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春子と不思議な物語シリーズ  作者: 独蛇夏子
砂上の蝶、君を守る
12/29

11下 君を守る

紙媒体『シリーズ表集2 春子と不思議な物語~三年生、夏・秋編~』書下ろし 

2011年11月3日発行 文学フリマにて販売

中編「砂上の蝶、君を守る」本編 下

 お昼休みが始まるや否や、春子は祖父を見つけて駆け出した。


 兄も合流し、邪魔にならないよう人が少ない遊具の近くに行って、〝かみきり〟の話をする。

 祖父は二人の話をふむふむと聞いていたが、やがてこくりと頷いた。

 「なるほど。的を射たネーミングセンスじゃのう。そやつは昔から〝かみきり〟と呼ばれておる妖怪じゃ。じゃが、何でまたそんなに色んなものを切るんじゃろうな」

 「え?」

 春子と兄は顔を見合わせる。〝かみきり〟という名が完全に一致していたことと、祖父の疑問詞が気にかかる。

 「昔からいるの?」

 「色んなもの、切るヤツじゃないのか」

 「元は髪を嘴の鋏で切る奴だから、〝かみきり〟のはずなんじゃが。そこまで悪質かというと髪を切るだけじゃからのう」

 祖父は顎をさすりながら言う。

 「現状に合わせて、そんなことをしでかすまでになったと言うほかあるまい。聞く限り、人間の間で対立が生まれ、不安が蔓延しているのじゃろ」

 「というと」

 「誰かにとり憑いて、誰かの考えに影響されて〝かみきり〟が動き、その誰かの考えが現状にあらわれている、ということじゃ」

 春子は驚いた。

 「運動会に悪いことに起こればいいってこと?」

 祖父は頷く。

 春子は混乱しかかったが、午前中に兄を応援したことで、同級生たちのそれぞれ異なる心情を垣間見たことを思い出して、なんとなく理解した。

 春子はあまり運動会が好きではない。でもめちゃくちゃになれば良いとは思わない。

 しかし、きっとそうでない人がいるのだ。

 祖父は春子の頭を撫でた。

 「まあ、そやつは捕まえたらわしがなんとかしてやるからのう。(みのる)と春子はそやつを探して捕まえておいてくれんかのう」

 「・・・どこにいるか解からないんだけど」

 「そこは気合で見つけてくれい」

 そこは祖父でもどうにもならないことなのか。

 「それから、とり憑いた人間を探さねばならん」

 「どうやって?」

 「一応のこと、〝かみきり〟に何かあったら、もしくはとり憑いた人間に何かあれば、両者に連動して反応があるはずなんじゃが。とり憑いた人間と、〝かみきり〟が平常心なら今まで通りの活動をするじゃろうが、一方の平常心を乱せば別じゃ。〝かみきり〟を見つけたら突っついてみよ。変な様子の人間が現れるじゃろう」

 それから唐突に、祖父は言った。

 「わしは昼餉を食ろうたら、買い物に出掛ける」

 「え」

 「安心せい。必要なものを買いに行くだけじゃ。すぐ戻ってくるでのう」

 春子と兄は顔を見合わせる。結局、〝かみきり〟を捕まえるまでは、二人でどうにかせねばならないようだ。

 不安げな二人を見て、祖父はぷくぷくと笑った。

 「母が弁当を広げて待っておるぞ。昼餉にしようぞ。腹が減っては戦はできん」


 トラックの周りにシートを敷き、各家庭でお弁当を広げ始めていた。楽しげな声が行き交う。

 遠野家でも彩り豊かなちらし寿司の弁当とおかずのお弁当が広げられていた。

 春子はちらし寿司と鶏の唐揚げを食べ、英気を養った。父の桜介(ようすけ)も今日は休みをとって、運動会を観に来ていた。にこにこしながらお弁当を食べる兄妹の写真を撮っている。

