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サヤは案内をすると、教師が回ってくるからと戻ってしまった。
私はオーリの部屋をノックした。すぐに返事がかえってきた。サヤの部屋とは違った別の良い匂いだった。褐色の少年が短いズボンにシャツの姿で、焙煎前の珈琲豆を指で摘まんで睨んでいた。二つの磁器に次々と選別していき、ちらっと私のほうを見た。
「珈琲が好きなんだ?」
挨拶無しで質問してしまった。
「……ええ、唯一の趣味ですから」
彼がしているのは、欠点豆と異物の除去だ。時間がかかるけど、虫食い豆、未熟豆、色の悪いものやカビた豆を取り除いていた。丁寧な仕事で、時間がかかるのを厭わない姿勢に好感が持てた。
「焙煎もするんだね?」
「店で買うよりも、私のほうが上手いので」
自己愛の欠片も無い言い方だったのが、面白かった。
「あれ……」
私は見たことのある器具を見つけた。中世では絶対にない珈琲器具だ。コーヒープレスと呼ばれるもので、ビーカーのような容器に珈琲豆を入れて、お湯をかけ、フィルターで押して抽出する器具だ。部屋に入ってきたときに感じた匂いの正体だった。粗挽きされ、微粉を除去した豆がお湯の中で踊り、黒い液体へと変貌を遂げていた。
「うそー! コーヒープレスじゃない! どこで売っているの?」
私の食いつきに驚いたようで、オーリは立ち上がり、コーヒープレスを手に持って、私に見せてくれた。
「自作です」オーリはフィルターを押し込んで、綺麗な陶器に注いでくれた。「名前が無かったんですが、コーヒープレスで良いかも知れませんね」
砂糖は? と聞かれたけど、断った。珈琲はいつも飲んでいたので、糖分を摂り過ぎないようにブラック派だった。ふと、消えていた記憶が一部戻ってきているのに気付いた。
家の台所で珈琲を入れる自分の姿だ。
それは、珈琲を飲み込むとすぐに消えてしまったけど、懐かしい一場面だった。時々、本で読んだ時以外の記憶が蘇るけど、自分の名前すらいまだに思い出せなかった。でも、珈琲が慰めてくれた。
「美味しい……」
「そうですか」
オーリは私の顔を見て、言葉にした。
「……ところで、何のようですか?」
「……はあ、あなたが赤薔薇のミレディ様ですか」
正体を隠す必要が無いので名乗っていた。どうやら、有名なようだ。
「ギルドと対立するのは、やはり怖いですね」
表だって最初に対立したのはレース生地の件だけど、実力行使の小競り合いにならなかったのは幸運だった。現在、服飾ギルドとは冷戦が続いていて、相手が静観してくれているのは、放っておけば新しいものを作ると思っているからだろう。
誰が最初に考えたとかは関係が無い、それが服に関連するものなら、国王から承認されたギルドが利益を独占することが認められている。服飾ギルドにとっては敵でもあるけど、新しい商売を作り出す女として認識されているのだろう。
「しかも次は白の染料に手をつける。となると、染色職人ギルドとも対立するんですね」
染色職人は染色と皮なめしもするので、服飾ギルドと近いけど、別々のギルドとなっている。そのため漂白剤に手をつけるとなると、レース生地のときとは少し事情が変わってくる。
レース生地は利益を奪うだけではなく、消費の分母を増やすのに役に立ったけど、漂白剤は既存の利権を完全に奪う恐れがある。そうなれば、当然ギルドは黙っていない、ギルドは利益を独占するためにあるからだ。それにレース生地は真似ができるけど、漂白剤は簡単には真似ができない、そうなると実力行使される恐れがあった。
「一応、相手を抑える手は考えているけど、それは漂白剤が出来たらの話よ」
いま話しても仕方が無いことだった。
私は貴族だが、ギルドに加入していないからモグリだ。もしも貴族では無かったら、私は簡単に袋叩きにされていただろう。
今後はその可能性が増えるとなると、心安くは無かった。
「で、どうする? サヤと同じ時に来てくれれば良いんだけど」
その前に断られる可能性はあった。私と違って狙いやすいうえに、力技に出ても捕まる危険が少ない、その事が分かっているようで少し迷っていたが――。
「面白そうなので、やりましょう」
意外にも軽い返事だった。
「ありがたいわね」
「いえいえ、ツマラナイより面白い方がいいので」
変質者として捕まらないように隠れながら薔薇学園を出た。キナ臭いことを話した後なので、夕暮れは不気味だった。まして、黄昏時に話しかけられると驚いてしまう。
「お嬢様、遅かったですね」
アルスが心配して迎えに来てくれたようだ。
「気が利くわね」
「夜道を歩くのは危険ですから」
街を歩いていると、仕事終わりの人たちで溢れていた。なかには剣を持って歩く冒険者たちもいた。RPGなら主役を張るほうだけど、残念ながらここは乙女ゲーなので脇役だ。
でも、その中の一人の剣士に視線がいった。耳が尖っていて魔族と分かるからだろうか、何故か釘付けになった。冒険者だけど傷一つ無く、優しい眼差しをしていた。
ぼーっとしていたからだろうか、通り過ぎる時に、その剣士と手が当たってしまった。ロイにも力負けした体なので、シリモチがつくかと思ったけど、その剣士に手を握られて何とか転ばないですんだ。
「悪いね。お嬢さん」
「あ、ありがとうございます」
剣士は丁寧に謝って去っていった。
「……大丈夫ですか、お嬢様」
アルスがボーっとしている私を心配そうに見上げた。
「うん、大丈夫だよ」
今日、初めて女だと気付かれた。いつも会っているサヤですら気付かなかったのに、それが不思議だった。ぶつかった手はすぐに痛みが引いたけど、最後まで小指が痛かった。




