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82:勝者の宴

「「「…」」」


 闘技場に、静寂だけが漂った。


 私達は闘技場を取り囲む防弾壁の隙間から顔を覗かせたまま、闘技場の中央に居る二人の姿を呆然と眺めた。二人は闘技場の中央で折り重なり、人族の男が魔族の男の上に馬乗りになって、喉元に氷の剣を突き付けている。


 やがて馬乗りになっていた人族の男が動き出し、魔族の男の上から体を避けると、その場で立ち上がった。未だ仰向けになったままの魔族の男に手を差し伸べる事もなく、その場に立ち尽くしたまま、傲然と見下ろす。


 そして、右手で握り拳を作ると、魔族の男を見下ろしたままゆっくりとその手を天空へと掲げ、再びその場で動かなくなった。


「「「…」」」


 観客席に居る人々は、一言も発さなかった。リカルド陛下も、王妃様も、魔王国の重臣達も、誰も彼も口を噤み、闘技場の中央で一人静かに勝利宣言する人族の男を見つめている。


 やがて、男が天空へと突き上げていた拳を下ろし、身を翻した。未だ仰向けになったままの対戦相手を放置し、観客席に向かってゆっくりと歩き出す。その猛々しく力強い碧氷(アイス・ブルー)の瞳が私の姿を捉えて離さず、私は()の視線に縫い留められ、惹き込まれ、動きを止める。彼は脇目も振らず私に近づき、闘技場の周囲を取り囲む石壁の手前で歩みを止めた。


「…リュシー、下りて来い」

「…はいっ!」


 彼の、まるで怒っているような低い声が私の背筋を稲妻のように駆け抜け、私は弾かれるように駆け出し、観客席の石段を真っすぐに駆け下りた。履き慣れないパンプスが石畳を蹴る度にカツカツと音を立て、コバルトブルーのドレスが風にたなびく。私はドレスに砂埃がつくのも構わず闘技場へと降り立ち、次第に歩調を緩め、弾む息を整えながら、ゆっくりと彼の許へと歩み寄った。


「坊ちゃん…」


 私は豊かな胸の前で両手を組み、祈るような姿で恐る恐る彼に近づいて行く。彼は相変わらず不機嫌そうな表情で佇み、少しずつ近づく私の姿に傲然と目を向けている。


 彼は、とても勝者とは思えないほど、ボロボロな姿だった。式典のために綺麗に整えられていたはずの橙色の髪は大きく乱れてあちこちで飛び跳ね、煤や土埃に塗れている。暗赤色のスーツと白のブラウスは両袖を焼損して肩口まで短くなり、その縁は真っ黒に焼け焦げている。黒のパンツを含め衣装のあちらこちらが焼けて穴が開き、煤や土埃に塗れて襤褸(ぼろ)と化し、どう修繕しても使い物にならない。


 そして半袖と化した上着から剥き出しになった両腕は、至る所で真っ赤に腫れ上がり、特に手首から肘に掛けて幾つもの火膨れが浮き上がって、痛々しい姿を曝け出していた。


 そんな、火事で焼け出された被災者としか思えない彼の姿に私は胸が締め付けられ、祈るような姿で彼を見上げていると、彼が口をへの字に歪め、焼け爛れた右腕を上げた。一言も喋らず右手を伸ばし、私の後頭部に手を回すと、自分の許へと引き寄せる。


 そして、前のめりになった私に顔を寄せると己の唇で私の口を塞ぎ、――― 私は衆目の面前で荒々しく唇を奪われた。




「っ!?…んっ…!」


 私は体の前で両手を組み、祈るような格好で身を乗り出したまま唇を塞がれ、目を見開いた。後頭部を押さえられ逃げ場を失った私の口の中に、5年もの間鬱積した想いが一気に流れ込む。その荒々しい、有無を言わさぬ暴力的な欲求の前に脳が蕩け、私は衆目の面前にも関わらず彼の求めに応え、目を閉じて祈り乞うような姿のまま、彼の行動に身を任せた。動きを止めた闘技場の中で、二人の唇だけが妖しい蠢きを続ける。


「…ぅん…んんんっ…はぁ…」


 やがて、私に対する想いを存分に注ぎ込んだ彼は、ようやくの事で私を解放した。彼の想いを残さず受け取った私は、そのあまりの濃密さに熱い吐息が漏れる。体の中で膨れ上がった熱い想いが外に溢れ出ないよう、両手で胸元を押さえたまま惚けた顔を浮かべる私に、彼が据わった目を向け、一方的に命令する。


「リュシー、お前は俺のものだ。俺から離れる事は、絶対に赦さない」

「はい…」


 彼の一方的な宣言に私は身を震わせ、熱を帯び頬を染めたまま彼を見上げ、躊躇いなく応じた。私が両手で胸を押さえながら彼に身を摺り寄せると、彼は私の肩に手を回してきつく抱き締め、観客席に並ぶ面々に向かって堂々と宣言する。


