96:不死王との対峙
「…え?陛下、此処にいらっしゃらないの…?」
羊の月の26日。
サン=スクレーヌに到着したカサンドラ様は、出迎えた私達の言葉を聞いて、目を瞬かせた。背後に並ぶヴァレリー様、セヴラン様共々、呆けた顔で立ち尽くす三人に、私はおずおずと答える。
「え、えぇ…。陛下は不死王が東進すると予想し、帝都オストリアに兵力を集中して迎撃態勢を整えています。サン=スクレーヌには、私達聖女三人を除けば、ラシュレー家の保有する軍しか居りません」
「…フランシーヌ?」
私の答えを聞いたカサンドラ様が傍らに目を転じると、フランシーヌ様が胸元で両手を組み、上目遣いで舌を出す。
「…ごめんなさい、姉様。こうでもしないと、姉様を引っこ抜けなくって」
「…そうだった…あなた、日頃お淑やかなくせに、いきなり別人のように破天荒になるものね…。ここ数年大人しかったから、すっかり忘れてたわ…」
フランシーヌ様の無邪気な白状を耳にして、カサンドラ様がこめかみに指を添え、頭痛を堪えるように顔を顰めた。この人、昔から常習犯だったのか。天真爛漫なフランシーヌ様の新たな被害者に私が心から同情を寄せていると、お義父様がカサンドラ様の前に進み出て一礼する。
「…ですが、フランシーヌ様の機転が無ければ、我々は最大の敵を前に自ら兵力分散の愚を犯すところでした。兵数こそ2個大隊、1200名余りしか居りませんが、対アンデッドとしては現在この大陸で執り得る最強の布陣だと自負しております。カサンドラ様、御無沙汰しております。遠路はるばるリアンジュから急行いただき、感謝に堪えません」
「お久しぶりです、オーギュスト様。最後にお会いしてから、もう9年は経ちましたでしょうか。フランシーヌの口車に乗せられ、うかうかと此処まで来てしまいましたが、結果的に最善手となった事に胸を撫で下ろしております。不死王は、今どちらに?」
カサンドラ隊は本来1個大隊、600名余りで構成されているが、フランシーヌ様の偽報に乗せられて絞り込みを行った結果、1個小隊60名余りまで数を減らしていた。しかしその構成は最速、対アンデッド最強を意識した少数精鋭で、半数は高位の治癒師で構成され、≪聖罰≫の使い手も10名いる。60名まで人数を減らした事で機動力が向上し、欺瞞を駆使したフランシーヌ様の巧みな誘導と根回しされた補給体制のおかげで、リアンジュからサン=スクレーヌまで驚異的な速度で一気に駆け抜けていた。その努力が実を結び、お義父様が安堵の息を湛えてカサンドラ様の問いに答える。
「不死王はすでに領内へと侵入しており、現在はサン=スクレーヌの北50キルド付近をゆっくりと南下しております。住民には先んじて南部への避難を呼び掛けてはおりますが、全くの無傷とはいかず、犠牲者も出ております。民意も考慮するとこれ以上の引き延ばしは限界と言え、我が軍は明朝サン=スクレーヌを出立し、不死王と対峙します。カサンドラ様、僅か半日余りで誠に申し訳ありませんが、すぐにでもお休みになられ、行軍の疲れを癒して下さい。お連れの方々の寝所も、全て我々がご用意しております。歓待もできず申し訳ありませんが、それは事が全て済んだ後にでも、改めて」
「承りました。それではお言葉に甘え、本日は失礼を承知で早々にお暇をいただきます。フランシーヌ、陛下の御機嫌取りは、あなたに任せるからね?」
「はぁい」
お義父様の言葉にカサンドラ様は応じ、ラシュレー家の侍女の誘導に従って寝所へと向かう。途中、陛下の対応を丸投げされたフランシーヌ様が膨れっ面で応じ、カサンドラ様は掌をひらひらと振りながら部屋を出て行った。私は、カサンドラ様に続いて部屋を後にしようとしたヴァレリー様、セヴラン様を呼び止め、二言三言言葉を交わした。
「ヴァレリー様、遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございました。ご子息様は健やかにお過ごしであられますか?」
「あぁ、病気一つせず、元気でやって居るよ。流石に此処に連れて来るわけにはいかないからな、リアンジュで乳母に任せている。息子に再会するためにも、一刻も早く片付けないとな」
