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83:オンパレード

 …やっべぇ。タガが外れた。




 ***


「お早うございます、リュシー様。昨夜は良くお休みになれましたでしょうか?」

「えっ!?嘘っ!?ちょっと待って、もう朝っ!?」


 チュン、チュン。


 透き通った女性の声で目を覚ました私は勢い良く跳ね起き、毛布で胸を隠したまま忙しなく周囲を見渡した。


 其処は、魔王都を訪れて百鬼夜行(ハロウィン)を撃滅して以後、1ヶ月に渡って私が暮らしてきた、王族待遇の部屋。領都サン=スクレーヌに在る、旦那様から宛がわれた私室よりも何倍も広く、高価な調度品が幾つも並んでいる。その調度品の列と競うように、美術品としか思えない美しい七人の魔族の女官達が壁際に礼儀正しく並び、部屋の主人()の命令を静かに待ち続けていた。私はカーテンの隙間から射し込む眩い朝の光と、雀の囀りに呆然としながら、恐る恐る視線を落とす。


 私の傍らで、艶やかな橙色の髪を湛えた若い男が背中を向けて横たわり、規則正しい寝息を立てていた。その細く引き締まった上半身が、私が毛布を抱えて身を起こした事で露わになり、呼吸と共に緩やかな上下運動を繰り返して私の目を惹き付ける。私が、彼の背中に幾筋も走る痛々しい引っ掻き傷を目にしてベッドの上で硬直していると、壁際に佇む女官達が一礼し、しずしずと私達の許に歩み寄って来た。


「失礼します。身支度を整えさせていただきますので、ご起床のほどお願いします」

「…っ!?」


 女官の声で我に返った私は、勢い良く毛布を捲って、中を覗き込んだ。毛布の中を覗く私の顔が瞬く間に真っ赤になり、私は自分の身体に目を落としたまま声を張り上げる。


「…いやいやいやっ!ちょっと待った!タンマっ!みんな、其処でストップっ!」


 私の一声の前に、女官達が一斉に足を止める。女官達の視線を一身に受けた私は、茹蛸と化した顔を下に向けたまま、捲し立てるように彼女達に命じた。


「今日は好いからっ!後は自分で着替えるから、みんな部屋を出てってくれない!?」

「…畏まりました。それでは、失礼します」

「…あ、ちょっと待って!」


 一礼し、部屋を出て行こうとする女官達を、私は慌てて呼び止めた。その場で足を止めて振り返った彼女達に、私は毛布で体を隠したまま、真っ赤な顔で尋ねる。


「…お風呂、沸いてる?」

「つつがなく。どうぞ、ごゆるりとお(くつろ)ぎ下さい」


 私の質問に女官達は淀みなく答えると、一礼して部屋を出て行く。私は毛布に包まったまま耳を澄ませ、やがて彼女達の靴音が聞こえなくなると大きな溜息をつき、毛布を捲った。


 毛布の下には、コバルトブルーのドレスがもみくちゃにされた無残な姿で、シーツの上に広がっていた。捲れ上がったスカートが毛布とシーツの板挟みに遭って、形の崩れた押し花のように張り付いている。そのコバルトブルーの生地のあちらこちらに黒い斑点が点々と広がり、高価なドレスに取り返しのつかない染みを付けた事を知って、私は思わず頭を抱えた。視界の隅に暖炉の炎が映り込み、証拠隠滅の誘惑が頭をよぎる。


 あぁ、もう無理っ!ノエミにも相談できないし、なるようにしかならない!


 開き直った私は、羞恥心をゴミ箱に放り込んで身を起こした。漆黒のチョーカーを首につけ、両足にストッキングしか履いていない姿でベッドの上に四つん這いになると、寝ている坊ちゃんの肩をぺちぺちと叩く。


「坊ちゃぁぁぁん、そろそろ起きて下さぁぁぁい。私、お腹が空きましたぁぁぁ」

「…んん?…もう少し寝かせてくれ…眠い…」


 坊ちゃんは少しだけ頭をもたげ、もぞもぞと答えた後、再び横になる。そんな、日頃規律正しい生活を送る坊ちゃんらしからぬ答えに、私は素っ裸のまま腰に手を当て、盛大な溜息をついた。


 まったくもぅ!この人ったら、本当にしょうもない…。


 日頃は決して見せない怠惰な姿が可愛らしく、私は照れ隠しとばかりに愚痴を零す。内心で「この人」と呼んだ事に得も言われぬ優越感を覚えながら、私はとりあえず湯浴みにでも行こうと、ベッドに手を付き、四つん這いで方向転換を始めた。一晩で体を色々作り替えられたような違和感が残り、体に力が入らない。すると毛布の中から坊ちゃんの手が伸びて来て、方向転換中の私の手首を掴んだ。


