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誤歴 ― カルト国家日本 ―  作者: 桜李


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2026年 どこかの平行世界 後編

「ははは。先生でも、そんな冗談をおっしゃるんですね」

記者が笑う。

老人はグラスを傾け、小さく笑い返した。

「冗談だと思うなら、それでも構わんよ」

そう言って、しばらく窓の外の夜景を眺める。

「……あれは、一九七〇年代だったかな。

私が暮らしていた日本は、この世界とは違って、とても豊かな国だった。

帰宅すれば食卓には当たり前のように食事が並び、店へ行けば何でも買えた」

「その世界から、この世界へ?」

「そうだ。

ある日、家へ帰ると、すべてが変わっていた。

家は荒れ果て、食べ物もない。

年の離れた弟は、今にも倒れそうなほど痩せていてね」

「なるほど……。先生、本格的に小説を書く気になられた、と」

老人は苦笑した。

「実は昔、何度か書いたことがあるんだよ。

もっとも、その話はまた別の機会に」

記者も笑う。

「それで?」

「最初は、何が起きたのか分からなかった。

景色は同じなのに、日本そのものが別の国のようだった。

食糧事情も違えば、政治も違う。

何より驚いたのは、自分の英語が通じなかったことだ」

「英語が?」

「向こうでは、それなりに話せるつもりだったんだ。

ところが、この世界じゃ全然だめだった」

「つまり、それほど世界が違っていた、と」

老人は頷く。

「向こうの日本は、敗戦国ではあった。

しかし戦後の政治と国際情勢に恵まれ、速やかに独立を回復し、経済成長も遂げた。

冷戦という時代が、日本には追い風になったんだ」

記者は腕を組んだ。

「こちらでは……戦後もアメリカの保護国ですからね」

「そういうことだ」

部屋に少しだけ沈黙が落ちる。

「……もちろん、信じなくていい。

私だって逆の立場なら信じない」

「ええ」

記者は笑う。

「でも、お話としては、とても面白いですよ」

「ありがとう」

老人は少しだけ肩をすくめた。

「だから私は、この世界でできることを始めた。

まずは腹を満たすことだ。

腹が減っていては、人は何も考えられないからね」

「それで農業技術を?」

「そう。

新しい品種、農法、機械化。

知っていることを一つずつ形にしていった」

「そして、その後は政治活動へ」

「食べられるようになれば、人は次を望む。

教育、文化、自由。

だから政治にも関わった」

老人は棚から古いレコードを一枚取り出した。

「資金も必要だったからね。

こんなものも作った」

「懐かしい……。

昔、大ヒットした映画の主題歌ですね」

「私が作った」

「……え?」

「作詞も作曲も。

もちろん本当は、私の世界で大ヒットしていた作品だけどね」

記者は吹き出した。

「やっぱり冗談じゃないですか」

「そう思うだろう?」

老人も笑う。

「映画の原作小説も、いくつかそうだ。

特許もそう。

向こうの世界の知識を借りただけだ」

「それなら、ずいぶん楽に儲かったでしょう」

「いや」

先生は静かに首を振った。

「金儲けが目的じゃなかった。

必要だったのは、動かせる資金だったんだ」

記者は空になったグラスへ酒を注ぐ。

「その資金で、市民運動や政治活動を続けたわけですね」

「そういうことだ」

「そして、その結果、日本はここまで発展した」

窓の外には、高層ビル群の明かりが広がっている。

飢えに苦しんだ国とは思えない景色だった。

「もっとも」

老人は夜景を見つめたまま、小さく笑う。

「本当は、独立まで取り戻せればよかったんだが」

「いやいや」

記者は首を振る。

「今では日本人が合衆国大統領になる時代ですよ。

合衆国人口の三分の一が日本人なんです。

今回の大統領選もまた日本系候補同士ですしね。

先生方が築いた成果じゃありませんか」

老人は答えなかった。

静かにグラスを回し、その琥珀色の酒を眺めている。

――こちらへ来て、もう半世紀。

冬月の人間として、歴史を少しでも正しい方向へ戻そうと走り続けた。

だが、自分にできたのは、ここまでだった。

称賛されるたびに、胸の奥が少しだけ痛む。

窓の向こうには、光に満ちた都市。

人々は笑い、働き、生きている。

それだけでも、この世界へ来た意味はあったのかもしれない。

それでも、と老人は思う。

――私がいた世界は、今どうなっているのだろう。

あの日本は、もっと豊かになっているのか。

それとも、誰も知らない別の歴史を歩んでいるのか。

答えを知る術は、もうなかった。


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