鉄と魔法と、親父の背中
「総員、退避ッ! 発破準備!」
坑道の奥深く、監督の太い声が反響する。
俺、ガントは、二十年間握り続けてきたシャベルを肩に担ぎ、手慣れた動作で防護壁の陰へと身を滑り込ませた。
隣には、まだ髭も生え揃わないような若い鉱夫が、緊張した面持ちで耳を塞いでいる。
「……来るぞ。舌噛むなよ」
「は、はいッ!」
俺が短く声をかけた直後だった。
腹の底に響くような重低音とともに、大気がビリビリと震える。
これは、最近導入された「指向性爆砕魔法」による発破だ。
魔法部隊が杖を掲げ、計算され尽くした角度で魔力を叩き込む。するとどうだ。硬い岩盤は、まるでチーズのように決められたラインで断裂し、崩れ落ちる。
砂煙が晴れるのを待たず、俺たちは現場へと戻る。
そこには、かつてなら一週間かけても掘り崩せなかったであろう量の鉄鉱石が、見事なまでに細かく砕かれ、うず高く積まれていた。
「すげえ……一瞬で十メートルも進んでやがる……」
新人が目を丸くして呟く。俺は無言で、その光景を見つめていた。
この鉱山に勤めて二十年。俺は「鉄喰らいのガント」なんて呼ばれる古株だ。
昔は違った。カンテラの薄暗い灯りを頼りに、岩盤の「目」を読み、ツルハシ一本で少しずつ、本当に少しずつ掘り進んだもんだ。
一日中、汗と泥にまみれてツルハシを振るい、進めるのはせいぜい数十センチ。硬い岩盤に当たれば数センチなんて日もあった。常に落盤の恐怖と隣り合わせで、カナリアの鳴き声に耳を澄まし、坑道の支柱が軋む音に震えながらの作業だった。
だが今はどうだ。
俺たちの仕事は「掘る」ことじゃなくなった。
魔法使い様がドカンとやって、俺たちはそれをトロッコに積み込む。あとは敷設したレールの上を鉄の塊がスムーズに滑っていき、近くの精錬所へと運ばれていく。
「さあ、積むぞ! 次の発破が待ってる!」
「へい!」
俺はシャベルを突き立て、砕かれた岩をすくい上げる。
採掘量は、昔の二十倍になったそうだ。サージョが来てから、給料も上がった。安全帽も支給された。坑道には魔法の明かりが灯り、崩落防止の柵も大幅の強化された。
楽になった。圧倒的に楽になったし、安全になった。
重労働であることに変わりはないが、昔のように「今日死ぬかもしれない」というヒリついた感覚はもうない。
(……良いことだ。良いことのはずなんだがなぁ)
俺はトロッコに石を投げ入れながら、ふと、自分の掌を見つめた。
分厚いマメと、染み込んだ鉄の臭い。
岩盤と対話し、命がけで山から恵みを奪い取る。あの頃の、職人としての誇りのようなものが、この便利な爆音にかき消されていくような気がしてならなかった。
ただの「運び屋」になっちまったような、そんな寂しさが、胸の奥で燻っているのだ。
◇
「お疲れさんッした!」
「おう、また明日な」
夕刻、終業の鐘が鳴り響く。
鉱山の出口で新人と別れ、俺は家路についた。
整備された街道沿いには、サージョ商会が建てた酒場や商店が並び、かつての寂れた鉱山町の面影はない。どこもかしこも活気に溢れている。
自宅のドアを開けると、煮込み料理の温かい匂いが鼻をくすぐった。
「ただいま」
「ああ、お帰りなさい、あなた」
妻のマーサが、エプロンで手を拭きながら出迎えてくれる。
二十年連れ添った古女房だ。若い頃は村一番の美人だったが、今は肝っ玉母さんという言葉が似合う、俺の自慢の伴侶だ。
「今日はどうだったんだい? 山の方は」
「ああ、いつも通りだよ。魔法部隊様のおかげで、山がバターみたいに削れていくさ」
俺は作業着を脱ぎながら、食卓についた。
マーサがたっぷりと注がれたエールのジョッキを置いてくれる。俺はそれを一気に煽った。
「……なぁ、マーサ」
「なんだい? 改まって」
「俺は、最近思うんだよ」
俺は空になったジョッキを置き、ぽつりと漏らした。
「俺の仕事は、鉱夫なのか?」
マーサが怪訝な顔をする。
「どういうことだい?」
「昔はよ、岩の呼吸を読んで、俺の腕一本で道を切り拓いてた。だが今は、魔法使いが全部やってくれる。俺はただ、出たゴミを片付けてるだけみてぇだ。……なんつーか、張り合いがねえというか、寂しいもんだよ」
俺は、昼間感じていたモヤモヤを吐き出した。
危険が減ったのは良いことだ。それは分かってる。でも、男としての戦場を奪われたような、そんな虚しさを誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
