第2話 エルフの村 その1
アレクシオスがこの村で、介抱されてから3日が経った。驚くべきことに、傷はすっかり良くなっている。骨は砕け、体に穴がいくつも空いたというのに。
「なあ、アリッサ殿、ちょっといいか?」
花瓶の花を取り替えていたアリッサが振り向く。
「もう、アリッサでいいって言ってるじゃないですか、アレクさん。」
アレクさん。そう呼ばれると少しむず痒い。なにせスパルタの生活では、このくらいの年から女との交流はなく、ひたすらに訓練に励んでいたからだ。30で妻のエトナをあてがわれ、初めて夫婦と意識したときのようだ。少し息を整えて、続ける。
「私の傷は、三日三晩では、なおらないほどひどかったのであろう?だが、今はどうだ、痛みもほとんどない。お前らの国の医者はよほど腕がいいのだな。」
「いいえ、医者ではなく、私の回復魔法です。もしかして、アレクさん、魔法をご存じないの?」
「魔法?魔術のことか?」
「はい。ここに連れてくる時、私が応急処置として回復魔法を施しておきましたから。それでも3日で元気になるなんて、私も驚きです。」
「つまり、アリッサは魔法が使えるのか?」
「私だけでなく、エルフ族は魔法が使える種族なのです!」
えっへんと言わんばかりに、アリッサが胸を張る。
「エルフは、森の精霊達の力を使って、魔法を繰り出します。例えばほら。」
アリッサが右手をかざすと、アリッサの掌が光り、そこから蔦が現れた。蔦は花瓶に絡みつき、持ち上げる。アレクシオスは驚きを隠せなかった。まるで神の力ではないかと。なるほど、エルフ族とは魔術の民であるのか。花瓶をテーブルの上に置き、蔦を収めると、アリッサは無垢な笑顔でこちらに向き直す。
「驚きました?このくらいで驚くなんて、アレクさんよほど、辺境なところからこられたんですね?」
「そうなのかもな。さてアリッサ、外へ行きたい。そろそろ躰を動かさねば、衰えてしまう。」
「そうですね。では村を案内しましょう。それに、服も…。」
「衣類ではだめなのか?」
「その布きれ一枚を、あなたの国では服と言うの?野蛮人なの?」
野蛮人と言う言葉に、少しムッとするが、助けてもらった以上、この地の風習に従うとしよう。
「よし、出かけよう。」
「はい!」
二人は外に出る。あたりには石造りの家々と、壮大な森に囲まれた、見事な風景が広がっていた。美しい。まるでアテナイのような風景だ。しばらく歩くと、住民たちの姿が見えた。しかし、住民たちの視線は歓迎しているようには見えない。ヒソヒソと話す声が聞こえる。
「…人間族だ、なぜ人間族がここに…」
「おい、あの人間族に石をぶつけてやろうぜ。」
「バカ!見てみろ、ムキムキで、ヒゲもじゃでおっかないぜ。どこの野蛮人だアイツ。きっと、首の骨を折られて殺されるぞ、俺たち。」
大層な嫌われかたのようだ。ちらりとアリッサの方を見ると、申し訳なさそうな表情をしているのがわかる。
「あ、あの気を悪くしないでください。エルフ達は、人間をあまりよく思ってないだけですから!普段はすごくいい人達なんですよ!」
「ただ嫌っているわけではなく、恐れている。何やら確執があるようだな。人間達とは何かあったのか?」
アリッサは立ち止まり、アレクシオスの方を向く。そして真面目な表情で、口を開いた。
「ええ、実は近頃、人間族の奴隷商人がエルフの村を襲撃し、若い娘をさらっていくのです。エルフの奴隷は人間達の間では、高く取引されて人気の商品なんだそうで。しかし現状は、奴隷とは名ばかりの慰み者の扱いだと聞いています。」
「我がラケダイモーンでは、奴隷は財産だ。文字が書けるもの、話術に長けるものは、富豪や政治家の有能な補佐に、その他のものは畑を耕し、我々に食料を供給する、労働力なのだ。それをただ己の欲望のために略奪し、犯し、売り飛ばし、貨幣を得る。それでは恨まれても、仕方がないな。」
「わたしも、人間族が怖い、そして憎い。」
アリッサは、今までに見せたことのない、悔しそうで、恨みのこもった表情であった。
「そうであったか。では、なぜ私を助けたのだ。瀕死の私の喉を突けば、いつでも殺せたはずだ。」
「精霊たちが教えてくれたんです。この人は悪い人じゃないよ、って。」
「アリッサは精霊たちと話ができるのか?もしかして巫女なのか?」
「はい、巫女です。アレクさんが倒れていたあの日、私は精霊たちの声を聞いたのです。『遠地より傷つきし楯が来たり。その楯は村を護るものなり』とね。」
「その神託を信じ、私を助けたというのか?どこぞの馬の骨とも知らぬ、野蛮人の私を。」
「はい!アレクさんこそ、精霊たちのいう『楯』だと確信しました!」
どうだ、と言わんばかりにアリッサは胸を張る。その自信はどこからやってくるのかは謎であるが、まあいい。とにかく仕立て屋に急ぐとしよう。
「アレクさん、こっちです!ついてきてください。」
急に走り出し、元気よく手を振るアリッサを追いかけて、二人は仕立て屋へ向かう。