コミカライズ記念短編
『隠蔽機能付きの暴力装置』。
サキュバスに呪われる前、状況によっては第一王子に匹敵する魔法の使い手たるシュダ=バードフォーチュンは多くの闘争を繰り広げていた。
『記録』に記載されしはこれまで撃滅していた伯爵家にとっての邪魔者。悪魔信仰だの民間人誘拐だのとシュダがやりやすいようにと理由づけこそしてはいたが、あくまでその本質は伯爵家の利益に繋がる殺人でしかない。
そのことに次男であるゼリアはあまり快くは思っていなかったが、当のシュダは半ば仕方がないことだと受け入れていた節がある。
だが、伯爵家の目的はどうであれ『記録』に記載されし者たちは何かしらの悪意を振り撒き、明確に悲劇を引き起こしていた。それでいて、通常の手段では裁かれないよう『力』に守られていた。
ゆえにこれ以上の悲劇を防ぐためだと言われれば嫌だとは言えなかった。そう、シュダがやらなければ被害が拡大し、より多くの命が失われると分かっていて見過ごすことなどできるわけがない。
『……民間人を誘拐して、その魂を「消費」することで「禁域ノ宝玉」に封じられしサキュバスを復活させる、か。つまんないこと企てやがって』
アビスレス教団の本拠地に単騎で乗り込み、その構成員の全てを無力化したシュダは血生臭い地下室でそう吐き捨てていた。
そう、血生臭い地下室で、だ。
恍惚とした目をした教団の構成員は一人残らず自害したのだ。
加えるならば、シュダが乗り込んだ時点で教団に捕らわれた多くの民間人はすでに殺されていた。
とはいえ、シュダが乗り込んだ時点ではサキュバスは復活していなかった。ゆえに儀式は完遂していない、そう判断したシュダはアビスレス教団の構成員を無力化することで儀式が失敗に終わればと願望混じりの期待をしていたのだが──こうして構成員が揃いも揃って自害したと共にそれは起こった。
『チッ』
視線の先には三メートルはある巨大な宝玉があった。『禁域ノ宝玉』。悪魔封じの牢獄からピキピキと嫌な音が連続する。
アビスレス教団と言えばかつては平和的な宗教団体だった。それが気がつけば悪魔を、正確には亜種たるサキュバスに傾倒し、こうしてサキュバス復活にまで漕ぎ着けてしまった。
……現状、騎士団が動いていないというのが不穏な思惑を感じさせるが、そんなものを推察したところで事態は変わらない。
結果としてシュダがしくじれば多大な被害が出る。それが全てだ。
ならば、退くことなどできない。お偉方のくだらない権力ゲームには興味ないが、それでも明確に命が左右されるというのならば逃げるわけにはいかないのだから。
だから。
だから。
だから。
バッギィィィンッッッ!!!! と。
三メートルを超える宝玉が割れ、中から人々が想像する通りの姿形をしたサキュバスが飛び出して──
『うわぁっ、イケメンさんだよう!!』
キラキラキッラーンと謎のピンク色の光を撒き散らし、お目々を不自然なまでのハートマークで埋めて、悶えるように全身をくねくねさせて、甘ったるい黄色い声をあげたのだ。
『な、にを』
『うんうん、寝起きにイケメンさんが差し出されるだなんてわたしってば世界に愛されているねぇ。やっぱり可愛いは正義、ゆえに全てはわたしのために回るってねぇ☆』
『いや、だから』
『っていうかぁ、よくよく見ずとも超好みだねぇ。ドキドキ。ハッ、これが一目惚れってヤツぅ? やばいやばいときめきが溢れちゃうよぉーっ!!』
調子が狂う、とシュダは脱力しそうになっていた。
サキュバス。
悪魔の亜種にして滅亡の引き金になりかねない災厄。
そんな怪物にしてはどこか気の抜ける、馬鹿馬鹿しくとも愛嬌さえ感じさせる女だった。
サキュバスらしい姿形さえしていなければ悪魔だとは思えないほどに。
『しっかしイケメンさんってば無欲だねぇ。対象にとっての理想的な女に変化しようとしても反応なしなんだもん。好きな女って定義が定まっていないって感じぃ? 普通、理想の一つや二つ頭の中にあるものなんだけどねぇ。もっと色欲漲らせていこうよう!!』
そんな風に言葉を紡ぎながらも、サキュバスはシュダに熱く、蕩けるような視線を向ける。
『それよりイケメンさん、お名前はぁ?』
『……シュダ。シュダ=バードフォーチュンだ』
『きゃぁっ。格好いい名前だねぇ! ますます惚れちゃった☆』
呑まれそうになるな、とシュダは己を戒める。
キャラに騙されるな。その本質をきちんと見抜け。
なぜなら、彼女は──
『なあ、サキュバス。教団を裏で操っていたのは……いいや、正確には誘惑して、自害にまで追い込んだのはお前だな?』
『うん、そうだよぉ』
即答だった。
軽く、当たり前のように。
