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春子と不思議な物語シリーズ  作者: 独蛇夏子
春子、四年生、春と夏
19/29

18 うそつき

ブログ掲載:2012.7.22 テーマ:嘘

『シリーズ表集4 華 春子と不思議な物語 四年生、春と夏』という紙媒体に収録しています。

2012.11.18発行

 キョロキョロッとお皿のように真ん丸な目を動かし、そいつはニヤリと笑った。

 同級生たちの肩口越しに、マキちゃんの肩上にいるそいつを見つけて、春子は眉を顰めた。


 そいつは灰色の毛むくじゃらな獣《けもの》だった。頭でっかちで、長い胴を持ち、手足はひょろひょろしている。イタチのようにしなやかに動き、猿のように器用に手足を使っている。

 にやにやした口元からは、赤い舌が二つ、重なって覗く。

 小学四年生の女の子の肩上に乗るくらいの大きさで、ちょこちょこ動いては、その体が薄まるように透過したり、実体を持ったりする。


 そんな異常なものを肩に乗せていて、マキちゃんは気付いていないようだった。

 いわずもがな、それは妖怪なのである。


 春子は「脱妖怪」の孫という、異色の出自をもつ。

 それゆえ、変なものやおかしな現象によく遭遇する。


 しかし、この時、春子は同時に、異なる種類の問題に直面していた。片一方はマキちゃんの肩上の何かだ。

 もう一方は


 「高橋と村田にフタマタかけてつきあってるってほんと?」


 身に覚えのない事情を、複数の人間にほとんど断定的に問われているという状況だった。

 春子は目の前の異常事態と、自らの緊急事態を、どう対処しようかと悩ましく思った。

 登校直後、マキちゃんの異常事態に気付いたと同時に、春子は廊下で同級生たちに囲まれた。しかも、とことん追及せんという意地悪い顔ばかりに。

 彼らの主張によれば、こういうことらしい。

 三年生の時にクラスが一緒だった春子と高橋くんは秘密で付き合っていた。それは「みんな知っていること」であり、そういうものだと「みんなに」思われている。ところが、昨日、春子が村田くんという同級生と仲良く下校しているところを複数人が目撃して、噂があっという間に広がった。

 浮気だろう、というのが彼らの見立てだったのだ。

 噂の当人、春子は全く身に覚えがないので、寝耳に水だ。登校早々に廊下で囲まれて目を白黒させた。

 同級生たちの矢継ぎ早な話の中で高橋くんの件が出てきたときは「またそれか」と天を仰ぎたくなった。前に、マキちゃんに、春子と高橋くんのことを邪推されたことがあったからだ。

 それが、囲まれて慄くほどの人数に認識されて、広まっていたとは。

 まだ始業時間まで時間があるのに、集まって春子を囲んでいる子たちの中にマキちゃんの顔を発見し、異形のものを発見し、春子は更に困惑した。

 想起したのは、〝高橋くん〟に妖怪が憑りついたときのことだ。運動会でそれが露見して、大変なことになりかかった。


 にやにや笑いのそいつには、不思議なことにそれほど嫌な感じはしない。しかし、大きな丸い目で見られ、舌をチロチロと出す様子を見ると、嫌いなやつだ、とか、脅かされている、といった感覚を受ける。

 変なやつにしろ、何か特殊なやつである気がした。


 そもそも、四年生に進級してから、マキちゃんの春子に対する態度は三年生のときよりもっと悪くなった。カレンちゃんと話をしていると、春子を除け者にしようとする。幸いカレンちゃんの態度は変わっていないし、一人だけ別のクラスになったルミカちゃんは、休み時間ごとに春子たちのクラスに遊びに来て、空気を読まずに話をしてくる。

 三年生の時にカレンちゃん、ルミカちゃん、マキちゃんとの交流ができるようになったのは、春子にそれまでなかった視点をもたらした。あちらへこちらへ、自分がおもしろく思うものを見て過ごす以外の、休み時間の過ごし方や、楽しみ。それからクラスのあり方。他人と関わって、心が浮き立ったり、共有したり、辛かったりすることだ。