 兄は春子が唐揚げばかりとるのを見て眉をひそめ、サニーレタスやトマトを勝手に春子の皿に盛り始めた。

 「む」

 「春子、唐揚げばっかり食ってると、後で気持ち悪くなるぞ。サラダ食え。綱引きもダンスも午後にあるんだろ」

 「むむう」

 「デザートにパイナップルもみかんもあるのよ。ほどほどにしなさい。(みのる)、随分お兄さんぽくなったわね」

 「む」

 母の柳が目をぱちぱちとさせて兄を見る。

 父はどっこらしょ、とシートの上に座り、にっこりした。

 「前から思ってたけど、実と春子の『む』って言う口癖、そっくりだな」

 「「む」」

 ハモって春子と兄は固まった。そして、「今、『む』って言ったでしょ」と何とも言えない顔を見合わせる。

 父は嬉しそうに言った。

 「むふふ。誰に似たのか解からないけれど、やっぱり兄妹だな」

 「あなた、今むふふって言ったわよ」

 「ん?」

 父母がやりとりする隣で、老人らしからぬ食欲で唐揚げを口に運んでいた祖父が、ぷくぷくと体を震わせて笑った。



 カレンちゃんが春子がいるシートを探して、お菓子を届けてくれたので、春子もお返しに行こうとみかんを持って出かけた。カレンちゃんは他の子のところも回るため、お菓子をたくさん持っていたので、後で渡しに行く方が得策だったのだ。

 全校中の人たちがお昼を食べているのだから、探すのは少し骨が折れるけれど、校舎の西口の方にいると聞いていたのでそちらに足を向ける。

 と、西口に向かう途中で、大きくスペースをとっている家族がいたので、春子は驚いて暫し固まった。なんだか異様だったのだ。

 それと同時に、少し寒気を感じる。

 近くを横切らないとならないので、仕方なく歩みを進めると、その家族の様子が解かってきた。

 女性は着物を着ていて、日傘を差している。男性もきちっとしたスーツを着て、出掛け用の身なりだ。春子の父の、青のチェックのシャツのようなラフな感じではない。庶民的な家族がお弁当を広げている中、明らかにその一画だけ重々しく、格調高い感じだ。

 その家族は父母のみならず、他にも親戚が来ているようで、大人ばかりが重箱の豪華なお弁当を囲んでいる。子供はどこにいるのだろう。それも異様な点だった。

 「徒競走は一番がとれたようで、良かったですね」

 春子が通り過ぎようという時、着物のおばさんが丁寧に誰かに声をかけた。

 応えた声に春子は振り向いた。

 「はい、おばさま」

 小さな体操着姿が、着物とスーツに挟まれて埋もれていた。

 それは高橋君だった。

 春子は驚いた。高橋君がきちんと正座をして、にこやかに返事をしたからだ。学校でいつも不機嫌な顔をして、威張っている姿からは想像がつかない。

 大人たちは皆、高橋君を囲んで、労わり、優しげに見守っている。

 だが、何故だろう。

 春子はそこから寒気と圧迫感を感じた。そして圧迫されて蠢き、抜け出し、手を伸ばすかのような澱んだ空気。

 傍らの父親らしき人が、笑顔で高橋君に話しかける。

 「そりゃそうだ。お前は何でも上手くやれる子なんだ」

 高橋君は笑顔だ。

 「努力すれば実力もついてくるものだ。走るのももっと早くなるし、頭もよくなる。気を抜かないことが肝心だぞ」

 母親らしき人も、話しかける。

 「そうですよ。自分が気を抜かないで、努力していたら、周りもそれに影響されるものです。綱引きもきっと、そうして勝つのですよ」

 「ああ、そうすれば三十人も百人力になりますね」

 次々に同意する親戚たち。

 その中の一人が、残念そうに言う。

 「リレーは出ないのですか」

 「僕より速い人がいるので」

 「お前もきっと、リレーの選手になれるようになるさ」

 それは、優しく被せられて、着膨れしてどんどん重たくなっていく、美しい着物のようだ。

 高橋君の笑顔は崩れない。

 春子は寒気に首を絞められるような心地になって、遂にそこを走り抜けた。

 離れたところで止まり、息を整えるといくらかマシになって、春子は胸を撫で下ろした。

 それから考えた。圧迫感に息が詰まりそうだったし、今も寒気がする。だけど、春子は変なものや不思議な現象には敏感だけれど、人間の心なんかにはあてられないはずだ。しかし、状況的にはそういうものに自分が反応しているように思う。

 お化けに遭遇しても寒気はする。でも、お化けがいる時はもっとおどろおどろしく、濃厚で、腐った臭いもする。さっきの圧迫感と心身を脅かすような寒気は、また質の違うものだ。

