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自己紹介  作者: ケット
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革命から近代、まとめ

革命からの歴史の流れ、技術や社会構造の変化。そして現代における多様化し錯綜した時代精神、最後に「われわれはどこから来て、何者で、どこへ行くのか」という人間究極の問いに答える。参考文献も、論文形式ではないが挙げられている。

***環境

 比較的最近の話で後述する時代精神の変化の一つだろうが、人間の活動が大気や水の組成を変えて人間にとって有害にし、また人間圏の外の生物活動、地球生命圏全体の活動に害になっている、という問題意識が出てきた。

 もちろん人類が火も石器も知らない頃から木の芽や皮を食べて枯らせ、糞尿を出してきた。他のあらゆる動物も同様に、外からいろいろな物を体に入れ、変えた物を外に出している。だが人類は少なくともアフリカを出てから、異常なまでに増加し、生命圏の中で特異な位置を占めるようになった。大規模な大型動物の絶滅・森林を焼いたり切ったりして大地を草原・砂漠にするなど、おそらく宇宙から観察してもはっきり見えるように変化させてきた。動物としての単純な糞尿も、特に都市に高密度で定住すると、周囲の土や水の微生物が分解し、単純な分子に戻して別の植物が利用するよりも速く高密度に放出され、それは住んでいる人の不快感や伝染病にもなった。

 本来はその伝染病、上述した農業の限界などで食糧生産が減って人口が減少したが、特に近代文明はエネルギー面を化石燃料に依存し、大気の窒素分子を肥料化するなどより高い技術で農業生産も激増させたため人口が極端に増え、それゆえに地表の土壌・大気・水に投入される秩序の低い分子の量・人間圏の外の動植物の減り方ともに桁外れと言っていい。

 ここで二つの法則を繰り返しておきたい。「無秩序になっていく」「原子は増減したり別元素に変化したりしない(多少はあるが生物圏ではほとんど無視できる)」。それに「小さい生物をたくさん食べる大きい生物にいろいろな物質が濃縮される」「これまでの進化で出会っていない分子に生物は対応できない」を加えよう。人類がより大きな活動をすればより大きな無秩序が生じる。そして、特に鉛や不安定なほど多くの陽子が集まった重い原子核の元素など生物にとって害が大きく、普通は地下深くに封じ込められている元素、人類が新しく作り出した分子などを放出したら、それは消えずに濃縮されて、最後には人類自身に返ってくる。それまでは単純に、無限に大きく見えた大地や海や大気が薄めてくれる、ということで何もせず捨てていたのが、そうはいかなくなってきた。

 旧来の経済学はそれを無視するという蛮行をしてしまった。外部経済と呼んでモデルの外のものを無視する。当時の人間にとっては地表も海水も大気も資源も無限に見えたのだろう。だが実際には地球は限られた大きさだ。あと困ったことに、地球のごく小さい範囲しか支配していない時代に作られた宗教は、原則的に環境には無関心だ。特に一神教は。

 それらのことがわかってきたり、特にひどい病気がたくさんマスメディアに宣伝されたりしたことで、まあ人間は「世界が滅びるぞ」という警告が好きなせいもあるだろうが、そのまま好き放題に産業生産をしていたら資源を使い尽くして人類が滅びるかもしれない、という危機感を持つ人も多くいる。少なくとも多くの地域で、環境浄化の努力をし、工場などに色々制限をかけることはされていて、実際日本などではここ三十年でものすごく空気や水はきれいになっている。

 もう一つ問題なのが、その環境を重視するという人々はそれ自体が、一つの宗教群れと言っていい。元々宗教、いやそれ以前の人間の根本的な好みに文明嫌い・道具嫌いはあるんだが、それが特定の教祖・文書なしに宗教化されたもののような感じがある。科学的な言葉が多いんだけど、どこか宗教的な、人間全部の心のあり方を変えたがっているようなところがある。たとえば化石燃料を燃やすことで大気中の二酸化炭素が増え、それで地球の気温が上がって害があるかもしれないという警告があるけど、なら大気の上の方に微粒子をまいて日光を反射させたり、海の鉄など肥料が足りないから光合成をあまりしてない、地球表面積の半分以上にもなる海面に肥料をまいたりして大気から二酸化炭素を減らすことには大反対する。あくまで人間が欲を捨てることで救われなければならない、と思ってるようだが、それは宗教がいつも言ってきていることなんだよ。本当に人間の生命や健康が大事なのか、それとも宗教じみた感情が大事なのか信じ切れない。

 元々人間は技術の進歩を嫌う面、近代そのものに対する非常に深い反感があるので、それが出ているだけかもしれない。


**法制度

 ヨーロッパの法制度は、以前地中海周辺を支配していた大文明、その東の小さい群れが分立する地域が残した多くの文章、キリスト教などの影響を受けている。個人の重視、文書化された約束を絶対とする、上位者の感情ではなく文書で明記されたことだけを罪ととし罪が確定されて処罰が行われるのは正式な裁判で決定されたときだけとする、相続など財産の移動を法律的に扱うなどが特徴といえるだろうか。世界各地の文明の法制度の比較についてはすまんがろくに知らない。

 重要なのは、ヨーロッパの法が魔女裁判が行われなくなる時期から、個人の所有をとても尊重するものになったことだ。権力の気まぐれで財産を没収することが当たり前だと、無理に頑張ってまで富を稼ぐのは見合わなくなる、とよく言われる。

 また宗教的な理由で特定の文書の複製全てを焼き捨てさせて世界から情報を失わせることも多くあったが、それも法的に禁じられ、または印刷技術によって現実的に不可能になった。

 革命における時代精神の変化は、法を「神によって示された道徳と一体のもの」ではなく「人権など抽象的・非宗教的な理念を実現する手段」と原理から変化させたことも小さくはない。


 近代化の物質面で特に重要な法制度が、発明発見を保護する制度だ。工夫して新しい道具などを思いついたとき、近代ヨーロッパ以外はどこでも、その新発明を繁殖関係で結ばれる小さい群れの秘密にした。また巨大群れの支配者は宗教的な口実でその発明者を家族ごと痛めつけて新しい技術を奪って殺し、他の写しがあれば全て焼き捨て技術を失わせるか、使いたければ独占するのが常だ。さらに発明者より力のある人がその発明を真似して大規模に作り、そのため発明者は貧乏なまま死ぬことも普通だった。

 しかし、近代ヨーロッパは新しい技術は全ての人に公開され、発明した人を公的に文書で確定して一定期間は報酬を権利として受け取る制度を作った。ある発明を利用して儲け仕事をするときに、その料金を払わなければ犯罪だ、としたのだ。言葉や音楽や映像など情報の複製も同様の法理で財産とされ保護されるようになった。

 無論、後述する革命に付随した言論思想信条の自由という原則も発明の保護を強く助けている。

 それによって多くの人が多くの情報に触れ、情報をあらゆる人に発表することが利益となり、結果的に社会全体で情報が蓄積されて増大するようになった。宗教を中心とした古い群れの目的が本質的に情報を変えずに受け継ぐということと根本的に異なる。

 ただし、その制度は発展の必要十分条件とまでは言えない。制度が不完全なのに技術水準が高い国もあるし、今は知識を財産扱いしすぎて進歩が抑圧されはじめている。

 また地域全体が別の戦闘群れに侵略され、本や道具は全部焼かれ、大半が殺され生き残った者も奴隷に売られ、多くの技術や知識が失われることも多くあった。また大人数を必要とする技術や知識は、地域の農業生産が低下したら維持できない。

 もう一つ経済的に重要な法律制度が「法人」だ。群れを法律的に人扱いし、貨幣・土地・機械などを所有し売買することを許す。


 また宗教と法の分離など法の地位向上もきわめて大きい。

 社会全体において犯罪者の逮捕のために、軍とは区別されるが似た構造をもつ群れができたことも大きい違いと言える。近代以外では犯罪は一部の反逆罪を除き部分群れ内部で処理することが原則であり巨大群れ直属の治安維持担当者は比較的少数だった。また家族など比較的小さく緊密な群れを攻撃した相手に私的に報復したり、攻撃に対して勇気を証明するため一対一で殺し合ったりするのは犯罪ではなく名誉だったし、家族の上位者は下位者を家族内の法で処刑しても感情だけで殺害も含めどんな暴力を振るっても何をしてもよかった。そして宗教が法や犯罪管理に強い影響を持っており、宗教上の犯罪はそのまま法律上の犯罪として罰された。

 だが犯罪を逮捕し裁くことは国家だけの、宗教ではなく法を根拠とすることとなり、治安維持のための軍に近い群れが人数当たりきわめて多くなり、国家内での犯罪処理・復讐・決闘・家族内部での殺傷や搾取が段階的にで今も完全ではないが犯罪とされるようになった。

 その近代法と呼ばれる法体系は、地中海周辺に昔あった大帝国やキリスト教の影響でできたものだが、その近代欧米文明はそれを普遍的なものと考えている。特に「革命」はそれを強く主張する。「革命」のところであげた理念に、「個人が罰される条件を厳しくする」ことが妙に多かったことを考えてみるといい。

 ただし、実はキリスト教によって支えられている証言・自白の神聖視という前提があったり、また交接や排泄、裸身など私的とされる部分全般を「見られたくない」感情が強く、支配されることをいやがる心理から明らかに犯罪をなくせる新しい技術……個体ごとに違う皮膚の溝や遺伝子情報を全員登録する、音や画像や電波で位置を発信することによる監視など……を異常に嫌うから完全に合理的とは言いがたい。

 責任という前提がまたややこしいことになり、特に精神を病む人は責任能力がないから無罪、なんて前提が法に食い込んで、誰もが弁護されなければならないから、どの犯人も精神病のせいだからと言われるはめになったりしている。

 もう一つの問題が、その治安維持のために犯罪者を無力化して法で裁く場に引き渡す群れが容易に賄賂で買収されると、それはそれで近代的な法に対する信頼ができないことだ。


 今厄介なのが、イスラム教はキリスト教と違ってその教義・聖典に完全な法体系・政治制度をもち、それが宗教と不可分であることが教義でさえあるため、本質的に法と宗教の分離が不可能で、そのため近代国家を形成することが難しいということだ。


