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春子と不思議な物語シリーズ  作者: 独蛇夏子
春子、三年生夏・秋
10/29

10 砂上の蝶

2011年10月29日ブログ掲載 テーマ:綱引き

紙媒体『シリーズ表集2 春子と不思議な物語~三年生、夏・秋編~』 

2011年11月3日発行 文学フリマにて販売

中編「砂上の蝶、君を守る」序章

 汗がつうっと顎を伝った。校庭で待たされると、まだ暑い季節だ。

 三年生対抗の綱引き。運動会を前にして、最後の合同練習だった。

 綱を挟んでクラスメイト全員が並び、配置についてしゃがんで待っている。先生たちが何やら打ち合わせ中で、待機中。

 春子は背が低く、体重も軽い方なので、綱引きを引っ張る位置は真ん中ら辺だ。前後にはルミカちゃんとカレンちゃんがいる。二人は運動会かったるいよねと言っていたが、春子は意外と燃えていた。打倒、白組。

 太陽が照らす校庭は遮るものがなく、容赦なく日光が降り注ぐ。白っぽい地面は反射するので眩しい。先生たちは暑さを心配しながら、最終チェックをしている。最近、日本各地で運動会の練習や本番で熱中症で倒れる児童が多いから、少し神経質になっているらしい。

 とはいえ、こうして待たされているのが熱中症で倒れる原因の気がしないでもないけれど。

 春子は早く綱を引っ張りたくて、うずうずしていた。鈍足、運動神経皆無の春子が勝利に貢献できるのは、全員で力を合わせるこの競技くらいなのだ。少しでも力になって、チームが勝てるのなら嬉しい。春子がいる三年一組は赤組で、二組は白組だ。三年生は二クラスなので、きっかりそれで分かれている。今のところ、練習では赤組が優勢なので、運動会の勝利に期待が高まっている。

 と、前方に座っている男子が振り返り、後ろに向かって言った。

 「いいか。次も絶対勝つぞ。力抜くんじゃねぇぞ。さっきみたいにやれ」

 途端に、クラス全体の空気が重くなった。

高橋君はいつもそうだ。まるでみんなのリーダーみたいに振舞うけれど、実はみんなに偉そうに指図できるほど何かをしているわけではない。実質、綱を引く列の順番決めは、クラスのもっと運動神経が良くて一番力をかけて引かなくてはならない、列の一番後ろの方にいる男の子達が計画したし、音頭をとっているのも彼らだ。

 しかし、高橋君はいつもこうして、自分がさほど寄与していない事柄に指図し、首を突っ込んでは偉そうにして、クラスメイトの不満を集めている。誰も何も言わないのは、高橋君が口達者で、何もかも自分が上だという風に言い返してしまうからだ。自然と、皆どこか立場が下のようにされてしまう。

 が、いつも一人行動の多い、マイペースすぎる春子はそうした周囲の力関係に疎かった。周りの雰囲気が鬼気を帯びた時も気付かず、全く別のものに気をとられていた。

 砂色の校庭の上をちらちらと飛ぶ、白いモンシロチョウだ。

 春子は偶にこうして校庭を横断する蝶を不思議に思う。彼らがつかまる木や草がないのに、広い校庭を渡って、別の木々や花のもとへ飛ぶ。春子は気の遠くなるような旅を彼らがしているように見える。一定の場所に住処を構える人間とは違い、彼らは花から花へ、木から木へ、水辺から水辺へと移り住む。しかし、あてどないように見えて、彼らは自分たちが生きることが出来る場所を選んでいる。

 無意識か、意図的か。

 だだっ広い無機質の校庭を越えたら、校庭を挟んで校舎と向かい合うように、観察畑や花壇がある。


 春子がモンシロチョウを見守って、そう思いに耽っていると、乱暴な声が春子の方に飛んできた。

 「おい、遠野(とおの)。きいてんのかよ。ぼさっとしてるな、トロいんだから」

 目をぱちくりとさせて、春子は夢から覚めたような心地で、意識をそちらに向ける。

 顎をくいっと上げて、見下(みくだ)したようにこちらを見ている男の子がいる。

 ああそうだ。高橋君が何か言ってたんだった。

 「なに?」

 「何って聞いてなかったのかよ。お前いつも話聞かねぇよな。だからみんなに嫌われるんだよ」

 春子は実は高橋君の言う事をそれほど脅威に思っていなかった。

 だから高橋君にとってはクラスで唯一苦手とする女の子が春子であり、どうしても打ち負かしたい相手であり、クラスメイトにとっては春子のマイペースさは唯一高橋君と対抗することができる態度であり、その点ではちょっと見直されていたりした。

 ところがマイペースな春子は、それを一切知らなかった。

 ぽかんとして言い返したことが、よもやそれほど力を与えることになろうとは。


 「高橋君ほどじゃないよ」


 「はぁ?!お前ほどじゃねぇよ!」

 「そんなことないよ。私たち春子ちゃんと友達だもん。ねーっ」

 「というか高橋、お前いい加減すっこんでろ!」

 急に後ろから腕をとられ、カレンちゃんとルミカちゃんに同意を求められ、クラスメイト全体がにわかにざわめいて殺気立ったので、春子は固まった。


 春子がみんなほど高橋君の饒舌さを恐れていないのには、それなりの理由があった。大体、高橋君は誇張か攻撃でみんなより優位に立とうとするわけで、例え春子が何を言われても、クラスメイトとの力関係を重視していない春子にとってはどうでも良かったのである。