 春子は変なものや不思議な現象にしか反応しないはず。

 それなら、それとも無関係ではないはずだ。

 もう、春子は直感していた。そういえば、髪が切られた時も、寒気を感じたではないか。

 〝かみきり〟は、高橋君にとり憑いているのだ。


 〝かみきり〟はどういうわけか、高橋君の思念に通じて、この運動会を動き回っている。高橋君が運動会に悪いことが起こればいいと思う理由は、何だろう。

 その理由に、春子は三日前の最後の綱引きの練習で、揉めたことを思い当たった。春子は高橋君にさほど興味を持っていなかったので、その後クラスがどうなっているかも知らなかったが、そういえばあれからクラスの雰囲気が少し変わったような。

 理由はあれだけじゃないだろうけど。

 とりあえず、人間の負の思念と、異界のモノが繋がっているものというのは、春子にとって具合が悪くなるようなものらしい。

 カレンちゃんとその家族がいる場所に辿り着くと、カレンちゃんは「春子ちゃん顔色悪いよ」と心配し、カレンちゃんの母親は温かいお茶をきびきびと準備し春子に薦めてくれた。

 春子はお茶を飲み、胃にすぅっと温かさが落ちていくのを感じて安心した。それからくだけた雰囲気のカレンちゃんの家族に囲まれて、ちょっぴりしんみりした。

 わたしだったらあんなの、こんな風にほっとできない。



 「高橋?」

 兄は訝しげに春子に訊き返した。

 春子が家族のもとに帰ると、祖父は既に買い物に出掛けていなかった。お弁当やシートの片付けを手伝ってから、父母がプログラムを見ながら良い観戦場所の確保に向かったので、春子は兄と二人になって自分の考えや感じたことを伝えた。

