第17話 死神の首根っこは掴んだ
港湾都市、「サージョ・コメルツォ港湾都市臨時支店」の倉庫部分。 サトシはエレナと共に、窓を閉め切った一室に籠もっていた。
机の上に並んでいるのは、サトシが現代から持ち込んだ「在庫」の一部――プラスチックのボトルに入ったマルチビタミンサプリメントの錠剤と、経口補水液のパウダーだ。
「サトシ様、その……磁器のように白い器の中にあるのが『聖なる粉末』なのですか?」
エレナの問いに、サトシは無機質なボトルの蓋を『パキッ』と音を立てて答えた。 ボトルの中から零れ出すのは、不自然なほど均一に成形された白い錠剤。
「俺の故郷の知恵だ。本来なら数トンの果実を煮詰め、凝縮してようやく得られる『活力の核』を、指先ほどの薬に封じ込めたものだと思えばいい」
サトシはそれを乳鉢で摺り潰していく。 現代では安価なサプリメントだが、この世界の人間から見れば、それは「数万個のレモンを魔法で固めた秘薬」にすら思えるはずだ。
「ああ。……いいか、エレナ。この呪いは俺の故郷では壊血病と呼ばれている。それを治すためにはライムやレモンなどの柑橘類に含まれるある『活力の核』の成分を摂取しなければならない。この錠剤には俺の故郷ではビタミンCと呼ばれるその『活力の核』がふんだんに含まれている」
饒舌に説明するうちに思わず、この世界に存在しないビタミンという単語を使ってしまう。 だがエレナが相手であれば多少現代の知識を漏らしたところで問題はないだろう。
「いいか、今グスタフのところにいる重症者たちに『ライムを食え』と言っても、もう噛む力も飲み込む力もない。それに、ただの果物では『奇跡』にはならない」
サトシは錠剤を乳鉢で細かく砕き、水に溶かしていく。 さらに、極度の脱水と電解質不足を補うための経口補水パウダーを混ぜ合わせた。
「人は理解できない力で救われた時、それを信仰に変える。この絶望的な状況で、俺がただの『知識』を売っても、それは一時的な収益にしかならない。だが、『聖なる粉末』で死の淵から引き戻せば、それは一生の貸しになる」
調合を終えたサトシは、グスタフの待つハインマン商会特別病棟へ向かった。
「グスタフ殿、これが『聖なる粉末』をもとにした『治療薬』です。これを使わせてほしい」
海の呪いの恐ろしさを知るグスタフと、神官たちが疑念の目を向けていた。
「サトシ殿、それは……。いや、しかしほかに頼れるものはないのも事実、やってくれ」
グスタフの目を見てサトシは黙ってうなずいた。
エレナが、金細工の施された吸い飲みを差し出す。 サトシは、砕いた錠剤と電解質を高濃度に溶かした粉末を清潔な水で溶かし、吸い飲みの細い管で患者の口内に慎重に流し込んだ。
それは数時間後のことだった。
「……あ、が……。こ、ここは……」
囁くような小さな声。 それは投与の対象者となっていた患者、船団の副長を務めた男の声だった。
もちろん、腫れ上がった歯茎が治ったわけでも、斑点が消えたわけでもない。 しかし、重度の脱水と極度のビタミン欠乏で混濁していた副長の意識が、急速に浮上したのだ。
「意識が戻った……!? 聖水も、回復魔法も効かなかったのに!」
「おお……神よ……」
誰かが膝をつき、祈りの言葉を漏らす。 先ほどまで憤っていた神官は、腰を抜かしたように壁に手をついていた。
彼らが誇る回復魔法と高価な聖水をもってしても成し遂げられなかった奇跡を、この「余所者」はわずか数時間で、ただの粉末と水でやってのけたのだ。
だが、サトシは微笑みもしない。
「神に感謝するのは後にしろ。これは慈善事業じゃない。……グスタフ殿、お分かりいただけましたか。この『呪い』は、俺が管理する数値の範疇にある」
