97:無慈悲な邂逅
「…あら?そのお声は…オーギュスト様でいらっしゃいますか?」
お義父様の悲鳴を聞いた不死王が、そう答えた。
彼女はほっそりとした指を頬に添えて小首を傾げ、大きな目を瞬かせる。その、人と何ら変わりのない仕草にお義父様はおろか私達も呆然としていると、彼女は目を細めて頬にえくぼを作り、無垢と淫靡に溢れる笑みを湛えた。
「…ご無沙汰しております。35年と言ったところでしょうか。暫くお会いしない間に、随分とお年を召されて。大分ご苦労をされたようですね」
「…ネリー殿…私を覚えているのですか?」
「えぇ、勿論。その節は大変お世話になりました」
不死王の言葉にお義父様が愕然とした表情を浮かべたまま恐る恐る尋ねると、彼女は嬉しそうに微笑み、頬に指を添えたまま無邪気に頷きを返す。その、あまりにも普通の人と変わらぬ自然なやり取りに私達は絶句し、二人の会話に口を挟む事もできず、呆然と立ち尽くす事しかできなかった。衝撃を受け止め切れず、私は混乱した頭の中で自問を繰り返す。
…え?この人が…不死王が…私のお祖母ちゃん?
ネリー・オランド。35年前、当時帝国で唯一のS級ハンターまで上り詰めた、優秀な治癒師。そして、当時の皇帝陛下の招聘に応じて不死王と戦い、銀色の短剣を遺してついに帰ってくる事のなかった、私の祖母。
実父からその詳細を伝えられる事もなく、ついに遭う事の叶わなかった祖母が、私とそう変わらぬ若さで目の前に現れ、お義父様と昔話をしている。未だ衝撃から立ち直れないお義父様が、一筋の希望に縋りつくように尋ねた。
「ネリー殿…あなたはもしや、あの戦いで不死王に打ち勝ち、今ようやく、生きて帰って来られたのですか?」
「まぁ、オーギュスト様。そのお年であられながら、未だ随分と純真でいらっしゃるのね?」
お義父様の問いに、彼女は口に左手を当てて朗らかに笑い、優しい声で希望を打ち砕く。
「その様な夢物語など、在ろうはずがないですか。二千にも上る仲間と共に不死王に立ち向かった私達は、不死王の攻撃の前に次々と斃れ、敢え無く全滅しました。ですが流石の不死王も深手を負い、それまでの躰を維持する事ができなくなったため、まだ虫の息で生き残っていた私を選んで憑依し、新たな不死王として蘇ったのです」
「嘘だっ!…ネリー殿が、不死王として蘇っていたなんて…」
「オーギュスト様、そのお年でそんな我が儘を申されては、家臣の皆様が幻滅されますよ?」
駄々をこねる子供をあやすような彼女の物言いに、お義父様が激しく頭を振り、現実を否定する。
生前と同じ姿で現れ、当時の記憶を持ち、おそらくは雰囲気や言葉遣いさえも変わっていない。35年前に喪われた懐かしい光景を否応なしに見せつけられ、お義父様が現実を受け入れられず、混乱している。
不死王。御伽噺で語り継がれる太古の戦いにおいて深手を負い「孔」の奥底で眠りにつく邪龍が、魂を飛ばして強者の躰に憑依した、アンデッドの頂点に立つ存在。その、言い伝えでしか耳にしていなかった存在が祖母の姿を借りて目の前に現れ、私はお義父様と同じくらい動揺し、呟くように尋ねた。
「…ほ、本当にお祖母ちゃんなの…?」
「お祖母ちゃん?…あなたは、どなたかしら?」
私の呟きを聞いた彼女が視線を転じ、私へと目を向ける。その漆黒の瞳に知性の輝きを認めた私は、一縷の望みを賭け、己の胸に手を添えて彼女へと訴える。
「…リュシーです。リュシー・オランドと申します。お祖母ちゃん…貴方の、孫娘です!」
「まぁ、あなた、私の孫娘なの?随分と大きく育ったわねぇ…。確かに目鼻立ちとか、どことなくあの人に似ているわ…」
私の言葉を聞いた彼女は目を瞠り、やがて目を細めて昔を懐かしむように微笑む。そうして彼女は笑みを湛えたままお義父様へと目を戻し、優しい声で窘めた。
「…嫌ですわ、オーギュスト様。叶わぬ想いをご自身の手で慰めるだけでは飽き足らず、孫娘を探し出して歳の差も弁えずに侍らせるなんて」
「…え?」
彼女の指摘に、現実を受け入れられずに苦悩していたお義父様が動きを止め、顔を上げた。呆然とするお義父様の視線の先で、彼女が両足を広げて己の足の付け根に右手を添え、秘すべき部位を衆目の下にひけらかしながら、笑いを堪える。
「…それ程までにお望みでしたら、一言申して下されば使わせて差し上げたのに」
