041.しはらい
「やっとうちの前を通った!」
買い物の帰りの雪道、北の薬屋の通りかかるなり上がった声に、クレールは飛び上がりかけた。振り返ると、薬屋の前で眉を吊り上げたマーガレットが仁王立ちしている。
「なんだ、マーガレットか……どうしたの?」
「どうしたの、ではないわよ! どうして来ないの! 薬草代、預かっているのに!」
「薬草代? いつの?」
「この間の雪祭り日に! 魔術師様が持っていらした分!」
「……あ」
漸く思い出せば、伸びて来た手によって薬屋の中に引き摺り込まれる。
店内では店主のオリーヴィエが茶を啜っていた。相変わらず、カップの中身は独特な色合いをしている。
「やっと来たのかい?」
「来たというか……捕まったというか……」
卓を挟んで座ると、何故かマーガレットが休憩中の札をかけて入り口の鍵を閉めた。しかも覗き窓に布をかける徹底振りである。
薬草代を受け取るだけではないのかと首を傾げるクレールの前で、オリーヴィエは徐に革袋を取り出しし、木盆の上にひっくり返す。途端、盛大な音を立てて溢れ出す黄金色。
「…………なに、これ」
「前回の薬草の代金」
「レーヌ金貨しかなくない……?」
「安心しな。本物のレーヌ金貨しかないから」
「えぇ……?」
呻き声を上げながら、クレールは既に手元にない依頼書の内容を脳裏に思い浮かべた。
確かに稀少な物ばかりが十枚近くに渡ってびっしりと並んでいたが、揃えられたのは精々八割程度だった。だがここにある金貨は、クレールの両手から溢れるほど。すべて揃えられていたとしても多過ぎる。
「こんなに高い依頼ではなかったと思うのだけれど……?」
「依頼主が色を付けて下さったんだよ」
「迷惑な……」
クレールは恐る恐るこの国の最高価値を持つ貨幣を手に取った。表面に刻まれた、依頼主の伯父であり当代の国王である男の涼しい横顔が憎い。
「金貨なんて使わないのだけれど……」
「組合に預けたら? 家にあったら強盗とか怖いでしょ」
シルヴェ・ティティアには、城とは別に街の人間で構成された組合が存在する。
かつて商店を営む者を中心に作られたその組織の主な目的は共助で、個人では難しい資材人材の斡旋や売買の手助け、資金繰りの援助などが行われている。
多岐に渡る活動の中には私財の貸し借りの仲介もあり、その延長で預金も受け付けていた。
会計監査役には水晶城の官吏が任せられ、また連携している他の領の組合窓口であれば預けた金を引き出せるとあって、商店を持っていない人間も多く入会していた。
当然クレールも入会しているだろうとの思ってのマーガレットの言は、しかしクレールは頷くことができないものだった。
「私、組合に入ってない……」
「えっ。あんたの家、一応シルヴェ・ティティアよね? 何で入ってないの?」
「機会がなくて……?」
組合への入会は、なかなか煩雑な手続きが必要とする。何せ、少なくない財産と信用が絡むのだ。
シルヴェ・ティティアに生まれた者なら水晶城に登録されている個人情報と照合できれば比較的速いが、それでも数日かかる。
「どちらにせよ、ちゃんと持って帰ってよ。こんな大金、うちにあっても困るんだから」
「わかったわ……」
革袋に金貨の山を詰め直すと、想定以上にずっしりと重い。帰路では強盗よりも重さの方が問題かもしれない。
よたよたしながら愛用の籠の奥に革袋を詰めるクレールを眺めながら、ふと思い出したようにオリーヴィエが口を開く。
「そういえば蛇っ娘、魔術師様とお食事したんだって?」
つい一昨日の話だというのに、もう街外れにまで話が広がっている。
渋面になるクレールに、思い出したとマーガレットが声を上げる。
「そういえばそうだ。なんで魔術師様が薬草を持っていらしたのかも聞きたかったんだ」
「マーガレットまで……」
「ほら、外套も脱いで……マーガレット、お茶を淹れておくれ」
「はーい」
これは話し終わるまで帰して貰えないのではないか。しかもこのふたりの気が済むまで。
長くなりそうな予感にクレールは溜め息をひとつ吐くと、帽子と外套を脱いだ。
買い物で歩いたお蔭で少なからず汗をかいていたのだろう。肩に広がった焦がし砂糖色から立ち昇った花の香りに、マーガレットが鼻敏く気付く。
「あんたっていつもいい匂いしてるよね。何の香水を使ってるの?」
長い髪を手櫛で整えながら、クレールは小首を傾げた。