***麻薬

 比較的最近だが、法や犯罪に関して依存性薬物が非常に重要な役割を果たすようになっている。

 エタノールや煙草を含めた依存性薬物の禁止は古来、宗教も含めて多くの巨大群れにとって重要な過大だったが、特に近代技術で純粋なものが分離されたり、分子構造が解明されてその通りに合成されたり、大量にできるようになったり、人工的に新しい分子が作られたりしたものに対して、社会全体が巨大な恐怖を抱くようになり、刑罰がどんどん重くなっている。

 なんというか、非常に多くの近代人の問われない前提として、麻薬を野放しにしたら誰もが麻薬中毒になり、誰もが働かなくなって世界が崩壊してしまう、という恐怖がある。だが実際に麻薬が野放しになって滅んだ国があるとは、少なくとも私は聞いたことがない。

 あと麻薬には魔術的な意味もあるが、要するに麻薬・歌・踊りなどで構成される儀式自体を排除したいんだろう。

 また、酒と煙草は多くの国で許可されているのに麻薬、というか「麻薬と認定された薬物」だけが禁じられるのもわからない。害毒を客観的に評価すれば、明らかに酒より無害なものが厳しく禁止されている。それには歴史的に複雑な背景があり、宗教や人種、各種の戦争、産業構造の変化などが複雑に関わっている。特に大麻は農村が自給自足するのには必須の繊維作物だが、それを根絶するために石油化学繊維業界が大麻禁止を進めた、という陰謀説も根深い。快楽自体を否定するのは人間のきわめて普遍性の高い道徳だし、また魔術を禁止したいという意識されない恐怖もあるだろう。何かを禁止することそれ自体が魔術となり、安心感を増すこともあるだろう。

 人間は禁止されるものを欲しがる奇妙な性向がある、特に性的に成熟しかけてから数年間は若い者だけの群れを作って年長の群れを敵視する傾向があり、その反抗を示すために麻薬を用いることも多い。

 さらにその禁止ゆえに天上知らずに価格が上がり、それを売れば犯罪であり罰されるリスクはあるけれど儲かるから、犯罪者集団のいい儲けになる。そのせいで、それこそいくつかの国家が麻薬の生産と豊かな国への密輸が大きい産業だったり、または麻薬を作って売る国家内の、犯罪者の群れが国家自体よりも巨大な富と権力を持っている場合すらできている。

 まあ元々犯罪者集団が国家に匹敵する力を持つことはよくあるけど。

 そのため特に貧しく農耕に適さない地域や、先進国内の貧困地域が、容易に富を得られる麻薬に頼ってしまう構造にもなった。

 というか、一度人間の群れがある快楽薬物の味を覚えたら、それを完全に禁止することは不可能だ。イスラム教は飲酒を禁じているが、実際には結構多く飲まれている。だがその単純な事実を認めようとしない……麻薬禁止自体が、近代という強力な宗教の教義の一つとしか言いようがない。


 麻薬を罪悪とすることは、人間の一つの重要な前提を浮かび上がらせる……科学技術を利用し、自らの脳を作り変えるということ、それ自体を人間が否定しているということだ。勤勉遵法が損なわれるというのも近代の根源的な感覚だが、逆に完全に法に従って勤勉に働き、要するに道徳的にきわめて善良になる薬があったら?という問いになる……間違いなくそれも禁じられるだろう。キリスト教は人間自体を神の似姿で神聖、今ある人類それ自体が完全だと思いたがっている。実際には人類の体も心もかろうじて生き延びられる程度には動くが欠陥だらけ、そして進化してきた歴史のほとんど全てで人類はさまざまな麻薬に属する自然毒を儀式に使ってきたはずだ。


**学校・工場・軍・刑務所

 近代社会がある程度発達すると、特に後述する革命後で高度な工業が発達した社会は生まれて数年したら数年から十年以上学校で教育され、成人前に徴兵されて軍隊に参加し、多くは工場で働き、罪を犯して捕まれば刑務所に入れられる。どれも共通の原理を持ち、社会にきわめて大きな影響を与えている。

 学校および刑務所の本質的な目的は、工場および軍に適合した人間を作ることだ。

 その共通の原理は衣食などの清潔整頓・高密度の集団行動・時間で管理された生活などにあり、キリスト教の、普通の生活とは自らを隔離して徹底的に清浄(穢れ・道徳双方)で禁欲的な生活をする部分群れの影響が強くある。他にも古くからの、特に遊牧民の秩序だった戦闘システム、多数が高密度で働く船や鉱山などの影響が見られる。

 きわめて高い密度できわめて多数の人間が集められ、魔術性・宗教性が低いがよく検討すれば宗教との共通点も多い道徳・タブーで構成された群れを作る。共通の、地方色・魔術性・装飾性のない食事・衣類・家具・言語・礼儀作法を強要される。集団で歩いたり歌ったりする訓練を受け、少人数の小さい群れを決められて上位者への絶対服従・誰かの間違いの罰が全員にかかる連帯責任が徹底される。常に自分の名・群れ内の地位などを衣類などに、華美にならないように表現する。貴族や金持ちであっても使用人を連れてくることが原則許されず、自分で衣類や家具などを、きわめて厳しい基準で整理し清潔を保つことを求められる。整理や清潔に関して完全を求められ、そのために単調で合理的な意味がわからない作業を長時間強要されることが多い。


 従来の生活のように空が明るくなれば目を覚まして起きて暗くなれば眠り、普通は雨が降っているときは活動しない生活ではなく、時刻を正確に測る装置で決められた時間で起き、食事し、働き、眠る。一般に睡眠時間はやや短めで、時には人工照明下の深夜を活動時間とする生活を強いられる。その時間はユダヤ教由来でヨーロッパを支配していた七日を周期にして六日働き一日労働を禁じられて休み、また多くの宗教的な祭りの日が休みとなる生活習慣が近代そのものと一体となり、世界中に広がる。それ以下の時間は一日……それも見た目でわかりやすい太陽ではなく、時間計測器で測られる……が24に分割され、その60分の1とそのまた60分の1が用いられる。それ以上は一年を365日とし月の形をほぼ無視する、ヨーロッパの歴史で作られた暦が世界中に強要される結果となった。

 正確な時間の前提としては時間計測技術だけでなく、交通機関、特にそれを支える土木工事の発達もある。いくら時間厳守といっても、風任せの帆船や、土がむきだしで雨が降ったら泥になって通れなくなる道しかなければ無理だ。


 子供の教育は生活習慣と服従が本当は主なんだが、教育内容を学ばせるということも言われてはいる。表向きの目的は皆が文字を読むことも書くこともできるようになり、また十分に数を扱うこともできるし、さまざまな学問の初歩を学んでよき国家の一員となることだ。

 昔はヨーロッパでは子供の教育には宗教群れの影響力が強く、そのノウハウが受け継がれている。子供に文字を教えるにはいくつかの決められた文章を、何も見ないで書いたり口で言ったりできるように記憶させること、記憶するために何度も繰り返し書いたり読んだりすることが有効とされる。後にはそれが、単に文章の一部を削ったものを書いた紙を配り、そこに正しい文字列を書かせるものが多くなった。結局は多くのことを記憶し、それを出すことができる能力だな。


 工場においては、機械をむだにしないため、というか機械は止めると摩擦によって不断になされている防錆ができず壊れるから、二十四時間動かしっぱなしにすることが求められ、人間が睡眠を必要とすることと矛盾したため一つの場につき二人以上雇って、一人が寝ている間にもう一人が仕事をするシステムになった。

 また動力や機械を中心に、大人数が高密度で集まり、また個々の人はごく小さい部分の仕事だけをして流れ作業で製品の完成に至るようにもなった。そして多くの人に、最低限度の文字の読み書き・計算も求められるようになった。

 基本的に集団活動中は「公」とされて娯楽・私的な会話を厳禁され、私物の所有が禁じられる。「私」は家庭に限定され、それと切り離されての生活となる……それまで家庭と公活動の場はそれほど厳密には区別されていない。一般的だった歌いながらの労働も原則禁じられ、歌や踊りは「私」のこととして別のそれだけの場で行われるのみとなる。

 最初期には雄のみが集められ、次に雌も使われるが男女は原則分離された。最近は男女平等志向が強く男女混合も多い。

 軍隊においても、従来のように個人および家系の武勇・個人および家の財産である名馬甲冑・幼少時から十数年に及ぶ乗馬や弓の訓練などが重要ではなくなる。たとえば重砲などは小領主程度が個人で所有し運用できるものではなくなった。そして銃砲は本質的に、それまでの武器とは違って大人数の集団運用でこそ真価を発揮するし、読み書きの素養が必要であり比較的短期間で習得できる。多人数の、単純だが読み書き程度は必要な行動を命令に絶対に服従して確実にこなす集団と、高い科学知識を持つその指導者が求められることになった。

 まずそれを養成するため、かなり広い領域の国家自体が、生まれて数年した子供全員に読み書きと上位者に服従して歩いたり座ったりすることをしつけ、多くのことを暗記中心に学習させる制度ができた。従来は教育はキリスト教宗教群れの領分だったが、それを新しい広域巨大群れが奪ったという面もある。

 ただし、豊かになる過程が終わると多数の人を教育する必要は実はなくなる。また社会・産業構造によって、多くの高い教育を受けた人が必要なくなることが多くなり、その場合にはなまじ教育を受けている若者は、若さから来る攻撃性から世界を頭で考え文字で読んだ通りのきれいな状態にしよう、革命を起こして世界を楽園にしようとして暴れることが多い。といっても、二十年後は教育が必要ないからやめよう、なんてやる勇気のあるところはそうそうないけど。


 刑罰体系も、従来の奴隷としての売却・追放・苦痛・見せしめ中心のものから、期間を定めて労働を強いその際に大規模な施設で軍隊同様の秩序訓練をし、社会に適合した人間に再構成することを目的とした制度が中心になり、それは社会復帰を目的としており学校や軍隊に共通する原理で運用されている。近年は死刑すら廃止されることが多い。


