永遠という名の一瞬 後編
「どういう・・・ことだ?」
放心状態のまま、やっとの想いで聞き返す。
今まで必死にこらえていた涙が、美樹の瞳からこぼれ落ちる。
後から、後から、とめどなく流れ落ちる。
今の僕にはその涙を止めることさえできない。
「私は、一度死んだ、慎ちゃんが想い続けてくれた、女の子なの」
頭の中が、真っ白になった。少女の言葉が耳に入ってこなかった。
そんなことあるはずがない、その想いが僕に最後の抵抗をさせる。
「なに、馬鹿なこといってんだよ・・・・。そんな、本みたいな話し・・・・」
あるわけない、その想いは次の瞬間もろくも崩れさった。
彼女がコートのポケットから出したもの、それはあの時少女にあげた、ガラスのクリスマスツリーだったから。
「嘘、だろ・・・」
呆然と立ちすくむ僕の頭の中で、今まで封印してきた記憶が閃光のように甦る。
自分がキャンディーをあげ、いじめから助け、初めて心を許した相手。
自分に優しさを分け与え、お互いに引かれ逢い、そして静かにいなくなってしまった、大切な、大切な人の名前。
<今村 美樹>
全てが分かってしまった。全てを思い出してしまった。
だけど信じたくない。自分が愛した相手が再びいなくなってしまうなんて。
泣くのを必死に我慢してる僕に向かって、美樹が語り続ける。
「私は死んで、天国にいった。だけど、あなたを想う気持ちは変わらなかった。何年たっても・・。そんなとき、あなたが私のせいで傷ついてるって知ったの。私のせいで、人を好きになれなくなったって。そんなの嫌だよ。私のせいで好きな人を不幸にしてるなんて、嫌だよ。だから、神様にお願いしたの。・・・知ってる?クリスマスの日には、願い事が叶うんだよ。みんな、そんなことある分けないと思ってるけど、本当なんだよ。一生に一度だけ、本気でお願いすれば、サンタクロースが願いをかなえてくれるんだよ。今日という日はサンタクロースがくれた私へのクリスマスプレゼント」
僕の瞳から、熱い雫がぽろぽろとこぼれ落ちる。我慢すればするほど、後から後からとめどなく流れていく。
「慎ちゃん、ごめんね。また、慎ちゃんの側にいられなくて。本当にわがままだよね、私。自分が慎ちゃんに逢いたいって気持ちが強すぎて、後に残される慎ちゃんのこと考えられなかった。」
美樹は僕に謝った。ぽろぽろと涙をこぼしながら、何度も、何度も。
その姿を見ているうちに、僕の中の悲しみが癒されていく。
美樹が悪いわけじゃない。彼女自身も自分と同じように傷ついている。
それなのに、僕の心を傷つけてしまったことに対して謝り続けている彼女を見ていたら、自分の悲しみなんてとてもちっぽけなものに思えた。
僕は泣き続ける少女にゆっくりと近ずくと、涙が伝わる頬にゆっくりと触れた。
彼女の小さな体が、ビクンと震える。
顔をあげてくれない美樹に向かって、僕は言った。
「いいんだ、もう・・」
美樹が顔をあげる。僕の言葉が、真実かどうか確かめたくて。
怒りと諦めからそれが生まれたのならとの脅えから、顔が歪んでいる。
「そんな顔すんなって。大丈夫、怒ってるわけじゃない」
「どうして!どうして怒らないの!私、慎ちゃんのこと2回も傷つけたんだよ!それなのに、どうして許してくれるの!」
美樹の悲痛な叫びを、僕は不思議なほど穏やかな気持ちで受け止めていた。
その理由をしばらくの間考え、心の中から一つの答えを導き出す。
「プレゼント、もらったから。お前がサンタにもらったように、俺もお前からもらったから。今日一日の思い出と、前に進む強さを、たくさんもらったから」
僕を見上げた瞳が、一瞬大きく見開かれた。そして次の瞬間、前よりも涙でくしゃくしゃになってしまう。
僕は、彼女の体を強く抱き締めた。美樹の柔らかい体から、涙と一緒にぬくもりがこぼれてしまわないように。
「さっき、教えてくれただろ。想いは心の中に残るって。このまま美樹がいなくなったとしても、俺の心の中に残ってるよ。お前が俺にくれたものは全部。だから・・・」
心の中に光が宿る。今日一日を共にすごした少女のおもいで。
