領春にして花木深し
フランチェスカ・ウァレリア・フォン・ミッチェルという一人の人間のことだけじゃない。
ミッチェル領そのもののことも言ってる。
◆
「はい、チーム・ミスリルの瑠璃ちゃんです。」
「こんにちは、同じくミスリルです。」
「変だね。」
「なにが?」
「荒野まで水が来てる。」
「ええ。」
「水路を引くって、土地を下げることだから。」
「……。」
「持っているあいだは、豊かになる。でも、管理を失えば。」
「ええ。」
「本来沈むはずではなかった場所まで、その低さに従って沈む。」
「そうね。」
「いや、落ち着きすぎでしょ。」
「そうかしら。」
「そうだよ。ここがさ。」
「ええ。」
「チェスカ先生が持たせた土地なんでしょ。」
「そうね。」
「風車も、水路も、畑も、区画も。」
「ええ。」
「全部、やろうとした跡じゃなくて、できた跡。」
「そういうこと。」
「なのに今は、これ。」
「そうね。」
「きつい。」
「きついわね。」
ミスリルは、壊れた風車の向こうを見た。
私もつられて、そちらを見る。
「でも。」
「うん。」
「だからこそ、ここへ来る意味があるのよ。」
「どうして。」
「成功したものが、どう崩れたかの形だから。」
「……。」
「最初から無理だった土地なら、こうは残らないわ。」
「たしかに。」
「道も、水路も、区画も、風車も。」
「うん。」
「全部、動いていた時期がある。」
「うん。」
「だから、ここに残っているのは夢の残骸じゃないの。」
「うん。」
「一度は現実だったものの残骸。」
「うわ。」
「なによ。」
「いや、それ。」
「ええ。」
「きついけど、すごく分かる。」
「そう。」
私は、もう一度だけ赤い根を見た。
地表に這い出し、血管みたいに赤い。
「ねえ。」
「なにかしら。」
「これ、ただ放置しただけでこうなった感じじゃないよね。」
「ええ。」
「失敗して。」
「うん。」
「崩れて。」
「うん。」
「それだけなら、もう少し違う壊れ方をする。」
「どう違うの。」
「均一に痩せるか、均一に腐るか。」
「うん。」
「でもここは、変えられている。」
「……。」
「耕すための土地じゃなく。」
「うん。」
「別の目的に。」
「毒を作るための。」
「そう。」
風が吹いた。
壊れた風車は回らない。
でも、水路からあふれた水だけが妙に生々しい。
「チェスカ先生、死の花の意味を変えようとしてたんだよね。」
「そうね。」
「毒草じゃなくて。」
「ええ。」
「部材で。」
「ええ。」
「畑で。」
「ええ。」
「土地を支えるものとして。」
「ええ。」
「でも、ここを見ると。」
「ええ。」
「結局また、死の花に戻されてる。」
「そうね。」
ミスリルは、そこで少しだけ目を細めた。
「ミッチェル一人がどれだけ意味を変えようと努力しようとも、その他の人々にとっては死の花でしかなかったのよ。」
「チェスカじゃないんだ……」
「そうね、この場合。」
「言いたいことがわかるから、きつい。」
私は、思わず黙った。
チェスカじゃない。
ミッチェルだ。
フランチェスカ・ウァレリア・フォン・ミッチェルという一人の人間のことだけじゃない。
ミッチェル領そのもののことも言ってる。
死の花を、死の花のままで終わらせない。
畑にする。
部材にする。
補給食にする。
音を鳴らす。
装置を支える。
土地を支える。
そうやって意味を変えようとした土地そのもの。
でも、外から見れば。
後の人間たちから見れば。
結局は、死の花でしかなかった。
「うわあ。」
「なによ。」
「いや、ひどい。」
「そうね。」
「人だけじゃないんだ。」
「ええ。」
「土地ごと負けたんだ。」
「そういうこと。」
「チェスカが負けた、じゃなくて。」
「ええ。」
「ミッチェルが負けた。」
「そう。」
ミスリルは、壊れた水路の先を見たまま言った。
「別の使い方を選ぶ方が、たぶん早かったのよ。」
「別の使い方。」
「ええ。」
「毒を採る。」
「……。」
「人を集める。」
「……。」
「争いに回す。」
「……。」
「維持するより、その方が短く強いから。」
「最悪だなあ。」
「最悪ね。」
「でも、わかる。」
「そう。」
「わかるから、嫌だ。」
「ええ。」
私は、もう一度だけ辺りを見た。
壊れた風車。
水を抱え込んだ水路。
遠くまで整った道。
そして、赤い根を這わせる畑。
「ねえ、ミスリルちゃん。」
「なにかしら。」
「これ、原著が見つかったとして。」
「ええ。」
「たぶん、読むの、しんどいね。」
「しんどいでしょうね。」
「だって、成功したものが、こうなるんだもん。」
「そうね。」
「しかも、その成功が大きかったからこそ。」
「……。」
「崩れたあとも、こんなにはっきり残る。」
「ええ。」
「うわあ。」
「今日は本当に、そればかりね。」
「だって、うわあ、なんだもん。」
「それはそう。」
ミスリルは、少しだけ笑った。
「でも、だからこそ読みなさい。」
「え?」
「ここまで残るものを作った人の本でしょう。」
「……。」
「読まない方が失礼よ。」
「先生……。」
「先生じゃないわ。」
「でもいまのは先生だったよ。」
「そうかしら。」
「そうです。」
私は息を吐いて、鞄の紐を握り直した。
「じゃあ、行くか。」
「どこへ。」
「原著がありそうなところ。」
「そうね。」
「領館。」
「ええ。」
「なかったら。」
「また探せばいいわ。」
「その言い方、ほんと便利だな。」
「便利よ。」
「でも、その前に。」
「なにかしら。」
「この土地、もうちょっと見る。」
「そう。」
「だって、ここ。」
「ええ。」
「本が生まれた場所でもあるけど。」
「ええ。」
「本が負けた場所でもある気がする。」
「……いい読みね。」
「でしょ。」
「たまには。」
「たまにって言うな。」
異世界ネットは来てないけど。
水はただ、低きに流れる。
穏やかな春の陽気に、花木は変わらず咲き乱れていた。




