サトシとエレナの結婚式
「……なあエレナ。本当にこれ、やらなきゃ駄目か?」
革張りのソファに深く沈み込みながら、サトシは重いため息をついた。目の前のローテーブルには、大陸中から取り寄せた最高級の紙で作られた招待状のリストと、目がくらむような宝飾品のデザイン画が山のように積まれている。
「何を仰いますの、サトシ様。今更『籍を入れるだけでいい』なんて現代日本の常識は通用しませんわよ」
対面に座るエレナは、優雅に紅茶を啜りながらも、その瞳は獲物を狙う狩人のように鋭く輝いていた。
「蒸気機関の試運転が成功し、これから鉄道という巨大事業が始まろうとしている今こそ、サージョ商会の盤石な基盤を内外に示す絶好の機会ですわ。それに……」
エレナは少し頬を赤らめ、身を乗り出した。
「私は派手に、サトシ様との仲を知らしめたいのですわ。世界中の人々に教えてやりたいのです。『この素敵な殿方が私の夫です』と。……ふふ、サトシ様、もしや恥ずかしいのですか?」
「……っ、まあな。否定はしない」
サトシはバツが悪そうに視線を逸らした。数万人の従業員を抱える冷徹な経営者も、この有能なパートナー兼最愛の女性の前では、ただの照れ屋な人の子であった。
「しかし、やはり各界の有力者を呼ばないわけにはいかないか……。各地方の領主、大商会の会頭、ギルドマスターたち。彼らを無視すれば、今後の鉄道敷設や駅の建設交渉に角が立つ、だが知人たちに窮屈な思いをさせるのも気が引けるな」
サトシは眉間を揉んだ。結婚式という名の政治的儀式。それは事業を円滑に進めるための「必要経費」であり、避けて通れない道だった。
「でしたら、サトシ様。こうしてはいかがでしょう?」
エレナがポンと手を打った。
「『有力者向けの式』と『身内の式』、二回行えばよろしいのですわ」
「二回?」
「ええ。最初の式は、サージョの威信をかけた徹底的に豪華で政治的なショーとして。そして二回目は、本当に親しい友人たちだけを招いて、サトシ様がリラックスできるアットホームなパーティーにするのです」
サトシは目を見開いた後、安堵の笑みを浮かべた。
「……なるほど、それは名案だ。身内には気軽に楽しんでほしいからな。堅苦しいマナーや腹の探り合いの中で、カイルや職人たちに酒を飲ませるのは気が引ける」
「でしょう? さあ、そうと決ばれば善は急げですわ。まずは王都の大聖堂の手配と、ドレスの選定……ああ、サトシ様のタキシードは私がデザインしますね」
二人は深夜まで、あーでもないこーでもないと、まるで初々しい恋人同士のように楽しげに語り合った。
◇
そして迎えた、第一の式典当日。
王都の中央に位置する大聖堂は、かつてない熱気と、目が眩むような光に包まれていた。パイプオルガンの荘厳な音色が響き渡る中、真紅のバージンロードを歩く二人の姿に列席者たちは息を呑んだ。
純白のシルクに数千個の極小ダイヤモンド――現代から取り寄せた合成宝石――を散りばめたドレスを纏ったエレナ。そして、異世界と現代のデザインが融合したタキシードを着こなすサトシ。
参列者の顔ぶれは、まさに「王国の縮図」だった。最前列には国王と王妃、その隣には財務卿などの重鎮。後ろには国中の大商会の主たち、そして各地方の領主やその代理人が、媚びるような笑みを浮かべて並んでいる。
平民の結婚式としてはあり得ない規模であり、一国の王子の結婚式ですらこれほど豪華な顔ぶれが揃うことはないだろう。
「……見ろ、あれがサージョの総帥か」
「噂には聞いていたが、まさか一代でこれほどの富を築くとはな」
「国王陛下ですら、彼には頭が上がらないという話だぞ」
列席者たちの囁きが、さざ波のように聖堂内に広がる。彼らは皆、この結婚式を通じてサージョという怪物の大きさを再確認し、畏怖していたのだ。
「……神の御前において、二人の誓いを認めよう」
司教の厳かな宣言の後、サトシは静かに、しかし聖堂の隅々まで届く声で告げた。
「本日をもって、私は名を改める。ただの九条サトシではなく、新たな家名として『サトシ・サージョ・カエサル』を名乗る。そして妻エレナもまた、『エレナ・サージョ・カエサル』となる」