「…っ貴様あああああああああああっ!ネリー殿を、侮辱するなあああああああああああっ!」
「オーギュスト様っ!?」
「公、落ち着けっ!頼むから堪えてくれっ!」
彼女の嘲笑を知ったお義父様が激高し、剣を抜いて駆け出そうとするのを、傍らにいたヴァレリー様とハヤテ様が慌てて引き留める。憤怒の形相を浮かべ、大小二人の男女に渾身の力で押さえ込まれながら、なおも彼女に襲い掛かろうとするお義父様のこれまで見た事もない姿を、私達はただ呆然と眺める他になかった。
幼少の頃に誰もが持ち得たであろう、淡い憧憬。そんな当人が大切に隠し持つ、秘めたる想いを衆目の下であげつらい、最も卑下た表現で嘲笑する。自分の祖母の姿をした彼女の取った行動が信じられず、私の心を切り刻む。
…嗚呼、この人はもう、「人」ではない。人の姿をした、別のナニカだ…。
私は切り刻まれた心と小間切れになった希望に蓋をして、彼女の前に進み出た。意識を切り替え、瞳に戦いの炎を灯す侍女姿の私を見て、彼女が目を瞬かせる。
「…あら。リュシー、どうしたの?」
「気安く私の名を呼ばないで下さい。不死王、貴方は、私が倒します」
「そんな酷い事を言わないで欲しいわ、リュシー。私の愛しい孫娘なんだから…」
「貴方は断じて、私のお祖母ちゃんなんかじゃないっ!」
目尻を下げ、困ったように微笑む彼女を決して受け入れまいと、私は右腕を振り払って声を荒げる。お義父様を庇うように右腕を広げ、立ちはだかる私を見た彼女は嘆息し、両手を体の前へと掲げた。
「…はぁ、しょうがないわねぇ…待望の初孫なのに、初対面早々折檻しなければならないだなんて…」
そう愚痴めいた言葉を口にした彼女は、体の前で両掌を広げ、呟き始める。
「…男神よ、主の赦しも得ず大地を這い回る…」
「…暗黒魔法っ!?」
彼女の言葉を耳にした私は、左の籠手に右拳を添え、スリットに納められた2本の仕込みナイフを指の間に挟んで引き抜いた。
彼女がどんな暗黒魔法を唱えているのか私には見当もつかないが、発動に詠唱が必要である事が分かっただけで十分。私の殺人光線の方が射出速度で上回り、後の先が取れる。そう判断した私は右足を後ろに引いて腰を落とし、右拳を引き絞って彼女に狙いを定める。
「…不遜の者達に罰を…ぐぅっ!?」
そうして私がそのまま右拳を振り抜こうとしたところで、突如彼女が苦悶の表情を浮かべ、詠唱を止めて胸を押さえ付けた。
「…え?」
「…ぐっ…ぅうぅ…」
彼女の突然の変貌に私は振り抜こうとした右拳を止め、苦し気な彼女に目を奪われる。私はおろか、お義父様や坊ちゃん達も動きを止める中、彼女は前屈みで胸元を押さえ、苦しそうに身を捩る。
やがて、胸に手を当てたまま苦しそうに顔を上げた彼女は、深呼吸を繰り返しながら私に縋るような目を向け、力のない声で呟いた。
「…待って…リュシー…」
「…お…祖母…ちゃん…?」
「…」
助けを求めるような彼女の声に私が思わず問い質すと、彼女は苦しさに顔を顰め、黙ったまま頷きを返す。その、必死に己に抵抗する彼女の姿に私は引き絞っていた右拳を下ろし、もう一度、恐る恐る確かめた。
「…お祖母ちゃん…生きているの…?」
「…もう少し、もう少しなの…ぐぅ…」
「…お祖母ちゃん、頑張ってっ!」
彼女の生存を知った私は知らず知らずのうちに両の拳に力を籠め、苦しそうに身を捩る彼女を繰り返し励ました。彼女の体内で繰り広げられる孤独な戦いの趨勢を私達が固唾を呑んで見守る中、やがて彼女が力なく顔を上げ、救いを求めるように左手を上げる。
「…リュシー…」
「お祖母ちゃん…」
「…ありがとう。――― 与え給え。≪邪罰≫」
「…え?」
彼女に応えようとした私の足元に巨大な魔法陣が浮かび、天空に向かって漆黒の帯が立ち昇る。突然の事に私は呆然としたまま、周囲を次第に取り囲んでいく漆黒の帯を眺める。
「リュシー、避けろっ!」
ドン。
その直後、私は怒声と共に背中を突き飛ばされ、勢い良く漆黒の檻から放り出された。
「…痛っ!?」
背中を突き飛ばされた私は右手に持った仕込みナイフを手放して地面に膝をつき、その痛みに顔を顰める。そして、我に返った私は慌てて背後へと振り返り、私を突き飛ばした、橙色の髪と碧氷の瞳を湛えた端正な顔立ちの若い男と見つめ合う。
「…坊ちゃ…」
そうして私の目の前で、上空に向かって巨大な漆黒の柱が立ち昇り、――― 彼の体が柱に呑み込まれた。




