9話 身分証もらいました
リーマン家を出た俺は、教会で成人の儀を済ませた。
これで成人になったのだが、これといって身体的に変わった様子はない。ただ教会から成人の儀を受けた証明書みたいなものを貰い、そして役場で身分証という物を発行してもらうだけらしい。
「さあ、行こうかリディ」
「ハイ!」
教会を出た俺は、入り口で待っていたリディアにそう声を掛けた。
リディアは清々しい笑顔で返事をし、俺の後ろをついてくる。
俺が家を出ると決心した時、リディアもリディアなりに考えたのだろう。俺に付いてゆくと言って聞かなかったのだ。
リディアはリーマン家に雇われている以上、そのままリーマン家に残ってもいいのだぞ?と選択肢を与えたのだが、聞く耳を持っていなかった。
『リディ、俺は出てゆくが、お前はどうするのだ?』
俺がリーマン家を出てゆく決意を固めた時、リディアにそう尋ねてみた。
するとリディアは、可愛らしい瞳に涙をいっぱいに溜め、
『シーベルタ様がいなくなったら、わたしはどうすればよいのですか? この屋敷にも味方がいなくなります。このままオンナオトコとして生きていくなら、是非ご一緒させて下さい。わたしはシーベルタ様の専属メイドとして今後も尽くしますからぁ〜』
びえええぇ〜ん、と泣きながら俺に縋ってきた。
『いや、俺は貴族ではなくなるんだぞ? 今後お前を雇う金もなくなるかもしれない。この先何があるかわからないのに、お前を連れいてゆくわけにはいかない。外は危険がいっぱいらしいぞ?』
外の世界は危険でいっぱい。そう教えられてきたのだ。どのような危険が待ち受けているのか想像もできない。恐ろしい魔物に襲われるかもしれないし、魔王とかに攫われるかもしれない。特にリディアは可愛いのだ、野獣と化した男どもに襲われるかもしれないではないか。物語の受け売りだが……。
『お金なんて要りません。この15年間屋敷から数度しか出たこともなかったのですから、給金は手付かずで残っていますから、なんとかなりますよぅ〜。危険がいっぱいでも二人でなんとかすればよいのです。なんといってもシーベルタ様は、旦那様や騎士団長様よりもお強いのですからなんとかなります』
リディアはジャラり、とこれまでもらった給金をテーブルに拡げた。
なんで用意してるんだ? お前も用意周到なやつだな……。
だがその金額は結構なものだった。金貨にして50枚ほどだったろう、それぐらいはあった。
『いやいや、そんな金すぐなくなるかもしれないぞ? それに父上や騎士団長より強いかもしれないが、なんとかなるかどうかなんて、その時にならなければわからないじゃないか』
『いえいえ、お金がなくなったら二人で稼ぎましょう! それにわたしもそれなりにシーベルタ様と一緒に鍛えていたのですよ? 危険なんか二人で、え〜ぃ! と片付けてしまいましょう〜』
メイド服の袖を捲りあげ、力こぶを作って力説するリディア。
くっ……メイドのリディアに力こぶで負けるとは……俺もまだまだ鍛錬が足りんのか……。
自分の少しぽよよんとした二の腕をつまみながら、悔しくなったことは置いておこう。
『二人でなんとかなるのか? まあ少し心配だが、俺一人よりもリディアがいてくれれば心強いのは確かだし……』
確かに全く知らない世界に一人飛び出すのは心許ないものがある。リディアでもいてくれたら寂しくないのでは? と考えたことも一度や二度ではない。だが危険な世界にか弱い(?)リディアを連れてゆく気になれなかったのも事実だ。
『それならばお願いしますシーベルタ様、わたしを捨てないで下さい。わたしはシーベルタ様がいないと使えない子、要らない子になってしまいますぅ〜』
びええええ〜ん! と今度は鼻水をも流しながら俺にしがみついてそう言う。
『あーもう! 分かった分かった、分かったから離れろ! ほら、これで洟をかめ! 服が汚れる!』
ぶびびびび〜と、俺のお気に入りのピンクのハンケチーフは、リディアの鼻汁まみれになってしまいました。
そんな件があり、こうして一緒に家を出ることにしたのだ。
俺は貴族社会から身を引くために、高価な衣服ではなく、俺が所有している服で一番安そうな、鍛錬時に着ている服を着用ている。それに愛用の剣を腰に佩き、旅支度とした。
リディアはメイド服しか持っていないらしく、いつものメイド服を着用している。それに俺の着替えと自分の着替えを詰めた大きなバックパックを背負っているのだ。みた感じ重そうなのだが、平気そうに歩いている。身体の大きさの割には力持ちだ。さすが男である。
背丈は俺よりも多少低く可愛らしい体型をしているが、なにぶんバックパックが大きすぎるので余計に可愛く見える。
脱いだら筋肉ムキムキなんです。とは思えないほどに可愛い。
「リディ、その服装で旅をするのか?」
「はい、どこかおかしなところがございますか?」
「いや、おかしくはないが、旅装とかそれなりの服装があるのではないか?」
