第1部『death not』 第2話(後編)
二十年前の集合写真。
そこに写る男と、今年の写真に写る男を、四人は交互に見比べた。
「……同じ顔ですわね」
「はい。前髪の分け目まで、一ミリの狂いもありません」
「ひぃっ……」
紅麗亜が両手で頬を包み、ブルブルと震えだした。
「に、二十年も歳をとらないなんて……っ。写真に魂を閉じ込められて、毎年春になると現れる幽霊なんだわ……!」
「落ち着きなさいな、紅麗亜! 昼間の商店街に幽霊なんか出ませんわ!」
「で、でも、それならどうして老けないの……? 毎年、写真に写っている人たちの寿命を少しずつ吸い取っているんじゃ……っ。このままじゃ商店街の皆さんが干からびちゃうわ……! わたしの寿命を全部あげて済むのなら……っ!」
「あなたの寿命を差し出してどうするのよ!」
亜理栖が紅麗亜の肩を揺さぶる横で、美月が眼鏡を光らせた。
「分析します」
「嫌な予感しかしませんけれど、どうぞ」
「吸血鬼です。千佳、銀の弾丸とニンニクを用意しなさい」
「了解です! 八百屋さんでニンニク一箱買ってきます!」
「買いに行かなくてよろしい!」
今にも飛び出しそうな千佳の襟首を、亜理栖がぐいっと引っ張って止めた。
大きく息を吐き、銀髪のオールバックを撫でつける。
「まったく、どいつもこいつも非科学的なことばかり。名探偵たるもの、常に現実的な推理をなさいな」
「さすが所長です! じゃあ、どうして二十年も顔が変わらないんですか?」
「……え?」
千佳の真っ直ぐな瞳に見つめられ、亜理栖の笑顔が固まった。
(し、知りませんわよそんなこと!! わたくしが聞きたいくらいですわ!)
だが、ここで黙り込めば所長の威厳が吹き飛ぶ。
亜理栖は写真を鷲掴みにすると、ビシッと玄関を指さした。
「げ、現場百遍ですわ! 机の上で写真を睨んでいても始まりません、今すぐ商店街へ乗り込みますわよ!」
「おおーっ! 正面突破ですね!」
*
午後のすずらん商店街は、買い物客でのんびりとした賑わいを見せていた。
アーケードの下にやってきた四人は、今年の集合写真と二十年前の集合写真を掲げ、実際の風景と見比べた。
「えーっと、写真の右側に写ってるのが、あそこのお肉屋さんですよね」
「ええ。そして真ん中が果物屋さんですわ」
「ということは、写真の左端は……」
四人が揃って、アーケードの左側の店舗へ顔を向けた。
赤と青と白の模様がくるくると回るサインポール。
年季の入ったガラス戸には、『バーバー・カミムラ』という文字が掲げられている。
「……床屋さん、ですね」
「分析します。理髪店です」
「言い換えただけですわよ!」
亜理栖がツッコみながら、一歩前へ進み出た。
写真の後列の左端は、この『バーバー・カミムラ』のガラス戸の前に重なっている。
四人が店先へ近づいた、その時だった。
「……あっ!!」
千佳がガラス戸の脇を指さして叫んだ。
亜理栖も、美月も、紅麗亜も、いっせいに息を呑む。
いた。
ガラス戸のすぐ内側、レースのカーテンが少しだけ開いた隙間に、あの男が立っていた。
背筋を伸ばし、整った顔立ちで、一切の感情を殺してまっすぐ正面を見つめている。
「い、いましたわ……!」
「なんてことでしょう。白昼堂々、微動だにせずこちらを見据えています」
「ひぃぃ……っ、目が合ったわ……! 寿命を吸われる、みんな逃げてぇ……っ!」
涙目で後ずさる紅麗亜の横で、千佳がグッと腰を落とした。
「美月ちゃん! 私が正面から飛び込んで羽交い絞めにします!」
「待ちなさい千佳。相手は二十年間、姿を変えない手練れです。まずは揺さぶりをかけます」
「ちょっと二人とも、お黙りなさい!」
亜理栖が二人を手で制し、ゴホンと咳払いをした。
「わたくしに任せておきなさいな」
カラン、コロン。
亜理栖が理髪店の扉を開けた瞬間、その脇を赤いおさげがすり抜けた。
「確保しました!」
「まだ何も指示しておりませんわよ!?」
窓際の男を後ろから抱え込んだ千佳が、ひょいと持ち上げた。
「あれ。すっごい軽い」
男の足は、ついてこなかった。
木製のイーゼルだけが、その場に残っている。
千佳の腕の中で、縦長の板がゆっくりと回った。
「……所長」
「なんですの」
「裏が真っ白です」
四人は黙って、板の裏側を見つめた。
「分析します」
美月が眼鏡を押し上げた。
「背後への警戒が足りません」
「厚紙ですわよ!!」
亜理栖はパネルの表を指さした。
「ほら、ここ! 『紳士の七三分け』! 髪型の見本ですわ!」
「なーんだ!」
千佳が笑って両手を離した。
パネルが前へ傾く。
「おっと!」
床につく寸前、千佳が再び抱き留めた。
「逃げようとしました!」
「あなたが放したからですわ!!」
「お嬢ちゃんたち」
店の奥で、白い理容師コートを着た小柄な老店主が、ハサミを持ったまま立っていた。
