第27話 不健康な肥大と「心臓」の設立
暖かな潮風がそそぐ港を見れば、昨日と変わらず貿易船がせわしなく出航する様子が見える。 サージョ・タブレットの効果によって、新大陸貿易は順調に拡大傾向にあった。 港湾都市の海運業者たちは、空前の好景気に沸いている。
しかし、その一方で積み上げられた莫大な富は、物理的な限界を超えようとしていた。 商館では、強く頑丈なはずの床を軋ませるほどの「金貨の山」が築かれていたのだ。
それは確かに勝利の象徴ではあった。 だが同時に、投資家としてのサトシにとっては、血液が滞った「不健康な肥大」に他ならなかった。
「……エレナ、今の市場はどうなっている」
「ええ、おそらくサトシ様のご懸念通りですわ。私たちを筆頭に海運事業者たちが新大陸の富を独占し、金庫に溜め込んでいます。その蓄積はすさまじく、街に出回る通貨が不足する始末……。 流通量の減った金貨の価値が上がり、物価が下がる『デフレ』の兆候が見え始めていますわ。せっかく港湾都市に活気が戻ってきたというのに、足踏みを強いられている状況です」
そう、今の港湾都市では新大陸から持ち込まれた品物が溢れているにもかかわらず、海運事業者たちを除いた一般市民の財布の紐が固くなっていた。 一部の商人たちなどは顔を曇らせ、販売価格の引き下げを始めている。
窓を見つめ「そうか……」とつぶやき、サトシはエレナに振り返った。
「俺たちや他の海運事業者たちが金貨を死蔵させてしまっては、経済の血管を自ら縛るようなものだ。これからこの国の経済を爆発的に大きくするためには、もはや一商会の枠を超えた『心臓』が必要になる」
「『心臓』……ですか?」
エレナは目を細めて、その言葉を吟味していた。
「国内の三大都市に、これまでにない規模の拠点を構える。本店はここ港湾都市。そして王都と自由都市に支店を置く。……サージョ銀行の設立だ。この国の中央銀行を作るぞ」
銀行。それはまだこの世界に存在していない業態の一つだ。
確かにすでに金匠や神殿では、預け主が手数料を支払って金庫を借りる「預託」の仕組みは存在していた。 さらに、大商人が大規模取引で利用する「為替決済」も一部では広がり始めていた。
しかし、サトシが求めるのは、それら旧態依然とした組織の焼き直しではない。 必要とされているのは、遥かに頑丈な金庫と、軍隊に匹敵する警備体制、そして何より高度な「決済・融資機能」だった。
「警備員と門番はグスタフの伝手で素行の確かなものを、足りない分はカイルの伝手で腕利きを辺境から引き抜く。集めた彼らには相場以上の待遇と福利厚生を約束し、心理的に離反を防ぐ。 そして好条件と引き換えに、契約に違反するとその者の喉を灼く『魔法契約』を結ばせることで、物理的に横領や情報漏洩を防ぐ。金はかかるが、これこそが銀行というシステムの『商品』……すなわち、信用そのものの基礎になる」
そして最も重要な銀行の実務を担う「行員」の確保には、王立学院のネットワークをフルに活用する必要がある。
銀行に勤める者に求められるのは、庶民のそれとは一線を画す高度な算術と、貴族社会にも通用する品位だ。 銀行とは『信用』を売る商売であり、行員の振る舞い一つがその価値を左右するからだ。
王立学院はただの研究機関ではない。 国家を支える人材育成機関であると同時に、法学や数理、建築などのあらゆる学問が学ばれる、この国が誇る最高学府でもある。
魔法使いなどと異なり騎士爵級の特権を持たない「事務・数理専攻」の優秀な卒業生たちは、サトシが提示した「国家公務員を凌ぐ安定と待遇の保証」という条件を聞いた瞬間に色めき立った。
「いまだ燻ぶっている最高学府出身の知性を、俺の『システム』の歯車とするんだ。彼らの正確無比な計算能力が銀行の信頼の裏付けとなる。王立学院に払っている支援金は、こういう時のための投資だ」
サトシは建設会社から上がってきた見積書を確認すると、納得したような顔でそれにサインをした。
そこに示されていた金額は、頑丈な金庫と業務設備、そして建築費。 必要とされる経費は港湾都市の本店だけで金貨九千枚。 加えて王都と自由都市の支店にそれぞれ金貨七千枚ずつ。
すべてを合計して二万三千枚。 人員への投資も含めれば、総額は二万八千枚に達する。
つまり、商会の全財産のおよそ半分にも及ぶ額を注ぎ込むことになるのだ。 おおよその貴族家であっても、その屋台骨が揺らぐほどの大金である。 それは艦隊を丸ごと購入することに匹敵する、正気とは思えぬ巨額投資であった。
しかし、これほどの資金を投じるサトシの決断を前に、エレナは驚くどころか、その瞳に静かな熱を宿して微笑んでいた。
「商会の半分を丸ごと賭ける、新大陸航路の時と同じですわね。あの時のサトシ様の判断は正しかった。 今回もまた、目に見える金貨を目に見えない『盤石な支配構造』へと作り変えようとしていらっしゃる。……半分もの現金を吐き出すことで、この国の経済そのものをサトシ様の掌の上で踊らせるおつもりなのでしょう?」
そこには、無謀な賭けを案ずる色など微塵もなかった。 あるのは、主が振るう采配によって世界が書き換えられていく瞬間を、最前列で目撃できることへの陶酔だ。
サトシは椅子の背に深く体を預け、静かに口角を上げた。
「やはりエレナは話が早いな。本店、大型支店の建築計画は銀行の象徴が必要だからだ。だが、ここを起点により小さく、しかし国中に張り巡らされる支店網が必要になることは火を見るより明らかだ。 最終的には小さな村々、この国のどこにでも『サージョ』の看板が掲げられることとなる。そして金貨という『重荷』から人々を解放したとき、この国の富は俺の指先一つで流れるようになる」
サトシは、もはや金庫の重さで悲鳴を上げている床板の軋みなど気にも留めていなかった。 彼の視線は、物理的な黄金を超え、この国の「信用」という概念を独占する未来へと向いていた。
【第27話 収支内訳】
支出項目:
銀行本店(港湾都市)建設費:▲金貨 9,000枚
銀行支店(王都・自由都市)建設費:▲金貨 14,000枚
警備員魔法契約・行員確保費用:▲金貨 5,000枚
収入項目:
既存事業および新大陸交易益:+金貨 6,500枚
【第27話終了時 総資産】
金貨 35,177枚相当
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