 マキちゃんに嫌われているらしいことに感付いた時は、やっぱり辛かった。仲良くなれたと思っていたから、悲しかった。

 しかも、困ったのは、事実と虚構をないまぜにして、マキちゃんが「春子ではない春子」を作り出してしまうことだ。話をしていると、どんどん生身の春子から乖離した「春子像」が作られてしまう。

 それが広がってしまうものなのだと、今、同級生の非難に囲まれて知って、春子は慄いている。


 そいつは目をくるりと回して、黄色い歯を剥き出した。

 マキちゃんは変にギラつく目をして、春子を見つめている。

 肩にはするりと動く醜悪なそれがいる。

 間違いなく、「何か」に憑りつかれている状態の人間に見えた。


 だが、どうにかできる状況でもない。

 「遠野、どうなんだよ」

 「なんでそんなことしたの?」

 「人の気持ち考えろよー」

 男の子も、女の子も、本気で非難と好奇の目を向けてくるのだ。

 「高橋くんが可哀そう」

 おおよそ可哀そうに見えない、いばりんぼうで居丈高な高橋くんが思い浮かぶ。

 春子が高橋くんと接触があったのは、去年の秋の運動会のことだ。それ以降、クラスにいてもほとんど話をしなかった。

 村田くんのことだって、昨日たまたま一緒になって帰っただけだし、どうってことないのだ。

 にも関わらず、春子の知らないうちに、その事実が拡張されて、猖獗(しょうけつ)している。

 春子は、この状況を打開する術を知らない。

 事実とかけ離れた『実情』は薄気味悪く、春子を狼狽えさせるには充分だった。

 「さっきから何で何も言わないの」

 「みんなに言われた通りだからだよーやっぱ」

 春子は言われた通りだからだよ、と言葉を被せたマキちゃんの方を確認した。


 肩口にいるヤツの眼がキラッと光り、二枚の舌を愉快そうにチロチロと出した。


 春子は目を細めて、苛々しながらそいつの様子を観察した。春子だって、だてに変な出来事に遭遇してきてない。

 前に運動会で高橋くんに妖怪が憑りついていたときのことを思い出していた。あのとき、高橋くんに変なやつが憑りついているのと同時に、生徒たち全体に剣呑な空気が広がっていて、嫌な気持ちがしたものだ。

 

 今、春子を見下ろすように、変に明るい顔をして、それでも剣のある目をした同級生たちの顔、顔、顔。


 マキちゃんは余裕の表情で、高らかに言う。 

 「みんなの言う通りだから、なあんにも言えないんだ」

 

 「ちがう」


 大きな声に、みんなぎょっとした。

 春子はみんなが一斉に黙ったのを、じろりと眺めた。自分が激昂していることに、半分気付いていなかった。

 だから、みんなが見たことがないような、物凄く怒った顔をしているのに自覚がなく、一筋の冷静さを保って冷ややかな観察の目線を向けていた。


 獣はするりとマキちゃんの肩口から消え、マキちゃんの背のうしろに隠れようとした。


 春子の妖怪的直観が鋭く働いた。

 ヤツが一体何をしでかして、マキちゃんと結びついて、このような状況になっているのかは不明だ。

 だが、ふたつの問題がもし繋がっていて、関係があるのなら、片一方をどうにかすれば、もう片方も解決する可能性が高い。

 そして、落ち込むを通り越して物凄く腹が立っていた。

 

 「高橋くん来てるのかな」

 高橋くんは前に春子のことを嫌いだと言っていた。

 だから、春子との交際の噂を、全力で否定するはずだ。



 春子の学年は、1組と2組がある。

 三年生のときは一緒のクラスだったルミカちゃん、それから高橋くんは、四年生のクラス替えで1組に配された。もし高橋くんが登校済みなら、彼は1組にいるはずだった。

 ところで、春子のことを知っている学校の同級生たちのほとんどは、春子が笑ったり泣いたりするところをおおよそ見たことがない。基本が無表情で、するすると人の関心の的から外れ、雲のように掴めない遠野春子という同級生は、クラス内の人間関係のカテゴリ外である、という印象が強い、なんとなく不気味でさえある人物だった。

 だから、顔を火照らせて、目を吊り上げ、唇をぐっと引き結んだ憤怒の形相の春子が1組に登場したとき、朝のクラスのその空間は騒然とした。


 遠野さんがなんかキレてる!!