 兄は複雑そうな顔をして聞いていたが、サッカーチームでの後輩だから、高橋君を知っていた。

 「あいつにとり憑いてるねぇ・・・あいつに。確かに面倒臭い奴だし面倒臭いこと起こしそうな奴だけど。本人は気付いているのかな」

 「何を?」

 「かみきりのこと」

 「多分気付いてないよ」

 「何でそう言える?」

 「何となく」

 「・・・まあ、いいや」

 溜め息をつく兄に、春子は訊ねた。

 「高橋君ってどんな人?」

 「お前、同じクラスじゃないのか」

 しかし、春子は高橋君のことをよくない印象を持っているぐらいしか知らない。

 兄は思い直したように、言った。

 「関わりないか。まあ、正直俺もよく知らない。とりたてて目立ったところのない選手で、ふつうだな。家が金持ちで過保護で、練習していると四時にはいつも迎えがくる」

 春子は驚いた。兄は学校のサッカーチームに入っているが、いつも夕方遅くまで練習して帰ってくる。自主練習もやって来るのだと思うが、それにしたって、四時は早いはずだ。

 兄はこめかみあたりを手でがしがしこすりながら呟いた。

 「そうか・・・あいつの家、確か旧家だったな」

 「キューカ?」

 「古い家ってこと。春子、古い家には何か妙なもんいそうだよな?」

 「うん、多い」

 春子は即答する。古い家の生垣から人じゃないものの目がこちらを見ているのはよくあることだし、身長十センチほどの小鬼が屋根先の樋の上を走っていくのを見たことがある。

 なるほど、高橋君宅に住んでいた妖怪が、高橋君の思念の強さに影響されたのかも知れない。

 「それにしても、どうやってとり憑かなくすれば良いんだ?除霊っていえばいいのか?」

 兄は首を捻る。

 春子はなんとなく解かっていたので、あっさりそれを口にした。

 「多分、高橋君が運動会をめちゃくちゃにしたいって思わなくなればいいんだよ」

 兄は唖然として春子を見つめてから、素っ頓狂な声を出した。

 「それって難しくね?!」







 ちょきん。ちょきん。

 切れるもの、切れるもの。

 あ。


 校庭の真ん中に真っ直ぐに置かれる、太い綱。


 みつけた。




 忘れてた。

 午後のプログラムの一番目は、三年生の綱引きだった。

 春子は入場口に集まって、整列に加わる。綱引きの綱を持つ順番で並ぶ。ルミカちゃんもカレンちゃんももういて、カレンちゃんはさっきはどうも、とにっこりした。

 春子より前に、高橋君の赤帽を被った後頭部が見える。

 春子は三日前の綱引きの合同練習を思い出した。そういえば、あの寒気と気持ち悪さは、今日の〝かみきり〟に繋がる出来事だったのだ。

 最後の練習で、一人、綱引きの列から抜けて、勝負を見ていたはずの高橋君。

 あれは、春子のせいだったようだ。春子のせいというか、きっかけだったというか。

 春子はクラスの力関係を把握していない。高橋君が、春子の発言をきっかけにして、どういう立場になったのか、知らなかった。

 クラスメイトは綱引きに向けて、湧き立っている。

 「円陣組もうぜ。絶対勝つぞ!」

 男子の一声で、皆わらわらと円になろうとする。

 「おい、高橋も来いよ」

 声がかかるが、一人、外れて立っている高橋君はぷいっと他の方向を向いてしまう。

 クラスの子たちは苛立って、高橋君を置いてけぼりにして円陣を組もうとする。

 春子はルミカちゃんに手を差し伸べられたが、その前に高橋君の肩を後ろからがしっとつかんで、ぐいっと引っ張った。