当然こんな短時間で治ったわけではない。 実際には、経口補水液による循環血漿量の回復と、高濃度ビタミン投与による代謝の活性化が「意識の覚醒」という形で現れたに過ぎない。
だがしかし、肉体の損傷は依然として深刻だが、傍目には「死人が蘇った」かのように見えていた。
「油断するな。まだ治ったわけじゃない。だが、死神の首根っこは掴んだ」
サトシは冷徹に告げた。
「神に祈る時間は終わった。これからは、俺の『管理』に従ってもらう」
そういってサトシは、次々と重症者にこの「治療薬」を投与していった。 だが、現代から持ち込んだサプリメントの在庫には限りがある。 港湾都市にいる数千人の船乗り全員をこれで救い続けることは物理的に不可能だ。
「この『治療薬』は現状では手に入る量に限りがある。今回生き残ったグスタフ殿の船団員を治療する分くらいはあるが、すべての船乗りたちに与えることはできない」
確かにサトシが数千人分のサプリメントを現代で買い続けることなど不可能であった。 さらに言えば、万が一サトシの身に何かがあれば絶たれてしまうようなサプライチェーンはリスクでしかない。
「だから呪いの根源を絶つには、これから俺が作る『真の特効薬』が必要になる」
つまり現時点でのサトシの目的は、サプリメントの在庫で全員を完治させることではなかった。 「サトシだけがこの呪いの進行を止め、回復させることができる」という事実を周知させ、時間を稼ぐことだった。
「……サトシ殿。私はもはやこの呪いを解ける貴殿をただの商人とは思ってはいない。この都市の命運を貴殿に預けても良いだろうか、頼む」
数多の修羅場を潜り抜け、築き上げた都市の重鎮としての矜持を体現している男、あのグスタフが自分よりも遥かに若いサトシを前にして、岩のような沈黙と共に深く頭を下げていた。
◇
その夜。 「サージョ・コメルツォ港湾都市臨時支店」の自室に戻ったサトシは、暗闇の中でシガリロを燻らせていた。
「……エレナ。サプリメントの在庫は、グスタフ商会船員たちに『デモンストレーション』用として使い切る。だが本番はここからだ」
「はい。大量かつ継続的に供給するためには、このシーリンにある材料だけであの力を再現し、かつ『保存』しなければなりません」
サトシは、この暗い異世界の夜に、新たな製品仕様書を書き始めた。
「……ビタミンCは、光、酸素、熱に弱い」
そして新大陸との貿易船は最短で6ヶ月、寄港先にもよるが最長では1年半もの長期航海を行うのだ。 中世の技術で、どうやって精製し「年単位の航海」に耐えうる形でパッケージングするか。
書きかけの羊皮紙の上で、羽ペンが止まる。 現代ならアルミシートや遮光瓶がある。 だが、この世界で長期間の熱帯航海に耐えさせるにはどうすればいい?
レモン汁をただ瓶に詰めても、数週間で茶色く変色し、その効力は失われる。
「サトシ様……。もしこの『粉末』が尽きれば、彼らは再びあの地獄へ戻るのですね」
不安げに覗き込むエレナに、サトシは暗闇の中で瞳を鋭く光らせた。
「ああ。だからこそ、俺が作るんだ。中世の技術で再現可能で、かつ『保存』に特化した、大航海時代の『奇跡』をな」
【第17話 収支内訳】
支出項目:
現代調達物資(ビタミンC・経口補水液パウダー): ▲20万円 (現代預金から支出。在庫消費分を考慮し、現代側残高:残り約1,380万円)
病棟スタッフへの口止め料・協力金: ▲金貨10枚
収入項目:
なし(だが、グスタフへの巨大な「貸し」を回収する権利を得た)
【第17話終了時 総資産】
金貨 6,912枚相当
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