「…おい、お前、何処に行くんだ?」

「え?…あ、ちょっとお風呂にでも、と」

「…お風呂」

「…え?え?」


 私の言葉を耳にした途端、坊ちゃんが毛布を捲って跳ね起きた。起き抜けとは思えない機敏な動きで四つん這いの私に覆い被さると、一糸纏わぬ姿で私を横抱きに抱え上げ、そのままベッドから下りる。突然の変貌に私は目を白黒させ、浴室へと向かう坊ちゃんの腕の中で左右に揺れながら、顔を上げて恐る恐る尋ねた。


「…え、あの、坊ちゃん?」

「俺も入る」

「えっ!?嘘っ!?ちょっと、待って!坊ちゃん、今絶対違うコト考えているでしょっ!?」

「違わない」

「いや、違わなくないからっ!大体、昨日あれだけシたのに、何でそんなに元気なのっ!?…ね、ねぇ、坊ちゃん、せめて朝ごはん食べてから…坊ちゃぁぁぁぁぁぁぁんっ…!」


 がちゃ、どたどたどた、ばたん。




 …朝ごはん、食べ損ねた。




 ***


「あぁぁぁら、リュシーさん、お見限りねぇぇぇ?昨日の晩餐にも朝食にも顔を出さないものだから、私、心配しちゃったわ。若いって、好いわねぇ」

「アンタ達、がっつきすぎだろ。アタシがシズクを捕えた時も、此処までじゃなかったぞ?」

「…」


 ようやくの事で解放された私が昼食のテーブルに着くと、向かいに座るフランシーヌ様が口に手を当て、「キシシシ」としか表現のしようのない笑みを浮かべる。フランシーヌ様と並ぶハヤテ様の呆れ声に私は顔を上げられなくなり、椅子に腰掛けて縮こまり、真っ赤な顔で俯いた。目の前に置かれたビーフシチューが香ばしい匂いを立て、昨日ほとんど何も食べていない私の食欲をそそる。スプーンを手に取り隣に目を向けると、坊ちゃんが素知らぬ顔でバケットやシチューを次々に口へと放り込んでいた。くそぉ、坊ちゃん、吹っ切れて開き直ったな?私は坊ちゃんに恨めし気な目を向けながらシチューを掬い、口に含むと、濃厚な味が口の中に広がる。食欲に負けた私が次第に手の動きを早めていると、フランシーヌ様がナプキンで口を拭いながら坊ちゃんに話し掛けた。


「昨日の晩餐の際、リカルド陛下からお話がありました。私達の出立の日ですが、祝賀明けの6日でお願いしたいと。5日の夜に壮行会が催されるそうです」

「6日ですが…了解しました」


 山羊の月の1日から5日までは、何処も年始の祝賀でお祭り騒ぎとなる。百鬼夜行(ハロウィン)に蹂躙された魔王国としては大っぴらに祝う事はできないが、それでも戦いに勝利し、復興に受けて気持ちを切り替えるための、一つの区切りにもなる。魔王都から帝国へと戻る、1ヶ月以上にも渡る旅程の準備も考えれば、6日というのは妥当なところだ。坊ちゃんと私はフランシーヌ様の言葉に頷き、帰国に向けた準備に取り掛かる事にした。




 ***


 決闘から一夜が明けた2日の夜から4日まで、私達はこれまで通り両陛下と晩餐を共にしたが、それ以外の魔王家との関りは激減し、リカルド陛下も王妃様も私の部屋を訪れる事はなかった。ヒルベルト様は2日に魔王都を出立して以後、連日被災地の視察に赴いているようで、一度もそのお姿を目にする事はなかった。帰国に向けた手続きなど、一部の外交的な交流を除けば魔王国とのやり取りはなくなり、私はハヤテ様と組手をしたり、フランシーヌ様とお喋りをしながらゆったりとした時間を過ごす。夜になると坊ちゃんが私の部屋を訪れ、私達は繰り返し体を重ね、一緒に朝を迎えた。


 そうして迎えた、山羊の月の5日。私達は魔王家のお招きを受け、壮行会の催される大広間へと姿を現わした。




 決闘からのゴタゴタで互いに衣装を全損した私達は、魔王国の計らいにより新たな衣装を身に纏い、会場を訪れた。私は深紅のスレンダーラインのドレスに身を包み、坊ちゃんは濃灰のベストの上に黒のスーツを羽織り、袖口や襟元から顔を覗かせる白いシャツが黒の基調にアクセントを添える。私達が姿を現わすと、視察から戻って来たヒルベルト様が私達の許へと近づき、お声を掛けて下さった。


「シリル殿、リュシー殿、此度の我が国の救援要請に応えていただき、改めて御礼を申し上げます。物事が落ち着いたら、今度は観光にでもお越し下さい。北西部に広がる湖沼地帯は、幻想的な美しさでありますから」

「ええ、私も以前、風景画を拝見し、一度この目にしてみたいと考えておりました。機会があれば、是非訪問させていただきます」


 ヒルベルト様と坊ちゃんの、社交儀礼に則った歓談を耳にして、私はヒルベルト様の気遣いに内心で感謝した。ヒルベルト様は私に一言声を掛けた後、ハヤテ様、フランシーヌ様とも言葉を交わし、壮行会は和やかな雰囲気の中、何事もなく進んで行く。