 ちなみにそのような制度は人間に適していない。軍や刑務所のように群れに不満があっても群れから出ることが重罪となる群れでは、特に他者を支配し家畜化することに快楽を感じる人が多くの人に暴力を振るって苦しめることを抑止できない。より上の群れにとっては、個々人の苦しさよりも部分群れの秩序が保たれていれば、どんな手段が用いられていようと本質的にはそれでいいのだ。また雄集団の、下位の道徳が支配的になりやすいのでさまざまな犯罪をなくすことができない。

 動物としての人類が進化してきたのは、代々繁殖関係でつながり全員を覚えられる程度の人数で多くの神話や言葉にならない情報でできた群れであり、それには群れが崩壊しないようなシステムが多くある。だが全く見ず知らずの、それも家庭環境どころか生まれた地域が違う人を集めて新しい群れを作らせるなど無茶な話だ。

 その構造、順に厳しく支配される不快を自分の下位者を暴力的に支配することに転嫁して暴力的に支配された人はまたその不快を自分が与えられた小さい群れの下位者を……とやり、また一番下と一番上以外誰もが、比較的小さな群れを支配し……その成員がさらにそれぞれ下の群れの長ともなる……て上位者の命令を果たす責任を負わされ、それによって全体構造が維持される、というのは近代的組織の通弊だ……し、昔から宗教群れなどいろいろな大きく緊密な群れにある構造だ。

 また人間は長時間の睡眠を必要としているが、人工照明だけで本来なら寝ているはずの時間帯に活動し、またその周期が不規則に変化する生活はきわめて有害だ。より多くの仕事がより多くの成果を生むという信仰、睡眠が短いことをよしとする価値観も能率を損ねるがきわめて強い。また昼に少し眠るだけでも能率は向上するし、世界全体の伝統で見ればそれを認める文化も多いが、いまだに近代世界全体でそれは認められていない。というか一般に使われている「椅子に座る」こと自体が人間の骨構造と根本的に合ってない。


 奇妙なことが、本来その工場・軍という群れは普通の家庭で身につける道徳や宗教とは別の基準で動くんだが、ヨーロッパ近代も「家庭」と「キリスト教」は道徳的に重視してしまう。

 本当は家庭やキリスト教、民主主義教育などの影響のない、工場や軍で家畜のように繁殖させて生まれたときから絶対服従だけをたたき込まれた成員を使ったほうがよさそうなんだが、それもまず起きない。まあそれだと必要なくなったときに解雇し、必要になったらまた雇うのがやりにくいからだろうか。

 その工場・軍という近代的集団と、家庭という近代によって変化した別の領域、それに宗教・地域などの別の領域が非常に複雑な関係を持っているのが近代のややこしさだな。


**科学技術・学問

 人間は昔からいろいろなことを知りたがり、大人が子供にいろいろなことを教え、群れ内で情報を共有することで、親に世話されず自分で学ばねばならない動物よりも生存率を高めた。

 その情報は様々なことを実現するための魔術を含む技術でもある。

 群れが少人数だった頃は前述の神話などで伝えられていたが、群れが拡大し、いろいろな仕事をする小さい群れができてくると群れがあることを知るため、また伝え、子供に教えること自体が仕事になるようになった。特に宗教上それは重要になるし、逆に「してはならない」の延長として、無許可魔術の禁止をはじめ知ることを制限することも群れにとって重要なこととなる。

 その人々の最も高い読み書き能力を持つ人々が何をどれだけ知っているか、というのも文明を客観的に評価する指標の一つと言えるだろう。ただしそれはあてにならない部分がある。空の星々や円周率についてきわめて高い知識を持っていた中南米帝国は少人数の無知なヨーロッパ人に簡単に滅ぼされた。

 ヨーロッパ人の近代文明は、その学問の水準もきわめて向上させたし、その学問から技術が進歩して群れ全体がより強く豊かになっていった。それゆえに近代の重要な価値観に、学問の進歩を善とすることがある。

 学問の進歩が社会全体の技術水準の向上に結びつきにくい社会のほうが、世界全体で見ればむしろ普通だ。学問ができるのは小さい頃から食糧を得るため動きまわるのではなく読み書きを学ぶ余裕があり、高価な文字情報を手に入れたり、遠距離まで行って学んだりする余裕がある豊かな人々だけであり、歴史の多くでそのような人々は「物を作る」こと自体を低い階層の奴隷がやる魔術的に穢れたこととみなしたし、新しい技術でカネを儲けようとすることも軽蔑した。また宗教、それ以前の人間の「世界を今まで通りに続けたい」心理は新しい技術を嫌う。そして、多くのことについての技術や学問が同時に発達し、さらに技術を実現するための貨幣集めのシステムがあり、新技術が有力者に取り上げられたり禁じられたりせず確実にカネになる法制度がないと技術は進歩できない。

 古くあらゆる文化に「神はどう世界を作り治めているのか」「何が善で何が悪か」「世界はどうなっているか」「言葉の正しい使い方は」「言葉で示された法は、こういう場合どう解釈すべきか」という言葉の領域、様々な数学、そして具体的な物についての学問がある。そのどれもに深く魔術が絡んでいることを忘れないように。

 学問は本来宗教に従属し、占星術でわかるように魔術の面が非常に強かったが、ヨーロッパでは技術のため、そして知識のための学問が発達し、宗教群れに限らず利益を得るために技術開発と混じって純粋な学問を研究させたり、金持ちが富を自慢して名誉を得るため学校や多くの書物・自然資料を集めて誰でも借りられる施設に出資したりすることが多くなり、国家全体が教育や主に軍事のための研究をしたりするようになって学問で貨幣を受け取って生活する人もかなり多くなった。

 何よりも、宗教の圧力が減って「自由」に学問の研究ができるようになったことが何より科学の進歩につながった。試行錯誤、自由に考えついた仮説を実験で検証することができるようになった。

 学問が際限なく分化し、宗教と分離されたのも近代の特色の一つだ。

 上述の、全員を教育するという制度も近代の大きい特色と言える。

 また学問には新しい社会制度を提言する面もある。上述の革命や共産主義なども、その学問研究や議論の場から生まれたと言ってもいいかもしれない。


 近代学問の大きな到達が、生物面では遺伝子・進化、そしてDNAを理解したこと。まだ分かっていないことも多いが、分かっていることも多い。

 数学で自慢できるのは……まあ笑われるかもしれないけど、フェルマーの最終定理や、角の三等分・体積が二倍の立方体・正方形と同じ面積の円などをコンパスと目盛りのない定規だけを有限回だけ使って作図することが不可能、整数論を含む数学は無矛盾で完全にはならないことなど、いくつかの問題を解いていることだ。

 物理学は上で説明したとおり、原子を作るいくつもの素粒子やそれを支配する力についてかなり理解しているが、宇宙の大きな構造のほとんどをなしている観測できない力や物について知らないし、重力を量子力学的に理解することもできていない。

 地球の表面はあらかた調べたと言えるけど、本当のことを言えば深海や地下深くについてはあまり知らない。身長の千倍の穴を掘るのも難しいようだし、海や土の微生物、巨大な森の虫や草についてもとことんろくに知らない。


*現代における生活

 本来なら、あらゆる時代・あらゆる地域・あらゆる地位(性別・年齢)の人間が、生まれて死ぬまで、目覚めてから寝るまで何を食べ飲み、何を着、どこに住まい、どのように人と情報を交換し、仕事をし、性交渉を行い、何が禁じられ何が許可され、眠り、病んではどのような治療をされていたか詳しく説明すべきだろう。

 だがそれは完全に私の知、それどころか人類の知の限度を越える。

 たとえば古代メソポタミアでは多くの文字が記された粘土板が発見されているが、料理のレシピが具体的に乗っているのは一つしか見つかっていないし空白がとてつもなく多いんだ。


**生活様式

 さて、その近代以降の、特に電気による機械が発達してからの豊かな地域での生活を少し描写してみるか。

 といってもそんな生活を送っているのは地球人口のごく一部でしかない。だが完全に近代と無関係に暮らせている人も非常に少ない。特に医薬品は同様のものを作ることができず、衣類・金属製品などは近代文明の工場で大量生産されたものの安さのほうが運搬や近代貨幣を手に入れることの困難を上回る。昔ながらの農業生産をしつつある程度近代工業の産物を使っている人々や、巨大な都市で貧しく暮らしている人々の多さを忘れてはならない。また豊かな地域でもきわめて貧しい生活をしている人もいる。

 また豊かな人ならヨーロッパだけでなく世界中にいるが、いろいろな文化圏での豊かな生活についてどれほどの差があり、具体的にどうなのかはよく知らない。

 描写するのは日本のある程度豊かな人とするが、それは私が日本で生まれ育ち暮らしているからだ。他を知らないからと言っていい。ただし日本はヨーロッパの影響が強く、ヨーロッパ近代の影響が強い地域の多くの生活は似たようなものだ。

 ここで描かれる多くのができた年代もばらばらであり、中にはつい最近のものもある。本来はあらゆる時代・地域の生活を描写するべきなのだが、そんな余裕も知識もない。


 近代において最も重要な規範が「時間厳守」といえる。夜勤でなければ朝、といっても普通は太陽が見えて空が明るくなるよりかなり後、以前なら考えにくいほど遅い、基本的には精密な時間計測で、それも大まかに緯度で割った地域ごと同じに定められた「時刻」に、時刻計測器が音を鳴らして目を覚ます。

 ヨーロッパ北東端にある、最近の歴史で特に栄えた島のある天文観測場、自転軸の両極・地球の中心を通る平面が地表と交わる線で地表面上の位置を定めるんだが、位置だけでなく時間も、かなり広い範囲……約24分の一日の単位でひっくるめてしまうんだ。

 大集団が巨大な部屋で暮らすのではなく、ほとんどは家族ごとが巣を借金をして土地ごと厖大な貨幣で購入するか、月単位で一定の貨幣を払って占有する、法に守られた契約を結んで生活している。また個体それぞれが小さな直方体の領域を占領していることも多い。その領域は木や鉄で補強された一度液状になる炭酸塩鉱物などで作られ、その壁内部には情報伝達・動力伝達の二つの金属線が、ゴムやそれに似た石油由来の素材で覆われて通っており、少なくとも電気による照明があるし、多くは温度を上げることも下げることもできる。さらに音楽・映像などを発する電気機器や、音や映像や文字情報を電子計算機で処理する機械があることも多い。