 春子は脱妖怪の孫という、異色の出自をもつ。そのため、人間以外の変なものによく遭遇し、世界の様々なものに命を感じる。クラスメイトより、世界が広く、そのキャパシティに合った人付き合いの仕方をしてきた。クラスメイトにとっては風変わりな女の子だったが、グループや班で行動する時はあまり抵抗なくそこに入るし、遊びに誘われればふわふわとついていく。だが基本は、自分で自分の視点とあり方を認め、一人、人間にも自分が見えるものにも相対する自立した性格だ。

 ただその弊害もある。

 春子は正確でない情報に少し引っかかっただけだった。春子は〝みんな〟に嫌われているとは思っていない。一人行動が多く、何かをじっと観察したり、考えたりすることが多い春子が、偶に邪険にされるのは、そういった行動が理解できず、「変」だと思われているからだろう。共通する話題や世界観を持たないから、仲間意識が持てないのだ。春子自身もクラスメイトとは自分が異なることを強く意識しているから、解る。ただ仲間意識が持たれていないのと、嫌われているのは違う。

 春子は高橋君に泣かされたクラスメイトが、あんな奴は嫌いだと言っているのを何度も見たことがある。その目は悔しさと憎さを湛えている。口を利かないようにしている子がいるのも知っている。

 それでも高橋君は、そういう子達を見下して、執拗にこきおろしたりして、周りから顰蹙(ひんしゅく)を買っている。

 春子はあまりクラスに関わらないながら、普段から持っている印象をぽろっと口に出しただけだった。


 が、春子はすぐに、自分が辛辣な指摘をしていたことに気付いた。

 普段は関わらない、クラスの力関係や多数派の無言の意見を刺激したらしい。

 カレンちゃんとルミカちゃんが加勢かあてつけか、その両方かをした直後、クラスから非難の声が次々と上がり、高橋君は顔を真っ赤にして睨み付けた。

 「うるせぇな。お前ら静かにできないのかよ」

 「先に声かけてきたのお前じゃねぇか!」

 「大体お前はえらそうになんか言う権利ないだろ。そこまで何かしてるわけじゃないだろ」

 「してるよ!権利って何ですか誰でもあるものだろ。俺が綱引いているんだぞ」

 「そんなん言うんなら抜けてろ」

 一瞬、高橋君は言葉を失った。

 「俺が抜けて負けても知らねぇぞ!」


 春子はその言い合いが飛び交う中、びっしょりと冷たい汗が噴出すのを感じた。

 力が抜けて、気持ち悪くなる。

 なんだか嫌な感じがどんどん大きくなる気がする。寒気がし、頭がくらりとした。

 こんな感覚、初めてだ。


 頭を押さえて(うつむ)いていると、「大丈夫?」とルミカちゃんが心配そうに声をかけて、隣に並んで背中をさすってくれた。ルミカちゃんの手は温かく、少なからず春子はほっとして気分が良くなった。


 そうこうしている間に、高橋君は売り言葉に買い言葉、クラスから抜けて最後の練習試合を見ていることになった。

 そして、その後、白組と赤組が綱引きの勝負をし―――――赤組が、高橋君がいないまま、勝利を収めた。





 春子は体育の時間が終わった後、少しクラスから抜け出して、校庭の端にある花壇と六つ並ぶ観察畑の方を見に行った。さっきのモンシロチョウがいるかと思ったのだ。

 しかし、実際モンシロチョウはそこに何羽もいて、どれが校庭を先ほど渡ったモンシロチョウか解らなかった。

 シジミチョウやアゲハチョウ、アオスジアゲハやジャノメチョウ、セセリチョウなんかが、飛び交い、花から花へと移り、蜜を吸う。

 実はみんな、校庭を渡って、飛んで来た蝶なのかも知れない。


 花壇に続いて一段高い場所に作ってある、観察畑がある。ヘチマやトマト、秋桜やゼラニウムが咲き、開いている畑には雑草が蔓延(はびこ)る。

 校庭の方に振り向くと、体操着の白と赤帽と白帽が校舎に向かって群れをなしてちらちら動くのが見える。

 春子はぼんやり考えた。

 さっきの嫌な感じは何だったのだろうか。初めて感じた嫌な感じだった。

 クラスの(いさか)いがあった時と、それから―――勝利を収めた時。何故だろう、喜ぶ場面で、春子は嫌な感じに胸がむかついて、寒気がした。脱力して、気持ち悪かった。

 それから、その感じが弾けて、消えた。

 いや、消えたのか、それとも違う何かになったのか。


 脱妖怪の孫という異色の出自を持つ春子は、妖怪的、異質な存在への感覚が敏感である。

 この予感は、その性質と何か関係があるのだろうか。


 風が吹き、春子の赤白帽が首のところでぱたぱたとなびいた。木々がざわめき、花が揺れる。校庭の砂が雲のように舞い上がり、校舎にカーテンを引くように横切る。

 少し、肌寒い風。


 春子は不吉な予感を感じながら、秋の到来に唇を引き結んだ。


 運動会まで、あと三日。

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