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雪の降る夜に  作者: 蒼凪
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悲しみ 後編

 身を切るような冬の風が、人影のまばらとなった遊園地の中を擦り抜けていく。 

 冷気に体を撫でられた僕の口から盛大なくしゃみがまき起こる。 

 危うく、持っているコーヒーのカップを落としそうになりながら、僕は隣にいる広司さんに声をかけた。

 「広司さんも大変ですね、紗季ネエみたいな人と付き合ってて」

  聞きようによってはかなり失礼な言葉も、広司さんは年上の余裕で笑っただけだ。 

 「ああ、俺も時々思うよ。何であんなにわがままな女と付き合ってるのかなって。ただ、あいつは訳もなく人にわがまま言ったりはしない。不安だったり、人を気遣ったりするとき、素直になれなくてわざとわがまま言うんだ。今日もきっと今村さんに何か話があるからだと思うんだ」 

 「そんなもんですかねえ」  

 相槌を打ちながら、僕は広司さんの顔を見上げた。 

 広司さんは紗季ネエの通っている大学の四年生だ。慎也より五歳、紗季ネエからでも三歳年上ではっきりいって大人である。 

 それはただ老けてるとか、考え方が大人とかだけじゃなくて、すごく穏やかな雰囲気をもっているということだ。 

 確かに広司さんだって紗季ネエと喧嘩だってするし、怒るときは怒る。 

 だけど、人が傷ついていたり、心が弱くなってるとき、本当に必要としている言葉を言ってあげられる人だ。 

 僕は、広司さんをかっこいいと思う。外見が良かったり、話術にたけている人より何倍も。 

 広司さんはとても照れてしまうのがわかっているから僕は何も言わないけど、本当はそう言ってあげたかった。 

 多分、紗季ネエ自身も広司さんのそんなところを好きになったんだと思う。 

 意地を張ってばかりで素直になれない紗季ネエも、広司さんの前でだけは本当の自分を見せることができるみたいだから。 

 親友とか、恋人とか、自分の全てをさらけ出せる存在が人間には必要なんだって、二人を見てて思う。 

 この二人は本当にお互いを信頼しあっているから、どんなことが起こっても、きっと乗り越えていくだろう。 

 それは、絆の強さ。  

 運命というものがもしあるのならば、この二人が出会ったことがそれにあたるんじゃないかって僕は思っている。 

 「あいつって、すごくしっかりしているように見えるだろ?いつも人使い荒いし、性格は男っぽいし。だけどさ、強がってばかりいるけど、紗季にも弱いところがあるんだよ。それを<女の子だから>とかいうのはあいつが一番嫌がることだと思う。だけど、好きな娘を守ってあげたいって気持ちは、男なら誰でも持ってると思うんだ。それはただのエゴなのかもしれない。けど、それでも自分を頼って欲しい。自分を隠さないで、ありのままの気持ちをぶつけて欲しい。そう思うんだよ」 

 へんかな?と照れ笑いをした広司さんに僕はかぶりを振る。 

 「変じゃないですよ。なんか、俺にも分かる気がする・・・」 

 紗季ネエにも母親がいない。紗季ネエが中学生のときに交通事故で命を失ってしまったからだ。

 父親と小さい弟がいる家庭。その中で、紗季ネエは母親を演じなければいけなかった。 

 遊びや恋愛をおもいっきり楽しむはずの年代に、彼女は家事をして過ごしてきた。 

 自分の周りの友人達が楽しんでいるのに、じっと自分を押し殺して。 

 そんな彼女に、周りの人々はえらいね、しっかりしているね、と声をかけた。 

 だが、それが何になるのだろう。  

 紗季ネエはそんな言葉が欲しかったんじゃない。 

 平凡な、あまりにも平凡な生活を望んでいたのだ。 

 だが、彼女は耐えた。  

 父親と弟に負担をかけたくない。その一心で、彼女は自らに(しっかりしたお姉さん)という呪縛をかけ生きてきた。 

 その呪縛のために、紗季ネエは素直になることができない。 

 泣きたいほど悲しいときも、微笑みの仮面をかけてしまう。 

 広司さんが紗季ネエのそういう事情を知ってるかどうかは分からない。 

 少なくとも、紗季ネエからは絶対に言わないだろう。 

 自分の弱い部分を表に出すのが嫌いな人だから。 

 だけど、広司さんはきっと気づいてる。  

 紗季ネエのことを本当に想ってくれてるから。 

 彼女のことを想う人がいる、ただそれだけのことで、紗季ネエはきっと救われてる。 

 「なんか、えらそうなことばかり言ってるけど、本当に救われてるのは俺自身かも知れないな・・・」 

 独り言のように呟いたその言葉を聞き、僕は落としかけた視線を再び広司さんに向ける。

 僕のその視線を受け、彼が話し出す。  

 「紗季のことを守ってやる、そう思ってきたけれど、実際には俺のほうが守られてきたような気がする。俺が苦しかったり、悩んでいたとき、何も言わないでそばにいてくれた。黙って守られてくれた。・・ほら、男ってアホだからさ、自分の弱いところとか好きな奴に見られたくないじゃん。なんか意地張って大丈夫なように見せたり。そういうわざとらしくて、どう見ても無理してるって思っても頼ってくれたんだ。どうしようもなく辛くてさ、情けない言葉を言ったときも励ましてくれたりとか」 