 ほかにも地下を通って、清潔な水と汚れた水、燃焼できる気体を動かす管がそれぞれの巣につながっていることが多い。ただし汚れた水・燃焼できる気体は、都市の構造によっては別に器で扱うこともある。また見えないが、いたるところに音のみ、音と映像など電磁波情報が流れている。


 食事と排泄の必要があることが多い。食事を作るには昔と同じ、清潔な水と少なくとも水が気体になる温度以上、できれば油で加熱できる高温の熱源が必要になる。

 それは巣の一部にある、

○大きく薄くさびにくい金属を巨大な圧力で加工する・大型の陶器・陶器の薄板を貼りつけた壁に似た素材・石を加工するなどで作られた、底に排水管がつながっている洗うための容器

○その上に出ていて少し金属金具を動かせばゴムと金属の栓が解除されて壁に埋められた管から清潔な水が出る装置

○下記の燃料か電気で加熱された水が出るシステムすらもある。寒冷地ではそれなしの作業は苦痛となるし、せっけんなど洗剤も性能が下がる。

○燃料として地下から得られた単純な炭化水素の気体がこれまた壁に埋められた金属管・特殊なゴム状物質の管を通じて鉄の燃焼部につながり、円盤や押すかたまり、ひいては指で触れる圧力を検知しつつ画像を表示できる機械の計算機械で処理された電気信号などで内部の閉鎖が解け、可燃気体が空気と混じって放出されつつ電気がごく小さなすき間に流れて空気中に高熱の電流が流れることで発火され、燃料と空気が混じったのが燃え続ける加熱具

○または電流を長い抵抗の大きい電線に通す、電流を変化する磁気にし、その変化する磁気が金属製の鍋類を加熱する

○金属箱の中で特殊な電磁波により水分子の電子の状態を変えさせ、それが戻る時ランダムな運動が起きるのでその動きを熱とし、水分を含む食材を加熱する電気機械

○その他、文化によって異なるさまざまな加熱器具の組み合わせ

を中心とした場で用意される。

 補助的には、適切な物質に圧力を加えて分子の運動エネルギーを周囲より高い熱に変換し、その熱を周囲の空気に奪わせてから圧力を解除したり、同じように圧力を用いて液体と気体の変化を起こさせて集中した熱を周囲の空気に渡したりすることで「冷やす」電気機械があり、それに入れておくことでさまざまな食品を簡単に保存できる。

 中には、水が個体になる温度で貯蔵された食品を購入して電波を用いて加熱したり、沸騰する温度に近い水を加えられただけで食べられるようになる特殊な保存食、また都市の店で調理されて売られている食物ばかり食べ、普通に素材を加熱することを一切しないで生活する人も多くいる。

 また巨大な高密度の群れで生活し、食事は集中的におこなわれる調理に頼っている人々も多くいる。

 その大量の、非常に清潔に処理された水と燃料・電気など高秩序エネルギーには驚くばかりだ。


 しかし、他人はおろかどんな生き物でも殺すなと生まれたときから教育され、食べている肉……具体的には決まった施設や情報交換機で呼び出した利益群れの人に、何か妙な文様や数字が印刷された紙を渡してそれと交換で手に入れる、百年前は存在してもいない炭素と水素の大きい分子でできた皿と極薄く可視波長光を通す柔らかい板にくるまれた、本当は家畜が殺されて切り取られてから何日も経っているから変色しているのを特殊な分子で染めてある赤い塊……と、上記の映像を表示する情報表示装置で見ている生きていたときの家畜の関係を考えたこともない、それどころか生肉に触れることもない、さらに気温が低い季節でも高い季節でも同じように新鮮な植物を食べることができ、水が固体になる温度のまま運ばれてきたものを機械で加熱して食べることさえ多い、そんな存在は……まあはるかかに先進的な文明の人から見れば、もしかしたらいまだに大型動物を殺して肉を切り取って食べているとはなんという野蛮人だ、といわれるかもしれないが。

 少なくとも昔の、パンや米さえ年に一度、卵や肉など一生食べずじまいの奴隷たちや、自分で家畜を殺して解体するのが当然の自給自足農民から見てもめちゃくちゃだろう。


 子供は学校、大人の多くは巣とは別の仕事場にいかなければならない。そのために、近代の一員として認められるにはかなり自らを飾り清潔にしなければならない義務がある。

 その中には衣類もある。衣類を清潔にするというのは簡単ではない、常に外からの砂・土・別の衣類など細かな粉を吸着し、着ている人の体から出る死んだ皮膚の細胞・毛を保護する脂などがつく。

 それを取るには、少し前述したが大量の清潔な水と、油を分解するせっけんの類が必要になるし、それを強い力をかけて長時間動かさなければならない。昔はそれも重労働だったが、今は電気モーターでやっている。

 さらに普通はそれは広げて空気に当て、日光で加熱して水が気体になって空気に混じるのを早める同時に、波長が短めの光で微生物を殺したり汚れの分子を切ったりする。が、それも最近は電気でやる機械がある。

 さらに水で洗うとやっかいなことになる動物の毛を用いた衣類は、別に貨幣を払って巨大な工場に運ばせ、そこでいろいろなものを溶かす性質がある何種類もの液体などで洗浄する。

 それと、衣類は清潔なだけでは充分ではない。平らな板のようになっていなければならないが、長時間着て動いたり、洗うために水を含んだまま力を加えたりすると、複雑な折り目があちこちについてしまう。それを取るためには加熱しながら力を加えなければならない。昔は鉄の塊などを火で加熱し、水を細かくかけた布に押しつけたものだが、今はそれも電気を利用してより楽にやっている。


 自分の体も清潔でなければならず、できれば一日一回、地域によっては朝眠りから覚めたときと寝る前の二回体を洗うことがある。石鹸や合成したそれに近い物質などで体表面や髪を洗い、体温より少し高い温度に加熱した水を、柔らかいが圧力に強いゴムなどでできた曲がる管に圧力をかけて流しいれ、一端にある細かな多数の穴から噴出させて体に当てたりして汚れと洗剤を流し、布で拭く……膨大な水・燃料・石鹸の材料である油を間接的に浪費している。

 さらにとても鋭利な刃で、顔から生える毛を除去することも多くある。定期的に頭の毛も切る必要があることが多く、そのために外でわざわざカネを払って技術がある人に切ってもらうことも多い。調理・顔や頭の毛・衣類を作るという三つの刃を用いる仕事はどこにでもある、とも言われる。

 また体を清潔するために水を体に当てるのは、極端だと大量の体温より高めに加熱した水を容器にためて、それに全身を浸すこともある。

 糞尿も、簡単に清潔を保てる表面がガラスになるまで加熱された陶器の器に出し、飲める水質の水を出して見えないところに流してしまう。それがどうなるかには普通の人は無関心だが、まあ地下にためて定期的にそれをくみ出す車で処理したり、水道管同様の長い管を地下に完備させて押し流し、まとめたりする。それは薬品を入れたり微生物が生活しやすい環境を作って分解させたりして、比較的微生物や肥料分の少ない水にまで、人間が見たり触れたりしても不快でないように浄化されて川などに流される。


 さて食事が済み、体も清潔で、清潔な衣類を正しい順序で着た。そうなると職場に出発しなければならない。

 なぜ職場に住まないのかが疑問だが……宗教的な意味が忘れられているのかもしれないし、単純に工場の音や臭いが不快だから、また工場にとっても大量の水を浪費し、工場での生産にも必要な水を汚染する労働者の生活までまかなうのが負担だったんだろう。

 それで上述した鉄道や自動車で、都市の近くにある住むための地域から都市中心、港湾などに多い工場や、益などを利用した書類を書いたりするための部屋がある高層建築、店などに労働者は移動する。

 自分で長距離歩くことはまれだ。

 また近代において最も重要なことの一つが「時間厳守」であり、その仕事も厳密に時間で管理されることが大半だ。


 そもそも、そいつらが食糧や大量の水、衣類を得ているのはどうやって?答えは貨幣だ。

 具体的には決まった施設や情報交換機で呼び出した利益群れの人に、何か妙な文様や数字が印刷された紙や金属片を渡せば食糧にせよ衣類にせよ手に入る。

 その紙や金属片は国家機関が生産し、他の者が偽造するのは重大犯罪とされる。

 また、その貨幣情報を扱う特殊な利益群れが発行している紙片に、自分の名前を文字で書くと、それで貨幣として通用してしまう地域もある。逆にその文字が書かれた紙片を貨幣情報扱いのところにもって行けば貨幣にもなるわけだ。

 その貨幣をどうやって手に入れるか、だが時代などによっても違うが、仕事が終ったら日・週・月など周期的に貨幣を直接渡されたり、その署名入りの紙を渡されたり、貨幣情報を扱うところに、その人の名前などで対応している数字に電子的に追加されたり、多分今後は電子情報としての貨幣の数字をただ増やしてもらうだけだったりするだろう。

 具体的にどんな仕事……それはあまりに多様だな。とても短い言葉じゃいえない。


 これは時代・地域によって違うが、成人女性は男性と結婚してずっと住居にいて、近隣と交際しつつ食物の調理、衣類の洗浄、住居の清掃などを行っている文化もあるし、成人女性も働いているところもある。

 また近代人は産まれてから18または20という数字・年ではっきり、法という文字情報で決まっている時間までは特異な身分に置かれる。

 昔は基本的に、要するに雌は定期的な生殖器からの血液などの排出現象が起こり、雄は顔に毛が出て重い斧を持ち上げられるようになれば、群れ通過儀礼を行って群れに加えて仕事を割り振っていたし、少し前の近代初期……現在の地球でもかなり広い地域では今もその段階だが……ではとにかく言葉がわかるようになれば親の仕事を継いでいたが、特に豊かな地域では上記の学校システムで勉強し、そのかわり経済的な法的権利を原則として持たず、仕事をすることが禁じられ、酒やタバコなどいくつかの嗜好品・自動車の運転・性的交接行為・性関連など恣意的に定められた情報などを禁じられた状態に置かれる。

