第ニ部 第16話:裸の王子のチェスチェック、あるいは麻袋の中の現実逃避
サミット開催地リンデアの手前、温泉郷シマフクワイアンの深い裏山。
スピカを麻袋に詰め、強靭な足腰で夜の竹林を疾走していた大柄の忍者は、内心で激しい焦燥に駆られていた。
「……クソッ! やっと巻いたか!?」
背後を振り返り、追跡者の気配が消えたことに安堵の息を漏らす。
「あのサムライ、とんでもない身体能力をしてやがる……。あんな化物に全裸で追い回されるなど、何の冗談だ」
だが、安堵したのも束の間。彼の行く手を阻むように、竹林の月明かりの下、予想だにしない男が忽然と姿を現した。
「――君。レディーをエスコートしているわりには、少しガサツすぎやしないかい?」
静かに夜霧を割って忍者の行く手を阻んだのは、月光を浴びて神々しく佇む男。ミルキーウェールズ王国第一王子、シリウス・ランスターその人であった。
もちろん、彼もまた温泉から飛び出してきたばかりゆえ、一糸纏わぬ完全なる全裸(※腰タオル一枚)の姿である。
覆面をした大柄の忍者は、驚愕に目を見開いてシリウスを睨みつけた。
「なっ……!? どうやってここに来た、王子様……っ!」
「さあね。どうして僕がここに先回りできたのかな? ――考えてごらん」
シリウスは、まるでチェス盤を前にした時のように、冷徹で優雅な笑みを浮かべて問いかける。
「ひ、飛行魔術か……っ!?」
忍者が本能的な恐怖から答えを絞り出すと、シリウスはくつくつと喉を鳴らした。
「君、なかなか良い勘をしているね。……まあ、いい線いっているよ」
シリウスは否定も肯定もせず、ただ完璧な王子様の微笑み(ただし全裸)で曖昧に返した。
「チッ、俺は王子様と遊んでいる暇はねぇんだよ!」
忍者はスピカを担ぎ直して身構えた。
「いくら偉そうな口を叩こうが、今のあんたはただの『裸の王子様』だろ! 様にならねぇんだよ。お城に飛んで帰って、ママに着替えでもさせてもらいな!」
その汚い挑発に対しても、シリウスの碧眼は冷徹な光を失わなかった。
「僕が裸なのはね、なりふり構っていられなくてね。……そこの麻袋の中のレディーは、僕にとっての大切な人なんだ。無事に返してもらえないだろうか」
「へっ、このお嬢ちゃんはなぁ、後で裸をたっぷりと拝ませてもらおうと思ってんだよ! 欲しけりゃ力ずくで奪い取ってみな、細腕の王子様!」
忍者が気勢を上げ、地面にスピカの袋を置こうとした――まさにその瞬間、シリウスの指先が閃いた。
シリウスは、敵が戦闘態勢に移行するよりも早く、一切の詠唱動作なしで先手を取った。
「――【パラライズ(麻痺)】」
「うおっ!? ――しまっ、【コーション(警戒)】ッ!!」
忍者は自身のパッシブスキルである『警戒』を最大出力で発動させ、王子の放った呪文を弾き飛ばそうとした。しかし――王子の底知れぬ魔力は、名門の忍者の想定を遥かに超えて深く、深くその精神を蝕んでいく。
(嘘だろ、ダメだ……っ! 術式が強すぎる!)
身体の自由が急速に奪われていく恐怖のなか、男は血を吐く思いで必死に叫んだ。
「【マインドリセット(精神回復)】ッ!!!」
どうにか呪縛を力技で破った忍者だったが、完璧なチェスプレイヤーたるシリウス王子が、そんな隙を見逃すはずがなかった。
「――【ヘイスト(加速)】」
世界が静止したかのような錯覚。
シリウスは尋ねるような尋常ならざる超高速の踏み込みで瞬時に間合いを詰めると、男の手元からスピカの入った麻袋を鮮やかに奪い取り、瞬く間に安全な距離へとバックステップを踏んだ。
素早く袋の口を開け、中のスピカが眠っているだけで無事であることを確認する。
「おのれ、よくも……っ!」
大柄の忍者が怒り狂って距離を詰めようとした足元へ、シリウスは流れるような動作で次なる呪文を投下した。
「――【ファイアー・ウォール(炎の壁)】」
ゴォオオオオッ!!!