「香水は使ってないわ。寝台にヴェラスピカのサシェを置いているから、それかも?」
ちょうど昨夜サシェの中身を入れ替えたばかりだから、余計に香るのだろう。においの強い薬草を持っていないのも、理由の一つかもしれない。
それで納得するだろうと思ったクレールだが、意に反してマーガレットは怪訝そうな顔をしている。
「ヴェラスピカ? そういう名前の花?」
「あら? 知らない?」
「初めて聞く名前だね?」
「え? オリーヴィエも知らないの?」
揃って首を横に振る祖母と孫娘に、クレールは先程とは反対の方向に首を傾げた。
「あー……言われてみれば、森の外に持って来たことないかも。薬草じゃないし」
「どんな花?」
「薔薇の一種よ。春先になると森の奥に少しだけ咲いているの。気になるのなら、今度サシェを持って来ましょうか?」
「それなら春に持って来てよ。花の状態で見てみたい」
「わかったわ」
冬が終わるまで、まだ三ヶ月以上ある。忘れないように何処かに書いておくべきだろうか。
思案するクレールの前に、花模様が描かれたカップが置かれる。色はオリーヴィエが飲んでいるものとは違って、鮮やかな薔薇色。匂いも、馨しい花の香りだ。
「で? 魔術師様とはその後どうだい?」
「お前も存外そういう話が好きよね……」
気が付くと、一時間も話し込んでいた。そろそろ帰らないと、白蛇が不安がってしまう。
窓の外で舞う雪を眺めていたクレールは、咳き込む音に視線を戻した。
「珍しいわね、オリーヴィエが咳き込むなんて」
街で一、二の腕を持つ薬師であるオリーヴィエは、自分が健康でなければ患者に対して説得力がないと言ってかなり体調に気を付けている。普段から怪しい薬草茶を飲んでいるのもあって、もう長いこと患ったことがない筈だ。
「今年は一段と寒さが堪えるからね……」
オリーヴィエは雑音が混ざった咳を二、三度すると、可笑しな色の茶を啜った。
「まあ、聴きたいことは大体聞けたし。あんたも、雪が強くなる前に帰りな」
「そうするわ」
増えた質量によろめきながら帰路に就くと、家の前に誰かが立っていた。
「……あれ?」
エドガーではない。明るい灰色の髪に、まだ幼さ残る顔立ち。
「政務官様が何か御用でしょうか? 今はお仕事の時間では?」
「……今日は休みを取った」
「左様で」
一体いつからいたのか。庇の下に立つディランは、鼻と頬を真っ赤にして立っていた。
身体を冷やさないためだろう、足元にはいくつもの足跡が残っている。
「取り敢えず、うちに入る? お茶くらい淹れるわよ?」
「……お邪魔する」
家の中は風がない分、外ほど寒くはない。それでも暖かいとは程遠く、ディランは家に入るなり盛大にくしゃみをする。
クレールは外套と帽子を脱ぐと、すぐさま暖炉を兼ねる竈に火を熾した。すぐ沸くように少なめに水を汲み、薬缶を火にかける。
「……へび」
か細い声にクレールが振り返ると、外套を脱ぎかけた態勢でディランが床の上の白蛇が見つめ合っていた。
ディランは血の気のない顔で固まっているが、白蛇の方は珍しい生き物がいると興味津々で首を左右に動かしている。それが余計にディランの顔から色を奪っているのだが、残念ながら白蛇は気付かない。
「グレースちゃん、呼ぶまで毛布の中でお利口さんにしていて」
白蛇は不服そうに紅い瞳を眇めたが、クレールが譲らないのを察すると大人しく寝台へと戻って行った。相変わらず賢いもので、尻尾の先まで綺麗に毛布に仕舞われる。
「ほら、さっさと外套を脱いで。こちらに座りなさい」
「……はい」
今日は随分と素直なもので、ディランは大人しく防寒具一式を玄関脇に掛けると、指示された通りに食卓に着いた。流石にまだ寒いだろうと肩に膝掛けに使っている小さな毛布を掛けてやれば、礼も聞こえてくる。
程なくして沸いた湯で林檎茶を淹れる。これがエドガーであればとっておきの茶葉を出してやるのだが、ディラン相手なら飲み慣れたものの方がいいだろう。
クレールは少し悩むと、最近エドガーが使っている母のカップを取り出した。ポットから林檎茶を注ぎ、たっぷりの蜂蜜を入れて匙で掻き混ぜる。
「はい、林檎茶。蜂蜜入りでよかったわよね?」
「……いただきます」
行儀よくカップを手に取り、ディランはちびちびと茶を啜る。外部から熱が入ったからか、頬に血の気が戻り始めた。
肩の強張りが解けつつあるのを確認し、クレールは対面で頬杖を突く。




