第49話 全区間着工
路盤工事も驚異的な速度で進み始めた。
だが、地図の上に伸びる「鉄の路」を指でなぞるサトシの表情は、依然として険しいままだった。
「……致命的に足りないな」
執務室の机に広げられた資材調達計画書。 そこに記された数字は、冷酷な現実を突きつけていた。
鉄道網を全国に敷設するために必要な「鉄」の量は、現在の王国全体の年間生産量を遥かに凌駕している。
そのため、どれだけすでに着工した工区で工事が進もうとも全体から俯瞰すると微々たる進行にとどまっていた。 工事の進捗があまりに速いため人夫が余っているほどだ。
「現在の市場価格で必要量を買い上げれば、鉄の価格は数倍に跳ね上がるでしょう。それで済めばまだいいです。このまま未着工の工区を一斉に整備するためには、国内生産量のすべてを回したとしても圧倒的に足りませんわ」
エレナの指摘は正しかった。 無理な買い占めは、サージョ・バンコが築き上げた経済の安定を自ら破壊する行為に等しく実質的に不可能だ。
そして国内の粗鋼生産量は一区間の工事で手一杯である。
「ならば、市場から買う必要のない状態を作るしかない。鉄そのものを増やし、俺たちが供給側として市場を支配すればいい」
◇
サトシは、かつて三都市間で発生したプチバブルが崩壊した混乱期に、将来を見据えて買い叩いておいた複数の「休鉱山」や、採算割れで放棄されていた「低品位鉱山」の権利書をデスクに叩きつけた。
それに加えて、現在稼働している国内の主要な鉄鉱山に対しても、サージョ・バンコの債権と国内最大の資金力を武器に、矢継ぎ早に買収を仕掛けた。
数週間後、買収した鉱山の一つにサトシとエレナの姿があった。
そこには、これまでは現場の鉱夫たちを監視し、最後の仕上げにのみ魔法という高貴な力を供する立場にいた精錬魔法使いたちが、不安げな面持ちで集められていた。
特権階級として、泥にまみれることもなく優雅な役回りを享受してきた彼らにとって、この招集は未知の恐怖であった。
「今日から、お前たちの仕事のやり方を変える」
サトシの声が、冷ややかに響く。 彼は魔法使いを二つのグループ――「採掘班」と「精錬班」に分けるよう命じた。
「採掘班には、鉄道工事の現場で実績を上げた『破砕術式』を継承させる。そして精錬班には、素材の純度を極限まで高めるための、全く新しい術理を叩き込む」
サトシは、鉄道工事に動員された者たちに渡されたのと同型の高純度合成宝石を組み込んだ「規格化杖」を彼ら一人ひとりに手渡した。
そして、この日のためにエレナが王立学院の学者たちを動員し、現代の科学知見を「魔法」へと翻訳させた最新の術式を提示した。
まず、変化を突きつけられたのは採掘班だった。 これまでは精錬魔法一筋で坑道に入ることなどまずなかった彼らだが、サトシの命令で渋々と穴の中へと入っていく。
工事現場で磨かれた「指向性爆砕」が放たれる。
「う、嘘だろ……。ひと月かけたってこんなに掘り進められないぞ!?」
採掘と運搬の指揮をとっていた鉱夫長は驚きで開いた口が塞がらない。 これまで数ヶ月を要した掘削作業が、数秒の魔法投射で実現する。
鉱夫たちが見たこともないほどの量の鉱石の山が、一瞬で目の前に積み上がっていた。 彼らは効率的に岩を砕き続ける「人力重機」へと再定義されたのだ。
一方、精錬班もいままでと全く異なる仕事内容の変化に戸惑っていた。
「不純物を取り除くのに、今までのような原始的な振動魔法は不要になりました。杖に魔力を込め、この術式の波長に完全に同期させてください」
エレナが凛とした声で命じる。 それは鉄以外の鉱物や有機物に干渉し抽出させる術式であった。
分子の結合を魔法で発生させた複数の固有振動で分離し、凝縮し、剥離する。 エレナが翻訳した材料工学の知識を基に王立学院が開発した「選択式分子間力切断法」の術理。
それは、現代の分子構造論を魔法の励起に応用した、この世界の常識を覆す新技術だ。
サトシの合図とともに、精錬魔法使いたちが杖を掲げる。 合成宝石によって極限まで純化された魔力が、融解した鉱石の深部へと浸透していく。
「……なんだこれは! 鉱石の中の『不要な砂』だけが、まるで意志を持っているかのように剥がれ落ちていく!」
これまで魔法で振動を加え、作業員が泥臭く浮き出た不純物を手作業で掻き出していた精錬作業が、新しい魔法によって一瞬で完遂される。
純度の高い溶鉄が、まるで聖水のように清らかに、そして滝のような勢いで流れ出した。
サトシが断行した改革は劇的な効果をもたらしていた。 採掘量は従来の二十倍、そして精錬効率は実に三十倍。
「採掘」と「精錬」が、現代の土木工学と分子理論によってそれぞれアップデートされたことで、鉄鋼生産のボトルネックは完全に消滅した。
◇
魔法と科学の融合は、王国の鉄鋼生産量を数ヶ月で百年分進歩させたに等しかった。
「圧倒的な供給力だ。これさえあれば市場を高騰させることなく、全工区の要求量を満たすことができる」
サトシは、次々と鋳造されていくレールの山を見つめながら、冷徹な計算を巡らせていた。 もはやほかの製鉄業者など気にする必要すらない。
鉄鋼という国家の礎は、いまや完全にサトシの掌中にあった。
鋳造されたばかりのレールは、これまでの歪な鋳鉄とは一線を画していた。 現代の材料工学がもたらした「不純物のない鋼」は、月の光を撥ね返すほどに滑らかで、それでいて一国の軍隊が束になっても曲げられぬほどの剛性を秘めている。
その冷たく、完璧な輝きは、もはや神秘ではなく「工業」という名の暴力的なまでの正解を示していた。
「……準備はすべて整ったな。エレナ」
「はい、サトシ様。設計、用地、労働力、そして鉄……。すべてのピースが埋まりました」
サトシは、地図に描かれた国土の北から南まで縦断する一本の太い線を引いた。
「――全区間、着工だ」
サトシの号令とともに、王国の各所で同時に魔法の閃光が走り、槌音が響き渡った。 それは単なる公共事業ではない。
世界そのものを書き換える「鉄の時代」の、本当の始まりだった。
【第49話進捗概況】
経済支配: 国内鉄鋼生産の独占による、市場価格の完全コントロール権を掌握。
物理的進捗: 鉄道網の全区間での同時着工開始。
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