「リュシー殿、久しぶりだな。また手合わせしたいところだが、今日の明日ではそうもいかぬ。全てカタが付いた後にでも、付き合ってくれ」
「えぇ、セヴラン様。喜んでお付き合いさせていただきます」
お二人は私の言葉に気さくに応じ、互いに再会を祝して握手を交わすと、早々に部屋を出て行く。残された私達が振り返ると、お義父様が気持ちを切り替えるように一つ手を叩き、話を締め括った。
「さぁ、我々も最後の準備を済ませ、明日に備えよう。世界が生きるか死ぬか、全ては我々の肩に掛かっている。必ず不死王に勝ち、生きて帰ろう」
「「「はいっ!」」」
***
翌朝、羊の月の27日。
日が昇る前、東の空が白ばむ頃に私達は起き出し、行動を開始した。決戦を前に流石の坊ちゃんも私を求めるような事はしなかったが、私は坊ちゃんと一緒のベッドで眠り、その日の朝を迎えた。一足早く目を覚ました私はベッドの上で身を起こし、坊ちゃんの寝顔を眺めた後、顔を寄せて静かに唇を重ねる。
「…坊ちゃん、起きて下さい。朝ですよ」
「…あぁ、おはよう、リュシー」
「…ん…」
私が唇を離すと、坊ちゃんが薄っすらと目を開き、ベッドに仰向けになったまま私の顔を見上げる。そして右手を伸ばすとワイングラスを持つように私の顎に三本の指を添え、引き寄せてもう一度唇を重ねた。欲望とは無縁の、唇同士の朝の触れ合い。一緒に朝を迎えるのが自然である事を確認し合う、二人だけの毎日の儀式。私が唇を離して顔を上げると、坊ちゃんが私を追いかけるように起き上がって三度目の口づけを交わし、そうして私達はベッドから下りて顔を洗い、身支度を始める。
下着を身に着け、ストッキングに足を通すと、クローゼットに架けられた、地味な色のお仕着せのワンピースを頭から被って袖に腕を通し、前留めのボタンを一つひとつ留めていく。背部に二本の投げナイフと銀色に輝く形見の短剣を収納した胴衣を着け、その上から白のエプロンを巻いて腰紐を結わえ、爪先と踵に鉄板の張られた革靴を履いた。スカートを捲り、左右の足に脛当てを巻く。左右の耳にイヤリングを着け、耳の後ろの髪を二本の髪留めで束ね、右の中指から小指まで、三本の指に一つずつ指輪を嵌める。左の手首には、二本のブレスレット。そして最後に、白く細い首にまるで首輪のように絡みつく、大きな魔法石をあしらった漆黒のチョーカー。身支度を整えた私は、キャビネットの上に置かれた無骨な籠手を手に取りながら、坊ちゃんへと振り返る。
「…坊ちゃん、ご支度は如何ですか?」
「あぁ、大丈夫だ」
坊ちゃんも日頃の洗練された装いとは無縁の、野戦用の衣服に身を固めていた。土や枯れ木の色を模したカーキ色の外套と同系色のパンツを身に着け、その内側にはくすんだ色のブラウスを着て、頑丈で動きやすい革靴を履いている。ブラウスの上には硬革のベストを着けており、胸部の守りを固めていた。両手の中指には坊ちゃんの触媒でもある指輪が煌めき、その他にも指輪とブレスレットを模した多数の魔法付与装身具を身に着け、物理・属性魔法攻撃に対する十分な対策を施している。相手は不死王であり、魔法付与装身具では暗黒魔法に対抗できない以上、これでも不安が拭えないが、神聖魔法を扱えない坊ちゃんが出来得る最高の装備と言えた。坊ちゃんの装備を見た私は、太鼓判を押すように笑顔で頷き、部屋の扉に手を掛ける。
「さ、坊ちゃん、参りましょうか」
「あ、リュシー、ちょっと待ってくれ」
「どうしました?坊ちゃん」
背後から呼び掛けられた私は、左手に籠手を持ち、扉に右手を掛けたまま振り返る。すると坊ちゃんが私の後頭部に手を回して引き寄せ、己の口で私の唇を塞いだ。不意を突かれた私の口内に坊ちゃんの熱い想いが流れ込み、私は扉に右手を掛け背後へと振り返った姿で、身を震わせる。
「…んんっ…ん…っはぁ…」
「…よし。行こうか、リュシー」
「…もぅ、坊ちゃんてば…」
やがて私を解放した坊ちゃんが至近距離で満足そうに笑みを浮かべ、私は顔を赤くして眉を顰め、恨みがましい目を向ける。出陣前で発散する暇もないのに、この掻き立てられた想いはどうしたら好いんですか。私は未練を振り払うように前を向くと、扉を開け、坊ちゃんと共に部屋を出て行った。