話を聞き終えたマーサは、しばらく黙って俺の顔を見ていたが、やがて呆れたようにため息をついた。
「あんたねぇ……なに贅沢なこと言ってんだい」
「ぜ、贅沢?」
マーサは腰に手を当て、柳眉を逆立てた。
「危険が減って、給料は変わらないどころか上がってる。これ以上の幸せがどこにあるって言うんだい! 何を文句垂れてるんだか」
「い、いや、文句じゃねえんだ。ただ、男の仕事としてだな……」
「男の仕事だって?」
マーサの声が一段低くなった。
「あのねえ、ガント。あんたは知らないだろうけどね、あたしら女衆が毎日どんな気持ちで待ってたと思ってるんだい?」
「え……」
「毎朝、あんたが出て行く背中を見送るたびに、『今日は無事に帰ってくるだろうか』『落盤があったらどうしよう』『もしガスが出たら』って……夕方の鐘が鳴って、あんたの足音が聞こえるまで、落ち着く暇もないんだ。二十年間、毎日!」
マーサの瞳が、わずかに潤んでいるように見えた。
「ロイさんが崩落で亡くなった時、あたしがどれだけ震えたか覚えてるかい? ……それが、サージョ様が来てから、あんたは『ただ疲れた』って顔をして帰ってくるようになった。怪我の一つもしないでね。あたしにとっちゃ、それがどれだけありがたいことか……!」
マーサは一気にまくし立てると、少し照れくさそうに顔を背けた。
「……あたしはね、あんたが『凄腕の鉱夫』であることよりも、あんたが『生きて帰ってくる』ことの方が、ずっと大事なんだよ」
その言葉は、どんな魔法よりも強烈に、俺の胸を貫いた。
俺が職人の誇りだなんだと感傷に浸っている間、この女は一人で恐怖と戦っていたのだ。俺の無事を、ただひたすらに祈りながら。
俺は自分の浅はかさを恥じた。
そして同時に、目の前の妻がどうしようもなく愛おしくなった。
「……そうか。そうだよな」
俺は大きく息を吐き、頭をかいた。
「悪かったよ、マーサ。俺が間違ってた」
「分かればいいんだよ」
マーサはぶっきらぼうに言いながら、おかわりを注いでくれた。
「俺は幸せもんだな。こんなに心配してくれる嫁さんがいて、安全な仕事があって、給料もいい」
「そうさ。ハルだって、あんたのおかげで大きくなれたんだから」
息子のハル。あいつは俺と違って要領が良い。今はサージョの警備部門で見習いとして働いている。独立して家を出たが、たまに送ってくる手紙には、都会での活き活きとした生活が綴られている。
「そうだな。素直に喜ぼう。これは、良い時代になったってことだ」
エールを飲み干し、力こぶを作ってみせた。
「運び屋だろうが何だろうが、俺が運んだ鉄が、鉄道のレールになり、この家の鍋になってるんだ。胸を張って働かせてもらうさ」
「その意気だよ、ガント」
マーサはようやく、いつもの優しい笑顔を見せてくれた。
食後の穏やかな時間が流れる。ハルがいなくなってから、この家は二人には少し広すぎるようになった。
「……でもね、ガント」
マーサがふと、食器を片付けながら呟いた。
「ハルが出て行ってから、やっぱりうちは少し寂しいねぇ」
その言葉に、俺の中のスイッチが入った。
寂寥感じゃない。もっと熱くて、根源的なスイッチだ。
「寂しい、か。……そうだな」
俺は椅子から立ち上がり、マーサの背後に回ると、その腰を強く抱き寄せた。
「きゃっ! な、何するんだい!」
「寂しいなら、賑やかにすりゃいいだろ」
俺はマーサを軽々と抱き上げた。毎日鉄鉱石を運んでいる腕だ、女房一人抱えるなんざ造作もない。
「ちょ、ちょっとガント! まだ片付けが……」
「後だ後! 息子が頑張ってるんだ、親父も負けてられねえなぁ!」
「もう! ……あんたったら、歳を考えなよ……」
マーサは顔を真っ赤にしながらも、俺の首に腕を回し、抵抗するのをやめた。
「へっ、俺は現役の鉱夫だぞ? 体力なら有り余ってらぁ!」
「はいはい、分かったから! ……優しくしとくれよ?」
「おうよ! ハルに弟か妹を作ってやろうじゃねえか!」
俺は愛する妻を抱えたまま、寝室へと向かった。
坑道での仕事は変わっちまったかもしれない。だが、俺という人間の、夫としての、父親としての仕事は、まだまだこれからだ。
ベッドに妻を放り投げると、俺は今日一番の「気合い」を入れた。
明日の仕事? 知ったことか。今は、この愛しい妻との時間を掘り下げることに全力を注ぐだけだ。
夜の帳が下りた鉱山町に、幸せな悲鳴が溶けていった。
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