 不意打ちを食らった高橋君は容易によろけて、ぽかんとして春子に引きずられた。春子はそのままルミカちゃんと肩を組む。一方高橋君のもう片肩はカレンちゃんがニヤっとしてがっしり組んだ。

 高橋君が春子を睨んだ。

 「何すんだ!」

 「えんじん」

 春子は円陣が何なのか、実態を知らなかった。

 だが、輪になり、肩を組んで向き合ったクラスメイトの顔は皆ニヤッとしており、春子は自分の直感が正しかったことを知った。

 円陣は全員でやらないと意味がないものなのだ。

 「遠野、やるなぁ」

 男の子に褒められて、春子は狼狽えた。

 リーダー格の男の子が、「絶対勝つぞ、三年一組!」と声をかけて、クラス全員の声が応じ、響いた。




 砂利の上に草。

 いや、かまきり。

 また?!

 校庭の綱の側に列になって、合図待ちで座っていた春子は、再びかまきりの子供を見つけた。

 まったくもう危ないなぁと、ひょいっとつまんで体操着につかまらせる。

 「ねぇ、春子ちゃん」

 ルミカちゃんに声をかけられる。あれ、これ前にもあったなぁ。

 春子は「またかまきりがついていると言うんだろう」と思いながら、返事をする。

 「なに?」

 「あれ、何かな。綱の方に歩いてくるの。カラス?」

 春子は息を呑んで、ルミカちゃんが指差す方向を急いで見た。

 てくてくと校庭を歩いて、綱に向かってくる〝かみきり〟を見つけて、春子は言葉にならない悲鳴を上げた。

 どうしよう。今、春子が飛び出していくわけにもいかない。兄が気付いていたとしても、競技中に生徒席からトラック内に入ってくることはできないだろう。

 これだけ堂々と校庭に入って来るのだから、おそらく大半の人間には〝かみきり〟は見えないものなのだろう。気付きにくい、といえばいいのか。「何かいる」程度にしか認識されない。

 ルミカちゃんも、まあいいか、ともうほかの方向を向いている。

 このまま手をこまねいて見ているしかないのだろうか。

 〝かみきり〟は毛をフサフサさせ、悠々と歩いて、一直線に綱に向かってくる。標的は解かり切っている。綱を切る気だ。

 笛の音が高くなった。春子は気が気じゃないまま、みんなと一斉に立ち上がり、綱を持つ。綱が浮くが、〝かみきり〟は躊躇なく歩いてくる。自分の背の高さより高い位置にあっても、関係ないらしい。


 綱の真ん中に狙いを定め、シャキーンと口を開ける。


 と、春子は自分より前にいる高橋君の頭を思い出した。

 祖父が言っていたことが脳裏に閃くや否や、服につけていたかまきりをつまんで、高橋君の頭に向かって投げた。


 ――――〝かみきり〟に何かあったら、もしくはとり憑いた人間に何かあれば、両者に連動して反応があるはずなんじゃが。

 とり憑いた人間と、〝かみきり〟が平常心なら今まで通りの活動をするじゃろうが、一方の平常心を乱せば別じゃ。



 あ、高橋君が虫苦手じゃなかったら、どうしよう。



 春子がそう思った時、狙いが少し外れ、高橋君の肩口にかまきりが着地した。

 しゃきーんと鎌を構えるかまきりに気付き、高橋君が「わっ」と飛び上がった。

 と、綱のすぐ手前に来てあーんと口を開けていた 〝かみきり〟が跳び上がってわたわたし始めた。

 高橋君はかまきりを払い落とそうと慌てる。

 〝かみきり〟も慌てる。目を白黒させ、手のような羽のようなものをバタバタ動かす様は滑稽だ。

 しかし、春子は焦った。これは一時凌ぎに過ぎない。高橋君が落ち着いたら再び〝かみきり〟は綱を鋏で切ろうとするだろう。今のうちに捕まえねばならない。もしくは、逃がしてもいいから、追い払わねば、綱が切られる。