 多くの国では一定年齢で徴兵され、軍隊生活が通過儀礼の代わりになっているが、それが廃された国も多い。

 また50~65など国ごとに違う年齢以降は仕事を辞めさせられ、かわりに年金という貨幣が定期的に、何もしないでも支払われることも多く、それもある種の身分といえる。まあそのかわり働いていた頃、常の賃金からその分が税金に加えて引かれていたんだが。

 その子や老人の世話は基本的には家族の仕事だが、女性も働くことが多くなり、また家族の人数が少なくなる……成人した兄弟姉妹の同居が少なくなるにつれて、それもカネを払ってやってもらう仕事になりつつある。


 仕事や学校が終って帰ったら、わざわざ別に移動の必要もないのに走ったり、それどころかカネを払って、普通なら地面を人力で走る車を走らせる棒を足で押すのを、動きもしない車に対してやって運動する人もいる。現代社会では、皮下脂肪が少ない体型のほうが恋愛面でも有利になるらしい。

 無論、走ったりする瞬間的な速さは皮下脂肪が少ないほうが有利だ。だが長時間の飢餓状態、寒冷地で衣類や暖房用燃料に乏しい生活には皮下脂肪が多いほうが有利。

 実はそれも最近の流行で、そのうち変わるかもしれないものだし、昔は大量の皮下脂肪は豊かさの証拠だから逆に名誉だったりした。

 また文字を読んだり書いたり、さらに上記の音楽・画像などを見て楽しむ事もあり、また帰るまでに社交のために店で食事をしたり酒を飲んだり賭博をしたりすることも多くある。それも電気を用いた豊富な照明に支えられてのことだ。


 どれほど大量のエネルギー・淡水・食糧・油脂・金属・木材などを浪費する、ある意味むちゃくちゃな生活だか……これで伝わるとは思えないな。実際には見てもらうしかないが、別の世界の人が見たら頭がおかしくなること請け合いだ。

 一年間に浪費される淡水とエネルギー、さらに食物に用いられている畑の面積、というか肉類は膨大な穀物を濃縮しているようなものだからその分の広い畑、ああ衣類の繊維作物もあるからその畑、それに使われる淡水と肥料、全部まとめて見てみたいよ。どれだけ浪費しているんだろう。


**精神的な変化

***人権

 社会全体の技術水準などが変化するにつれて、政治制度と同様に人の精神もかなり変化していった。

 普遍的に当然だった様々なことが罪悪とされるようになった。全般的に暴力を嫌うようになった、といえばいいのだろうか。

 まあ単純に、子供の四人目以降を殺さなくても誰も飢え死にしないだけの食料が普通に手に入るようになったからだろうが。実際問題食料が不足したらなんでもありだし。

 上記の都市部でのめちゃくちゃ暮らしで時計に従って夜も電気照明で文字を読み、自然界にはない透明素材に包まれた肉や水が固体になる温度の食物を情報が印刷された紙と交換して電気器具で調理して食べ、食べているものが動物の死体の一部だとも忘れて生き物を殺すなと生まれたときから教えられている人々と、太陽が沈めば眠り、自分で家畜を殺して食べ、敵を殺し女子供を奪ってくることを名誉とする人々の精神的な差がどれだけか想像もできない。それが同じ世界で暮らしているんだ。

 あと革命における、上記の理念の影響がきわめて大きい。といっても本当に影響しているのは文字を読める一部ぐらいで、あとは文字を読める人の出す単純な言葉と支配力にひきずられ、また自分たちから言葉にならない情報や要求を出して群れを暴走させて理念をねじまげる働きをする。


 特に大きいのが奴隷・階級の廃止だ。どの社会でも、奴隷は当然だった……最も優れた学者、宗教群れの高い地位にいて神のためにどんな痛みも不自由な生活も死もいとわない人、飢えに苦しむ人のために全財産を投げ出した人、そういう知的・道徳的に最上の人々さえも奴隷という制度を否定することはほとんどなかった。

 それが政治における革命の後から、奴隷制度自体が悪であり廃止すべきだという考えが文字を読める高い階層に広まり、実際に国家全体で奴隷を禁じることになった。もちろんそう簡単ではなく、事実上の奴隷は今も億単位でいるが、少なくとも奴隷制度が道徳的に善だ、と世界的な場で公言できる者は今の世界にはほとんどいない。まあ経済的に、高額で奴隷を買って仕事が減ったら弱ったのを売却するより、いくらでも流れてくる土地や仕事がない人々を雇い、仕事が減ったら解雇するほうが近代システムでは儲かったこともあるだろう。本質的に奴隷制と近代工業の相性が悪いという人もいる。

 また、人間が生来神によっていくつもの階層に造られ、上の階層と下の階層の人間は質的に違う存在である、ということも公言できなくなってきている。

 他にもそれまでは当然だったが悪とされるようになったことは多くある。といっても人類の遺伝子情報が大きく変わったわけではないから、その悪とされることは近代の大人口と規模で何度も繰り返してはいるのだが。

 昔からある程度「暴力そのものが悪だ」という道徳もあったことはあった。

 時代はまちまちだが、戦闘で敗れた側・宗教が違うなど要するに別の群れを皆殺しにしたり奴隷として売ること、上記の魔女裁判なども悪とされるようになる。親が子を、教師が生徒を、雄が雌を暴力で支配することも含め、群れの下位にある者を暴力で支配し、感情や群れ内の倫理で殺すことさえ禁じられる傾向がある。結婚は家という群れの慣習と利益に基づき、許される範囲の人間とさせられるものではなく本人の希望が重んじられるようにもなった。

 男女関係も従来の家父長制が批判され、面白いのはそれまでは繁殖関係群れの名誉の問題でありむしろ女のほうが責められていた「男が女を暴力的に支配し交接行為を強要すること」が一般に犯罪とされるようになったことだ。ただしまだまだ足りないという人もいる……それに関係する心理は、本質的に近代法による裁判・警察のシステムとそぐわないらしい。

 また女性が男性と同じように勉強し、仕事ができるようにもなっていったことも、社会にとっての影響は大きい。

 インドで強かった、家畜を殺して食うことも禁じる道徳も、どこであってもごく少数だがやる人がいる。他にも医学実験のために動物を殺すことなどに対しても反対する人がいる。その道徳は結局はヨーロッパ・キリスト教のタブーが中心であり、たとえば海の巨大哺乳類や犬猫を殺して食べることを全人類に禁止しようとする圧力がとても強まりつつある。


 それらの時代精神をまとめる言葉が人権だ。全ての人間……その人間の定義が、従来の「自分の群れ」ではなく「別の群れも含め地球全体で」となり、あらゆる身分・外見が違う人種・雌・特殊な性指向の人なども含めるように広がっていった……、そのどの人間にも他人を攻撃しない範囲で自由、ある手続きによって成立した政治群れが文章で定めた法を破ったと証明されることなしに自由を奪われたり財産を奪われるなど罰されない、どの宗教を信じ、また巨大群れの批判も含めあらゆる発言・思考が容認される、寿命まで生存できる、様々な情報に触れることができるなど、それまでは「何かをしていいという、群れに属していることで得られる一種の相続財産」だった「権利」が拡張されたものだ。

 その人権、人を無制限に権利の主体と認めることにはどう見ても、キリスト教の深い教義にある群れを無視した隣人愛という概念が関わっている。全ての人間が交配可能だとか、また遺伝子的に非常に似通っているとか科学的知見から見出されたとは思えない。

 中国やアメリカ大陸をもう何千年も放置していたら、人権の概念全くなしで化石燃料熱機関・電子情報文明ができた可能性はあったのだろうか?私にはわからない、非常に興味深い疑問だ。


 その人権の考え方は深いところで矛盾を孕んでいる。全ての人間は平等でありという考えは上記の共産主義の問題をもたらす。

 また人が平等であれば、それまで多くの群れを運営してきた絶対的な支配と服従の関係が崩れるが、現実問題として子供を誰かがしつけねばならない。そこで体罰の禁止などややこしい問題は出ているが、根本的には変わっていない。

 さらに、その人権には「人は機械のように改造されてはならない」という考えもあるようで、それは人間に対する技術の応用を妨げている。


***情報の尊重

 もう一つ興味深い時代精神の変化が、上記の学問でも触れた情報の尊重だ。

 従来は、ある軍事群れが勝利して別の土地を制覇したときには、住民を虐殺し奴隷とし物を奪うだけでなく、その魔術的なシンボル、逆に言えば文化・芸術であり多くの情報でもあるものすべてを破壊することも必要とされた。実際にアメリカ大陸を征服したヨーロッパ人は、中南米帝国の指導階層を皆殺しにし、文字情報を全て焼き尽くし、黄金像は溶かして金属の固まりとして流通させた。

 だが後の北の島から発展し、内燃機関による機械を用いる近代人たちは別の群れの文化情報自体が価値があるとし、特に金持ちたちはそれらの希少価値から多くを集めてひそかに自慢することも好み、大金を出して壊さずに集めさせた。それこそ後には、労働者が昔の文明が作った黄金像を掘り出したのを隠して溶かして売ってしまわないよう、その貴金属の価値より多めの貴金属を労働者に与えたほどだ。黄金像のひとつでも残っていたら世界が穢され神の怒りで世界が破壊されると信じて草の根分けて捜し出し全て溶かした人々と、金銀を用意してまでそのまま保存したがる人々は、本当に同じヨーロッパ人だろうか?