 それは・・・あるかもしれない。すごく情けないところを見せて、自分が落ち込んだとき、そんなの何でもないよと笑い飛ばしてくれた時の嬉しさ。

 あれは、例えようがないかもしれない。  

 「まっ、俺がただ情けないだけかもしれないけどさ」 

 そう言って笑った。  

 人の笑い顔には不思議な力がある。人の言葉には魔力が込められている。 

 人を幸福にさせる力。  

 それは時に人を傷つけたりもするけど、その分だけ人の心を救ってあげれる。 

 誰もが持っているその力で、いつか誰かを幸せにしてあげたいと僕は思った。     

 


 「じゃあ」  

 広司さんが微笑んで手を振る。  

 その横で広司さんにもたれかかっていた紗季ネエが、白い歯を見せる。 

 「美樹ちゃんを襲っちゃ、ダメだぞ」  

 「なにいってんだよ。早く行けよ」  

 舌を出した紗季ネエが、先に行ってしまった広司さんを追いつこうと小走りになる。 

 そのまま後ろからタックルをかけられた広司さんが、軽く紗季ネエを小突いて、二人の顔に笑みが浮かぶ。 

 僕たちはその様子をぼんやりと眺めていた。 

 星の光と、外灯の輝きに照らされた二人の姿が、次第に闇の中に消えていく。 

 「すてきな二人だったね」  

 「ああ」  

 静かに呟いた僕の顔を、ふいに美樹がのぞき込む。 

 「どうした?」

 「うん、なんか、意外だなぁって。慎ちゃん、絶対に冷やかしたりとか否定したりするかと思った」 

 「まあ、普通のカップルにはね」  

 僕が笑う。  

 「だけど、あの二人は特別だよ。すごくいい恋人でさ、冷やかす気にもならない。ただ純粋に、いいなあって思うんだ。ほら、お互いにさ、信頼しあってるってゆうか。自分に好きな人ができたら、ああいう関係になりたいなって」 