 競技寸前に綱が切られたら、今度こそ会場中が大騒ぎになるだろう。

 春子が遂に跳び出そうと一歩踏み出した、その時。

 怒った声と、バタバタ羽ばたくような声が聞こえた。

 「おい、出てけ!出てけ!お前だな切るやつ!なんだこのカラス!ねずみか?!どっちでもいい、でてけ!」

 おっと、と留まって春子が目を向けると、兄の友人のカズキが審判の赤白旗を振り回して〝かみきり〟を追い立てようとしているところだった。

 春子は暫し固まって、それから納得した。カズキは係で三年生の綱引きの審判をやっていたのだ。そして、妖怪だと認識していないながらも、〝かみきり〟にはっきり気付くことができる。

 〝かみきり〟は驚き、猛スピードで校庭を横切って生徒の席の方へ行方をくらませようとした。コロコロとした鳥のような体で、ありえない速度で駆ける。

 にわかに会場がざわついた。やっと「何か」いると認識した人が大多数になったらしい。

 が、〝かみきり〟の逃亡も、トラックを横切ったあたりで終わった。

 白帽の少年が一人、風のように走り込んで、〝かみきり〟が生徒席に走り込んできたところを抱え込んで捕まえた。

 そしてさっと身を翻して、保護者の観戦スペースに紛れて消えた。

 一時会場は騒然とし、競技を中断する。先生たちが確認に走る。

 春子たちは綱を置いて待機となり、その場にしゃがんだ。クラスメイトたちはお喋りをし始める。なんだろう?あれは。

 春子が前の方を見ると、高橋君は落ち着かない様子で頭をきょろきょろ動かし、兄が消えた方をしきりに窺う。

 と、高橋君からさほど遠くない砂利の上に、若緑色の草のようなものを発見し、春子は慌ててささっと移動して優しくつまみ上げた。

 かまきりは殺気立って、しゃきーんと構える。ひどいじゃないか。

 春子はお喋りに紛れるような小さな声で、囁いた。

 乱暴に扱ってごめんね、お陰で助かったよ。




 ほどなくしてアナウンスが入った。

 『お待たせしました。さきほど校庭に乱入した黒い動物ですが、怪我をしたカラスだったようです。心配お掛けしましたが、安全が確認されましたので、競技を再開します。』

 春子は、兄はどう言い訳をしたのだろうと暫し唖然とした。


 三年生は気合を入れて、立ち上がる。

 春子はとりあえずほっとして、息をついた。どうあれ、兄はうまくやったのだろう。



 春子は再び観察畑にやって来た。

 秋桜の中にかまきりを置くと、かまきりは憤然としてささっと葉陰に隠れてしまった。なんだか申し訳ない、と春子は肩を竦める。

 兄を探しに行こう、と振り返ると、校庭の喧騒を背景にして高橋君がいたので、春子は驚いた。

 どこか気まずげに、高橋君は春子を見てくる。

 春子は困惑した。ええっと、どうしよう。祖父が言うには、とり憑かれた人間の憑きものを落とさねばならないはず。だが、春子は憑きものの落とし方も解からないし、高橋君の気持ちがさっぱり解からない。運動会に悪いことが起こればいいというのを、どう考え直せと言えばいいのだろう。それを思う原因として自分から見れば異様な高橋家のことを思い出すが、いきなり訊くのも変だ。

 自分が見た光景と兄から聞いた話を足しても、きっと原因に辿り着くまでの推測ですら成り立たせることはできない。

 春子は兄が「難しい」と言った理由を理解した。これじゃ無理。

 いや、ちょっと待て。

 その前に、高橋君はどうしてここにいるのだろう。

 高橋君は気まずげに、口を開いた。

 「お前、何でここにいんの?」

 先にそうきたか。

 「校庭に落ちてたかまきりをこっちに連れてきたの」

 「それ、俺の肩にやったの、お前?」

 緊張した面持ちで、高橋君は春子の返答を待つ。

 気付いていたのか、と春子は狼狽して、それから不思議に思った。

 いつもの高橋君なら、かまきりを投げられたと、その不当さを前面に押し出して非難してくるだろうに。

 それが判決を受ける前の被告みたいな顔をして、春子の言葉を待っている。

 ここで、春子は気が付いた。高橋君は、気付いているのだ。具体的でないながらも、運動会での切られ事件が自分が関係していることなのだと、漠然と認識している。ただ因果関係が解からないので、恐れている。自分のよく知らないところで、自分の関係のある何かが起こっているということを。