美樹の笑顔や泣き顔、一緒に見た夕日、親子の暖かい笑顔、透き通る風の音、季節が流れてゆく光。
その全てが、僕の中で強く優しい光に変わる。
その想いが、一つの言葉へと変わっていく。
「だから、大丈夫」
僕は言った。
静かに、だけどどんなにたくさんの言葉にも負けないほどの想いをこめて。
胸の中で小さな嗚咽が聞こえた。細かい振動が、僕の肌へと直に伝わってくる。
心が痛んだ。誰も悪くない、でも彼女が泣いているという事実がたまらなかった。
行き先の無い想いが溢れ出す。誰に対して憤りをぶつければいいのか、彼女にどんな言葉をかければ良いのかわからなかった。
もしかしたら自分が言った言葉はきれいごとなのかも知れない。
思い出なんてやがて忘れてしまう。あの頃の彼女のことのように。
たとえ大切にしまっていたとしても、それはかさかさになったモノクロ写真のような、ただ過去を懐かしむためだけのものに成り下がる。
その時を再び体験することも、共に語り合う者もいない。
忘れられていた過去を思い出させるだけ思い出させて、自分は在るべき場所に帰っていく。
その残酷な事実を僕に残してしまったこと、そして恨まれるべき自分を簡単に許してしまった僕なりのヤサシサが彼女を苦しめているのかも知れない。
責めれば良かったのか・・・。
彼女の残酷さを罵れば良かったのか・・・。
そんな言葉が頭の中をよぎっていく。
堪らなくなって僕は目を閉じた。
風の音が聞こえる。体を、通り抜けていく。
澄んだ流れが僕の中から熱を奪っていくのを感じた。
ぬくもりを逃がさないように身を縮める僕の胸の中に、もう一つの存在があるのを感じる。 暖かくて、柔らかくて、とても心地好い。
それを感じたとき、何かが心の中で産まれた。それは色々な変化を遂げ、やがて一つの言葉になる。
僕は目を開けた。
胸の中で泣き続けている少女の髪を優しく梳いていく。
美樹が顔をあげた。彼女の瞳から流れ落ちる涙を、指ですくいとる。
「先のことはよくわかんないし、もしかしたらお前がいなくなったあと泣くかも知れない。何で会いに来たんだ、そう考えてお前のこと恨むかも知れない。だけどさ、だけど、今この瞬間はお前に逢えて良かったと思う。そのことは本当なんだ。もう逢えなくても、悲しみとか憎しみとかが残っても、今ここにいてくれるってことが大切なんだ」
美樹の瞳に戸惑いが浮かぶ。
「許して・・・くれるの・・?」 小さく呟いた彼女に、小さな笑いを返す。
「許すとか許さないとかそういうことじゃないだろ。別に誰かが悪いってことじゃないんだから」
美樹が僕の胸に飛び込んできた。体当たりといえるほどの勢いに、不意をつかれた僕が少しよろける。体制を立て直そうとしたところでさらに彼女が力を込め、僕は後ろに倒れてしまった。
「いって~。なにすんだよ、いきなり」
文句を言いながら少し体を起こすと、覆いかぶさるような形になった彼女と目があった。
その目には先ほどまで浮かんでいた涙は無い。
そこにあるのは夏の空のような笑顔。
美樹の笑顔に答えるために、僕も微笑みを返す。
僕たちは見つめ合っていた。今この瞬間が永遠に続くことを祈りながら。二人の気持ちが、永遠に寄り添い合うことを祈りながら・・・。
その時、教会の鐘の音が聞こえた。一日の終わりを告げる音。
僕たちの別れが、永遠に変わる合図。
何も言えなかった。言葉が出ていかなかった。
震えた唇が、何かを紡ごうとする。だけど、何も生まれない。想いが形にならない。
もどかしい気持ちが、さらに唇を震えさせる。
涙の向こう側で、彼女の体が光に包まれ始める。
眩しいほど強いのに、決して不快ではない柔らかな光。
綺麗だった。子供が初めて蛍の光を見つけたときのような強い感動が、僕の中に生まれてゆく。
もう、言葉は必要じゃなかった。
目には見えない何かが、僕たちをつないでいたから。
光の中で美樹の体が少しずつ光の粒子へと変わっていく。
僕の両目から、知らず知らずのうちに涙が溢れだす。
悲しいことなんかじゃない。自分の中で懸命にかきたてるその言葉も、涙の中で虚しく溶けてゆく。
