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第30話 部下


 ノックの音が鳴った、そのほんの一瞬で、私はほとんど反射のように背筋を伸ばしていた。


 客室で、カイと一緒にダンジョンの嫌らしい構造について「これ、もう少し陰湿にした方がよくない?」「でも人気が落ちる」「だよねぇ」みたいな、なかなかに偏差値の低い――いや、方向性だけ見ればだいぶ性格の悪い相談をしていたはずなのに。


 扉の向こうから気配が近づいた瞬間には、私の身体は勝手に貴族へと整っていた。


 肩の力を抜き、顎を少し上げる。視線は柔らかく、それでいてこちらの主導権を手放さない角度で保つ。口元には、ほんのわずかに余裕を含んだ笑み。

 そして、それら全部が意識してやっているようでいて、半分くらいはもう意識の外で形になっている。


 ……うん、怖いなこれ。

 いや便利なんだけど。かなり便利なんだけど、こうやって勝手に王子様モードへ移行していく身体の方は、やっぱりたまにちょっと怖い。


 隣では、カイもまた、あの犬っぽさをしゅっと引っ込めていた。

 ほんの数秒前まで「この罠もう一段陰湿でもよくない?」「お前ほんと性格悪いな」「褒めてる?」みたいな会話をしていた人間とは思えないくらい、涼しい顔になっている。


 静かな瞳、すました口元。いや、本当に外向けの顔を作ると強いんだよなこいつ。

 中身を知っているせいでじわじわ面白いけど。


 私は視線だけでカイに「整ったね」と言い、カイは視線だけで「そっちもな」と返してきた。……無言のやり取り、ちょっと面白いじゃん。


 それから私は、少しだけ声音を整えて言った。


「入っていいですよ」


 返ってきたのは、きちんとした返答だった。

「失礼します」

 そして扉が開く。


 入ってきたのは、長い金髪を下ろした女性だった。

 ただの使用人ではない、と一目でわかる。

 服装が違う。着ているのは、何かしらの制服だ。深い赤を基調にした仕立ての良い服で、軍服ほど堅苦しくはないが、明らかに使用人とは違う衣服だった。装飾は華美すぎず、それでいて目を引く。立ち姿は真っ直ぐで、表情はかなり明るい。というか、入ってきた瞬間からなんだか元気だ。

 彼女は一歩前へ出ると、ぱっと顔を輝かせるようにして一礼した。


「レアと申します!」

 声まで元気だった。

「この度、ラウラリア様の直属の部下に選ばれた者です!」


 ……直属の、部下?


 いや、そうだよね。そういうの、出てくるよね。

 ダンジョン経営が始まって、資料が動いて、調査依頼が出て、利益予測まで発生しているんだから、そりゃ担当の人員だってつく。

 つくんだけど、直属の部下って言われると、途端に現実味がすごいな。


「そうだったんですね」

 私は柔らかく微笑みながら頷く。

「よろしくお願いします、レア」

「はい!」


 返事がいい、返事がよすぎる。

 元気な新入社員かな?いや、もっとこう、元気な親衛隊寄りかもしれない。


 レアはそこで、ふいに私の隣にいるカイに気づいたらしく、表情を引き締めた。

 さっきまでのぱあっとした笑顔がすっと収まり、きりっとした目になる。それから、妙に対抗心を滲ませた声で言った。


「……貴方には絶対に負けませんからね!」


 何に?いや、何に?


 私は思わず内心で首を傾げた。

 でもその疑問を口にする前に、レアはすたすたと歩いてきて、私の三歩後ろにぴたりと立った。

 しかも、なんというか、明らかに守るようにである。

 立ち位置がもうそうだし、空気もそうだし、気迫までそうだ。


 ……ああ、なるほど。

 何に対してかはだいたいわかった。カイに対抗してるんだこれ。

 いや待って、何で?私の友人って紹介しただけなんだけど。友人ってそんな警戒対象になる?


 ちらりと横を見る。

 カイはというと、すました顔のまま、ほんの少しだけ片眉を上げていた。

 その「何だこれ」感のある微妙な表情が、逆に面白い。


 でも、たぶん今の彼も理解はしているのだろう。領主家、跡継ぎ、直属の部下、友人。そういう単語が並ぶと、勝手に変な勢力図が生まれることがあるのだと。

 ……面倒くさいね、権力って。面倒くさいけど、ちょっと面白い構図だ。


 私はそのまま、何でもないことのように口を開いた。


「そういえば」

「はい!」


 レアの返答が速い。

 速いし元気だし、たぶんこの人ずっとこうなんだろうなという納得がすごい。


「今までは権利関係や書類仕事の方はつけていただいた部下に任せていたのですが」

「はい!」

「そちらの仕事については、もう終わったのですか?」

「はい!!」


 すごい元気だった。しかも即答、その返事に迷いや濁りが一切ない。つまり本当に終わっているのだろう。

 ……うーん、有能だな?