 春子が高橋君にかまきりを投げ、自分が慌てている最中に、カズキがわたわたする〝かみきり〟を追い立て、多くの人が「何か」に気付いた時、直感的に、自分の考えとヤツとが因果あるものなのだと気が付いたのだ。

 四年生の女の子の髪や、応援団のポンポンが切られたことと共に。

 そして、高橋君は、自分の願望や、自分の知らない自分に関係のある出来事を、春子が知っているのではないかと思って、やって来たのだ。そして、その断罪を恐れている。

 高橋君は今、それを受け止めようとしている。

 春子は考えた。妖怪がやったことは妖怪基準の目線の物事だ。かまきりを投げたのは春子だが、その理由を説明するのは骨が折れる。あれは異界の存在で、高橋君にとっては容易に信じられない話になるだろう。

 しかも、高橋君がそれを知ったとして、どうにかできるわけではない。高橋君に〝かみきり〟がとり憑いた理由だって、高橋君だけのせいではない気がする・・・

 そこで春子は、自分が言わねばならないことがあると思い出した。

 「高橋君、ごめんね」

 「は?」

 「最後の練習の時。春子がああ言わなければ、ああはならなかった」

 三日前の綱引きの最終練習の時。

 高橋君は大して貢献していないのに、リーダーのように振舞った。

 それでクラスの不満を買ったのだが、その時春子は明後日の方を向いていて、高橋君の話を聞いていなかった。

 高橋君は言った。だからみんなに嫌われるんだよ。

 春子は言い返した。高橋君ほどじゃないよ。


 春子は邪険にされることがあるけれど、それは人間として嫌われているからではない。みんなに理解されない部分があるからだ。

 春子は事実と噛み合っていないということを言いたかっただけで、それよりも、もっと正確な事実があるのだと伝えようとしただけだった。

 だが、言って良いことと、悪いことはある。

 それが高橋君への攻撃であったと気が付いた時には、クラスメイトの不満が一気に高橋君を刺し貫いて、高橋君は最後の練習から外された。

 そういえばそれ以降、高橋君は不機嫌に黙りがちになった。クラスメイトはそれを気に留めてなかった。

 春子は大多数のクラスメイトから嫌いだと表明されることが、関係を重視する者にとって脅威であることに、初めて思い至ったのだ。


 この話に触れて良かったのかというと、そうではなかったのだろう。

 案の定、高橋君は見る間に顔を真っ赤にして、声を荒げた。

 「うるさい!そんなことどうでもいいんだよ!俺だってお前なんか嫌いなんだからな!」

 ずんずん歩いて畑の裏に回りこみ、突然しゃがみこんで秋桜の中に隠れてしまった。

 そうか、春子のことを嫌いなのは、高橋君だったのか。

 赤、ピンク、白と揺れる花々に、細かい線のような緑色の葉叢。その向こうから、くぐもった声が聞こえた。

 「本当だったら、こんな学校に来ていなかったんだ。私立の受験に落ちてなかったら」

 春子は戸惑う。起きたことは、もうどうしようもない。失敗でさえ、今を形成している。

 「本当なら」なんて、本当は、ない。

 春子には高橋君の考え方が解からない。春子が憑きものを祓うなんて、無理だ。はっきり、そう自覚する。

 でも、妖怪なら祖父がどうにかしてくれると言っていた。じゃあ、とにかく、そっちに専念しよう。

 春子にできるのは、それくらいしかないのだ。

 兄を探しに行かないと。

 最後に、春子は純粋に疑問に思ったことを訊いた。

 「高橋君は学校楽しくないの」

 「楽しいわけないだろ」

 それなら、春子が言えることは一つ。

 「じゃあ、楽しくなったら、良いね」

 「・・・うるさい!」

 言葉が弾け、風に流され、沈黙が満ちた。

 春子は風を吸い込んで、少し寂しい気持ちになって、気を取り直した。

 お兄ちゃんを探しに行こう。とにかく、 〝かみきり〟をどうにかしてもらうのだ。

 春子は観察畑に背を向け、行きかけてから、立ち止まって声をかけた。

 「わたし、先に行くね」

 高橋君からの応えはない。

 春子は立ち去った。

 その後には、ただ、秋桜の花だけが揺れてざわめいていた。




 校舎の方に行くと、兄が微妙な表情をして、〝かみきり〟をしっかり抱いて花壇の縁に座っていた。


 生徒席で兄の行方を聞いたら、怪我をしたカラスを家族に診てもらうと言っていた、という返答があった。なんじゃそりゃ、と思うが、なるほどうまく切り抜けたものだ。春子はそんな言い訳、絶対思いつかない。

 しかしあれほど素早く動いていたのを見ていて、よく「怪我をしたカラス」で済んだと思う。おそらく、会場にいたほとんどの人が異界に脅かされた経験を人間的感覚で修整してしまったのだ。

 生徒席はピリピリしていたのが嘘みたいに、熱を帯びて応援合戦。騒ぎ合っていた。それは高揚を内包したもので、運動会らしい、祭っぽさがあった。

 春子はカズキと兄のやりとりを思い出して、きっとカズキさんが一生懸命、赤組の団長と話して回ったのもあるんだろうな、と思った。

 春子の寒気がカレンちゃんの厚意に和らいだように、信じる気持ちがみんなの不安と不満を和らげたのだ。


 春子は兄を見つけると嬉しくなって駆け寄り、兄は春子に気付くと立ち上がった。

 「お兄ちゃん、ありがとう」

 ああ、とぶっきらぼうに返す兄。〝かみきり〟をがっしりと抱き、利き手の右手で鋏の口をしっかり押さえている。

 〝かみきり〟は大人しく兄の腕の中で固まっており、目だけをギョロギョロと動かす。

 兄は通りすがる保護者や生徒たちをキョロキョロと見回しながら、複雑そうな顔をして、不審げに言った。

 「なあ春子。なんでみんなこんな変てこなもん、気付かないんだ。変だと思わないのか?怪我したカラスって言って、大丈夫だったぞ」

 「お兄ちゃんも前はそうだったよ」

 「む」

 不意打ち食らったように、兄は口を噤む。

 春子は首を傾げた。今回はすっかり兄のおかげで 〝かみきり〟を捕まえることができた。兄は本気で、こういう世界に関わろうとしているらしい。

 兄がこうなったのは、春子に関係がある気がするけれど、春子はまだしっくりくる答えを見つけることができなくて、もやもやする。

 兄はどうして、変なもの、不思議な現象に関わろうとし始めたのだろう。

 春子はかつてないほど兄を頼りに感じていた。複雑そうな顔をしているのは、自分が変なものを抱いている自覚があるからだろうに。獣でもなく、空気でもないものの感触は、認めがたいもののはずなのに。