どうも旅にはふさわしくない服装に思えてならない。確かに俺も見慣れているからリディアらしくて問題はないが、街行く人達の服装を見るに、どこか浮いているように感じる。
「いいえ、シーベルタ様にお仕えする以上、これはわたしの正装であり戦闘服でもあるのです。誰がなんと言おうともこれだけは着替える気はございません!」
リディアは、ふんす!と鼻息を荒げそう言い募る。
なんの矜持かわからんが、俺が言っても無駄なことはわかった。まあ服装などどうでもいいか。
「そうか、ならば好きにすればいい。それと今日から俺はシーベルトだ、間違えないように」
「ハイ! シーベルト様!」
リディアは嬉しそうに微笑んだ。可愛いじゃないか。
どうもシーベルタという名は女性の名前のようで昔から好きではなかったのだ。これを機に男性らしい名前がいいとシーベルトにした。一文字しか変わらないが、男らしくなった気がする。
「よし、では役場に行くぞ」
「ハイ!」
役場で身分証の手続きをし、俺はシーベルトと改名して成人の証である身分証を手に入れた。これでリーマン家の家名は捨てたことになる。
ここに一人のシーベルトという人間が、この世界に誕生したことになるのだ。
まあ一文字しか違わないので、紛らわしくもないだろう。どちらにしてもリーマン家を出たのだから家名も無用の長物でしかないのだから。
ちなみにリディアは2年前に成人になっているので身分証を持っていた。その時に名前をリディアと登録してあるので、実際男なのだが一生女の名前のような「リディア」で通さねばならなくなっている。なんか不憫だ。
でも、俺が呼ぶのは「リディ」なので、男でも女でもどちらでも通用しそうだからどうでもいいか。どうせならリディで改名できればいいのだが、どうやら難しいようだ。
この街ですることも終わり、俺とリディアはきょろきょろしながら街をさまよっている。
しかしこうして街行く人達を見ると、俺の鍛錬用の服装もそれなりに浮いている。だが粗末な服など、これが最低限の服なのだから仕方がない。まあそのうちどこかで服を調達すればいいことだろう。
とにかく今日、俺は自由になったのだ。これからは好きに生きて行けばいいのである。
と、ここで躓いてしまった。
「さて、どこへ行こうか……」
差し当ってどこに行こうか決めていなかった。
「え〜っ、決めておられないのですか!?」
「ああ、決めていない。というよりも、この世界のことなど全くわからない俺に、どこに何があるのか分かっていると思っているのか?」
「威張るところではありませんよ〜、もぅ〜無計画すぎます」
ちゅん、と唇を尖らせながら俺の無計画さを叱るリディア。
そして大きなバックパックを下ろし、ゴソゴソと中を漁りだした。
まあ威張っているわけではないが、敷地内からからほとんど出たことのない俺が、自分の領地のことすら良くわからないのは当然の事だ。地図は見たことがあるが、王都がどの方向にあるのかもわからんのだ。
「あ、あったあった!」
リディアはそう言いながら一枚の地図をバックパックから取り出した。
そんなものまで入れていたのか。なかなかやるな。俺一人だったなら、ここで路頭に迷うところだった。リディアを連れてきてよかったと、のっけからしみじみと思う俺だった。
「メイド長からもらってきました。そうそう、餞別も貰ってきたのですよ?」
「餞別というか、退職金だな……」
厄介払いみたいなものだろう。餞別を貰っても、もう帰ることはないのだ。土産すら買ってこられないのに。
「まあ貰ったものは返しませんよ。これはわたしとシーベルト様の大切な旅の資金として使いましょう」
「そうだな」
「で、どこへ行きますか?」
地図をぺらりと開き、俺の前に差し出す。
「そうだな、早々にこの街を出たいところだし、こっち方向に行ってみようか」
俺は地図の適当な場所を指差した。
「ハイ! ええーと、そちらですと一番近い街までどれくらいでしょうかね?」
キョトンとした顔で俺を見返してくる。
「分からんのか?」
「分かりませんよ! 自慢じゃありませんけど、わたしもシーベルト様と一緒で、ほとんどあのお屋敷から出たことがないんです。地理的なもを知るわけもないのですよ!」
エヘン! と胸を張るリディア。
「自慢してるし、知らないことを威張るな!」
「それはお互い様ですよ? シーベルト様」
この時の俺たちを見た道行く人々には、とても楽しそうで、一抹の不安すらない二人組に見えたことだろう。
相当後になってわかることなのだが、こんな行き当たりばったりでよく旅に出ようと思ったこの頃の俺は、相当世間知らずの無鉄砲で向こう見ずだったのだと……。
普通ならこの時点で盛大に不安になるものだろうが、今の俺は、まだ見知らぬ世界への旅の期待で、舞い上がっていたのだ。
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