「それ、いったん戻してもらえるかい」
「あっ、すみません!」
千佳がパネルをイーゼルへ戻した。
中央には、端正な顔立ちの男性が胸から上のアップで大きく印刷されている。
外からガラス越しに見たときは、レースのカーテンが文字と枠を隠していたのだ。
亜理栖は手に持っていた集合写真を老店主に見せた。
「あ、あの、おじさま。毎年春に、このお店の前で商店街の集合写真を撮っていらっしゃいますわよね?」
「ああ、撮ってるねえ。うちの前の道がいちばん広いからね」
「この左端に写っている男性……このパネルがガラス越しに写り込んでいたのではありませんの?」
老店主は老眼鏡の位置を直し、写真をしげしげと覗き込んだ。
「ほんとだ。毎年ちゃんと顔を出してるねえ」
今年、十年前、二十年前。
老店主は順に見比べ、愉快そうに肩を揺らした。
「私はいつも最前列に並んでるから、後ろにこれが写ってるなんて気づかなかったよ」
「よ、よかったぁ……っ! 街を更地にする幽霊じゃなかったのね……っ!」
紅麗亜が胸を撫で下ろし、へなへなとその場にしゃがみ込みそうになる。
千佳は頭の後ろで手を組んだ。
「じゃあ、会長さんがお肉屋さんやパン屋さんに聞いても誰も知らなかったのは、ただの看板だったからなんですね!」
人見知りでも、亡命スパイでも、吸血鬼でもなく、ただの理髪店の看板。
亜理栖はホッと息を吐くと、再び名探偵の余裕を取り戻し、パネルの男性を眺めやった。
「ふふ、そういうことでしたら一件落着ですわね。……それにしても、ずいぶんハンサムなモデルさんですこと。おじさま、このパネルの方をご存じですの?」
老店主は少し照れたように鼻の下をこすり、ニコリと笑った。
「ええ、若い頃の私です」
「…………」
四人の視線が、パネルの彫りの深いハンサムな青年と、目の前の丸っこい白髪の老店主の間を、三往復した。
「……分析します」
「金田一さん、今は分析しなくてよろしいですわ!!」
亜理栖は美月の背中を押して出口へ向かった。
「それじゃあ、お騒がせいたしましたわ」
優雅に一礼して踵を返す。
「ああ、お嬢ちゃん」
「はい?」
「その頭、ポマードかい?」
亜理栖の足が止まった。
(……ぽま?)
背後で、美月と紅麗亜がそっと顔を見合わせた。
亜理栖は銀髪を撫でつけ、堂々と胸を張る。
「……ですノット!」
「ああ、違うの。じゃあ、何で固めてるんだい?」
(名前を聞かれましたわ……!)
「そ、それは……企業秘密ですわ」
老店主が瞬きをした。
「髪を?」
「探偵ですので」
美月が静かに扉を開けた。
「所長。会長さんへの報告が」
「ええ! そうでしたわね! 失礼いたしますわ!」
亜理栖が足早に店を出る。
その後を追いながら、千佳が不思議そうに首を傾げた。
「秘密だったんですね。洗面所に出しっぱなしなのに」
「千佳さん、お口のチャックを閉めなさい」
*
夕方、商店街の会長に事の顛末を報告した四人は、西日の差し込む九条探偵事務所へと帰ってきた。
「いやあ、会長さん、お腹を抱えて笑ってましたね! 『カミムラさんの若い頃なんて誰も覚えちゃいないよ!』って!」
「まったくですわ。まあ、このわたくしの頭脳にかかれば朝飯前でしたわね」
亜理栖は髪を下ろし、上機嫌でソファに腰を下ろした。
その隣で、紅麗亜がふと窓際を見やり、再び瞳をうるうると潤ませた。
「うぅ……商店街の謎は解けたけれど、あの子はもう戻らないのね……」
窓際の小さな皿の上。
白いハンカチをめくったそこには、茶色くカサカサに乾ききった、手のひらサイズの植物――エアプランツがちょこんと転がっていた。
「……紅麗亜。まだ悲しんでいましたの?」
「だって、お花屋さんが『土がいらない、空気中の水分で育つ植物です』って言うから……わたし、お水は一滴もあげなくていいんだと思って、ひと月ずっとそのままに……っ」
「空気だけで生きるわけがありませんでしょう! 霞を食べる仙人じゃあるまいし!」
「うぅ、わたしが無知だったばかりに……わたしが代わりに光合成して済むのなら……っ」
「人間は光合成できませんわよ! ほら、もうお茶にいたしましょう。金田一さん、紅茶を淹れてちょうだい」
「承知しました」
亜理栖が紅麗亜の手を引いてキッチンへと向かい、美月もその後ろに続く。
三人がキッチンへ入ったあと、千佳がトコトコと皿の前へ歩み寄った。
大きなグリーン縁の眼鏡の奥で、茶色く縮こまったエアプランツをじっと見つめる。
葉のいちばん奥に、ほんのわずか、緑色が残っているように見えた。
「……まだ、いけますよね」
千佳は窓際の戸棚から小さな霧吹きを手に取った。
シュッ、シュッ、と二度だけ水を吹きかける。
そして何事もなかったかのようにくるりと振り返り、「私もお茶手伝いまーす!」と元気よくキッチンへ駆けていった。




