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その日、スペンサーの屋敷に一通の手紙が届く。その差出人を確認した執事長のジョージが皺くちゃな顔を綻ばせながらジェニファーを探して庭を歩く。探すまでもなくいつものように庭いじりをしていたジェニファーに声をかけると、嫌そうな顔で手紙を受け取る。
そして、その差出人に公爵家のご子息であるウィリアムの名前を確認すると、ジェニファーは分かりやすく眉を顰めた。
「じきにケイトが参ります」
「・・・・・・」
「楽しみですね、お嬢様」
「・・・・・・・」
「楽しみですね、お嬢様」
「・・・・・はい」
せっかくの実験日和だと言うのに。とジェニファー項垂れながら専属使用人であるケイトが走ってこちらへ来る様子を眺める。そしていつものようにずるずる引きずられ、屋敷に戻って行く様子をジョージはのほほんと見送る。
素っ裸にされ、湯船につけ込まれ、複数の使用人に髪を乾かされるとケイトが花柄のワンピースを上からずぼっとジェニファーに着せる。そして化粧を入念にした後、ぽんと肩を叩いてケイトが笑う。
「さっ!エントランスに向かいましょうねっ」
「・・・・・・」
「ウィリアム様も日を空けずお嬢様のお迎えに来てくださるなんて、もう愛よねぇ」
「ケイト・・・・」
「もう可愛くて可愛くて仕方がないって言っているようなものではありませんかっ」
「ケイト!」
「はぁい」
ケイトが気の抜けた返事をしながらジェニファーの背中を押す。そのことに顔を顰めながらジェニファーも渋々といった具合に自室から出る。階段を降り、廊下を進んでエントランスへと向かう。すでに待機していたジョージがドアを開けると、馭者を乗せた馬車が到着している。
馭者が帽子を脱いで馬車から降りてくる。すでに顔馴染みとなった馭者はジェニファーに会釈をすると、帽子を胸元に当ててにこりを微笑む。
「ウィリアム様がお待ちです、どうぞお乗りください」
「あら?ウィリアム様はいらっしゃらないんですか?」
「はい。今日はお屋敷にお連れするよう言われております」
「まぁっ!お屋敷に?!んもうっ我が家に何度も呼ぶなんてウィリアム様ったらぁ!」
「・・・・・・・」
ブライトの店『ブランシュ・ネージュ』に行くものだと思っていたジェニファーとケイトはお互いに別の感情を貼り付けた表情を浮かべる。まるで死地に送り込まれる兵士のように顔をげっそりとさせるジェニファーに馭者が眉を下げながら微笑む。
そして、いつものごとくじりじりと近づいた。
「ささっ、どうぞ馬車にお乗りください」
「・・・・・・」
「お嬢様!さぁ乗ってください!」
「ゔぅぅ・・・・・・」
ウィリアムの屋敷なんて、尊いお立場の人とその使用人たちしかいない。子爵の娘として品のある態度を心がけ、常に緊張をしていなければならないのでジェニファーは行きたくないと内心思う。しかしケイトに背中を押され無理やり馬車に乗り込んでしまえば、あとは自動的に屋敷へと連行される。
行きたくない。実験がしたい。
窓に張り付いてケイトを睨むジェニファーに、ケイトとジョージはひらひらと笑顔で手を振って見送った。
それからいくらか道を進んだ後、見えてきた大きなお屋敷にジェニファーは顔を青ざめる。馬車が止まり、痛くなってきた胃を押さえながらドアが開かれるのを待つ。
ドアマンがにこにこと微笑みながらドアを開ける。そしてこちらに手を差し出してくるので、ジェニファーはその手を掴むとそっと馬車から降りた。そして仰天した。
「お待ちしておりました、ジェニファー様」
「ようこそ、ジェニファー様」
「ジェニファー様、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう・・・・」
ずらずらとエントランスに並んだ執事と使用人たちの数に驚く。ぎこちなくワンピースの裾を掴み膝を曲げて会釈をするが、あまりに固まった表情に執事たちがクスクスと笑った。
そして、なぜかジェニファーの両腕を使用人が掴む。
な、なんだ。とジェニファーがさらに驚いて使用人を見る。しかし使用人たちは辺りを警戒しているようでキョロキョロと視線を散らしていた。
訳もわからないまま屋敷へと入る。そして長い廊下を進み、角を何度か曲がった先にあるドアの中へと連れ込まれる。いや、まだウィリアム様にご挨拶をしていないのですが。
そう思うジェニファーが胸を手で押さえ落ち着こうとしていると、部屋に連れ込んだ使用人がこちらを振り返り嬉しそうに微笑む。そして、前を開けるようにジェニファーの横にずれた。
その先には、以前お会いした眼鏡をかけた執事がいた。
執事は丁寧にお辞儀をすると、ジェニファーへと歩み寄る。そしてウィリアムに似た笑みを浮かべた。
