No. 1 Drop Out
「どうしよう、どうしよう。遅刻しちゃう」
手元の端末で時間を確認する。画面の時間は8:30。セーフラインなんてものはとっくに過ぎている。中央塔へのスカイレールの出発時間はまだぎりぎり間に合う。
多くの人が住まう”ワンダーランド”。半径1300 km、標高8000 m。空に建設された超巨大企業都市国家。その中心としてそびえたつ塔、ミラースルー。この都市を作り上げた企業グループの象徴であり、私の職場。
そんな職場とも今日でお別れかもしれないです。せっかく新卒から3年頑張ってきたのに。嫌だ。嫌だ。そんなの嫌だ。今日の会議には遅れないでねって言われていた。だというのに寝坊だなんて。走る、走る。一生懸命、始業ぎりぎりに間に合うスカイレールに向けて走る。
カツカツとヒールが地面をたたく。カツカツと工事用機械が地面をたたく。ヒューヒューと空気が耳に流され、音を立てる。ヒューヒューとメンテナンス用の穴を通る風がなく。音と音が近づいて。近づいて……
「あれ」
気が付けばアリスの足は空を切っていた。
「ひ、やぁぁぁぁぁ」
空へと無限に落ちていく。恐怖で意識が落ちていく。落ちていく中、暖かい何かを感じて暗いどこかへ落ちて行った。
頬が誰かにつつかれる。起きる時間なのだろうか。しかし、部屋には母も父も弟もいないはず。なら気のせいだろう。
「おーい」
「うぅん」
「おっきろー」
「まだもう少し」
「起きないのー」
「仕事行きたくない」
「しゃぁねーなぁ。っらぁ!!」
腹部に鈍痛。あれ?これ折れた?と思うほどの衝撃とミシミシという音が無理やりにも頭を起こす。起きなければ殺されると。
「ふ、ふぐぅうう」
「起きたかよ。おねぇさん」
「死ぬ。死んじゃう」
「大丈夫だろ。そんくらい」
うずくまり、お腹をさすりながら、顔を上げる。
そこの厚いパンプス、白と水色のニーソックス、やけに丈の短いホットパンツ、裾と袖の破けた水色のパーカーから白いキャミソール。金髪のかわいらしい女の子がギザギザとした葉をこちらに見せ笑っていた。
「やっと起きたよ。はー生きていてよかったぁ」
「えっと、私。あれ?ここは」
周囲は煤けたコンクリートと汚れて歪んだ金網が空の薄暗い光で照らされていた。今まで生きてきてみたこともない光景と鼻に着く悪臭に戸惑いが湧き上がる。
「えっ。本当にどこ!それにあなた誰!?」
目の前の見覚えのない少女、15才くらいだろうか、がこちらを除くように見ている。彼女が動くたびにボサついた金髪のポニーテールが後ろで揺れているのが目に入る。
「なに?落ちてきたの覚えてないの」
そうだ、出勤中にメンテナンスホールから落ちてそれで……
「えっとここはもしかして」
「気が付いた?そう、ここは”バッドランド”。ワンダーランドの零れものの集まるところ」
「あ、えっと私、”アリス”。アリスっていうの」
彼女は少しびっくりした顔を見せた後、歯を見せて笑う。
「そう、アリスか。いい名前だね。ようこそ、アリス」
手をつかまれ、引きずり起される。予想外の力強さに思わず、勢いあまってまた転びそうになってしまった。
「どんくさいなぁ」
「ええと、ごめん。……えと、名前は」
彼女は笑顔を変えぬまま名乗る。
「あたしも”アリス”っていうんだ」
目を覚ました場所を後にし、金網に沿って歩いていく。彼女、アリスが早く移動しようと言ってきたためだ。私は今どうすればいいかもわからないので彼女の後ろをついていくしかない。
「ねぇ、どこに向かっているの?」
「取り合えず金網の向こう側。ここはあたしの敵がくるから」
「て、敵?」
「そう。鬱陶しいから、とにかく連中の縄張りから出ていきたいの。金網の反対なら来ないし、私の部屋もあるしね」
ということはこのアリスはバッドランドの住人ということだ。正直一刻も早くワンダーランドへと帰りたい。自分の部屋でゴロゴロとくつろぎたい。……
「あの」
「次は何」
「ここがバッドランドってことは、空が暗いのは……」
「そう、あの上にあるのがワンダーランド」
つまり私の部屋は標高8000 mも上空にあるということだ。あまりにも遠すぎるし
「私はどうやってここに来たんですか!?」
「るさいなぁ。落ちてきたんだよ。あそこからヒューって」
そう言って彼女は空に向かって指をさす。
「じゃぁなんで私生きてるんですか」
「そりゃぁ、あたしが助けたから。感謝していいんだよ。こうやって抱きしめて」
彼女の身長も体格も私のものよりも小さい。少女にはるか上空から私を抱えて、無事であるほどの力が、耐久性があるようには思えない。考えられない。いや、一つあるにはある。未だ市販はされておらず、軍向けにも出回っていない。私たちの会社の今後を担う商品の一つ。
「強化筋骨格バンダースナッチ」
「なに、知ってんの?これ極秘だよ」
「貴方何者ですか」
「アリスだよ」
「そうじゃありません。それの情報は表には出ていない。それどころか未だ検証段階にあるはずです。それを知ることができるのはごく一握り」
「いいじゃん別に。私はたまたま実証は出来てるし、後はデータまとめて売りさばく準備するだけだったわけだし」
「あなた、本当に……」
彼女はこちらへと振り返り、こちらへと人差し指を向ける。
「そういうアリスちゃんこそ何者よ」
声音に軽さがなくなる。その視線はまるで鋭い針のように心臓を射抜く。
「わ、たしは」
「ま、いいや。余計なこと知ってんなら、”死刑”にした方が面倒くさくない」
破裂音。銃声だ。突然の銃声に身をかがめる。そして、ドシャリと音を立てて背後に何かが崩れ落ちる。それは頭部から血が流れ出し、灰色の肉を飛び散らせていた。
「なに?え、急に」
後ろの死体にも、銃声にも驚愕していると少女からくつくつと笑い声が聞こえてくる。
見上げるとその顔には、出会った時のような少しいたずらっぽい笑みを浮かべていた。そして、そんな彼女の手だったものは形を変え、銃口を持ったグロテスクなものとなっていた。
「あなた、そんな、ものまで」
様々な衝撃に身が震え言葉が詰まる。
「あはは。こっちも知ってるんだ。本当に優秀だねぇ。そうだよ。寄生型不定形兵装ジャバウォック」
彼女は後ろの死体にも見向きもしないで、膝をおり、こちらへと顔を近づける。彼女の済んだ碧眼がこちらの顔を映す。
「ねぇ、ワンダーランドへ帰りたい?」
そうして、そっと変形していない手でこちらの頬をなぞる。
「あたしね。ミラースルーに用があんの」
手は流れ、耳にある兎型のピアスに触れる。
「あたしがあなたを上に返してあげる。代わりに私をミラースルーに連れて行って」




