第16話 呪いではなく、栄養不足だ
自由都市オルファナから馬車で数日。 サトシたちは、ハインマン商会が海運利権を持つ巨大な港湾都市「シーリン」の土を踏んでいた。
強い磯の香りと、海風が数多の船の帆を叩く音。 快晴の太陽のもと、日差しが降り注ぎそこに住む者たちを照らし出していた。
だが、そこにあるはずの活気はない。 まるで薄暗い霧のような絶望に、町が丸ごと飲み込まれたかのような空気が流れている。 先ほど寄った酒場では「海の呪い」を恐れて船乗りたちが管を巻いていた。
「……これが、『海の呪い』の現状か」
サトシは馬車の窓から外を伺う。 港の倉庫街の一角は、隔離施設として転用されているのか、呻き声と神官たちの虚しい祈りの声が漏れ聞こえていた。
港のほうに目をやれば、近場に出る漁船こそ動いているものの、港に停泊したまま動かない無数の外洋船が繋がれている。
「サトシ様、あちらを……」
エレナが指差す先では、かつて勇敢な船乗りだったであろう男たちが、幽霊のように力なく座り込んでいる。 彼らの歯茎は赤黒く腫れ上がり、わずかな衝撃で歯が抜け落ち、肌には不気味な紫色の斑点が浮かんでいた。
「『海の呪い』には魔法も薬も効かないのです。……父の船も、こうして全滅したのですわ」
エレナの生まれたカエサル商会は、新大陸貿易に挑戦し、失敗、破綻したのだ。 彼女の瞳は、過去を想起させるのか悲しみを堪え、しかし努めて冷静に現場を観察していた。
◇
ハインマン商会のシーリン支店は港のすぐそばにある巨大な倉庫と一体になった建物だった。 あらかじめ早馬で連絡をとっていたサトシは、スムーズにグスタフと面会することができた。
「よくきてくれた。まずは近況報告、と行きたいところだが時間が惜しい。率直に聞きたい。なにか手はあるか?」
グスタフはいつもの堂々とした表情を取り繕ってこそいたが、その裏には隠しきれない焦燥感が浮かんでいた。
「今の段階ではなんとも……。まずは船員の詳しい様子を見せてください」
「そうだな。……案内しよう。こっちだ、手紙に合った通り一か所に集め隔離している」
案内されたハインマン商会の特別病棟で、グスタフの紹介した神官は難しい表情のまま現状を説明してくれた。
「サトシ殿、見ての通りです。新大陸から戻った船団の精鋭たちが、このような有様に。戦闘もなく、大嵐にあったわけでもありません。船団付きの神官である私の手には負えず、より高位の神官を呼んではみたものの『これは神が人類の増長を戒めるための呪いだ』などといって匙を投げられました。正直いい報告は、これがほかの者にうつる類のもではない、ということだけです」
病室に入ったサトシは、最も症状の重い患者に近づくと無造作にかけられていた毛布をめくる。
「……これはひどいな」
鼻を突くのは、血と腐敗が混ざり合った腐臭。 目の前のベッドに横たわる男は、かつては屈強な水夫だったであろうことが見てとれる。
だが今の彼にその面影はない。 腫れ上がったその口内からは絶えずどす黒い血が溢れ、ベッドのシーツを汚している。 さらにサトシを戦慄させたのは、男の脇腹にある大きな傷口だった。
少なくとも数年は前に治癒したであろう傷跡だったが、まるでつい最近斬られたかのように肉が剥き出しになり、血を流していた。
「神官殿、同じ船に乗っていたあなたは呪いにかかっていないみたいだが、それをどう考える?」
患者に毛布をかけなおしながら、隣の神官に尋ねる。
「私は神官ですから。神の加護を受けております。ほかのものと比べれば呪いにかかりにくいのも当然でしょう」
「そうか、いくつか聞かせてほしいんだが……」