 学問として別文明の文化や芸術、神話など……従来はそれを隠れて自分の子供に語ることさえ死に値する重罪だった……を文字として収集し、研究することも行われた。

 またそれまで、あらゆる人類は大型動物は全て殺し尽くしていたが、後の時代精神の人々はある生物種が絶滅することを悲惨な罪悪と見なすようになった。それも情報尊重と言える。


 上述の環境意識や雌雄……女は男に従属する存在ではなく対等だ、という考え方も結構重要で、それは労働市場に膨大な女性を送り出し、また家族制度自体も大きく変容させつつある。

 科学全般もある程度時代精神に影響は与えているが、残念ながら人間の、魔術的な面が許す範囲でねじ曲げられた科学でしかない。全面的に全員が科学を受容している、とはおせじにもいえない。

 経済システムの影響も大きいかな。


***精神的な対立

 近代の特徴は、いくつかの比較的単純な情報に歴史全体が動かされることだ。まず上述の宗教戦争、そして革命があり、そして共産主義が多くの戦争の原因となり、膨大な人数が殺された。

 時代精神が進歩するという考え、その進歩に抵抗する人たちとの戦いというのが近代の基本的な物語だろう。

 その時代精神が「進歩」するという考え方もある意味時代精神かもしれない。


 ごく最近は時代精神が混乱気味で、どうなるかはわからない。技術の進歩にもついていっていない……時代の先端にいるとされる言葉を使い人を教える人々が、最低限の科学知識を知らないこともざらにある。

 面倒なのは、現代の社会はいくつもの違う心のあり方、理想……「人間やこの宇宙はこうだ」「人間はこれを目的としこのように生きるべきだ」が多数あり、入り混じっていることだ。数限りない対立がある、宗教同士の対立も残っているし共産主義もある。最近は若い人々が近代を否定していろいろ精神がどうのとやって、それに対する反発がまた特異な保守を作る。

 科学が発達したにもかかわらず、宗教は今でも世界のほとんどの人にとって圧倒的な支配力を持っており、多くの争いの原因になっているし、最も強大な国家が人類全体の生存や情報の充実を長期的に保つことを目的として行動することを阻んでいる。

 さらにそういう、世界をこうするべきだというような情報を出す人はしばしば、自分たちだけで通じる難解な言葉を作って他人を寄せ付けないようにする。それも本来群れを他の群れから区別するための行動にすぎない。

 特に近代化の難しさがあり、近代自体を否定する道徳や宗教の反撃もある。未だに貧しい世界のほとんどにとって、近代やその理念自体自分たちを貧しいままにしている悪でしかないし。


 圧倒多数は今も基本的に「群れ」思考をしている。自分の群れが絶対的に善く、受け継いできた伝統・群れの規範が正しく、他の群れは邪悪だから皆殺しにすべきだ、という考えだ。

 表層的に近代的な時代精神を標榜していながら、「群れ」思考、魔術的思考で考えていること自体意識していない人も多い。特に国家ぐるみで。

 というか百年後の時代精神がどうなってるか予想もできないんだから、こうして言っていても意味がないな。時代精神の変化が激しいと、自分が生まれ育ったときには当たり前の善だったことが、自分がまだ生きているうちに悪になってしまって混乱することも多い。それがいちばんの悲劇だな。


 どんな考え方が支配するか、というか本当に地球の人類という巨大すぎ、複雑すぎる群れ考え方一つで動かすことができるのかはわからない。わかっているのはちょっとした考え方・言葉一つが何億人も殺すことがある、ということだけだ。

 そして、世界全体で多くの群れが別の群れを激しく憎む物語を作り、それに従って争いたがっている、ということも言える。


***目的の変遷

 人間の群れの目的は、明白に言語化されることはないのが普通だ。

 実際には支配的な群れ内群れ、その最上位者の個人的な利益、感情だったり、または群れ全体の集団心理による暴走を道徳や宗教の言葉で覆ったものを目的とすることが多い。

 非常に長いこと、宗教そのものがかなり大きい群れも含めて群れの物語であり、目的だった。

 近代化の後は、基本的にはまず国家という群れが独立を保ち、敵に勝利することが目的とされる。基本的に国家は戦争のための集団という面が強い。

 また民族という群れが独立と純化を求める。自分たちだけの地域を確保して国家として認められ、その地域から自分たちの民族以外を皆殺しにし、できることなら世界のすべてを征服して自民族以外を皆殺しにしたい。

 近代化しても宗教が廃れるわけではないので宗教をよりどころとする人々も多く、特にイスラム教は国家という枠を原則として認めず世界全体をイスラム教という一つの絶対的な群れにしたがる。

 共産主義という宗教も同様で、世界のすべてを共産主義にすることを目標とする。それに対抗する群れは共産主義から世界を護ることが目的となる。

 国家内の群れも重要となり、特に株式会社は自社の利益を目的とする。それが道徳的に批判されることも多い……宗教に普遍的に金儲けを憎む道徳があり、また共産主義による批判も根強いし、さらに環境の面からも批判される。

 人権という考えも重要な目的とされるが、その主張には道徳が暴走しているだけだと思えることも多くある。

 問題なのは、ほとんどの人は人類全体の目的は何か、というのを全く考えていないことだ。身の回りしか見えないから。

 どの群れも「敵の群れより多くの石像を建てる」事を群れの目的としてしまって最後の木を切り倒して自滅し、西洋にとどめを刺された島があったが、同じ事をしてしまうのが人間だろうか。

 いや、人間がそれを強く好むことは確かだが、「人間は自らの本性に逆らえない」というのも、「人間が本性的に好む運命論」でしかない。ただし、本性的な好みに逆らうと大変なのは、飲酒や宗教を禁じようとしても無駄だったり共産主義が機能しなかったりした経験に裏づけられているが。


*現代素描

 今のこの世界をざっと描こうとして、どうしてもやっかいなのが人にはごく狭い、自分が属する世界しか見えないことだ。

 それは昔からで、昔は大半の人は自分が産まれた狭い地域のことと、せいぜい宗教的な伝説しか知らなかった。

 今の世界と言っても、特に豊かな地域と貧しい地域、そして豊かな地域であっても都市と地方、また豊かな層と貧しい層で全然違う。

 まあ人間の群れの性質は変わらない。敵を憎み、自尊心を高める物語にしがみつき、富と道徳の欲に裂かれ、森を切り倒している。


 今も世界のほとんどは貧しく、そこでは国家よりもより地域に属した群れの、近代法ではなく名誉と復讐の考え方がいまだに生きていると言っていい。どうしてその地域が貧しいのか、というのは貧しい人たちは豊かな人たちに奪われていると思っているが、単にその地域自体近代的な生産をするのに向いていないことも多い。

 その分析は非常に厄介だ。特に貧しい地域は「ヨーロッパ近代文明」自体を敵とみなすことが多く、そうなると自分たちで近代的な学問を学び、近代文明が作る機械を分析して自分たちもまねして作ってみよう、とはならない……それ自体を穢れ・悪とみなしてしまい、ただ破壊することしか考えなくなる。

 そんな地域の、豊かな地域に対する憎悪はある意味どうしようもない。石油が出る地域があっても、特定の人々が権力を強めて富を浪費し、人々は余計に欧米を憎むだけだ。

 実際問題、近代機械文明で作られた武器・医療器具・輸送機械・化学肥料・情報の効果は圧倒的だから簡単に対抗できるわけもない。


 逆に豊かな人々に見えるのは、上記の近代的情報伝達を行う巨大利益群れが伝える情報にある世界だけだ。時に娯楽として貧しい地域を訪れることがあっても、それも安全な決められたところしか行かなかったりする。

 どんな虐殺でも大量餓死でも報道されるものだけが存在し、報道されないものは存在しない。

 そして誰もが、自分の物語と一致する情報しか見ないし、逆に情報を伝える側もそうしないと儲からない。となれば……人が見たがるものを見せる情報ばかりになる。

 さらに人は情動を動かす暴力・交接行為に関する情報にばかり敏感だから、これまたどんどんエスカレートし、それを抑えようとする道徳・宗教との争いが、と。


 まあ現代全体で一番目立つことは、圧倒的な人口と富の増加、都市への人口集中、子供が死ななくなってみんな長生きになったことだろう。大規模な森林破壊、時々大量に奇妙な物質が大気や海に混じることなども宇宙から見れば目立つかな。二酸化炭素濃度の増加もよく言われる。

 そして一番大きい問題が、石油が切れたら何を秩序の高いエネルギーにするか、これからパターンどおりの文明崩壊かそれとも……どうするかだ。


 あと、これからの技術の発達でありえることが、本格的な宇宙への進出と人間自体の自己改造だ。

 宇宙進出は結構難しいことが判明したが、上記の索路ができればどうなるかわからない。また人間はそれに気づくほど賢くないが、海にも巨大な潜在力がある。文明の限界のかなりの部分は木や利用可能な淡水によるが、海水を使っても光合成で太陽エネルギーを利用でき、海水は淡水より桁外れにたくさんある。

 人間はまだ自分の脳を全く理解していないが、研究は進んでいる。情報を操る技術や分子を操る技術も進み、生命の本質である自己複製分子についてもかなりの知識を蓄積している。今後、人間自体を薬物・遺伝子設計・情報機械との融合などで改造する可能性はあり、それは人間が意識せずに持っている道徳的な多くの前提を犯してしまう。特に富裕なものだけが自分と子孫を改造し、交配不能な別の種になったら人権・民主主義などの近代思想が根本的に壊れる。

 だが実際に、今の技術生活にも今の人類は不適当だし、これから宇宙に本格的に進出したらその不適合はますますひどくなるだろう。個人的には人間の改造は必要だと思う。

 というか義務教育で識字率が高いというだけでも十分人類そのものをかなり改造してるぞ。この程度の効果なのが不思議なぐらいだ。


 子供が死ななくなり、大人になってからも長く生きるようになったことは、確かに近代化するときには特に港や鉄道の整備に必要な膨大な若年労働力や兵士を供給した。

 ただ、膨大な若い人口だけがあっても豊かにならない地域では、それが多くの争いの原因になっている。教育に力を入れても、複雑な条件がそろわない限り教育に見合う収入が得られる仕事は少ないままで不満が多いし、第一何もなくても若い男性は社会に不満が多く、革命をしたがったり暴力を好んだりする傾向が強い。

 また豊かな地域では人権概念が強まったり女性も働けるようになったりしたこともあって夫婦とその子供だけの、親兄弟姉妹関係をあまり含まない少人数の家族が一般的になり、さらに上述の避妊・外科手術のため子供を現実に減らすことができるようになったため、子供がとても少なくなっている。