カエサル。その名はエレナの家名であり、そして別の世界では古代の言葉で「皇帝」を意味する響きを含んでいた。しかし、この場においてその意味に気づく者はいない。
この式は単なる商人の結婚ではなく、王国の経済を支配する「サージョ家」の誕生宣言でもあったのだ。列席者たちはその意味を悟り、雷鳴のような拍手を送った。サトシはエレナの手を取り、不敵な笑みを浮かべてそれに応えた。
◇
数日後の夕暮れ時。
港を見下ろす丘の上に建つ、サトシの私邸。
そこには、大聖堂の堅苦しい空気とは無縁の、温かな笑い声が溢れていた。
「いやあ、よかった! 本当におめでとう、サトシ殿!」
グラスを片手に穏やかに笑うのは、サトシがこの世界で最初に協力関係を得た大商人グスタフだった。彼はすでに酔ったようすで赤い顔のままサトシの背中を叩いた。
「初めて屋敷を訪ねてきたときは『こいつは新しい時代が来る』と思ったものが……まさかここまでとはな。私が期待した以上に、この国に新しい風を吹かせてくれたな。これからもよろしく頼む」
「ああ、ありがとうグスタフ殿。あなたの協力がなければ、いま俺がここに立つこともなかっただろうさ」
サトシはネクタイを外し、心からの笑顔でグラスを合わせた。
「まったく、一体いつ結婚するのかと、こっちはずっと気をもんでたんだぜ?」
ニヤニヤしながら肩を組んできたのは、奴隷からサージョの幹部まで成り上がったカイルだ。
「あんたは商売じゃ敵なしなのに、色恋沙汰となると途端に慎重になるからな。エレナ嬢が痺れを切らすんじゃないかとヒヤヒヤしてたぞ」
「まぁ、カイルったら。そんなに心配してくれていたの?」
動きやすいパーティードレスを着たエレナが、クスクスと笑いながら替えのグラスを持ってくる。サトシは苦笑しながら頭をかいた。
「……すまなかったな。俺がヘタれていたせいだ。守るものが増えるのが、怖かったんだろうな。だが、この世界を変える覚悟が決まった時、エレナとも生涯を共にする覚悟が決まったんだ」
「へっ、今更何を言ってやがる。お前さんが守ってるのはもう、この国全部だろうが」
カイルの軽口に、周囲の仲間たちがドッと沸いた。
会場には、自社の酒瓶を呷っているヴィクトールや新大陸から帰ってきたバルモア、銀行初期から支えてくれた銀行の窓口係など、サトシが異世界に来てから繋がりを持った多くの戦友たちが集まっていた。彼らはサトシを「総帥」や「閣下」ではなく、「旦那」や「サージョ」と呼び、昔話に花を咲かせていた。
サトシは、夕日に染まる庭園を見渡した。豪華な料理と、尽きない笑い声。そして隣には世界で一番美しい伴侶。かつて現代日本で孤独な社畜をしていた頃には、想像もできなかった光景がここにあった。
宴もたけなわとなった頃、サトシはエレナの手を取り、仲間たちの前に立った。スッと静寂が広がる。それは緊張ではなく、親愛に満ちた温かい静けさだった。
「みんな、今日は来てくれてありがとう」
サトシは一人一人の顔を見渡した。グスタフ、カイル、職人たち、銀行員たち。
「俺一人じゃ、何もできなかった。旋盤も、銀行も、そしてこれから走る鉄道も……すべてはここにいるお前たちが、俺の無茶な設計図を信じて、形にしてくれたからだ」
サトシは深く息を吸い、エレナの腰を強く抱き寄せた。
「俺たちは、幸せにならなければならない。それが、俺たちを信じてついてきてくれたお前たちへの、最初の恩返しだと思っている。……これからも、サージョを、そして俺たち二人を支えてやってほしい」
サトシが深く頭を下げると、エレナもそれに倣って優雅にカーテシーをした。
一瞬の間の後、庭園を揺るがすような「おめでとう!」の声と、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
夜空には、サトシが現代の知識で作らせた大輪の花火が打ち上がった。色とりどりの光の下で、サトシとエレナは互いに見つめ合い、静かに口づけを交わした。
それは、経済の覇者としての契約ではなく、これから始まる新しい時代を共に歩む夫婦としての、永遠の誓いだった。
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