新たな道
十章(その2)、新たな道
朝になった。エンリケは森の中にいた。大木の幹のくぼみに挟まるようにして、膝に顔をうずめて眠っている。疲れて寝てしまった、というよりは、何も考えたくなくてこうして眠ることを選んだ、という感じだった。
さく、と軽い足音を立てて姿を現したカリストは、少年の少し手前で足を止めた。
「……エンリケ……」
精霊の小さな声に、エンリケは反応した。ゆっくりと顔をあげ、こちらを見つめているカリストに気がつく。
「カリスト」
エンリケは友人に微笑んでみせた。今まで見せたことのない、暗い笑顔だった。
「君に会いに来れるのは、今日が最後なんだ。本家が……伯父上たちは、僕を外に出すんだって。母様のことと、今回のことで、僕はもうここにいない方がいいみたいなんだよ」
「……」
カリストはエンリケの前に膝をつくと、そっと手を彼の頭にのせた。母親が子供にするように優しくなでる。エンリケは目を伏せた。
「一番可哀相なのは父様だ。―――カリスト、僕がいなくなったら、父様の話し相手になってくれないかな。君はあまり森から出ないから、時々で良いのだけど」
カリストは小さな声で「いいよ」とうなずいた。
「エンリケは……それでいいの」
「僕は……」
エンリケはカリストの問いに答えられる言葉を持たなかった。言葉にならない気持ちを飲み込んで、立ち上がる。
「―――そろそろ行くよ。出発の準備があるんだ」
「エンリケ」
森を出ようとするエンリケの後ろを、カリストは追いかけた。少ない言葉を一生懸命に繋げて声にする。
「エンリケ……。弱いことは、悪いことじゃない……。この森には、今までたくさんのカフカの子供達が来た。みんな弱虫で、何かに悩んでた……」
エンリケは立ち止まる。カリストが自分を励まそうとしているのは知っていた。けれど。
「それが、どうしたっていうんだよ……っ。結局僕はお払い箱で、何も出来ないまま終わったじゃないか」
カリストは彼の声に滲む悔しさを感じ取った。味方がいないことへの寂しさも。
「エンリケ、私はいつもここにいる。他の誰があなたの手を離して遠ざかっても、私はずっとここにいる。だから、いつか戻ってきたら、カフカの人達を助けてあげて。私はそれを見たい―――と思う」
(助ける―――?僕が、あの人達を?)
振り返ると、カリストと目があった。彼女の瞳は、長い時を生きてきた証のように深い色をしている。多分、彼女の考えていることは、エンリケが思うよりも遠いところにあるのだろう。
「分からないなあ。僕は君と違って十一年しか生きていないし―――それに、戻って来られるか、なんて」
「きっと戻れる。今はみんな不安なだけ。……カフカの子は臆病だから」
カリストはエンリケの顔を両手ではさむと、にこ、と笑った。
エンリケ・カフカは、今日限りでここを出て行く。
「エンリケ……済まない、私の力が及ばなかった。お前を送り出さねばならぬとは―――」
カールは息子を抱き寄せて、搾り出すような声で詫びた。
「父様……」
別れを惜しんでいる親子の後ろに、アイリンとジーノは立っていた。
「……ギルドに戻らなくていいのか?」
「せめてお見送りだけでも、と思いまして。アイリンさんは彼と一緒に行くんですか?」
「弟子の修行はまだ途中だからな」
「……見込みはありそうですか?」
「さあな。魔法使いとしての才能はないがね」
(あなたはそう簡単に弟子を取る人ではないでしょうに)
ジーノは苦笑した。
「……それに」アイリンは小声で囁く。
「ルシフェリオ・ダテンは、再びエンリケの前に現れるだろう。あの子にとっても、私にとっても、行動を共にしたほうがいいのさ」
「エンリケ、行くぞ」
「はい」
見送りは決して多くなかった。カールと、使用人と、ジーノ、それくらいだ。
「じゃあ、僕たち、行きます。父様、親不孝な息子でごめんなさい。手紙、書きますね」
「……ああ、待っている」
「ジーノさん、僕、才能はないけれどいつか魔導師になれるように頑張ってみます」
「魔道は一日でならず、です。お頑張りなさい」
「あと、みんな……父様の助けになってね」
使用人たちは涙ぐむ者もいたが、皆力強くうなずいた。それを見て安心したのか、エンリケは肩の力を抜いて微笑んだ。
「エンリケ」
アイリンが杖から電撃を走らせる。出発だ。
二人は並んで立つと、一息で上空に舞い上がった。振り返ることなく。見送る者達は溜め息をもらして、彼らの空の道を見上げた。
「師匠、僕らは何処に向かってるんです?」
エンリケは尋ねた。朝日が顔に当たって眩しいから、行き先が東であることは分かるのだが。
「隣国のマドーラ地方だ。君の修行には最適の場所だからね」
「マドーラ地方……。たしか山が多いところでしたよね」
エンリケは記憶の中の地図を辿る。険しい山の中に街が形成されており、旅人にはなかなか厳しい環境だと聞くが。
下の景色に変化が訪れるまで、そう時間は掛からなかった。それほどの速度で飛行していたのだ。国境もすでに越えてしまった。
緑豊かな大地ではない。尖った岩を露出させた山が、動物の背骨のように脈々と続いている。その中に、ひときわ目立ってそそり立つ山があった。アイリンはその山の色が変わっているところを指差す。
「降りるぞ」
「はい」
マドーラ・チサ。またの名を、『不落の天然要塞』『巨人の槍』とも言う。斜面に張り付くようにして段状に築かれた都市である。