 そして、突如、渦中の人物となった高橋くんは、登校したばかりのようでランドセルを机の上に乗せていたが、怖い顔をした春子に睨まれて慄いた。

 ましてや、その背後に吃驚顔困惑顔の複数の同級生を引き連れているのだから、尚更だ。

 「高橋くん」

 「あ?」

 「おはよう」

 「あ、お、おう」

 「高橋くん」

 「何だよ!」

 「春子と高橋くんは付き合ってないよね?!高橋くんは春子のこと嫌いだもんね?!」

 春子がいっぱいいっぱいになって問うた言葉に、高橋くんは愕然とした表情をした。

 登校済み同級生ほぼ全部の好奇の目が自分に集中しているのにも気付かず、春子は高橋くんの返答を待った。が、高橋くんが口をあんぐり開けて何も言わないので、少し冷静になって「あれ?」と訝しく思った。

 と、外野から声が飛んできた。

 「高橋ー、お前フタマタされたんじゃねぇのかよー」

 「カレカノだって噂、本当じゃないの?」

 「昨日さ、遠野さん、村田くんと帰ってたんだよ。いいの?」

 ああそっか、高橋くんも春子と一緒で、みんなに噂されているのを知らなかったのかも知れない。そう納得して、春子は高橋くんの発言を待つ。

 外野の、非難とも好奇ともつかない説明に、高橋くんは目を丸くしたが、一瞬春子を流し見た後、顔を赤くして居丈高に怒鳴った。

 「ちげぇよ!そんなこと知るかよ!俺がこんなやつ好きなわけねぇじゃん!!」

 望んだ通りの否定だが、若干傷付くは傷付く。

 一瞬集まった子たちは言葉をなくし、誰かが悪態をついた。

 「はぁ?!マジなんなんだよ!」

 その場に白けた空気が漂い、うんざりした声が重なる。

 とりあえず、誤解はとけかかっているらしい。未だ剣のある空気だったが、春子は少しほっとした。が、剣呑な声で、誰かが高橋くんに問うて、春子は目を丸くした。

 「なんだよ、こないだ本当か聞いたら何にも言ってなかったじゃねーか」

 えっ、そうなの?!

 高橋くんの新情報に春子は驚きかけたが、その時ドンと体に衝撃があって、驚きが別方向に転換された。

 見ると春子の顔のごく近くにルミカちゃんの茶色っぽい柔らかい髪と白い頬があって、ルミカちゃんが春子の腕にしがみついているのだった。多分、登校してきたばかりなのだろう。まだランドセルを背負っている。

 ルミカちゃんは必死な様子で叫んだ。

 「みんな、ひどい!春子ちゃんが高橋くんみたいな馬鹿な人と付き合うわけがないじゃない!!」

 それも酷い。

 ルミカちゃんの素直すぎる発言にみんな硬直したが、その次には力が抜けたような、戸惑うような顔が居並んだ。

 少なくとも、先ほどのような鋭い非難の目線は春子に向けられてはいない。自分に向けられていた矛がなくなったことに、春子はこの状況を乗り切りかけていると知ったが、ただ一つ、にやにや顔をしているのを思い出して、眉を(ひそ)めた。


 そいつは春子を見て、二枚舌をペロペロと出した。


 なんだか腹が立って、今度はそいつと断固戦うつもりで、マキちゃんの方に一歩踏み出そうとした、その時。

 「マキちゃん!!」

 凛とした怒りの声を上げて、1組に乗り込んできたのは、カレンちゃんだった。

 と、春子はマキちゃんが急に蒼くなって、カレンちゃんの方に目線を移したのに気付いて、あれ、と思った。さっきまでは妙な光を目に宿して、春子をギラギラと見ていたのに。

 この落差は一体何だろう、と思っていると、カレンちゃんは颯爽と教室に入ってきた。周囲の視線と椅子と机をすり抜けて、1組と2組の同級生が群がっている高橋くんの席近くまでやって来た。