「…陛下、この勝負、私の勝ちだ。この女は、ラシュレーに連れて帰る」

「…」


 彼の言葉にリカルド陛下は何も答えず、闘技場に重苦しい沈黙だけが漂う。


 旧敵国の要人に自国の王太子が敗れ、魔王国の希望が叶わなかったのだ。気持ちの整理が追い付かない事は、理解できる。観客席を見渡した私は視線を転じ、傍らに立つ彼に目を向けた。


「…坊ちゃん、私からも一言申し上げさせて下さい」

「あぁ」


 私の言葉に肩を抱く手の力が緩み、私は彼の軛から解放される。私は一歩前に進み出ると、観客席に並ぶリカルド陛下、王妃様、魔王国の重臣達に向かって優しく語り掛けた。


「…リカルド陛下、王妃様、そして魔族の皆さん。国も種族も異なる私を温かく迎え入れ、過分なまでの感謝と期待と栄誉をいただき、本当にありがとうございました」


 背後で土を踏みしめる靴音が聞こえ、誰かが近づいてきた。私は背後へと振り返り、表情を消したヒルベルト様に向かって柔らかく微笑む。


「…そして、殿下。氏素性も分からぬ異種族の女である私にも関わらず、プロポーズの言葉をいただき、誠にありがとうございました。殿下の、身分と種族の垣根を超えた熱い想いに私は胸を打たれ、女としてこれ以上ない歓びを感じております」


 そう答えた私は闘技場を見渡し、宣言する。自分の胸に手を当て、己が何者なのか、己が何のために在るのかを知らしめるため、闘技場に居る全ての人に向かって宣言する。


「…ですが、私はラシュレーの女です。ラシュレーの下で生き、ラシュレーのために働き、ラシュレーの(めい)で死ぬ。その事に何よりも歓びを覚える女です。魔王国の王妃として生きる道を棄ててでも、無位無官のままラシュレーのために死ぬ事を願う、只の女です。

 …陛下、私の幸せを心より願うのであれば、どうかこの私を、このままラシュレー家へとお戻し下さい。我が主君シリル・ド・ラシュレーと共にこの地を去る事を、お許し下さい。それこそが私にとって何ものにも勝る褒美であり、魔王国の私に対する信頼と感謝の証となるでしょう。…坊ちゃん」


 私は首の後ろに手を回し、鮮やかな煌めきを放つ大粒のダイヤモンドのネックレスを取り外した。傍らに立つ彼にダイヤモンドのネックレスを預け、代わりに彼の手から()()を受け取ると、再び首の後ろに手を回す。


 そうして手を下ろした私の首元に現れたのは、――― まるで首輪のように絡みつき、妖しい煌めきを放つ、大粒の魔法石があしらわれた漆黒のチョーカー。


 私が誰の()()かを万人に知らしめる、持ち主の証。




「…よかろう。この決闘、シリル殿の勝利と認める!」


 私の首元の輝きを見つめていたリカルド陛下が、しばしの時を経て口を開いた。為政者の仮面を被り、闘技場の隅に並び立つ私達を睥睨しながら、宣言する。


「…シリル・ド・ラシュレー、リュシー・オランド。我が国の救援要請に応じ馳せ参じてくれた事に、深い感謝を申し上げる。我が国は、此処に百鬼夜行(ハロウィン)との戦闘終結を宣言し、帝国、獣王国両国の救援軍の帰国を承認する。大儀であった」

「はっ」

「ありがとうございます」


 陛下の言葉に、彼と私が静かに頭を下げる。


 陛下がお言葉を述べた後も周囲から拍手は上がらず、戦勝記念式典は決闘と共に、静寂の中で幕を閉じた。




 ***


 フランシーヌ様が私達の許に駆け寄って彼の火傷を治療した後、私達は闘技場を後にした。ハヤテ様、フランシーヌ様と別れた私は、彼と二人で自室へと向かう。私は下を向いたまま歩を進め、自分の足音に続く彼の靴音と、己の心音に耳を傾けた。


 ドクン、ドクン、ドクン…。


「お帰りなさいませ、リュシー様。…っ!?シリル様、何処かお怪我でも!?」


 扉を開けると、室内で待機していた女官達が私達を出迎えたが、その声が驚きへと変わる。私は顔を上げ、驚きの表情を浮かべる彼女達に答えた。


「大丈夫よ。すでにフランシーヌ様が治療したから。今はもう、何処も怪我をしていないわ」

「さ、左様でございますか…」


 私は、曖昧に頷きつつも落ち着かない様子の女官達に微笑み、命令する。


「悪いけど、暫くの間、二人だけにしてもらえるかしら?私が呼ぶまで、部屋に近づかないで」

「え?…あ、はい。畏まりました」


 私の命令に女官達は再び曖昧に頷き、心配そうな表情で部屋を出て行った。扉が閉まり、部屋には私と彼の二人だけが残される。私は部屋の中央で俯き、彼の気配を背中に感じながら、目の前に横たわるベッドをじっと見つめる。彼も私も押し黙ったまま一言も利かず、ただ扉の向こうから聞こえる靴音に耳を澄ます。