 それによって、働ける若い人・働けない老人・働けない子供の人数比がおかしくなり、働ける若い人や国家財政の負担が大きくなってしまう。働けない老人も食わせ、水を飲ませ、保温し、糞尿を処理しなくてはならない。さらにずっと寝たままだといい寝具でも皮膚が腐っていくから頻繁に姿勢を変えなければならず、それは今のところ機械化できない作業で膨大な人数を必要とする。それは事実上無駄な労力だが、人権もあるし家族に対する愛情もあるので切り捨てられない。元々人間の社会は、五十年生きるのは百人に一人、五歳まで生きる子供も三人に一人が当たり前だったのに、ほとんど全員が八十まで生きるようになったらそれはまったく別の存在だ。


 人類の歴史という物語が一体どこに行くのか……

 問題はまず資源の限界で滅びるか技術進歩で乗り切るか。

 あとは貧富、国家か世界政府か、そして宗教道徳か科学かのようだな。

 今までのあらゆる文明と同じく獲物を殺しつくし、森の木を切りつくし、農地を塩砂漠にし、鉱山を掘りつくして滅びるだけ、か。

 それとも技術の進歩で宇宙に飛び出し、太陽を使いこなしてなんとかするか、それとも欲を捨てて自然と調和した生き方……ってこっちは、人間の科学技術嫌い・理想郷好きによる妄想で、実行しようとしてもろくなことならないだろうが、人間はそれを好きすぎる。

 富裕層が圧倒的な富と武力で他の全てを悲惨な奴隷として搾取した、それに対抗する人々が……それも基本的に善と悪の対立という宗教と共通する考え方で歴史を見るくせだな。貧富がどうなるかが重要かどうかもわからないが、私の価値観は重要だと言っている。

 また人類全体が一つの群れとして自分を治めることができるようになるか、それともそうはならないか。最終的には人の自尊心、自己・自群れ中心主義が勝つか、それとも別の判断をするか。

 完全道徳・清浄・宗教的善群れにしようとして争うことも続きそうだ。道徳や信仰が失われたから世界は悪くなっている、というのは全ての人がいつだって考えていることだが、本当にそうなるのか、それとも誰も疑わない前提というだけで別に関係ないのか。それとも社会は相互の信頼、形のない情報が支えているから事実なのか。本当に何か、科学とは別次元からのとんでもないことが起きて全ての人が道徳的に高められ、それで理想的な世界ができるとなったら大笑いだが、現実にはそうなると見せていつもながらの群れの大暴走だろう。

 宗教や道徳がどれほど人間という生き物の心理に合っているかを考えると、そのついでに少し使う能力に過ぎない科学が勝てるとは思えないんだが……

 まあ、要するに宇宙の隅っこの小さい星で偶然変な動物が妙に増えていろいろやってる、それがどうなるかはわからない、それだけのことだ。


****************

 人間のよくある問いに「私たちはどこから来て、何者で、どこへ行くのか」「何のために生きるのか」「なぜ、私が」そして「真理とは何か」というのがある。


 どこから来たか、何かは今までに言った。宇宙がたまたまでき、地球という条件のいい惑星にたまたま自己再生などをする分子ができ、それが環境を作り変えてはびこり、その中にたまたま知能と技術を使う大型動物が生まれ、それが暴走と言っていいぐらいに増えた、それだけのことだ。別の面を見れば、できた宇宙全体の秩序が減る過程で、局所的にたまたま高い秩序が生じ、それが変な動きをしているだけのことだ。

 アフリカで小さい群れで走り回る動物が、集団で姿勢を正して機械や銃を操作しているのは、強力なコンピューターとセンサー類を内蔵するショベルカーに飛行機の操縦をさせているようなものだが、そのことを知りもしないでとにかく自尊心を満たす物語を作ってる。

 人類の目的や意味があるとすれば、人類の本質は「自己複製分子」なんだからそれをできるだけ多く、できるだけ長い時間複製することだ。

 ちなみに下で詳しく言うが太陽は永遠ではなく、地球は焼き尽くされて生命は全滅する。その後も自己複製分子が自己複製を続けられるよう、地球で生まれた形の生命を恒星間の果てしない距離を越えて遠くに持っていくのが、物語好きな人類が求める「人類の使命」だと私は思っている。生物が普通に進化しても宇宙にはわずかな微生物がはじき出される以外ほとんど行けない、少なくとも大型動物を生きたまま運ぶことは無理だしね。

 どこへ行くのか? わからない。恒星間の距離を越えるか? 私の言う人類の使命を果たすか? 多分そうはしないだろう。

 人間は、「どこから来て何のために生き」には、「神に保障された善」というのを求めてしまう。そんな人類のことだ、これからも、一人一人・小さい群れの一つ一つが進化の過程・文化によって方向づけられた欲に執着し、ひたすら権力と幻を求めて右往左往し、自滅していくだけなのかもしれない。

「なぜ、私が」という問いも、まず自我・意識によって意識される「自分」が存在し、それが自分には目などで見える、動き回る何かでしかない同種の人間たちがたくさんいて、さらに自分はその一人でしかない、というのが人間には本質的にわけがわからないことなんだな。自我だけがあってほかは全て夢のようにさえ思えるけど、自分は死ぬことのある、ほかと同じ人間に過ぎないことに納得できない。それで、偶然起きるいろいろなことについて、「なぜ」なのかを疑問に思ってしまう。

 といっても、その問いは一つの答えを含んでいる。「それはきみは他の凡夫とは違う神の化身、世界という物語の主人公だからだ。その物語は~(神話的に一貫しており、目的・帰結は個体と世界が道徳的に完成され、個体は完全善・全知全能不死の神になるまたは神と一体化すること)だ」という答え以外を人間は好まない。そして人は、好まない答えが答えだとは絶対に信じない。

 それこそ宗教のために残酷な殺され方をすることや、戦いで自分から死ぬことを自分から選択してまで特別な存在になりたがるもんだ。

 すべては偶然だと骨の髄までわかっている種族や完全なテレパシーで全員が一つの情報処理機構として機能している種族が「なぜ、私が?」などと問うはずがない。

「真理とは」というのは、人間はそれを問わずにいられないが、本質的に一つの答えが出せないんだ。

 たとえ科学が、完全に実験で検証された、宇宙の零秒、無限小の時空スケールを完全に説明する単純な数式を見出したとしても、最初の生命の発生や人類の進化を完全に再現説明できたとしても、人類の脳を完全にコンピューター上で再現できたとしても、それを真理とはほとんどの人は納得しないだろう。

 ただの偶然だ、という答えなど。確率が低すぎる偶然は、人はイカサマだ、物語の一部だ、と思ってしまう。

「真理とは」という問いそのものが、人それぞれが受け入れられる答えの範囲を決めてしまう。逆にそれぞれの宗教、というか本人が信じていることと矛盾する答えを「真理」として、言葉だけで人が受け入れることはまずない。また人を家畜化する技術で何を信じるか上書きすることは可能だが、逆にそうであることは、人間の外にある客観的な真実など存在しない、ということになる。


 このことは下で挙げた本で何度も出てくる話だが、宇宙の年齢・単細胞生物時代・そして人類が狩猟採集しかしていなかった時代、そして「革命」以前の時間のスケールはそれぞれとんでもない比になる。宇宙の年齢が130億年、太陽系が45億年、単細胞生物が35億年、人類の狩猟採集生活が二百万年以上、そして人類が世界中に広がったのが五万年から十万年、農耕が一万年あるかないか、「革命」は三百年かそこら前の話だ。それぞれのばかばかしいぐらいの比を考えてみてくれ。


 ついでに、太陽系や地球自体の未来についても少し……上でも太陽の、一世代前が崩壊したことは言ったが、これからも太陽は内部の水素が徐々に減り、より重い元素による核融合が増えるにつれて少しずつ出す熱が増えていく。

 そして四十億から五十億年もしたら、どんどん軽い元素が切れて重い元素が核融合をするようになる。そうなると極端に熱量が増えて、地球軌道にせまるほど巨大化する。

 最後には質量の多くを吹き飛ばして、比較的小さく高密度な固まりになる。

 もっと重い星だったら核融合が鉄になったときに、上述の爆発が起きる。

 まあどのみち、地球はあとそれだけしたら太陽に飲まれて蒸発する。

 それだけじゃなく、一見永遠不変に見える太陽系は結構変化はある。外側の大きいガス惑星を囲んでいる、円盤状に細かい岩石などが集まった輪はもう何千万年で消えるし、数億年以内に崩壊する大型衛星もいくつかある。

 そして地球が太陽に飲まれるのを待たなくても、あと十億年もしたら地球の表面の大量の液体の水は地球内部の岩に吸収され、消えていく。そうなったら地球から今のような大型の生命はいなくなり、地下深くで生きつづけるかもしれない微生物も地球が太陽に飲まれるときに確実に滅びる。

 そうなると、「自己複製分子を複製し続ける」という生命の本質的な目的が失敗し、終わってしまうということになる。またこれまであらゆる生物、そして人類が増やしてきた多様な情報も全て失われる。

 個人的にはそうなる前に、人類がその技術を使って太陽系の外に生命と情報を持っていかなきゃいけないと思っているが、残念ながら人類の知性は限られているからそこまで意識しているのはごく少数だな。多数の人間は伝統と宗教を信じつづけ、言い伝えられた群れの敵を滅ぼそうと憎しみを共有し、様々な半ば幻の恐怖から群れを守ろうとあがき、ひたすら自分や小さい群れの利益を求めるだけだ。自己の本質を求めるとか言っていながら、科学的世界観はほとんどの人間が拒絶してしまい、人間という動物が進化で作られた脳のありかたかにとって心地良い宗教に頼ってしまうんだよ。

 人類の次に進化する知的生命、というのに期待しても無理だろう。陸上大型生物の数億年の歴史の中で、知的生命は知られている限り一度しか進化しなかった。それが近代型の文明に至ったのも一度だけだ。別に生物は知的生命に進化したいとは思っていないし、知的生命に進化するようプログラムされているわけでもない、ただ増えて死ぬだけだ……そうである以上、次の知的生命を期待するのも無駄だろうし、どのみちあと十億年ぐらいしか時間はない。第一掘りやすい鉱山や化石燃料はほぼ使い切ってるから次はない。