 悉皆の注目を集めた中で、カレンちゃんはくっと顎を上げ、少し背の高いマキちゃんを見据えた。

 「2組で聞いたんだけど、春子ちゃんが高橋くんと村田くんにフタマタかけてるって?!バカでしょ。春子ちゃんと高橋くんがカレカノだって言いふらしていたのって、マキちゃんじゃん!!」


 えっ。


 カレンちゃんもそれ知ってたんだ。


 本日二回目の春子の『えっ』という瞬間、同時に、マキちゃんは顔を真っ赤にして、潤んだ瞳でカレンちゃんを見ていた。

 「なんで今そんなこと言うの」

 「なんでなんてこっちが聞きたいよ。何で春子ちゃんが高橋と付き合ってることになるの?!それ、春子ちゃん違うって言ってたじゃん。マキちゃんの作り話でしょ?!」

 衝撃の事実がカレンちゃんによって暴露されていく中で、群がる生徒たちは呆気にとられていたが、段々と剣呑な空気が再び膨らんできた。今度はマキちゃんに向けられているものだ。

 春子は戸惑いつつ、マキちゃんの様子を窺って、そして見た。


 肩口から顔を出す獣。

 目から上だけ出して、キョロキョロと周囲を見ている。


 む、と春子は引っかかった。

 さっきよりずっと、態度が縮小したみたいだ。


 と、ヤツはにやりとした顔をひょこっと出した。


 「ちがう、作り話じゃない!!」


 それはちがう!!

 マキちゃんが顔を赤くして、泣きそうになって必死に言うけれど春子にとってはとんでもない発言だ。

 カレンちゃんは、そんなマキちゃんに冷ややかだった。高橋くんに声をかける。

 「じゃあさ、高橋は春子ちゃんとカレカノなの?」

 「そんなわけねぇじゃん」

 「春子ちゃんは」

 「ちがう」

 「二人が違うって言ってるんだから違うんじゃん。それ最初に言い出したのってマキちゃんじゃん。それに昨日村田くんと春子ちゃんが一緒に帰ってたのってたまたま下駄箱で一緒になったからだよ」

 一同はぽかんとしてカレンちゃんに目を向けた。

 「何で知ってるの?」

 「図書係で放課後残ってて、春子ちゃんの帰りを見たの」

 春子は心の中がすっと冷えるような気持がした。

 カレンちゃんが、帰りを見ていた?