 そうして会も終わりに近づいた頃、リカルド陛下が壇上へと進み、思い思いに歓談していた人々が会話を中断して陛下へと目を向けた。壇上へと上がったリカルド陛下は手に持ったワイングラスを軽く掲げ、穏やかな表情で一つ頷く。


「…昨年我が国は未曽有の危機に晒されたが、種族や国の垣根を超えた協力の下、試練を乗り越え、こうして今日、皆と酒を片手に楽しい時間を過ごせるほどまでに回復した。この様な時間を持てた事に、私は改めて深い感謝を申し上げたい。

 特に帝国と獣王国、両国の救援は我々にとって望外の喜びであり、絶望に満ちた我々の心を一瞬にして歓喜へと塗り替えるほどの劇的な結果を齎した。我が国は両国の支援に最大の感謝を贈ると共に、その最大の功績に報いたいと思う。…リュシー殿、前に出てきてくれぬか?」

「え?…あ、はい…」


 突然リカルド陛下に名を呼ばれた私は驚き、傍らに立つ坊ちゃんに目を向けた。坊ちゃんは片眉を上げながら曖昧に頷き、坊ちゃんの意を酌んだ私はリカルド陛下の前に進み出る。リカルド陛下は、傍らに進み出た近侍にワイングラスを渡し、代わりに書簡を受け取ると、不安気な表情を浮かべる私の目の前で封を切って広げた。


「…リュシー・オランド。其方は帝国の臣民でありながら我が国の存亡の危機を救い、生ける人々に多大な希望と信頼を与え、偽りの生に囚われた人々を輪廻の輪へと戻し、新たな生へと誘った。その功績に我が国は最大の感謝を表し、




 ――― 其方を我が魔王国の聖女に認定し、魔法伯への叙爵を認めるものとする」




「…ぷっ!?」


 青天の霹靂とも言える宣告に、私は陛下の目の前にも関わらず、盛大に噴き出した。慌てて両手で口を押さえる私の背後から、坊ちゃんの咳き込む音が聞こえて来る。私は前のめりになって両手で口を押さえた体勢のまま、恐る恐る上目遣いでリカルド陛下に尋ねた。


「…あ、あの、陛下…私は魔王国に留まるわけには…」

「ああ、勿論承知している。これは我が国からの餞別だから、気にせず持ち帰ってくれて構わない」

「持ち帰ってって、お土産じゃないんですから…」


 魔法伯って、確か帝国の伯爵位と同格じゃなかったっけ!?しかも聖女とセットって、どちらも気軽に渡せるものじゃないでしょっ!?


「…アハハハハハハッ!こりゃぁ、凄いっ!母国より評価が上だなんて、傑作じゃないかいっ!」


 自国で不合格となったはずの称号がいきなり他国で降って湧き、私が口を手で押さえたまま目を白黒していると、背後から盛大な笑い声が聞こえた。背後へ目を向けると、ハヤテ様がドレス姿にも関わらず両手を組んで仁王立ちしたまま、呵々と笑っている。私が振り返るとハヤテ様は笑うのを止め、口の端を吊り上げながら、右手で私を指差した。




「この際だから、アタシからもプレゼントをやろう。――― リュシー・オランド、獣王国王太女ハヤテが、其方に北鎮(ほくちん)将軍の称号を授ける」




「ぶっ!?…ハ、ハヤテ様っ!?北鎮将軍って、一体何ですかっ!?」


 背後から将軍位を投げつけられた私は、口を手で押さえたままもう一度噴き出した。ハヤテ様は再び両手を組むと、声を上げずにニヤニヤと笑う。


獣王国(ウチ)は脳筋だから、爵位って考えがなくてね。功績を立てた者には、代わりに将軍位を与えるんだ。その中でも鎮将軍ってのは、王太女が授けられる最高位だな」

「最高位って、どのくらいですか!?」


 私が尋ねるとハヤテ様は顎に人差し指を添え、上を向いて数え始める。


「獣王が兼任する大元帥は別格として、…上から『(せい)』・『(りょう)』・『(ちん)』だから、三番目。ちょうど伯爵ってトコだな!」

「…」


 いや、伯爵位って、そんなポンポン投げ与えるものじゃないからっ!


 私が前後から投げつけられた爵位に塗れて絶句していると、壇上に立つリカルド陛下が顔を綻ばせる。


「リュシー殿、それだけ我々は君を気に入っているのだよ。帝国に愛想が尽きたら、遠慮なく我が国の門戸を叩いてくれたまえ。魔王国はいつでも君を歓迎しよう」

「何だったら、ウチに来てくれても好いよ?」


 嗚呼、コレ、絶対坊ちゃんへの当て付けだ。


 前後を似たような笑顔に挟まれ、視界の外から発せられる明らかに不穏な冷気を感じ取った私は、心の中で観念した。

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