 コツ、コツ、コツ…。




 やがて靴音が遠ざかり聞こえなくなった途端、私は勢い良く身を翻し、背後に立つ彼の顔に手を伸ばした。彼の左右の頬を両手で挟み、勢い良く引き寄せると、己の口で彼の口を塞ぐ。「言葉で」だなんてまどろっこしい事をする暇を惜しみ、ただひたすら口と舌で彼を追い求める。


「んっ…ぁむ…んんんっ、はぁ…」


 彼が私の後頭部に手を回し、私達は唇を重ねたまま頭を振り、激しく相手を求めた。興奮と汗の入り混じった、むせるような彼の匂いと舌が私の呼吸を乱し、次第に息が荒くなる。


「…はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

「…はっ、はっ、はっ、はっ」


 相手の舌と共に熱い想いが流れ込み、燃え上がった身体がその想いを加熱して、舌の上に乗せて相手へと送り返す。こうして5年に渡って溜め込まれた想いが互いの身体を循環し、二人の理性を焼き焦がす。


 やがて真っ赤になった理性が焼き切れ、私達は勢い良く頭を引いて、唇を離した。上気した顔を上げ、互いに荒い息と焦点の合わない瞳で見つめ合う。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

「はっ、はっ、はっ、はっ」


 私は顔から視線を外し、彼の上着に飛び付いた。ボロボロになった暗赤色のスーツを脱がし、ブラウスの前留めのボタンを次々に外していく。一番下のボタンがどうしても外せず、私はもどかしさのあまり左右の襟を掴んで力一杯引っ張った。ボタンが弾け飛び、彼の細く引き締まった腹筋が露になる。彼も私のドレスに手を伸ばし、鎖骨の下を横切る襟に手を差し入れて勢い良く引き下ろすと、張りのある二つの膨らみが弾けるように顔を出した。私は自分の上半身が露になった事にも構わず彼の腰に手を回し、彼のズボンの腰紐を緩める。


 突然、彼がコバルトブルーのドレスを捲り、私の左足の膝裏に右腕を差し込んで掬い上げた。私は左足を取られてバランスを崩し、背後のベッドへと倒れ込む。彼が、仰向けに倒れた私の両足を掴んで膝立ちでベッドに乗り込み、私は左右の肘を交互について後ずさる。そうして私は仰向けのまま足を開き、ベッドの上にコバルトブルーの鮮やかな花を咲かせながら、膝立ちの彼と見つめ合う。二人の荒い息遣いが止まり、部屋の中に静寂が漂った。


「…リュシー、好いのか?」

「…」


 私は彼の問いに口を噤み、オンナだけが味わえる至福の時間に酔い痴れた。彼が私に縋るような目を向け、呼吸を止めてじっと答えを待っている。




 ――― もうすぐハタチを迎える若いオトコが、14歳の少年の眼差しで、必死に私に訴えて来る。


 ――― 猛々しいオス狼が、極上の餌を前にお預けをしたまま、まるで子犬のようなつぶらな瞳で、辛抱強く()()の命令を待ち続けている。




「…はっ、はっ、はっ」


 やがて静寂に満たされた部屋の中に、浅い呼吸音が聞こえて来た。彼の口から小刻みに放たれる、抑えきれない熱い想いが、どうしようもなく愛おしい。


 …とってもとっても良い子。よく、我慢できました。


 私はベッドに仰向けに横たわったまま、彼に向かって両手を広げた。満面の笑みを浮かべ、柔らかな声で5年前のあの時の言葉を一語一句違わず繰り返し、彼を(けしか)ける。




「――― さ、坊ちゃん、来て下さい…暖かいですよ…」




「リュシー!」

「…いっ!?んんん、くぅ!?…あっ!坊ちゃんっ!」


 首輪を外され、野に放たれたオス狼が、目の前の餌に覆い被さった。大きく開いた私の両足が彼と共に目前に迫り、私の腰が浮き上がる。体の芯を貫くような衝撃が走り、私は痛みから逃れようと身を捩り、彼の背中に爪を立てて痛みを分かち合った。二人の動きと共にコバルトブルーのドレスが波のように満ち引きを繰り返し、サテンの生地が艶めかしい襞を描く。


「あぁっ!坊ちゃんっ!坊ちゃんっ!」


 5年ぶりに放たれた狼の欲望は留まるところを知らず、私はコバルトブルーの花を咲かせたまま、満ち引きを繰り返す荒波に揉まれ、いつまでも揺れ動いていた。

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