 兄はそういう感覚を押して、〝かみきり〟を捕獲したのだ。

 春子は微笑んで、兄に言った。

 「お兄ちゃん、どうもありがとう」

 兄は暫し、春子の顔をまじまじ見て、言った。

 「春子もそんな顔をするんだな」

 「むっ」

 それはどういうことだ。

 兄はそれでも、満更でもないようだったが、春子がふと思い出したように言った事に、顔を引きつらせた。

 「カズキさんも頼りになるよね!」

 春子は兄が何故そんな顔をするのか解からなかった。

 そういえばカズキさんとルミカちゃんは、〝かみきり〟に気付いていたな。妖怪だと認識していたわけではないだろうけど。

 色んな人がいる。それぞれに何がしかの理由や事情があるのだろう。

 春子は自分も手伝おうと、〝かみきり〟に手を伸ばしたが、兄はその手からさっと〝かみきり〟を遠退かせた。

 「む。春子も捕まえる」

 「俺だけで大丈夫だよ。捕まえた時は暴れたけど、さっきから大人しいんだ」

 ふーんと春子は〝かみきり〟を見つめる。ギョロッとした目が、春子をじいっと見つめ返す。

 ちょっと突っついてみようかと指を伸ばすと、再び遠くに避けられた。

 「む」

 兄は怒った声で言った。

 「指を怪我したら、危ないだろう」

 春子はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

 今、何かわかった気がする。



 祖父がふらりと戻って来たのは、そのすぐ後だった。

 春子と兄が校門の近くまで祖父を出迎えると、祖父は「おうおう」と言って〝かみきり〟を覗き込んだ。

 「よく捕まえたのう」

 ギラリと光る目を、すっと眇める。

 「なんじゃ、憑きモノではなくなっておるのう」

 「あれ?そうなの?」

 春子は首を傾げ、〝かみきり〟を見た。

 祖父に見つめられて、〝かみきり〟はふさふさした毛をぶるりと震わせ、蛇に睨まれた蛙が如く、固まっていた。

 祖父はにんまり笑うと、「まあ、いい」と言う。

 春子は少し、ひやりとしたものを感じた。

 「(みのる)、その手をどけ、嘴を自由にしてもよいぞ」

 「え?」

 そう言うと、祖父は百円ショップの袋から、金髪のウィッグをつまんで取り出した。

 春子と兄は呆気にとられて、見るがままになる。

 〝かみきり〟は嘴鋏が自由になっても、祖父を見て暫く硬直していたが、ウィッグが目に入るとそれに釘付けになった。

 祖父がウィッグをふらふら揺らすと、それに合わせて目を動かす。

 「ほーれほーれ、お前の好きな、髪じゃぞう」

 〝かみきり〟は我慢できない、というように、しゃきんと口を開けてちょきんと髪の毛を切った。

が、刃を閉じて、暫しの沈黙の後、びくりと動いた。五本指の手のようなものをバタつかせ、慌てている。嘴鋏には金髪のウィッグが挟まったまま、ぶら下がっている。

 どうやら、口が開かなくて焦っているらしいと春子が気付いた時、祖父が兄の腕から〝かみきり〟の首元をひょいっとつまんで取り上げ、校門の外にぽいっと投げ捨てた。

 「水飴を練ってべったりつけておいたのじゃよ。馬鹿め。水で洗えば落ちるじゃろ」

 む、無慈悲。

 道路にこけつまろびつ逃げていく〝かみきり〟を見送りながら、春子と兄は哀愁を感じた。



 祖父は言う。

 妖怪と人間の負の思念が繋がると、それぞれの世界が崩れてしまうのだと。

 混合された異界と人間界の思念は、誰の目にも得体の知れない減少を起こし、人間には不安と不満を伝播し、妖怪には凶暴性と好奇心が刺激される。

 それがきっと、不自然な関係に思えて、春子は気持ち悪いんじゃ、と。


 運動会はそろそろ終わる。日が傾いてきて、空の色が淡い金の光を帯びてきた。

 春子は全ての出場を終えていた。ダンスは何回も間違えた。八十メートル走はビリ。でも綱引きだけは勝った。みんなの勝利だ。

 春子は祖父と並んで校舎口前の階段に座る。色々あって、知りたいことがあって、春子は祖父から話を聞いていた。

 春子は一旦祖父の話に納得してから、だけどね、と言った。

 「気持ち悪かったけど、カレンちゃんがお茶くれたり、前にルミカちゃんが背中をさすってくれたときも、気分が楽になったんだよ。噂のも、カズキさんとかが皆に一生懸命説明したからだと思う」

 祖父はぷくぷくと笑った。

 「おうおう。そうじゃ、人間の思いやりは春子の受けた負の感情に釣り合いを持たせるんじゃ」

 「つりあい?」

 「相反するものが同じくらいあったり、天秤の重りが同じ重さであったとき。それは安定するんじゃ。人間側に不安や恐怖を与える関係性に対抗できる、関係性というものもあるんじゃ。春子、それは大切にせねばならぬぞ」


 春子は頷いた。全てが理解できたわけではない。だけどなんとなく解かる。

 きっと、お兄ちゃんだ。それから、カレンちゃんやルミカちゃん。おじいちゃん。


 安定する、ということは、多分ほっとできるということなのだ。






 だけどね、おじいちゃん。

 春子は少しわかった。

 お兄ちゃんが最近、変なものや、不思議なものに関わろうとしている理由。

 それは春子が、いるからなんだね。


 全部つながったよ。



 祖父はプログラムを開いて、腰掛けていた階段から立ち上がった。

 「春子、そろそろ実がリレーに出るみたいじゃ。応援しようぞ」

 「うん!」

 「元気じゃのう」


 ぱっと顔を明るくして勢いよく立ち上がり、駆け出した春子の背中を祖父が優しく見つめていた。

作者の中では実くんは心身ともにイケメンです。

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