忍者の足元から、夜の森を真っ赤に照らし出す巨大な炎の壁が屹立し、前進を完全に遮断する。
それと同時に、炎の爆発音の向こうから、一人の男の猛々しい声が響き渡った。
「――殿下ァーーーッ!!!」
声の方向を見れば、そこには抜刀したカタナを構え、全身から凄まじい闘気を放つ全裸のアルタイルが、木々の間から凄まじい速度で突撃してくるところだった。
炎の壁の向こうで、大柄の忍者はようやく全てを理解し、ガリガリと歯を鳴らした。
「ちっ……! 最初からおしゃべりで時間を稼いで、それは、この俺の『位置』を味方に知らせるための狼煙代わりか……! どこまでも食えねえ王子様だ……っ!」
完全に勝ち目がなくなったことを悟った忍者は、懐から【緑色の狼煙】を打ち上げると、そのまま夜霧の向こうへと脱兎のごとく去っていった。
◇◇◇
一方その頃、カノープス中尉とハダルが、不気味な仮面の男(囮)と対峙して膠着状態に陥っていた竹林の戦場にも、ついに「最悪の援軍」が到着していた。
「カノープス中尉! ハダルさん! 助けにきたわよ!」
「遅れてすまない! 殿下をどこへやった!」
ドカドカと竹林を割って現れたのは――なんと、宿の備品である【竹槍】を両手にしっかりと構えたスッパダカのシャーロット先輩と、同じく一物も隠さずに仁王立ちする全裸のベガ様であった。
パンッと夜空に緑色の狼煙が上がる。
それを見上げた痩せ細った仮面の男は、背後に現れた二人の全裸の最強美女(物理)を交互に見つめ、心底うっとうしそうに呟いた。
「チッ、本命は失敗か。おまけに、バカパラディン(シャーロット)とアークプリースト(ベガ)の増援かよ……。全裸のくせに、俺の幻術とは最悪に相性が悪ぃな……」
彼女たちの強靭な精神耐性と、いつでも物理で脳天をカチ割れる竹槍の破壊力を前に、仮面の男はあっさりと撤退を決めたようだった。
「じゃあな、お嬢ちゃん、お坊ちゃん! また会おうや!」
パァンッ!! と眩い閃光が炸裂し、カノープスが咄嗟に目を瞑る。
再び目を開けたときには、もう男の姿はどこにもなかった。
◇◇◇
一方、シリウス王子の側では、安全な岩陰にて、麻袋からようやく顔を出したスピカに対し、アルタイルが【活】の特殊スキルをパシィンと叩き込んでいた。
「う……ん……」
睡眠の呪縛が解け、スピカがゆっくりと長い睫毛を揺らして目を覚ます。
「スピカ君。気がついたかい? 大事は無いかい?」
すぐ目の前で、シリウス王子がこの上なく優しく、とろけるような甘い声で語りかけてきた。
月光に濡れる美しいブロンドの髪。端正な顔立ちに宿る、深いアクアマリンの瞳。
一見すれば、悪しき賊から命がけで助け出してくれた王子様と、守られたお姫様による、極めてロマンチックで美麗な身悶えするような名シーン――。
――のはずだった。
(……え?)
スピカは、パチパチと瞬きをした。
目の前のシリウス王子は、なぜか一糸まとわぬ完璧な全裸(※腰タオルのみ)である。
さらにその横で、凄まじい安心感の笑みを浮かべているアルタイルもまた、完璧な全裸である。
「…………」
温泉の湯煙と、夜の冷気に晒された、二人の筋骨逞しい男たちの、完璧な「全裸」。
ルスカ副会長の【ラックアップ】の呪いがもたらした、圧倒的かつ過酷な現実がそこにあった。
(えー……何? なんで二人ともスッパダカなの……? 意味がわからない。何これ、一体……)
スピカは一切の表情を消すと、一言も発することなく、ズサァッ……と自ら進んで、再び暗い麻袋の奥深くへと静かに潜り直すのだった。
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