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銀のカルーセル  作者: 白毬りりま
クレール・ネージュは春を告げる

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040.左薬指の意味


 金糸雀色のドレスに袖を通し、焦がし砂糖色の髪を丁寧に梳られる。

 この部屋には鏡台がないため、クレールは今、自分がどのような姿をしているのかわからない。

 ただ崩れかかっていた化粧は一度落とされ、柔らかな花色を含んだ化粧筆が肌の上を撫でたのだけは何とか把握していた。


 借りて来た猫のようにされるがままのクレールに、フィオナは鈴を転がすような声で笑う。


「そう畏まらずともよいのですよ。わたくしは所詮、エドガー様にお仕えする身ですので」

「でも、貴女だって子爵令嬢でしょう?」


 街娘であるクレールからしてみれば、筆頭公爵家子息とそう変わらない。見上げ果てる身分だ。


 クレールにとって貴族というのは、いつだって民の前に立ち、揺るぎない気高さと磨き上げられた賢明さ、そしてそれらに付随する優雅さと上品さをもって道を示す存在だと認識している。少なくともシリウス辺境伯家に生まれる者は皆、そうあらんと努力をしていたから、彼らの存在を尊重してきた。


 つらつらと内心を音にすれば、鏡越しの令嬢は何処か困ったように笑う。


「わたくしは、そこまで立派な存在ではございませんわ」


 迷いのない細い指が、焦がし砂糖色の髪を結い上げる。語る声は、相変わらず優美だ。


「家の意に反して魔術師になったわたくしは、半ば勘当された身。子爵令嬢だなんて名ばかりのものです」


 結い上げられた髪に、ドレスと同じ色のリボンが巻き付けられる。よく見るとそのリボンには、羽根を広げた鳥の姿が刺繍されていた。

 時折視界に入るその鳥の軌跡を目で追いながら、クレールは見開かれていた瞼をゆっくりと戻した。


「それでも貴女のその振る舞いは、貴女が子爵令嬢として磨いて来た結果でしょうに」

「確かにそれもあるやもしれませんが……強いて言うと、わたくしのこの喋りは仕様です」

「仕様?」

「ええ、仕様です。家から離れて一介の魔術師になったので本当はもう少し砕けてもよいのですが、今更変えるのも違う気がしまして」


 リボンが固く結ばれる音がする。リボンから離れた白い手は、そのままクレールの両肩に添えられた。


「だからどうぞ。気楽にフィオナとお呼びくださいな、クレール」


 できましたよ。手渡された手鏡には、申し分なく飾られたクレールの姿が映っていた。


 丁寧に結われてリボンが飾られた焦がし砂糖色の髪に、春めいた色合いを乗せられた愛らしい顔立ち。

 金糸雀色のドレスは初めてだったが、何処かの令嬢と呼ばれても遜色ないくらいには、鏡の中の自分は着熟していた。


「すごい……」

「素材がよいのです、素材が」


 フィオナはそういうが、クレールがやろうとしてもこうはいかない。そもそもこのような色合いを自分に乗せようとは思わなかった。

 睫毛の先、後れ毛のひと房まで丁寧に整えられた姿をまじまじと見つめていたクレールは、鏡越しに合った令嬢の視線に気付いて破顔する。


「ありがとう、フィオナ」

「どういたしまして」


 少し長い金糸雀色の裾に気を付けながら、クレールはゆっくりと立ち上がる。

 今此処に白蛇がいれば見せてやれたのにと少し残念に思うが、彼女が楽しそうに話せば白蛇もよく嬉しそうにする。であれば、今日の土産話を十分に彩る出来事だ。


「では、外套とドレス、あと手袋もお預かりいたしますね」

「ちょっと待って」


 フィオナを制し、クレールは空色のドレスの内側を弄る。指先に触れた二つの感触を引き抜くと、黒いペンと翠玉を抱いた金薔薇の指環が卓の上に転がり出た。


「あら、素敵な指環ですわね」

「さっき手袋を外される時に一緒に抜けてしまったの」


 失くしては堪らないと空色のドレスのポケットに仕舞っていたのを、治癒魔術の痛痒さですっかり失念していた。

 危うく洗濯されるところだった指環を左薬指に嵌め直し、クレールは金薔薇の向きを確認する。


 そんなクレールの仕草を、一対の榛色が横から食い入るように凝視する。


「もしやそちら、エドガー様からの贈り物でしょうか?」

「え?」


 何故そう思うのか。訝しむクレールとは対照的に、令嬢の顔に街で偶に見かける娘たちの噂話中の表情が重なる。


「だって、ほら。翠玉はウィリス筆頭公爵家の……エドガー様の目と同じ色ですもの」


 クレールは灰青の双眸を瞬かせ、左薬指の根元で煌めく翠色を眺めた。

 言われてみれば、彼の瞳の色とよく似ている。彼の瞳も、見る度に綺麗だと思う。


「でも、違うわ。エドガーさんからではないの」

「そうなのですか?」

「ええ」


 この指環は、彼と初めて会ったあの雨の瞬間よりも前から、クレールの指に嵌められていた。

 それこそ、風呂や水仕事以外は、就寝時でさえ身に着けている。それほど、クレールの肌にこの指環は馴染んでいた。


「大きさはともかく、翠玉なのに罅割れもくすみも全く見られない……これほど上等な石を用意する者が、エドガー様以外にこの街にいただなんて……もしやその御方は、クレールの恋人か何かで?」