 私は少し笑ってしまった。


「流石ですね」

「あ、あ……」


 その瞬間、レアの顔がほんのり赤くなった。

 いや、ほんのりどころじゃないな。かなりわかりやすく赤い。

 金髪で、元気で、今にも「は、はいっ!」ってもう一回言いそうなテンションだったのに、急にしゅっと縮こまるのがちょっと可愛い。


「ありがとうございます!!」

 そしてやっぱり元気に返ってきた。

 うん、可愛いなこの人。


 ……と、そこで私は、ふと妙な悪戯心を覚えた。


 いや、ほんの少しだけだ。本当にほんの少し。

 それに、単なる意地悪ではない。

 好感度を稼ぐのも大事だし、今後この人と一緒に動くなら距離感を見ておきたい。あと、せっかくならまだ使っていないスキルも試してみたい。

 そう、これは検証だ。検証。たぶん。


 私はゆっくりと立ち上がった。レアが、少しだけ緊張したように姿勢を正す。

 私はそのまま振り向き、彼女の前まで歩み寄った。


「え、あ、ラウラリア様?」

 明らかに戸惑っている。

 うん、反応が素直でよろしい。


 私はその手をそっと取った。触れた瞬間、彼女の肩がぴくっと揺れる。

 そこへ、穏やかな笑みを乗せる。甘く、柔らかく、でも決して軽くはない、信頼と感謝をそのまま形にしたような微笑み。

 そして、意識の内側でそっとスキルを選んだ。


【魅惑の微笑み】


 発動に大仰なエフェクトはなかった。

 ただ、自分の中の空気が少しだけ滑らかになる感覚があって、視線や声の落ち方がいつも以上に通るのがわかった。

 これ、相手にはバレないし結構有用かもしれない。


「ありがとうございます。……助かりました」

 そうしてゆっくりと穏やかに微笑む。


 次の瞬間。


「はひぃ!」

 すごい声が出た。


 私は危うく吹き出しかけたが、そこはさすがに堪えた。

 いや、無理でしょ今の。はひぃ!って。そんな漫画みたいな声出る?でも現実に出た。出てしまった。


 レアは顔を真っ赤にしていた。

 もう何というか、林檎とかそういうレベルである。

 しかも目まで潤んでる気がする。え、そんなに? そんなに効く?