 美樹の手が僕のセーターの袖をつかむ。  

 首をかしげた僕に、透き通った視線を向ける。 

 「うん、そうだね」  

 美樹が笑った。つられて僕も笑う。  

 二人で笑いあった。けど、何かが・・・何かがおかしかった。 

 すぐ近くにある美樹の微笑みが、遠く感じた。 

 手の中にあるはずのものが、そのまま指の間からこぼれ落ちてしまうような不安。 

 それが、現実になりそうで・・・。  

 心細くて、後ろから抱き締めようとした僕の手を、少女が擦り抜ける。 

 「ごめん。ちょっと、トイレにいってくるね」 

 後ろを振り返らずに、美樹が駆けていく。  

 残された僕の中で不安が大きくなる。  

 風船のように膨らんで、僕の心を押しつぶそうとする。 

 その不安は、もう一度少女の姿を見るまで膨らみ続けるだろう。 

 僕は彼女の帰りを祈り続ける。  

 けれど、5分たっても、10分たっても、僕の不安は消えなかった。 

 美樹が帰ってこない。その事実が、僕の心を蝕んでいく。 

 探しに行こう。行って、彼女の笑顔を見よう。 

 想いが溢れ、僕の足がひとりでに動き出す。 

 まばらになった人の間を擦り抜け、今日自分たちが歩いた道順をたどってゆく。 

 ジェットコースター、お化け屋敷、観覧車・・・。 

 もちろんトイレの前も見た。  

 けれど、少女の赤いコートがどこにも見当たらない。 

 疲れと焦りから激しく息をする僕の視界に、紅い影が揺れた。 

 木の葉が散り、まる裸となった枝がシルエットとなってさしこんでいる下。 

 そこに無心に何かを眺めている美樹がたっていた。安堵のあまり涙ぐみそうになりながらも近づいた僕は、そのことに気づいて立ち止まる。 

 立っている美樹の向こう側・・・そこには今日一日の出来事を楽しそうに語る家族の姿があった。 

 眩しそうな瞳で見守る美樹の顔に、何かが生まれる。 

 羨望のようにも、悲しみのようにも見えるその表情を、本人も気づいてはいないであろう。 

 それは、心が迷子になっていたせいかもしれない。自分の帰る場所が分からなくて、泣いている子供の顔。 

 少女に気づかれないように、ゆっくりと近づいていく。 

 美樹の肩に手をかける。震えてる・・・・。 

 泣いてるんだ、そう思って振り向かせた彼女の顔に涙は浮かんでいなかった。 

 「・・・・・・」  

 予想が外れてなにも言えないでいる僕に、話しかけてくる。 

 「あっ、ごめんねー。トイレの場所忘れちゃって、時間かかっちゃった。これからどこ・・・・」 

 言いかけた美樹の目から、一粒の雫が流れた。 

 「あれっ、どうしたんだろ?」  

 無理に笑った美樹の目から、ポロポロと雫が落ちてゆく。 

 「変だな。泣きたいわけじゃあ」  

 ないのに、という言葉は、聞こえてこなかった。 

 僕の胸に阻まれてしまったから。  

 「無理すんな。泣きたいときは泣けよ」  

 「無理してなんかない」  

 強い言葉も涙によってかすれている。  

 「ほら、無理してるじゃん。何でそんなに強がるんだよ。悲しいときは泣く。そうすれば少しはすっきりするから。そうしないと、心の中がぐしゃぐしゃになっちゃうぞ」 

 小さい子を落ち着かせるときのように、髪を優しく撫でる。 

 「それに、いまさら我慢したって、さっきから変な泣き顔いっぱい見てるもん。意味ないって」 

 僕を見上げた顔に、涙だけでなく笑みも生まれる。 

 「ひど~い」  

 ふざけた口調も涙の中で小さくなる。僕は美樹を抱き締める腕に力を込めた。 

 「どうした?なんかあったのか?」  

 本気で心配している僕を安心させるように彼女は首を横に振った。だがその動作は僕の不安を取り除くためにはあまりに弱く、小さい。 

 まだ心配顔をしている僕を見て、小さく笑いながら静かに腕を振りほどく。 

 「大丈夫。本当に何でもないんだ・・・。ただ、寂しくなっただけ。楽しそうな親子の姿見て、もう私には取り戻せないんだなあって」 

 美樹には、家族がいないのか・・・。僕の中で一つの考えが産まれる。 

 だからあんなに寂しそうだったのか。  

 僕の想像は顔にでていたらしく、泣き顔のまま彼女が笑う。 

 「うん、そうだよ。私には帰る場所がないんだ。もう、お父さんと、お母さんと、笑ったり、泣いたり、喧嘩したりすることができない。平気だと思ってたけど、やっぱ、ちょっと悲しいね。私、ひとりぼっちなんだよ」 

 「一人じゃないよ」  

 うつむいた美樹に、静かに語りかける。  

 「一人なんかじゃない。美樹のこと想ってる奴は必ずいるよ。自分では意識しなくても、悲しいときとか、辛いときに愚痴きいてくれたり、一緒に馬鹿騒ぎしてくれてる奴は必ずいる。人によって表現の仕方は違うけど、みんな想いは一緒だよ。もし・・・もしお前の周りにそんな奴が一人もいなくても・・・」 

 美樹が顔をあげる。何かが足りない心。何かを待っている表情。 

 「俺がいてやる。ずっと、ず~っと側にいてやる。もう嫌だっていわれても、意地でもつきまとってやるから」 

 泣かないで。心を閉ざさないで。   

 瞳にたまっていた雫が、再び溢れ出す。  

 「だから、もう泣くなって言ってんじゃん」 

 「違うの。嬉しくて泣いてるの。なんかドラマみたいな言葉で、いつも馬鹿にしてるけど、言われてこんなに嬉しいって思わなかった」  

 「・・・それって、ほめてんの?けなしてんの?」 

 複雑な気持ちでいる僕に、彼女は答えを出した。 

 それは、とびきりの笑顔。   

 体を放していた少女が、自分から僕の腕の中に入ってくる。 

 「涙がついちゃうね・・・」  

 「いいよ、すぐ乾くから」  

 「私の心も、乾かしてくれる?」  

 本当に照れ臭そうに言った美樹の問いに、僕も苦笑に近い笑みを浮かべる。 

 「うん、いいよ。すぐに乾かしてやるよ」  

 お互いに笑った。幸せそうに笑った。  

 ・・・このとき、僕は一つの勘違いをしていた。僕は彼女の両親が亡くなっていると思った。だが、美樹は帰る場所がないといったのだ。 

 その言葉がどういう意味を持ったものであるのか、理解することができなかった。 

 美樹との約束が守れなくなってしまうなんて、このときの僕にはまだ分からなかったんだ


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