第3話 そして、スパイは鮫を狩る
(資金調達して潜伏先の確保……まずは、足場を固めるのよ)
私はギルドの重い扉へと手を伸ばした。
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中は石畳に木のカウンター、壁には案件の張り紙がずらり。
空気には湯気が漂い、どこか緩んだ空気が流れている。
(……隠してるわね。この町、絶対に)
警戒心を解かず、私はカウンターに近づいた。
「こんにちは~!新規登録ですかっ?」
出迎えたのは、栗色の髪をひとつ結びにした若い受付嬢。
ぱたぱたと書類を出してくる。
「ええ」
次元をまたぐスパイ活動において、偽名はほとんど意味をなさない。バレるときはバレるし、隠し通せるなら、それでいいだけだ。
私は無表情のまま、登録用紙に書き込む。
【登録名:ミライ 性別:女 職種:ハンター】
私のメイン武器は腕に装着するボーガン型のアームバレットだ。
軽量かつ高威力、密かに持ち運べて、奇襲にも対応できる。
(この世界でも、十分通用するはず)
記入を終えると、目の前の受付嬢がぱっと顔を輝かせた。
「登録ありがとうございます、ハンターさんなんですね!えっと、ちょうどいい報酬の案件ありますよ~!」
「……報酬が!?コホン…詳細を」
「えっと、町外れに『シャークオーガ』っていう魔物さんが出てて~。家畜や行商さんが襲われて、町のみなさんが困ってるんです…」
(……サメ顔のオーガね。独特だわ?)
肉弾戦特化型。危険度は高い。だが、報酬と地元信用を得るには悪くない案件だ。
「受けるわ」
「わあっ、助かります~!」
彼女は満面の笑みで案件ファイルを渡してくる。
私は無言で受け取り、ギルドを後にした。
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「はあああああ!? 新人ちゃん!!何渡してんの!?」
「えっ、えっ!?わ、わたし、いい案件って思って……!」
「それ達人ランク専用だよ!?シャークオーガ討伐を新人さんに渡すとか、なんかあったらクビ飛ぶって!」
その怒声に、ギルド内が一瞬ざわついた。
壁際の椅子に座っていた大柄な戦士が眉をひそめ、ローブ姿の魔術師が新聞をパタンと閉じる。
剣を研いでいた冒険者たちも手を止め、口々にざわめいた。
「えっ、新人で、あの女の子がシャークオーガ?」
「冗談だろ、あいつって俺達パーティでもかなわなかったって!」
その声にカウンターで受付嬢は顔面蒼白。
「あっちゃぁ…ミ、ミライさん……大丈夫かな……」
(うぅ、私のクビもぉ…)
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ギルドを出た私は、町の外れに向かっていた。
地図によれば、問題の魔物はこの辺りにある緑色の温泉源の近くに出没しているらしい。
(湯気、地熱、視界不良……。条件は最悪)
草を踏みしめ、足音を消す。道中、誰一人見かけないのが逆に、異様な緊張感を高めた。
(やっぱり、この町は表向きと裏の顔が違う……。Badland、恐るべし)
慎重に湯気の立ちこめる温泉地帯へ踏み込んだ瞬間、音もなく、湯気の中から“それ”は姿を現した。
異様に引き締まった筋肉が滑らかに濡れて光り、頭部は鋭いサメの形状、牙がきらりと覗く。
大柄なその体は、温泉の湯気に溶けるように、艶やかに揺れている。
(……これが、シャークオーガ)
私は即座に動いた。
(戦う?いいえ、違う)
私は真正面からぶつかるなんて無駄な真似はしない。
私は湯気のカーテンをすべるように抜け、近くの岩陰へと身を滑らせた。
シャークオーガが大きくゆったりと腕を振り上げるたび、張り詰めた筋肉がぐにりとしなり、濡れた肌が朝陽を受けてぬめりと輝く。
(初登録の私にこんな案件を渡すなんて、ほんと、さすが特級危険指定だわ)
私は岩陰からそっとアームバレットを構える。
狙いは心臓。一撃で仕留める。
射撃装置に指をかけ、呼吸を殺す。
(先手必勝──これが、私のやり方)
一撃で決める!