「そんなの、いないけれど」

「いらっしゃらない? 本当に?」

「いないってば」


 あまりのしつこさに辟易するクレールに、今度はフィオナが訝しむ番だ。彼女は腑に落ちないと思案の素振りを見せていたが、程なくして何かに思い至ったような顔に変わる。


「もしや、左薬指に指環をする意味をご存知ない?」

「……意味なんてあるの?」


 クレールが小首を傾げれば、フィオナは大ありだと言わんばかりに大きく頷いた。己の手の甲が見えるように、広げた左手を掲げる。


「魔法的に、この指は契約を意味します。この指を介して施した約定は、必ず果たさなければならない。そういう、重い意味が」

「そう、なの?」

「ええ。その約定を破ると呪いが発動し、破った者の心臓を破裂させてしまうのです。今では魔術師でない方々にもこの話は広がって、最近は一般の方が婚姻時に魔法の代わりに指環を贈り合ったりするそうですわよ」

「そうなの!?」


 昔、似たような内容で指環を題材にした恋愛小説を読んだことがある。てっきりあの作品の中だけの意味だと思っていたが、まさか現実の流行だったとは。


 視線を落とせば、金薔薇に抱かれた翠玉は見慣れた輝きを返している。


「ずっと前に貰ったのだけれど、誰に貰ったのかは忘れてしまったの。でも魔除けだと聞いたから、なんとなくずっと着けているだけ」

「まあ、魔除けですわよね……不用意に不埒な殿方を近付けないという意味では」


 クレールは頬を引き攣らせた。そういう意図があるだなんて、全く知らなかった。


「もしかして、この指環を外したら呪われたりする? 私の心臓、破裂しちゃう?」

「呪いや呪詛というのは、魔法の一種であって魔術ではございません。魔法が飛び交っていたという大戦時ならまだしも、普通の人間には使えませんわ。魔術師同士の約定であっても、ちょっと痛い目を見るくらいです」

「何かしらの痛い目は見るのね……?」


 失くすことはないだろうし、これからも身に着ける予定だが、扱いには気を付けた方がいいのかもしれない。

 外れてしまわないよう、何度か左薬指の根元に指環を押し込む。そんなクレールの姿を見て、フィオナは尚も尋ねる。


「本当にどなたから頂いたのか覚えていらっしゃらなくて?」

「随分と気にするのね?」


 問うてみたのは、ほんの気紛れだ。何せ、クレールは他人のそういうあれこれに然程興味ないのだ。

 一方のフィオナは、クレールとは逆に年頃の娘らしく澄まし表情になる。


「我らが主の意中の君なのです。気になるのは当然でございましょう?」

「当のエドガーさんは、気にしていないようだけれど?」


 彼は手袋をしていないクレールに何度も会っている。当然、こんなにも目立つ指環が目に入らない訳がない。


「エドガー様は格好つけなのです。気になっても口になさるような方ではございませんわ」

「なるほど……?」




 フィオナとの入れ替わりで、エドガーが食事を乗せた盆を持って入室してきた。

 彼は春色で仕立て上げられたクレールを見るなり、翠の双眸を丸くする。


「いつもと全然雰囲気が違う」

「似合わない?」

「そんなことはない。とても可愛いよ」


 裏のない率直な台詞に、クレールは思わず頬を赤らめる。


「流石に腹が減っただろ。食事にしよう」

「それは城の料理?」

「いや、グレンが今日行くはずだった店から料理を預かって来てくれたらしい」


 温め直されたのか、卓に並べられる皿からはどれも食欲をそそる香りが立ち昇っている。特にいくつもの具が主張しているシチューなんて見た目にもよく煮込まれていて、クレールはいそいそと引かれた椅子に腰かけた。