 人間が自分を理解し、科学的世界観を受け入れ、全生命が一つの群れだと受け入れ、見たくないものを見、自分や自分たちの過ちを修正し、目的のために自分たちを用いることができれば……いや、それでもうまくいくかは、どうすればうまくいくのかはまったくわからない。生物のように、何百万何億とたくさんの子孫をあちこちの星にばらまいてどれかがうまくいけばいい、しかないと思う。


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 今言ったこと全体は、実はある意味何冊かの本の覚えていた部分をいいかげんにまとめてつなげたようなものだ。

 といっても私は日本語に縛られている。英語の本もまともな時間では読めないが、人類全体では重要な言葉だけで何十もあり、それぞれに膨大な本がある。また本を飜訳するのは難しい。まあ日本はまだいいほうだ、「教会教義学(カール・バルト)」から「場の量子論(スティーヴン・ワインバーグ)」まで訳されているんだから。といっても私が読んだ本は、日本にある膨大な本の本当にわずかでしかない。

 この文章のアイデアの多くはカール・セーガン、ジャレド・ダイアモンド、スティーブン・ピンカー、スティーヴン・ワインバーグ、リチャード・ドーキンス、ピーター・アトキンスなどの著作からだ。

 特に生物や歴史、人間について書かれた本について。それらの分野は常に新しい研究があり、知識が更新されている。できるだけ最新のものを選ぶべきであり、古典と言われる本をその内容の古さから多く略している。


理科年表 公式の様々なデータを集めた本。

ガリレオの指(ピーター・アトキンス)人類の立場から、人類が世界を科学的に理解するのに使われる十の根源的なアイデアを解説した本。

アイザック・アシモフの世界の年表 ある見方から見た歴史。

共通価値(シセラ・ボク)人類全体で共有できる規範の探求。


宇宙創生はじめの3分間(スティーヴン・ワインバーグ)ビックバン直後から三分間の、宇宙の複雑な変化をきれいにまとめた古典。

幸運な宇宙(ポール・ディヴィス)

宇宙を支配する六つの数(マーティン・リーズ)宇宙の定数がどれほど生物にとって都合良く作られているか、という観点から、宇宙の本質について深く考察している。

コスモス(カール・セーガン)宇宙の始まりから人類の歴史までを書いている。映像版もある。

エレガントな宇宙(ブライアン・グリーン)超ひも理論の解説書だが、現代物理学の解説書としても優れている。


パワーズ オブ テン(フィリップ・モリソン)サイズによって世界がどう変わるかを丁寧に描いている。映像版もある。

フラットランド(エドウィン・アボット)人間にとっては次元についての本だが、人間以外の知性にとってはある時代の人間社会についての本である。


もしも月がなかったら(ニール・カミンズ)地球の衛星・軌道・自転軸と黄道面の傾きなどいいくつかの条件を変えた思考実験。

地球46億年全史(リチャード・フォーティ)地球の歴史。

生命40億年全史(リチャード・フォーティ)生命の歴史。


祖先の物語(リチャード・ドーキンス)人類の進化史を逆にたどり、あらゆる生物と進化について簡潔に解説している。

利己的な遺伝子(リチャード・ドーキンス)生物を遺伝子ののりものとして解釈した。この文の根本的なアイデアの一つ。

虹の解体(リチャード・ドーキンス)主に人間を支配している多くの迷信を打破する目的で、多くの科学的な驚異を描いている。

神は妄想である(リチャード・ドーキンス)進化論を擁護し、宗教自体を否定する大胆な警世書。

悪霊にさいなまれる世界(カール・セーガン)さまざまな迷信にだまされる人間の心のあり方と、科学の本質。

解明される宗教|(ダニエル・C・デネット)ミーム視点からの宗教の解析。


人間の本性を考える(スティーヴン・ピンカー)

心の仕組み(スティーヴン・ピンカー)

思考する言語(スティーヴン・ピンカー)進化心理学のわかりやすい解説、言語を通じた人間心理の分析。

ヒューマン・ユニヴァーサルズ―文化相対主義から普遍性の認識へ |(ドナルド・E・ブラウン)人類全体の共通点。

つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?|(デイビッド・J. リンデン)脳および心についてのかなり詳しい解説。 進化に由来する設計の欠陥を示してもいる。

妻を帽子とまちがえた男(オリバー・サックス)さまざまな脳の障害を通じ、何かを引いたり足したりすることで浮き出る人間の本質を多面的に描いている。

リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理(ダン・ガードナー)進化心理学から、現代社会をマスメディアを通じて支配する「恐怖」についての洞察。バイアス・ヒューリスティックについての解説も必見。

言葉を使うサル(ロビンズ・バーリング)言葉の起源についてのかなり客観的な解説。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか|(内藤朝雄)

いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体|(内藤朝雄)日本の最近の教育制度に見られる、人間の群れの典型的な挙動の研究。


吾輩は猫である|(夏目漱石)「別の視点から人間を皮肉に見る」ことの先達。日本の一時代の精神、人間自体の重要な資料でもある小説。

春にして君を離れ(アガサ・クリスティー)自己欺瞞・自己満足・支配を描いた小説。

モモ(ミヒャエル・エンデ)近代的な時間管理を批判している。

一九八四年(ジョージ・オーウェル)支配についての人類にとっての最悪の想像の一つで、現実にあった社会の戯画。ただしピンカーによれば、人間の本性とずれすぎていて多分不可能。

火の鳥|(手塚治虫)絵による作品だが、人間や世界について恐ろしく深く掘り下げている。


神話の力|(ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ)世界各地の神話をテーマ別に紹介しつつ、神話が人間の心に根源的に与える影響を解説。

元形と象徴の事典 象徴についての詳しい分析集。

エリアーデ世界宗教事典(ミルチヤ・エリアーデ)宗教学の古典の一つ。

世界占術大全 さまざまな占いについて。

魔術 理論と実践(アレイスター・クロウリー)近代産まれの魔術師が書いた本。個人的な思想と実践だが、魔術そのものを理解するのにかなり有益。


歴史の研究(アーノルド・ツインビー)人間の一番大きい群れを文明と名づけ、その興亡を通じて歴史を分析した古典。古典故やや情報は古い。

銃・病原菌・鉄(ジャレド・ダイヤモンド)大陸配置から予測される歴史の大きな流れ。この文の根底的なアイデアの一つ。

文明崩壊(ジャレド・ダイヤモンド)人類の巨大な群れが無理な農耕から自滅するパターン。

土の文明史(デイビッド・モントゴメリー)農業を支える「土」という複雑な生命体について解説し、世界のあらゆる文明がどのようにその土を破壊し尽くして自らも滅びてきたかを丁寧に描いている。上書と併読すると有益。

ドングリと文明(ウィリアム・ブライアント・ローガン)歴史におけるオークを多面的に分析し、オークに食物を依存した人間の群れがあったのでは、と大胆な憶測もしている。

飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで|(アルフレッド・W. クロスビー)投石や投槍による人類の優位から銃器、宇宙開発に至る、人類の武力の発達史。

*他、「塩」「鉄」「馬」「鱈」など様々な方向から歴史を切りとる本が多数ある。それらを多く頭に入れることは、人間の歴史のパターンから外れて歴史全体を見るのに有益。あらゆる資源・技術についてそれぞれ歴史があることを忘れないように。また科学自体の、様々な分野それぞれの歴史も学ぶ価値がある。

ヒトはなぜヒトを食べたか(マーヴィン・ハリス)人間が必要とする養分から世界の文化の違いを解く。

「豊かさ」の誕生(ウィリアム・バーンスタイン)近代におけるすさまじい富の増大の条件。

暮らしを支える植物の事典 |(A・レウィントン)人類が多種多様な植物をいかに多様に利用しているか。

樹木と文明(コリン・タッジ)あらゆる木についてかなり詳しい解説とその多様な生活。

生命元素事典 あらゆる元素を、生物がどう利用しているかを基準に解説している。

食品成分表 日本で普通に手に入るのはやや日本寄りだが、一応あらゆる食品の栄養素の詳細なデータ。

食材図鑑 これもいくつかある。食品成分表とあわせ、自分が食べているのが何なのか一応理解しておきたい。

図説古代仕事大全(ヴィッキー・レオン)古代の地中海周辺を支配した帝国での、ありとあらゆる仕事。近代以前の人類活動を知るには好適。


物理法則については

ファインマン物理学(リチャード・ファインマンら)

古典力学(ゴールドスタイン)

相対性理論(ヴォルフガング・パウリ)

量子力学(ポール・ディラック)

などに定評がある。他にもよい教科書は多い。


原子の化合については「無機化学」「有機化学」「物理化学」「生命化学」「タンパク質合成」などのタイトルで大きい本を探すといい。


生物・DNAについては

ゲノム

生化学

細胞の分子生物学

標準微生物学

人体の構造と機能|(エレイン・N・マリーク)

病理学

生態学

植物生理学

などの、できるだけ新しい版を選ぶことだ。


数学については分野も広く、まったくゼロから我々の数学を学ぶにはどうすればいいか見当もつかない。分野ごとの標準教科書を挙げても、ゼロからそれに至る、またまったく違う数学系から互いを理解するのはどうすればいいか……とりあえず言語化されているものとして「数学 その形式と機能(マックィーン)」を挙げておく。


あらゆる事物についてもっと知りたければ大英百科事典でも読んでくれ。

また、色々な公と呼ばれる大きい群れが発行している、日本語では白書などという統計も重要な資料だ。

あと二乗三乗則、魔女裁判、一本の木や一匹の家畜のあらゆる部位の加工利用法の詳細、精神医学、人類がいたここ数百年の気候変動そのものと人口について決定的な名著があれば言うことはないが、それはあるけれど私が知らないだけだったり英語で出ていて日本語に訳されてないだけかもしれない。


さて、一応人間の紹介はこれくらいかな。

私という個体の紹介は、そんなに興味深いものでもないだろう?

この文章は、誰がどう編集してもかまいません。プロローグの条件から、誰もが同じ問いを自らに問い直してください。高校以上の知識などほとんどありません、誰もが知っているはずのことばかりなのです。

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