第81話 嗤い声、悪夢の始まり
「クソがッ!!!」
クライム領にある屋敷の執務室の壁を、青年が怒りに任せて拳を打ちつける。彼が怒っている原因は、ルジェのメイドであるクトにある。
彼はルジェに婚約を申し込んだが、想いを伝える前に両親に断られてしまった。
それでも諦められずにメイドと街を歩いているルジェに告白したが、困ったような笑みを浮かべるだけであり、すぐにメイドに引き剥がされた。
その時の、ルジェがメイドであるクトに向ける優しい笑顔に嫉妬していた。
「何故だ…俺は、クライム領の次期領主だぞ?」
クライム領には、ミスリルやオリハルコンなどの希少金属が採掘できる鉱山が多くあり、辺境であるのに対して王都にも劣らない程に栄えていた。
初めの内は、何も問題なかった。だが、いつの間にか彼の父親は酒と薬に溺れ、母親は街に降りては毎日違う男と仲睦まじそうに歩いていた。その時の欲に溺れた醜い顔が、頭から離れなかった。
そして、クライム領主の家族であるため社交界などにも出るようになったが、周りに寄ってくるのは地位と金にとり憑かれた気持ちの悪い笑みを浮かべる者ばかり。彼はそんな者達がどうしても耐えられずに家から逃げ出した。
ーーーそして……彼はその日、彼女を見たーーー
一面に咲き乱れた美しい花畑の中で、彼女は鼻歌交じりに花冠を作りながら嬉しそうに微笑んでいた。それがとても綺麗で、純粋で無垢な笑顔で…彼は、それを自分に向けて欲しくなった。
しかし、どれだけ手を尽くしても彼女は自分に笑顔を向けず、その対象はいつだってあのメイドだった。
『えへへ〜…クト姉様大好き♪』
『もう…しょうがないですね』
「クソクソクソクソクソクソクソッ!?!?一体、俺の何が駄目なんだァッ!!!!」
青年は怒りのまま、自身の椅子を蹴り飛ばした。何が足りないのか、何が気に入らないのか、彼女は何を求めているのか彼には分からなかった。
金も、地位も何もかもが手に入る筈なのに、彼女は差し伸べた手をとってはくれない。自身に纏わりつくあの忌々しい奴らはそれを求めているのにも関わらず…
「そうか…あの女だ」
彼女が笑顔を向ける相手は、いつだってあのメイドだった。そうだ、あのメイドのせいで…ッ!!!
「おいッ、セバスチャンッ!!いるんだろうッ!?」
「はい、ここに…」
「ルジェ嬢と、黒髪のメイドとの関係を調べろ」
青年にそう言われたセバスチャンは、ただ短く返事をして、部家から出て行った。
……それから3日後、青年の部屋へ報告のためにセバスチャンが入ってくる。
「…要点だけを言え、それ以外はどうでもいい」
彼が何故そういったのか、それは恐らくセバスチャンが“どんな手を使ってでも”情報を手に入れてきた事が分かっていたからだ。
「はい、ルジェ嬢とメイドのクトという彼女は姉妹でした」
「姉妹か…ただ懐いているだけかと思ったが、ならば何故メイドなどさせている?」
「それは、彼女達姉妹が“双子”だからでしょうな」
「双子?それがどうし………あぁ、そういえばあそこではまだ精霊信仰が残っていたな…」
青年はその事に気がつき、口の端を裂かんばかりに吊り上げて言った…
「クククっ…いいぞぉ、これで俺の思い通りだッ!!」
その夜、青年はこれから起きるであろう事と、ルジェ嬢が手に入る事を確信して嗤った。
そして、もうすぐ…
ーーー赤い赫い…紅の悪夢が始まるーーー
…青年はただ、自分を心から愛してくれる人が欲しかっただけで、そこにはなんの悪意も無いんです。ですが、ルジェが金や地位で手に入ると考えている時点で、それは周りにいた卑しい貴族令嬢と同列に扱っているのと変わりません。ルジェが何よりも求めるのは、家族との平穏です。それさえあれば、彼女は幸せなんですよね。
…ここで青年がルジェとクトと友人になるなり、助けを求めればまだ救いがあった。