「右手は使えそうか? 食べさせた方がいいか?」

「自分で食べられるのでご心配なく」


 包帯が巻かれた右手を開閉して見せれば、何故か少し残念そうな顔をしながら、エドガーは向かいに座る。


「貴方、いつもここで食事をとっているの? 城には大食堂があるわよね?」


 水晶城の上級客室が並ぶこの棟は、城勤めの者でもあまり近寄らない。雪が降っているのも相まって、室内どころか廊下まで随分と静かだ。しかも城の厨房からは随分と遠い。

 城勤めの者がよく利用しているという施設を挙げれば、彼は向かいで肩を竦める。


「普段は執務室がある階の休憩室か、翠の塔にある俺の部屋だな……俺が大食堂に行くと、周囲が恐縮して食事どころではなくなるんだと」

「そういえば貴方、筆頭公爵家の御子息様だったわね。何故か一介の街娘の家でお茶を飲んでいたりするけれど」

「君の家は落ち着くんだ。家主の趣味がよく表れていて」

「だから女の子がお茶汲みするお店にはいかないの?」


 途端、あからさまにエドガーが噎せ出す。どうやら格好つけは上手くできなかったようだ。


「不意に撃つのはやめてくれ、クレール……」

「撃ったつもりはないのだけれど」


 綺麗な彫刻が施されたグラスに水差しの中身を入れてやれば、エドガーは礼を言って一気に煽る。


「ねえ、エドガーさん」

「今度はなんだ?」

「貴方は左薬指に指環を嵌める意味をご存知?」


 青年のグラスから離れようとしていた手が止まる。ほんの一瞬のことで、先程に比べれば秀麗な顔も平静な表情だが、クレールは見逃さなかった。


「もちろん知っているさ。結構知られた話だからな」

「そう。私はフィオナさんに聞いて今日初めて知ったわ。知らずに指環をしていたの」

「そうか」

「でも誰から貰ったのか、全く覚えていないの……私は薄情なのかしら」


 指環の寸法からして、中指でも人差し指でも……それこそ右手でもよかった筈なのだ。

 だが自分はいつも左薬指に嵌めている。呼吸をするのと変わりない当たり前さで、毎日。


 だからきっと、最初にこの指に嵌めたのは、贈ってくれた誰かなのだ。


「忘れていても大切にしているのなら、それは薄情ではないさ」


 そう言ってくれた指環と同じ翠色があまりにも穏やかなものだったから。

 クレールは今まさに燻らんとしていた吐息を、そっと吐き出した。




 食事が終わる頃、鐘の音が聞こえてきた。これは昼の始業時刻を告げる城内の鐘だ。


「俺は仕事があるから行くが、君はドレスが乾くまで此処で自由にしているといい」


 言いながらエドガーは、壁際の棚のひとつを指差した。木だけでできた他の棚とは違い、全面が硝子扉でできた棚だ。


「そこの棚にあるのは、俺が王都から持って来た本だ。国内にあまり出回っていない魔術書も士官学校で教本代わりに使われている兵書もある。君が読んだことのない物もあるだろう」


 硝子扉を開けると、中には彼の言う通りの本が詰まっていた。てっきり装飾品が飾られていると思っていたクレールは、目を輝かせて並ぶ背表紙を見上げる。


「では」

「あ、待って」


 退出しようとするエドガーに、クレールは黒いペンを本来の持ち主に差し出した。


「忘れ物。この間、家に来た時に」

「ああ、俺のペンか。君のところにあったのか」

「――貴方、わざと置いていったでしょう?」


 詰問に似て問いかければ、翠の双眸が気不味げに泳ぐ。


「わざとというか……念のためというか」

「私が返さなかったらどうするの? もし、私が売り飛ばしたりしていたら?」

「君はそんなことしない。絶対に」


 妙に確信めいた声音は、だが寧ろ彼女の気を逆撫でるものだった。


「そう思うのなら余計に、こういう試すようなことはしないでくれる? 正直、あまり気分はよくないわ」

「すまない……配慮が足らなかった」


 目に見えて項垂れる青年に、クレールは唇を尖らせた。ちょっと文句を言って釘を刺したかっただけなのに、こんなにもしょげられるとは思わなかったのだ。


「まあ……誘ってくれたのは嬉しかったわ。貴方の予定とは違ってしまったのでしょうけれど……手当も、ありがとう」


 半ばぶっきらぼうになってしまいつつでも礼を言うと、エドガーは「こちらこそ」と笑みを零した。




 エドガーは仕事だとかで、帰りはグレンが馬で家まで送ってくれた。

 クレールをグレンに引き渡す瞬間まで何処か悔しそうにしていた姿を思い出し、クレールは小さく笑う。


「今日はありがとう、クレール嬢。最近のあいつは大分忙しそうにしていたから、いい息抜きになったようだ」

「グレンさんもありがとう。送ってくれたのもだけれど、お店の食事を持って帰って来てくれたのでしょう?」

「よかったら今度は一緒に店に行ってやってくれ」

「本人の態度次第で検討します」


 澄まし顔で返せば、エドガーの幼馴染でもある騎士は堪え切れない様子で喉を鳴らす。


「ではお大事に」

「ええ。帰り道、お気をつけて」


 クレールは馬上の騎士が遠ざかっていくのを確認すると、今日あったことを白蛇に伝えるため、小さな家の中に入った。




GWくらいには終わりたい願望がありましたが、労働の一区切りと引き換えに咽喉と鼻が腫れ上がり、奥歯の神経まで圧迫し始めるという地獄のGWが開幕したので、まだまだ終わらないです。

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