『ほらぁ、昼寝にも飽きてきたからそろそろ起きようかなぁって思ってねぇ。封印で力こそ制限されていたけどぉ、封印から漏れた微弱な力でも誘惑可能なのが悪いって感じぃ? 全体的につまんない連中だったけど、まあ私の復活を赤色で彩ってくれたから良しってねぇ。ふっふふ☆ わたしは悪魔。亜種として色欲を司っているけど、その根底には恐怖と混沌を愛する衝動に溢れているんだもんっ。ちょろっと昼寝しすぎちゃったけど、そろそろ人間たちには恐怖と混沌時々色欲の日々を踊り狂ってもらわないとねぇっ』
『…………、』
『あっ、心配しなくてもシュダちゃんは例外だよぉっ。恐怖も混沌もない、色欲だけの毎日をプレゼントしちゃう☆ サキュバス直々に愛してあげるんだよぉ? それはもう最高に気持ちいい毎日になること間違いなしってねぇ』
『……………、』
明るく、元気に。
気が抜けるような雰囲気のまま、この女は恐怖と混沌を撒き散らす。元は平和的な宗教団体を自身の復活のためだけに狂わせたように、彼女を自由にさせておけば世界中の人間が悲劇に呑み込まれることだろう。
『もしも、俺様が恐怖だの混沌だのを撒き散らして人間を苦しめるなんてつまらないことやめろと言ったら、どうする?』
『んぅ? シュダちゃんのことは好きだけどぉ、それはそれこれはこれってねぇ。誰かに言われたからって生き方変えてあげるほどわたしは半端者じゃないわよぉ』
それが、決定打であった。
『そうか。……残念だ』
直後に激突があった。
人類の命運を左右する激突が、だ。
結果としてサキュバスは再度封印され、代わりにシュダは呪いによって魔力無効化体質を埋め込まれ、『隠蔽機能付きの暴力装置』たる魔法の力を常時無効化されるという形で失った。加えて呪いのせいで女に弱くなった。
これが『秘匿されし過去』、すなわちシュダとサキュバスの因縁の始まりであった。
ーーー☆ーーー
ある日、シュダとリンティーナだけの(婚約しているとは思えないほど物理的距離の開いた)小さなお茶会でのことだ。
「シュダさま、どうかしましたか?」
「いや、ちょっと『昔』のことを思い出していただけだ」
「『昔』、ですか?」
「ああ」
あの時はサキュバスのことが理解できなかった。一目惚れだなんだと言っていたが、大方相手の油断を誘うためのものだろうとでも切り捨てていた。
だって、あり得ない。
相手のことを知りもせず、一目見ただけで惚れるなど。
だけど、だ。
リンティーナを連れ戻そうと踏み込んできた第一王子をシュダは殴り飛ばした。それこそ後でどんな罪に問われようともリンティーナだけは守るのだという衝動のままに。
それほどの想いはどこからきたのか。
そうして考えているうちに気づいたのだ。
リンティーナと出会ったその日には、もう、溺れていたのだと。
──我が全霊をもってめくるめくハッピーライフを約束しようではないか、と。一目見ただけでリンティーナを幸せにしたいと思えるだけの感情が湧き上がっていた時点で気づくべきだった。
「なるほど」
「シュダさま?」
不思議そうにシュダを見つめるリンティーナ。そんな彼女を見返していると、意識しない内に彼はこう言っていた。
「俺様、リンティーナのことが好きなんだな」
…………。
…………。
…………。
「は、ひ? しゅっしゅしゅしゅっ、シュダさまあ!? 突然何をおっしゃっているのですかぁ!?」
「いや、その……うん」
無意識とはいえとんでもないことを言ってしまったと、今更ながらに口元を手で押さえ、今にも燃えそうなくらい熱くて真っ赤な顔を横にそらすシュダ。
対してリンティーナのほうはもう貴族の顔とか何とかぶっ飛びまくって椅子から転げ落ちそうになっていたが。
「ま、まあ、なんだ。あくまで政略結婚、俺様がリンティーナのことをどう思っていても、別に気にする必要はない。好意を返してほしいわけじゃないから、無理して合わせてくれなくても──」
「シュダさまっ!!!!」
ばんっ!! と両手で机を叩き、勢いよく立ち上がるリンティーナ。その言葉だけは聞き逃せないとでも言わんばかりに。
「わっわたくしは! わたくしだってシュダさまのことを……っ!!」
「りん、てぃーな?」
「その、ですね。すっすすっ……お、同じくらい、その、同じですから」
「同じ……それって!?」
「そ、そういうことですわ……」
「いや、いやいや!! ここまできたらはっきり言って欲しいんだが!!」
「同じです、同じったら同じなんです!!」
呪いによる女性恐怖症も王妃教育による男性恐怖症もなくなりはしない。二人の物理的距離は未だに婚約者のそれとは思えないほどに遠い。
だけど。
心の距離はこんなにも近く、それはこれから先もっとずっと密接になっていくことだろう。