 カレンちゃんは「それに」と、断定的で、強い口調で言った。

 「そもそもうちらがさ、付き合うとかフタマタとか変だから!ないから!そんなの信じてさわいでるのってばかみたい!!」

 「だってさ、前からそう言われてたんだよ・・・」

 「だからって、事実と違うこと言って、春子ちゃん傷付けていいの?!」

 「でも何でさ、マキちゃんはそんな話をみんなに言ってたんだよ」

 呆けたように、マキちゃんは硬直して、何も言わない。

 「マキちゃんは前から春子ちゃんに冷たいの」

 春子は多少なりともショックを受けた。マキちゃんの態度は分かっていたつもりだけれど、他人にはっきり言われるのはまた違うのだ。

 顎を少し上向かせて、見下ろすような目線でみんなに言い放つカレンちゃんの言葉が、その場に浸透していった。

 冷ややかな空気にあてられたように、蒼い顔をしたマキちゃんは、この上なくショックを受けた顔をして、そこに立っていた。


 ヤツのにやにや笑いはそこにはない。ぱちくりとさせる皿のような目が、思案を臭わせている。


 「前から思ってたんだけどさ、マキちゃんが春子ちゃんに辛いことするの何で?嘘吐いて仲間外れにしようとするとか、ひどい」

 「だって」

 「だってじゃないよ。わたしもう、マキちゃんとは絶交だよ」

 あっ、と、春子は声を上げそうになった。


 獣が、するりとマキちゃんの肩から降りて、隣の子の衣服に跳び移ったのだ。


 震える声でごめん、と言うマキちゃんに、ごめんはわたしに言う言葉じゃないでしょ、というカレンちゃんの強い声が、遠くで聞こえる。

 春子は、その状況に動けぬまま、ただヤツの行く先を目で追うことしかできなかった。

 遂にマキちゃんが泣き始める。周囲に白けた空気が漂う。


 獣はしなやかな動作で、するり、するりと同級生たちの肩や腕や胴を移動して、そして、ふっと消えてしまった。


 「春子ちゃん、行こう」


 はっとして目を向けると、カレンちゃんが呆れた、とマキちゃんを見やって、肩を落としてみせた。同級生たちはチラチラとこちらを見ながら、自分のクラスに戻ろうとしたり、こそこそ話したり、仲の良い者同士で集まって話そうとしたりしている。

 脱力感に襲われて、春子はひどく気持ちが暗くなった。

 春子は唇を噛み締め、そばにくっついていたルミカちゃんに抱きついた。

 春子の不意の行動に、誰もが驚いたが、春子はどこか遠いところに行きたくなって、ルミカちゃんの肩から顔を上げたくなかった。

 「きゃっ。春子ちゃんに抱きつかれたの、初めて!」

 ルミカちゃんだけはいつも通りだった。


 授業時間が近付いて、それぞれてんでんにクラスに帰って行った。まるで嵐の雲がだんだん千切れていって、まばらな雨を降らせるみたいな幕引きだった。

 しかし、嵐後の被害はあるわけで、マキちゃんには誰も声をかけず、春子はルミカちゃんに寄りかかっていた。カレンちゃんはいつの間にかいなくなってしまっていて、高橋くんはどうしていいか分からない風にその場に立ち尽くしていた。

 春子は何人かに話しかけられたけれど、誰にも何も答えなかった。ルミカちゃんが「今春子ちゃんに話しかけないで」と追っ払った。

 そうして授業時間ギリギリまでルミカちゃんの肩口に顔を俯かせていて、「女ってコエーな」と呟いた高橋くんの呟きをぼんやり考えた。




 「そいつは、うそつき、じゃのう」

 うそつき、とはマキちゃんのことだろうか。

 嗚咽に痙攣しながら、なんとか涙を拭いて、春子は祖父を見つめた。

 祖父のいる自宅の縁側には、夕闇がうっすらと落ちていた。中庭の赤紫のつつじも暗く陰を落として、地面に広がる小さな草花に静寂を投げかけていた。

 帰宅してすぐ、春子は祖父のいる縁側に話をしに来た。

 丸い背中をしていて、耳がちょこっと尖った、得体の知れない雰囲気を醸し出す祖父は、祖母に恋して「脱妖怪」となった経緯をもち、変なものやおかしなものに殊更詳しい。

 今日のことも変なものと関係があるから、話したいと思ったのだが、結局感情に任せて洗いざらい祖父にぶちまけてしまった。今日あった嫌な目も、マキちゃんやカレンちゃんのことも、醜悪なヤツのことも、全てが関係しているから言ったというより、澱みのように胸中に広がるものを吐き出したのだった。マキちゃんの言動に悲しく思っていたことが溜まっていたのもあるのだろう。何の抵抗もできず、主導権も握れず、変な悪そうなヤツもみすみす見逃した。悔しいやら、がっかりやらで、散々だ。

 遂には泣き出した春子を、いつもは瞼が被さっている瞳を真ん丸に開いて、祖父は見ていた。

 そしてぽつりと言ったのが、「うそつき」という単語だった。

 「うそつきって、マキちゃんのこと?」

 祖父は茶に金の虹彩が光る目をギラリ、と瞬かせて、ふむと言った。

 「人間の空言のこともあるがのう。春子が見た、変なヤツのことじゃよ。そやつは〝うそ〟じゃな、おそらく。実体がないが、昔から、おるやつじゃ。どこにでも、人のおるところに、現れる。人に憑くゆえ、その人間は〝うそ憑き〟じゃ」