ラシュレー邸の正門へと通ずる敷地内には、ラシュレー家に仕える騎士の他、カサンドラ隊及びフランシーヌ隊の面々の3個小隊、約180名が集結し、私達の登場を待っていた。坊ちゃんと私が玄関に姿を現わすと、屋敷に残ってサン=スクレーヌの留守を預かるマリアンヌ様が振り返り、侍女姿の私を見て嘆息する。
「なぁに、リュシー?あなた、まだその服を着るの?あなたはもうすぐシリルと結婚するんだから、もうソレを身に着ける必要なんてないのに…」
マリアンヌ様の気遣いに私は感謝の笑みを湛えながら、しかし、「ラシュレーの女」に培われた想いを口にする。
「そうは参りません、マリアンヌ様。もうすぐとは言え、今の私はまだ坊ちゃんの侍女なのですから。それに、この戦いは私の『ラシュレー家の家人』としての、最後のお勤めです。この戦いに絶対に勝たねばならぬ以上、結婚などに現を抜かすわけには参りません」
「…そうね、その通りね…。リュシー、勝って、無事に帰って来てよね。この利かん坊の手綱を任せられるのなんて、あなたしか居ないんだから…」
「はい、吉報をお待ち下さい、マリアンヌ様」
軽口を叩くマリアンヌ様の声の震えに、私は自信を持って答える。そして、ふと辺りを見渡すと、私の親しい、信頼できる人達の、決意を秘めた顔が次々と飛び込んで来た。お義父様、カサンドラ様、フランシーヌ様、ハヤテ様。ヴァレリー様とセヴラン様。そして、背後へと振り返った私の視界に映し出される、坊ちゃんの姿。私は背後に佇む坊ちゃんに一つ頷くと正面を向き、お義父様に一礼する。
「…旦那様、お待たせいたしました」
「あぁ。では、出陣と行こうか」
私の言葉にお義父様は穏やかな笑みを湛えながら頷き、出撃を宣言する。
お義父様に率いられた3個小隊、185名はラシュレー邸を出立し、サン=スクレーヌ郊外へと進出。其処に集結していた2個大隊と合流し、合計1,335名が北部に向けて進軍を開始した。
サン=スクレーヌを進発した私達は5時間ほど北上を続け、山野を抜けて開けた草原へと出ると其処に陣を張り、休息を取りながら不死王の到着を待った。辺りに人里は存在せず、なだらか山並みと鬱蒼とした森の中に、ぽっかりと穴が開いたように草原が広がっている。草原は起伏の少なく平坦で、疎らに生える樹木を除けば視界を遮るものもなく、大軍を展開するのに都合が良い。そして、此処より南は山野の間を縫うように狭隘な道が続き、それを抜けるとすぐに人里が広がって、侵攻を受けると被害が拡大する。不死王の迎撃に適した、最後の要衝だった。
2時間の休息を終えた私達は直ちに臨戦態勢を取り、不死王が姿を現わすのを待ち続ける。
そして、更に1時間が経過し、日没まであと3時間となった頃。
ついに不死王が、私達の前に姿を現わした。
***
「「「…」」」
鬱蒼とした森の中を走る狭い間道から現れた不死王の姿に、30メルドほどの距離を挟んで対峙する私達は、皆一様に息を呑んだ。
不死王は、たった一人で、2個大隊を超える私達の前に佇んでいた。予め女性と伝えられていたその姿は、長い歴史の中で繰り返し語られる恐怖の権化から来るイメージとは、大きくかけ離れていた。外見年齢は20代と言ったところだろうか、若く眉目の整った美しい顔立ちをしており、童顔で私より年下にも見える。染み一つない透明感のある肌はアンデッド特有の薄い紫色に染まり、ウェーブを描きながら腰まで長く伸びた豊かな髪と、年齢をより若く感じさせる大きくつぶらな瞳は、漆黒の輝きを放つ。そして、小柄で慎ましいながらも均整の取れた体は一切の衣装を纏っておらず、不死王は薄紫色に染まった美しい姿態を、対峙する私達の前に惜しげもなく曝け出していた。その、場に似つかわしくない異様な姿に私達が呆然としていると、背後から悲鳴めいた声が響き渡った。
「――― 嘘だっ!」
「…え?」
思いも寄らぬ声に私達が振り返ると、お義父様が愕然とした表情を浮かべ、硬直していた。日頃穏やかな笑みを絶やさず、常に冷静沈着なはずのお義父様が驚愕を顔に張り付かせ、大きく口を開いたまま戦慄いている。お義父様は、振り返った私達には目もくれず、正面に佇む不死王の姿に目を奪われたまま、口髭を震わせる。そして、剣の柄から右手を離して力なく腕を下ろし、戦意を喪失し打ちのめされた様子で、うわ言のように呟いた。
「…そ、そんな…。――― ネリー殿…」