 【高位魅了】と【美形】に【魅惑の微笑み】が乗るとこうなるのか。シナジー強いな。

 いや、強いとか言ってる場合じゃない気もするけど。


「そ、それではっ!!」

 レアはものすごい勢いで手を引っ込めるように一礼した。


「ダンジョンに関する資料を持ってきますっ!!」

「え、あ、はい」

「し、失礼しましたぁ!!」


 そして本当にそのまま、ばたばたと出ていってしまった。


 扉が閉まる。

 部屋に一瞬、妙な静寂が落ちる。


 私はそこでようやく、くすくすと笑いを漏らした。

 いや、だって、面白いでしょう今の。可愛かったし、反応が素直すぎたし、あと何よりスキルの効果が予想以上にちゃんと出た。

 これ、たぶん対人ではかなり強い。強いし、使いどころを間違えると危険だな。

 まあ、今回はレア相手だったのでだいぶ柔らかい実験だったけど。


「……性格悪いなお前」

 横から、呆れた声が飛んできた。


 私はまだ少し笑いを含んだまま、そちらへ顔を向ける。

 カイが、かなり露骨に呆れた顔をしていた。

 すました顔は保っているのに、その内実が「お前今絶対わかってやっただろ」一色なのがよくわかる。


「そう?ちゃんと感謝しただけだけど」

「嘘つけ」

「部下の好感度調整は大事な事だよ」

「それをあのやり方で取りに行くのが性格悪いって言ってんの」

「褒めてる?」

「残念ながら褒めてない」

「残念だなぁ」

「そのうち刺されるんじゃないか?」

「怖いこと言わないで」


 でも、私は笑顔のままだった。だってちょっと面白かったし。

 それに、ラウラくんは人誑しという設定だから、少しくらい人を翻弄するくらいでちょうどいい気がする。

 ……いや、それを本人が言い出すとだいぶ危ないかもしれないけど。


「まあ」

 私は椅子に戻りながら肩をすくめる。


「今後は気をつけるよ」

「絶対気をつけないやつの言い方」

「失礼だなぁ。使いどころはちゃんと考えるって意味だよ」

「全然反省してねぇなこいつ」


 そこで再びノックが鳴った。

 私はもう一度姿勢を整え、今度は少しだけ笑いを引っ込めて「どうぞ」と返す。

 入ってきたレアは、さっきよりは持ち直していたが、それでもまだ耳まで赤かった。

 しかも、両手に抱えた資料をやけにしっかり持っているあたり、だいぶ気を張っているのがわかる。

 可愛いなぁ。いや今はそういうことを思ってる場合ではない。


「ダンジョンに関する資料をお持ちしました!」

「ありがとうございます、レア」

「い、いえっ!」


 やっぱりちょっと揺れてる。

 でも仕事はしっかりしている。さすが直属の部下。しかもバルタザールに選ばれているだけある。

 レアは机の上へ資料を並べると、深呼吸するように一つ息をつき、それからきっちり説明を始めた。


「現在、赤の塔についての初動分析がまとまりました」

「はい」

「まず、現時点で見込まれる利益ですが……」


 彼女は一枚目の紙をめくる。

 私は自然と身を乗り出した。カイも同じだ。

 次の一言を聞いた瞬間、私たちは二人とも、表情を崩さないようにしながら内心で盛大にひっくり返ることになる。


「週に、およそ100万円セルほどの利益が出る見込みです」

「「……」」


 すました顔をしていた。

 私はちゃんと、すました顔をしていたと思う。

 ラウラリア・ラ・ヘルとして、部下の報告を落ち着いて受け止める顔を、たぶんきちんと維持できていたはずだ。

 でも頭の中では、完全に「えっっっ!?」ってなっていた。


 週に?100万円セル?

 いや、セルの換算比率とかを厳密にどう見るかにもよるけれど、少なくとも利益が週にそれだけ出る見込みという言い方をされた時点で、だいぶ大きい。

 しかもこれ、初動なのだ。まだ調査が始まったばかり。噂も十分に広まっていない。ギルドの依頼も本格的には回っていない。それでこれ?


 横を見る。

 カイもきちんとした顔をしていた。していたが、目だけがちょっと泳いでいた。

 うん、気持ちはわかる。かなりわかる。あなた今、たぶん内心で「そんなに!?」ってなってるでしょ?私もなってる。


 レアは何も気づかないまま、真面目に続けた。


「もちろん、これは初動かつ保守的な見積もりです」

「保守的」

「はい。現時点では、調査と攻略の人数がまだ限られておりますので」

「なるほど」

「しかし、新しいダンジョンの噂が広まり、ギルドで依頼が本格的に流通し始めれば」


 彼女は次の資料を示した。

「冒険者の数、素材の流通量、報酬消費、周辺施設の利用率などが一気に上昇する見込みです。結果として、利益はさらに増加すると考えられます」


 ……。

 ……えー。


 すごいな!?いや知ってたよ?

 ダンジョンが資源だってことは知ってたし、利益が出るって話も理解していたし、父上が私へ経営を任せようとした時点で大きい話なんだろうとは思っていた。

 でも、具体的な数字として「週に100万円セル」が出てくると、急に生々しくなる。

 生々しいというか、現実味がありすぎて、逆に少し笑いそうになる。


 現実のお金に換算したら週に10万、つまり月に30万以上は稼げるのである。まあこれら全てが私の個人資産になるわけじゃなくて、その三割ぐらいだろうけど。

 それでも月に12万。ヤバくない?ヤバいね。

 年収にすると144万以上、バイトしないでこれとは恐ろしい。


 しかも、これ、まだ入口なのである。

 これから侵入者が増えて、階層が深くなって、資源の種類が増えて、報酬設計が洗練されていけば、もっと伸びる。

 つまり、ダンジョン経営、かなりやばい。


「……そうですか」

 私はなんとか穏やかな声を保った。


「思っていた以上ですね」

「はい」

 レアはきりっと頷く。


「赤の塔は発見されたばかりで初期の注目度が高く、固有資源の魅力も確認されております。今後、より明確に稼げるダンジョンとして認識される可能性が高いかと」

「なるほど」

「ですので、管理体制と攻略導線の整備が急務となります」

「……ええ、そうですね」


 急に現実の会議っぽくなってきたなぁ……と、私は少しだけぼんやりした。いや、現実なんだけど。

 ゲームの中なんだけど、このへんの手触りが妙に現実のそれすぎるのだ。

 この世界、本当に何なんだろうね。


 カイは静かな顔のまま咳払いを一つした。

「……かなり有望、ということか」

「はい」

 レアが頷く。

「少なくとも、見つかったばかりの新規ダンジョンとしては極めて有望です」


 その言葉に、私はちらりとカイを見た。

 カイもこっちを見ていた。

 二人ともかなり落ち着いた顔をしているのに、内心ではたぶん、似たようなことを考えている。


 ――いや、そんなに?


 そういう顔だ。

 すましたままで驚くのって、わりと難しい。

 でも、今の私たちはなんとかそれをやっていた。えらい。


 そして、その時だった。

 私たち二人の視界の前に、同時に淡い光のウィンドウが開いた。

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