「ジェニファー様、突然こちらへお連れし申し訳ありません」
「え、え・・・と、この状況は・・・・・」
「実は私ども、以前ジェニファー様にお会いし、またおもてなしをさせていただきたいと考えておりました」
「・・・そ、それはありがとうございます・・・・」
「・・・・しかし!」
「・・・・・!」
くい、と眼鏡を上げながら執事がそこで一度言葉を区切る。近くに立っていた使用人も執事へと歩み寄ると、真剣な表情でジェニファーを見つめる。
ジェニファーは自然とドアを背にしながら緊張する。な、何なんだ。早く先を言ってくれと思うような、もう帰してほしいと思うような。
そんなことを思っていると、執事が一歩こちらへ歩み寄る。そして真剣な表情で口を開いた。
「ウィリアム様がいらっしゃるとジェニファー様とお話をする機会がございません。もう片時も離したくないというようにべったりとされてしまうので、お話ができません」
「(何からつっこめばいいんだ・・・・)」
「それはとても喜ばしいことです。私や使用人一同、お二人の仲睦まじいご様子を拝見しておりますとこちらまで幸せになってしまうほどです。あのウィリアム様が幸せそうに目を細めながらジェニファー様をご覧になるお姿はまるで天使・・・・いえ、神でしょうか・・・・」
「(ウィリアム様が大好きなんだなぁ・・・・)」
「ですが!」
「は、はい」
「そうなってしまいますと、いつかこの屋敷、いえ別の屋敷でも構いません。お二人が婚約し、お世話をするようになっても、いつまでたっても!私どもはジェニファー様と楽しくお話をする機会をウィリアム様に奪われたままとなってしまいます!」
「い、いえ・・・・あの・・・婚約はーーーー」
「ですので、こうやって無礼を承知でお招きしたということです」
「(聞いちゃくれない・・・・)」
ずずい、と顔を寄せる執事に乾いた笑いを浮かべながらジェニファーはこくこくと頷く。もう何を言っても聞いてくれないとジェニファーは諦めた。
その様子に執事と使用人がにこりと微笑む。そして、なぜかその手に使用人服と丸眼鏡を持つ。ジェニファーは嫌な予感がした。悪寒がした。
「ウィリアム様は現在仕事中です。まだお嬢様がいらっしゃっていることをご存知ありません。なので今がチャンスです」
「・・・・・・」
「そのお上品なお姿では、すぐにウィリアム様の目に留まってしまいます。そして屋敷にいる執事や使用人は多い・・・全員をこの部屋に呼べばウィリアム様にも気づかれてしまいますし、定期的に場所を変えたいと思っております。・・・ですのでお嬢様」
「・・・・・」
「どうぞ、変装をしていただきたく」
「(やっぱり・・・・)」
「お願いします」
「お願いいたしますお嬢様」
「何卒ご容赦くださいませ」
どうしてこうなるのか。用意された使用人服にジェニファーは頭を抱える。執事や使用人がおもてなしをしたい、そして話をしたいと思ってくれていることは嬉しいが、どうしてそこで使用人服を着させようという考えに至るのだろうか。
にこにこと執事と使用人に微笑まれる。その微笑みには拒否権がないように思えた。
「わ、分かりました・・・・」
「ありがとうございます!ウィリアム様の仕事が終わりましたら、すぐに着替えていただいて構いません」
「そ、そうですか・・・・」
「着替えは彼女たちが手伝いますので、何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます・・・・」
「ささっお嬢様お着替えをしましょうっ」
「レディのお着替えを手伝うのは初めてなのでとても楽しみですっ」
ウィリアムにはアメリーとアニエスという妹がいるが、あの二人はまだ幼い。ジェニファーはケイトによって流行り物の洋服を着るだけの背丈もあるし、顔もマネキンのように無表情だが体型も小柄なマネキンなので使用人たちも楽しみにしていたらしい。
いそいそとジェニファーからワンピースを受け取り、綺麗に畳む使用人が顔を綻ばせる。その様子にげっそりしながら、ジェニファーは用意された使用人服に着替える。
髪も頭巾で覆われ、丸眼鏡をかけると顔を凝視されなければバレない程度には変装できたと思う。あとは使用人の後に続いて歩いていればウィリアムにも気づかれることはないだろう。
「それでは、まずは談話室に向かいましょうっ」
「本日非番の執事や使用人が待っております」
「は、はい・・・・」
使用人と共に廊下に出る。そして歩き出す。
ひらひらと揺れるエプロンが視界に入って、さらに気分が滅入った。
「(私は公爵家のお屋敷に来て何をしているんだろうか・・・・)」
ウィリアムにばれたら、それこそ赤っ恥である。
絶対にばれたくない。ジェニファーは拳をぎゅう、と握ると見えてきた談話室へと足を向けた。