7-7 怖くないよ
レンとアスカが洞窟の中から消えた瞬間、洞窟に異変が起こった。電気が走る川を目で追いながら走っていたツバサはすぐに異変に気づいた。
「何だ?!」
氷の天井が抜けて、海水が入り込み始める。洞窟が消滅しようとしている。ツバサが走ってきた道はもう氷の床はなく、ほとんどが水と化していた。
前に進むしかない。ツバサは川に目をやりつつ、走れる道を走った。
「ベティ!!どこにいるんだ!」
必死で名前を叫びながらツバサは走った。川に走っていた電気が途絶えた。
それでもツバサは走り続けた。
「ベティ!俺は諦めないからな!諦めない!」
自分に言い聞かせるように、ツバサは洞窟の奥へ奥へと走っていった。その声は少し震えていた。
「……ティ!どこ……るんだ!」
どこかから声が聞こえる。もう幻想なのかもしれない。ぼうっとする頭でベティは思った。いつの間にか氷の床に横たわっていた。
「……私、まだ、生きて……」
「……ベティ!!」
「ツバサ?ツバサなの?!」
その途端に体の感覚が戻り、自分の体がひどく冷えきっていることに気づく。ベティは立ち上がろうとしたが、足が固まってしまったように動かない。ベティは這いつくばった。
「ツバサ!!私はここ!!返事をして!」
「……ベティ?ベティ!!」
「あっ……」
前方にツバサが現れ、ベティは震える足でゆっくり立ち上がった。手を伸ばしてツバサは走り、よろめいたベティの体を抱きとめた。ひどく冷たかった。安心してしまったのか、何故か分からないがツバサは足の力が抜けて、へなへなと座り込んだ。
「冷たい、冷たすぎるよ、ベティ……」
ベティのその頬に左手で触れる。触れた左手をぎゅっと抱きしめるように、ベティは両手で掴むと、目からボロボロと涙がこぼれ出した。
「ここで1人で、私は死ぬと思った、でもまだ、生きていたいの」
涙がツバサの左手に落ちた。それはもうベティの体温で、冷えきったツバサの手をかすかに温めた。ツバサは無意識のうちに考えていた。何でこの少女は、こんな状況だというのに、こんなに美しいんだろう。何も言葉が出ない。ただじっと、見つめることしかできなかった。
最期に、ベティの顔を見ていたかった。そうか、俺は―
「ベティ。俺、ベティのこと好きだ」
その直後、背後から波が2人を襲った。あっという間に飲まれた。必死に手を伸ばす。腕だけが空気に触れた。ああ、私は死ぬんだ。ベティがそう思い、その腕も水に飲みこまれる瞬間、力強く腕が掴まれた。
全てが水に飲み込まれる。しっかりと腕は掴まれたまま、体が誰かに包まれた。ベティは水の中でツバサの姿を目で捉えた。しかしベティの息は尽き、気を失ったかと思うとその体は力なく水中に漂った。
ツバサは魔術を発動させようとしたが、開いた手のひらからエネルギーすら現れなかった。落ち着け。水面は見えない。徐々に息が苦しくなる。まずい。視界が狭くなっていく間、ツバサはベティの体をぎゅっと抱きしめ密着させた。
まだ死にたくない!死ぬわけにはいかない!
その時だった。体の奥深くから全身を貫くような感覚があった。消耗したはずの体力が、魔力が、全身に流れ出す。目が銀色に変わる。ツバサは瞬時に魔術を発動させると自分とベティの顔の周りに空気の泡を被せた。
「……はぁ、はぁ……」
息ができるようになり、意識が戻ってくる。ベティが自分のシャツを少し握った感覚があった。ツバサは安堵をついた。
「……っ!!」
ベティはその数分後に目を開け、口で呼吸できることに気づいた。黒い魔術の泡で自分の顔の周りが包まれていた。自分の体を抱く手には、大きな鉤爪がついていて、その腕の皮膚は硬化していた。ベティは何も言葉を発せずにじっとしていた。おそるおそる顔を見上げると、すぐに相手もこちらに気づいた。両目とも銀色に光るツバサと目が合う。ツバサの顔の周りにもベティと同じような泡があった。しかしツバサの頭には無かったものがある。角が2本。
「驚いた?」
「……色んなことに驚いてる。私が今、生きていることと、それから……ツバサの頭に、角ができてること……」
「俺もまじで死ぬとこだった。生身でこの水中を泳ぐのは無理があった。だから何か……うん、落ち着いたらちゃんと話す」
「レンは?」
「大丈夫。もう先に地上に着いているはずだよ」
「……そう、良かった……本当に」
「……俺、怖い?」
ツバサはこちらを見ずに尋ねてきた。ベティは首を振り、その肩に顔をうずめた。
「怖くないよ。全然、怖くない」
すると水中で雫が水面へと上っていき、それはツバサの頬に当たった。ツバサは顔をうずめたままのベティの方を向いて聞いた。
「泣いてるの?」
「……うん、嬉しくて。……ありがとう。また、会えて良かった……」
「俺も。また会えて嬉しい」
ツバサがまばたきをすると、1粒だけ雫が上っていった。水面まであともう少しだった。
その頃、先に渦潮から脱出したレンとアスカはすぐに医務室へと連れていかれた。幸い、レンは殆ど怪我はしていなかったためすぐに検査から解放された。アスカは祈祷師でも判断に困難な傷跡があり、時間がかかっていた。
「レン……」
レンが砂浜の方へ戻ると、アルルが赤くなってしまった目に涙をたくさん浮かべて立っていた。レンはアルルがこの場に居ることに一瞬驚いたが、駆け寄ってきたアルルをしっかり抱きとめた。
アルルは声を上げて号泣するだけだった。こんなに泣いているアルルは初めて見た。レンはただ黙ってアルルの髪を撫で、背中を優しくさすった。
アルルは涙を少し腕で拭い、レンに尋ねた。
「ツバサとベティは……」
「後から戻ってくる。必ず」
アルルとレンは砂浜で2人の帰還を待った。一向に戻ってこない。レンはだんだん自分の心臓の音がうるさくなってきているのに気づいた。途端に何故か視界までが滲み始める。
「あいつはそんな簡単に死なない」
レンは半分自分に言い聞かせるようにアルルに励ましの言葉をかけた。海はひどく静かだった。渦潮も跡形もなく消えていた。
その時だった。頭が2つ海から現れ、そのまま砂浜に力尽きたように倒れた。ツバサとベティだった。
アルルが先に走り出した。
「2人とも無事?!」
ツバサとベティは2人ともひどく咳き込み、口から海水を吐き出した。2人に手を貸し、すぐに帰還したことを本部に知らせた。すると突然ツバサが後ろを向いた。
「ツバサ、どうしたんだ?」
次回は明日22時過ぎに投稿予定です。