その様子を見つめていた美樹が、少しだけ困った顔をして立ち上がった。
僕が立ち上がるのを促して右手を差し出す。
開かれた手の中には、ガラスでできたクリスマスツリー。
辛かった、孤独だった、そして暖かかった僕たちの思い出の結晶。
僕は少女の手をつかんだ。そして、そのまま引き寄せる。
体が触れ合った。驚いた顔をして見上げる美樹の頬を、ゆっくりと両手で包みこむ。
美樹の顔から驚きが消える。強い感情に変わって、柔らかいものが浮かび上がる。
彼女はそのまま目を閉じ、ゆっくりと上を向いた。
僕自身も目を閉じながら静かに顔を近づけてゆく。
唇が触れ合った。
それは二度目の、だけど心の通い合った初めてのキス。
美樹の唇が、ゆっくりと動いた。声にならない言葉。耳ではなく、心に響く声。
ア・リ・ガ・ト・ウ
両目を開けると、美樹の顔が目の前にあった。微笑みが浮かんでいる顔。
僕はこのときの彼女の顔を一生忘れないだろう。もう自分が消えてしまう、その定めを受け入れたものの顔。
安らかでやさしい、一生分の想いがこもった笑顔。
天使だった。僕だけの前に舞い降りた天使だった。
ゆっくりと唇をはなす。ぬくもりが消えるのを恐れ、本当にゆっくりと。
最後の刻が迫っていた。もう二人にもわかっている。
だけど・・・、だけど、それでも・・・・。
歯を食いしばる僕の襟元を、風が吹き抜けてゆく。
僕はいったん逸らしかけた視線を、美樹の瞳へ向けた。
彼女とすごした時間と、一緒にいるときに感じたものをもう二度と忘れないよう、しっかりと心に刻みこむために。
彼女からこぼれ落ちた光の粒子が、僕の腕の中から風にのって逃げてゆく。
ぬくもりも、すでに感じられなくなりつつある。
彼女が何かを言った。よく聞き取ろうとしても、厚いガラスに隔てられているかのように声が届いてこない。
焦燥感にさいなまれる僕に、彼女は精一杯の微笑みを残した。
ふくよかな頬を一筋の涙が伝い落ちる。
その涙が地面につくよりも早く、彼女の体は光へと変わった。
彼女が存在した証のその光の粒も、清らかな星が瞬いている空へ還っていく。
僕は手の中に残った光を胸へ抱いた。
消えてしまわないように、強く祈りながら。だが、その願いもむなしく、さっきまで大切な少女だった光は、雪のように消えてしまう。
最後に残ったのは、小さなクリスマスツリー。
僕と美樹の想いを乗せた大切な宝物・・・。
涙は止まっていた。悲しすぎて心のどこかが壊れていた。
何をしていいのかわからず、ただ呆然と立ち続けていた。
その時、首に何か冷たいものが触れた。のろのろと顔をあげると、粉のように細かい雪が降りだしている。
天空には澄んだ星が浮かんでいた。
小さな白い妖精が舞い降りてくるはずの雨雲は、悠久の刻を渡ってくる光を遮ってはいない。
最初わずかだったその雪も次第に数を増やし、髪や体に触れたあと僕のぬくもりで溶けて染み込んでゆく。
染み込んだその雪は、僕の空っぽの心の中で溢れた。
行き場のなくなった雪解け水は、瞳から体の外へと流れてゆく。
彼女の前での強がりは、全部消えていた。自分がこんなに弱い人間だとは思わなかった。
「馬鹿野郎・・・。何が言いたかったんだよ、お前・・・。最後まで・・・悪戯を残してくのかよ・・・」
自然と、言葉がこぼれ落ちる。
好きだった。本当に好きだった。
昔の彼女よりも、今日出会って、話をして、笑いかけてくれた彼女のほうが何倍も。
だが、少女の笑顔も、切ない表情も、暖かいぬくもりも、今は、無い。
僕の体から力が抜けていく。
熱い雫が、両目からこぼれ落ちてゆく。
絶望に押しつぶされそうになったとき、風が、流れた。
僕の体を、柔らかく、優しく撫でてゆく。
何かが聞こえる。体を包んでゆく。想いが、溢れる。
僕は両目を開ける。その瞳は、もはや絶望を捉えてはいない。
その目にあるのは希望。全ての過去を抱きながら、前を見据えて歩く力。
僕の口元に笑みが浮かぶ。
「大丈夫だよ、な」
そして、歩き出す。
一人の少女が、自分にくれたクリスマスプレゼントを胸に抱きかかえながら。
<大好きだよ、慎ちゃん>