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プロローグ

プロローグ


あの日、俺と妹の学費のために、夏休みの間ずっと青空の下で缶ビール工場の肉体労働に明け暮れていた。何かに取り憑かれたように、自分の体調を顧みず、ひたすら働き続けた。


そしてある夜、とうとう限界が来た。


帰り道を歩いている途中、ふと目の前が真っ暗になり、そのまま頭から地面に倒れ込んだ。身体はとっくに限界だったんだと思う。


もう何度目かも覚えていない。妹と二人で家を出てからというもの、生活費を稼ぐためにバイトを詰め込み、睡眠時間を削り続けてきた。たぶん、いつかこうなることは分かっていたんだと思う。妹に心配そうな顔をさせたくなかったから、見て見ぬふりをしていただけで。


「…………」


意識がゆっくりと浮上してくる。まるで深い水底から、体だけが先に水面へ押し上げられていくような感覚だった。


「……何やってるんだろう、私」


遠く、とても遠くで、誰かの声がした。女の子の声だった。


誰かの手が俺を抱え起こし、壁にもたれかけさせてくれる。壁はひんやりと冷たくて、薄手のTシャツ越しに背骨まで冷気が染み込んでくる。


でも、その手は温かかった。


触れられた瞬間、何かが体の中に流れ込んでくるような不思議な感覚があった。全身の力がふっと抜けて、かすかな光の粒が散っていくようなイメージ。心臓の鼓動が、少しずつ落ち着いていくのが分かった。


でも、その手のぬくもりだけは、なぜだか手放したくないと思った。


冷たい壁と温かい手。正反対の感覚が、俺の意識を少しだけ浮上させた。完全に気を失っている状態から、「今、自分がどこにいるかだけは何となく分かる」くらいのところまで。


立ち上がろうとしたが、鉛でも詰まっているみたいに体が動かない。最後に感じたのは、誰かが何かを俺の頭の下に敷いてくれたことと、夏の夜の生ぬるい風がうなじを撫でていったことだけだった。


まぶたが異様に重い。何度も挑戦して、ようやくほんの少しだけ目を開けた。


頭上には暗い藍色の空。星はほとんど見えず、雲の陰でぼんやりと月だけが光っている。その光は鈍く、やわらかかった。


「……ここ、は」


首の下にあるのは硬いコンビニの床じゃない。木の感触だ。ベンチの板だ。一日中太陽に焼かれて、まだほのかな熱を残している。


……なんで公園に?


誰が俺を運んだんだ。店長か、先輩か、それとも救急車でも呼ばれたのか。


起き上がろうとベンチに腕を突っ張った。ざらついた木の表面が手のひらに食い込む。なんとか上半身を起こしかけたところで、後頭部に鈍い痛みが走った。


「……っつ」


息を呑んで、もう一度横になる。


その時だった。足音が聞こえた。


とても軽い。スニーカーが砂利道を踏む音。ジャリ、ジャリと、まるで誰かを起こさないように気をつけているみたいに。


顔だけをそちらに向けると、ぼやけた視界の端に、細くて小さな人影が映った。はっきりとは見えないけど、おそらく女の子だ。


なんでそんなふうに思ったのかは分からない。


あの数分間の記憶は、割れた鏡の破片みたいにバラバラで、どうやっても繋ぎ合わせられない。でも、いくつかの断片だけは覚えている。


誰かが俺の手首をぎゅっと握った。かなり強く。指の骨がギリッと軋んだのを覚えている。同時に横から車のヘッドライトが突き刺さるみたいに光って、クラクションが鼓膜を破くみたいに鋭く鳴った。


そのあと、誰かの腕が俺の背中を支えた。細いのに、すごくしっかりと、俺をどこかから引きずり出した感触。


「……あの」


助けてもらったんだと気づいて、礼を言おうとした。でも声はガサガサに掠れていて、自分のものとは思えなかった。


呻き声が聞こえたのか、彼女は身を翻して、俺の方を見た。


「誰……?」


気がつくと、そう口に出していた。


相手はすぐには答えなかった。沈黙。耳に届くのは、夜風に揺れる木の葉の音だけ。


返事はないだろうな、と思った。


その時だった。


彼女がそっと唇を開き、まるで水みたいに澄んだ声で言ったのだ。


「……魔法少女」


声はとても軽くて、夜風に散っていく蒲公英の綿毛みたいだった。でも、確かに俺の耳に届いた。


それだけだった。彼女はもう留まらず、細い足音を再び響かせる。ジャリ、ジャリ。だんだん遠ざかって、小さくなって、やがて完全に夜風の中へ消えていった。


追いかけようとしたが、体にはもう一滴の力も残っていなかった。


ベンチの横に、いつの間にかミネラルウォーターのペットボトルが置いてある。キャップは開けられた形跡がない。中身の水が、街灯を受けて小さな光の粒を浮かべている。ラベルはコンビニのもの。一番安いやつだ。それと一緒に、栄養剤と菓子パンも置かれていた。


「……いい人に、出会ったな」


俺はベンチに寝転がったまま、一人で夜空を見上げていた。それから五分ほどして、足はまだ少しふらついたけど、なんとか歩けるようになった。


ブー……ブー……


ポケットの中でスマホが震える。取り出すと、バッテリーはもう半分を切っている。画面には妹の名前。


『お兄ちゃん、もうすぐ日付変わっちゃうよ。いつになったら帰ってくるの?』


「……え?」


そういえば、何度も着信があったことを思い出した。でもずっと仕事に没頭していて、ちゃんと返事をしたことがなかった。


……そうだよな。金を稼ぐために身を削るなんて、やっぱり割に合わない。何より、俺には守るべき妹がいる。もう少しで取り返しのつかないことをするところだった。


心の中で自分を責めながら、俺はスマホに向かって言った。


「今日ちょっと仕事が長引いちゃってさ。今から帰るよ」


「なんか声が弱々しいけど……大丈夫?」


「え、ああ、今上がったばかりでさ。早く帰って熱いシャワー浴びたい気分」


「はいはい、じゃあお湯張って待ってるから、さっさと帰ってきなよね」


「うん。ありがとな」


あまり心配をかけまいと、わざといつもより声を張った。


公園には誰もいない。街灯がベンチやブランコを丸く照らして、その外側はどこまでも暗かった。もうあの人がどっちへ向かったのかも分からない。でも、分かったところで、今の俺には追いかけるだけの力は残っていない。


顔も知らない。名前も知らない。


でも――


「魔法少女」


その四文字だけが、はっきりと記憶に残っていた。

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