生も、水脈をたどれば聖樹の森につながっている。畑では育たぬ薬草が、なぜかこの北の辺境でだけ力強く育つ。私はそれを土地柄だと思っていた。……土地柄では、なかった。あの木、だったのだ。
「聖樹さまが育む薬草は、この辺境だけのものではありません」私はこれまで集めた薬草の知識をたぐった。「解熱の草も、痛み止めの根も、傷を癒す薬も……その多くが、もとをたどればあの森の系譜に行き着きます。あの森はこの辺境の――いいえ、この大陸の薬のゆりかごでございます」
*
リタが震える声で言った。
「師匠。あたし、視えます。聖樹さまの色……昔は大陸でいちばん大きな金色だったはず。それが今は、灰色になりかけてる。もし、あの聖樹さまが完全に枯れたら」
「――この大陸から薬草が消える」私はその先を引き取った。「解熱の薬も、痛み止めも、傷薬も。作りたくても、原料がこの世からなくなる。次に疫病が来ても、こんどは代替の草すら摘めなくなる」
クローヴ商会が森に執着する理由が、ようやく見えた。彼らはただ薬草を売っていたのではない。この大陸最後の薬のゆりかごを握ろうとしていたのだ。他の産地を三十年かけて食い荒らし、枯らしてきたのも――最後にこの森だけを独り占めにするため。すべての薬を、自分たちの値札の支配下に置くため。
「なんという……」ミレーユが青ざめた。「薬を握るために、薬のゆりかごを殺そうとしているのですか」
「ええ。狂気の沙汰でございます」私は拳を握った。「けれど、それが三十年の歪みの正体でございます。目先の金のために、この大陸ぜんたいの薬の未来を食い潰そうとしている」
疫病の買い占めも、この長い企てのほんのひと幕にすぎなかったのだ。病で薬の値打ちを吊り上げてみせる。薬を握る者がいかに強いかを世に知らしめる。……あの男は疫病さえ宣伝に使った。
*
その夜、私は王都の宰相へ長い文を書いた。聖樹の森のほんとうの値打ち。クローヴ商会の執着の正体。森の保護を、一領地の話ではなく国の政として扱ってほしいこと。……ユリウスが隣で、森の枯死の記録を几帳面な図に起こしてくれた。数字と、絵。言葉より雄弁な二枚を文に添えた。
問題は、もはや辺境ノルデン一つの話ではなくなっていた。あの森を、聖樹さまを救えるかどうかに――この大陸に生きるすべての人の薬の未来がかかっていた。
枯れゆく聖樹を、どうすれば再び蘇らせられるのか。三十年の歪みを、どうすれば断てるのか。それは疫病を止めるより、ずっと大きく、ずっと長い戦いになるだろう。
けれど、恐れはなかった。街を診た。都を診た。次は森を、大地を診る番だ。患者が大きくなるたび、この手には仲間が増えてきた。
私は南の森の方角を見据えた。
「――辺境で、薬屋をはじめました。次は、その薬のゆりかごを守る番でございます」
ヴァイスが隣に立った。
「ひとりでは、やらせん」
「ええ。ひとりでは、やりません」私は微笑んだ。「みんなと、共に。次の大きな戦いへ」
疫病の、その先に。もっと大きな聖樹再生の戦いが、静かに幕を開けようとしていた。
第三部「聖樹再生編」の、大きな戦場が姿を現します。クローヴ商会が三十年、森に執着した理由――聖樹さまは、ただの大木ではなく、この大陸の薬草を育む“ゆりかご”でした。「聖樹、枯るれば、薬、尽く」。他の産地を食い荒らして枯らし、最後にこの森だけを独占し、すべての薬を値札の支配下に置く……薬を握るために、薬のゆりかごを殺そうとしている狂気です。
問題は、もう辺境ひとつの話ではありません。大陸に生きるすべての人の、薬の未来が、あの森にかかっている。
物語は、いよいよ、着地と、次への号砲へ。次回、第六十四話「春に、話したかったこと」。ヴァイスの、あの約束が――。