そうしてサトシは神官に航海の詳細な情報を尋ねていった。 特に気にしたのは、一般船員と高級船員の食事に何を出されていたのかや、船長や士官には寄港地で買ったピクルスや果物の砂糖漬けが並んでいたのではないか? といった食事事情であった。
やはり神官や船長といった者たちは、航海中に新鮮な水や、優先的に配分されたわずかな保存野菜を口にしていたという。 その一方で、最下層の水夫たちは塩漬け肉と硬い乾パン、そして腐りかけの水だけで数ヶ月を過ごした。
「なるほど……呪い、か。魔法が効かないわけだ」
話を聞いたサトシはシガリロを取り出すが、ここが病棟であることを思い出し、苦笑して胸におさめた。
「グスタフ殿。そして神官様。原因が分かった。あなた方は、この症状を『死神の鎌』か何かだと思っているようだが……」
説明を途中で切って、少しの間考えるサトシ。 ついでに神官が言う『加護』とやらも否定しようと思ったのだ。
しかし、無駄に神殿勢力の反感を買うこともない。やめておこう。 異端認定などされたらたまったもんじゃないのだ。
「俺から言わせれば、これはただの『会計ミス』だ」
「会計ミスだと!?」
サトシは立ち上がり、淀んだ病室の空気を切り裂くように言い放った。
「体という資本を維持するための『必須項目』が、長期航海の帳簿から漏れている。それだけのことだ。い。この都市の在庫から『あるもの』をすべて買い占める許可をいただきたい。それと、私の商館から至急、運ばせる荷物がある」
サトシの脳内では、現代知識がフル回転していた。
(原因はわかっている。だが、今のこの絶望的な状況下で、単に『野菜を食べろ』と言ったところで誰も信じない。重傷者に至ってはまともな食事をとれる状態じゃない。しかしこれは好機だ。……この絶望を、俺の立場をさらに一歩進める『演出』に変える)
「グスタフ殿、申し訳ないがこの街に倉庫付きの拠点を用意してもらいたい。呪いを、解いて見せよう」
そういったサトシの表情は、一世一代の取引に臨む商人の顔をしていた。
翌日、早速サトシはグスタフが用意した建物を「サージョ・コメルツォ港湾都市臨時支店」として動き出した。
「エレナ、俺たちは『聖なる粉末』の調合に入る」
「『聖なる粉末』……。ですが本当に『海の呪い』を解くことができるのですか?」
海の呪いに苦しめられた過去を持つエレナは、その恐ろしさを知っているからこそ、いまだに半信疑だった。
「ああ、間違いない。原因は単純な栄養不足だ。話を聞いた限り、船長と神官には優先的に野菜と果物が分配されていた。呪いにかかったのは、そういった対象ではない船員たちだった」
「そんな、まさか。そんな簡単なこと……、ただの食事の違いなんて」
驚き、開いた口に両手を当てるエレナ。
「カイル、お前は外を見張っていてくれ。これより先、俺の許可なく一歩でも足を踏み入れる奴がいれば、たとえ高位神官であっても叩き出せ」
「了解だ。あんたの『商売』の邪魔はさせねえよ」
カイルが不敵に笑い、長剣の柄に手をかける。
「わかりました、サトシ様。準備は整っております。ついに……ついにあの海に、借りを返す時がきたのですね」
エレナの凛とした声が響く。
港湾都市を覆う絶望の中、サトシだけが、勝利を確信した冷徹な投資家の目で、死にゆく船乗りたちを見つめていた。
【異世界 資金の内訳(第16話終了時)】
前話残高:金貨7,000枚相当
支出
港湾都市シーリンへの急行馬車代: ▲金貨8枚 (長距離かつ急ぎのため、馬の交換費用を含めた特急料金)
物流権益の行使・買い占め手付金: ▲金貨50枚
臨時支店の備品・カイルの追加警備備品: ▲金貨20枚
現在の総資産:金貨6,922枚相当(約1億6,612万ルピ)
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