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第61話:復興の、匙かげん

 疫病が退いた辺境ノルデンは、少しずつ日々の暮らしを取り戻していった。


 閉じていた市がまた開いた。畑に人が戻った。子どもたちの笑い声が通りに響くようになった。私はその光景を薬屋の窓から眺めるのが好きだった。派手な祝祭ではない。ただ、当たり前の暮らしがゆっくりと戻ってくる。それがなによりのごちそうだった。


 診療所の客も変わった。熱の急患が減り、かわりに腰だの肩だの眠りが浅いだの――いつものなじみの顔と、なじみの愚痴が戻ってきた。マーサの腰痛の膏薬を練る。ゴルドの火傷に軟膏を塗る。この代わり映えのなさが、どれほどありがたいものか。それを教えてくれたのは、皮肉にもあの疫病である。


「先生、無理にいっぺんに元へ戻そうとしちゃいけないよ」グレタが茶をすすりながら言った。「病み上がりの街は、病み上がりの身体とおんなじさ。匙かげんが肝心だ」


「ええ。おっしゃるとおりでございます」


 実際、焦りはあちこちに顔を出した。休んだぶんを取り返そうと、根を詰めて倒れる職人。空いた店を急いで広げようとして、借財を抱えかける商人。私はそのたびに言って回った。――病み上がりにごちそうは禁物でございますよ、と。


  *


 弟子たちも、それぞれの次の一歩を踏み出しかけていた。


 ユリウスは疫病の記録を、一冊の書物にまとめはじめた。この土地の病と、その手当てのすべてを。いつか後に続く者の、道しるべになるように。


「題は決めているのか」とヴァイスが訊くと、ユリウスは生真面目に答えた。「はい。『ノルデン防疫録』と。……師匠の帳面の題を、継ぎます」


 ノエルは王都から戻ると、こう言った。「先生、おれ、いつか下町にちいさな薬屋を開きてえです。えらい人にゃ届かない下町の連中に、安くて効く薬を」


 ミレーユは祈りと薬の両の輪を学びつづけている。いつか、その両方を使える新しいかたちの癒し手になるだろう。


 そして、リタは。


「あたし、まだ師匠のそばにいますからね!」十三の弟子は私にしがみついて宣言した。「師匠、あたしがいないと、また鍋、焦がすでしょ!」


「……焦がしません。たぶん」


「先週、焦がしました!」


 私は笑った。この子だけは、まだしばらく巣立ちそうにない。それもまた、いい。育てたものがいつか巣立ち、また誰かを育てる。その循環のいちばん初めの芽が、あちこちでふくらんでいた。


  *


 その日、ヴァイスが往診に来た。例の、二年がかりの根治治療だ。


「十五回目でございますね。痺れの引きが、またよくなりました」私は彼の左手を丁寧に診た。「順調でございます。……あと九回。お約束の二年も、そろそろ終いが見えてまいりました」


「わかっている」ヴァイスはぶっきらぼうに言い、それからふと目を逸らして付け加えた。「……二年、では。足りん気もするがな」


 私は匙を持つ手を止めた。二年では足りない。――それは治療のことを言っているのか。それとも。


 鈍いはずのこの人が、時おりこういう不意打ちをしてくる。私は頬が熱くなるのを隠すように、薬箱を閉じた。


「……治療が二年で終わっても」私はそっと言った。「別の対価を、また考えますので。ご心配なく」


 ヴァイスの耳の先が、また赤くなった。戸口でリタがにやにやしながら、こちらをのぞいていた。「師匠と閣下、また、あやしい」――その声に、私たちは揃って咳払いをした。


  *


 あたたかな復興の日々。けれど、私は忘れてはいなかった。


 南の森は、まだ枯れたまま。クローヴ商会の影は、まだ森の奥に潜んだまま。このつかのまの穏やかさは、次の大きな戦いの前の静けさにすぎない。


 夜、私は南の空を見上げた。星の下、森の方角だけが、なぜか暗く沈んで見えた。


(――休める、いまのうちに。次の戦いに備えて)


 私はもう、ひとりで背負おうとはしなかった。次の戦いも、きっとみんなと共に。そう思えることが、この疫病を越えて私が手にしたいちばんの宝だった。

つかのまの、あたたかい息抜き回です。疫病を越えた街が、派手な祝祭ではなく、当たり前の暮らしを少しずつ取り戻していく。弟子たちも、それぞれ次の一歩へ――ユリウスは記録を書物に、ノエルは下町の薬屋を夢見て、ミレーユは両の輪を学び、リタは「まだ巣立たない!」と宣言。育てる循環の芽が、あちこちで膨らみます。


そして、ヴァイスの「二年では、足りん気もするがな」の不意打ちに、セラフィーナも、思わず赤面。“対価ギャグ”が、すっかり二人のものに。


けれど、南の森は枯れたまま。次回、第六十二話「辺境が、医の灯りになる」。


――ブックマークと☆は、ヴァイスさまのいう“二年”の延長申請に……いえ、なんでもございません。よろしければ、ひとつ、どうぞ。

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