 春子は背筋がひやりとするのを感じた。


 あの醜悪の正体。


 「うそ、人のいるところに現れる」

 「そうじゃ」

 「あれって、〝嘘〟そのものなんだ」

 「そうじゃ。そのおなごは、〝うそ〟に憑りつかれておったのじゃ。嘘を言っておったのであろう?」

 ひょこりと顔を出して、にやにやしてみたり、二枚舌をちろちろ出してみたり、隠れてみたり。

 そういえば、マキちゃんが嘘を吐いたとき、出しゃばるのだ。そして、マキちゃんの嘘がバレたとき、するりとどこかに行ってしまった。

 同級生たちの体を伝って、消えてしまった。

 そうか、あれは連動していたのか。納得して、同時に怖くなる。

 嘘は醜悪に感じられるものなのだ。

 「それで」

 祖父は春子の顔を窺いながら、訊いた。

 「その後、学校は大変でなかったかの」

 虚を突かれたような感じだった。春子は少し狼狽したが、たどたどしく答えた。

 「なんかみんなよそよそしかった。いつもより白けた感じで」

 「友とはどうなった」

 「休み時間はルミカちゃんと一緒にいた。マキちゃんとも、カレンちゃんとも話せなくって。あ、でも村田くんはさいなんだったなーって話しかけてくれた」

 「そのカレンとやらは、春子を助けたのではないかの」

 「うん、そう・・・なんだけど」

 春子は躊躇いながら言った。

 「カレンちゃんも嘘を吐いていた」

 「ほう?」

 「春子と村田くんが下駄箱にいてそれ見たって言ってたんだけど、それ違うの」


 昨日確かに春子と村田くんは一緒に帰った。

 だけど春子が帰るとき、下駄箱には誰もいなかったのだ。帰り路の途中で、村田くんが後ろから駆けて来て声をかけてくれた。その後はずっと村田くんが好きなマンガの週刊誌の話を聞きながら帰ったのだ。

 つまり


 「春子と村田くんを下駄箱で見るわけないの。それをどうしてそう言ったのか分からないの」

 それを思うと、なんだか泣きたい気分になる。

 ふむ、と祖父は考えて、言う。

 「それは春子を庇うために、わざと吐いた嘘ではないかのう?」

 そうだろうか。

 春子は考えるが、なんとなくその理由は、しっくりこない。

 なんだかもっと

 「カレンちゃんはマキちゃんのせいになるようにしていた」

 感じがした。

 祖父はうむ、と頷くと、難儀なことじゃのう、と春子に言った。


 祖父の、穏やかに労わる声調に、ほっとしつつ、春子は違和感を覚えた。なんだろう。おじいちゃんとこんな話をするのは、変だ。

 いや。ちがう、いつもはこんな話を、しないのだ。

 「学校であったこと、おじいちゃんに話すの、初めて」

 正確には、学校であった不思議なこと以外、だが。

 祖父はぷくぷくと笑った。

 「じゃのう」

 今回の出来事は、複雑だ。複雑で、春子には悔しくて、悲しくて、疲れることだった。

 何故だろう、人が関わると、絡まって玉になった糸のように、容易ならざるものになる。


 何でマキちゃんは春子がフタマタかけてるって、嘘吐いてみんなに広めたの。

 何で高橋くんは、最初に嘘を否定しなかったの。

 何でカレンちゃんは春子と村田くんが下駄箱で会ったって、嘘吐いたの。


 疑問は生まれて、胸の内にたくさん折り重なっているけれど、何一つ春子だけでは解決できない。


 「〝うそ〟は誰にでも憑りつく。春子にものう。どこぞ見えなくなった〝うそ〟は、すぐそこにいるやも知れぬ。暴かれればすぐ離れていく、薄情な性質にして、己の益に忠実なやつでのう。忘れるでないぞ、春子」

 祖父の眼がギラリと光った。

 「そやつは、嘘を吐いておったのじゃ」


 疲れた心の奥底で燻るものがある。

 偽りを押し付けられた、理不尽さに対する怒り。

 暗い笑みを浮かべ、ヤツを肩に乗せて、春子を貶めようとした。


 怖れと怒りを伴って、春子の中に燻った。


 「春子は逃げずに戦えるかのう」

 それでも、また明日も、学校はある。

 祖父のおもしろげな口調が、薄暮れの中庭に吸い込まれていった。

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