表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜に恋した小娘と、娘に従う小猫の噺  作者: 朝霞ちさめ
終章 小娘の託、小猫の涯
35/38

小娘の託、小猫の涯 (去)

 それは、遠い過去(むかし)の事。

 彼女が竜に恋をした、その理由。


    ◇


 パトリノ・フーミロは女傑である。

 竜に拾われ竜に育まれ、そして竜を殺めた英雄にして、竜に愛された女性(ヒト)だった。

 彼女は、表舞台にとどまるところは短く、すぐに隠居すると辺境で、ひっそりと慎ましく暮らしていた。

 そんな暮らしは裕福であると、そう言ってしまっていも良いだろう。

 人里から離れた辺境の地。そんな立地条件から言えば不遇にも見えるが、その真相は彼女が他人を排除できる広い領域を望んだからであり、故に辺境の地に作った普通の家屋で、生活には決して困ることなく、表舞台を去った後もその生涯を平穏無事に続けていた。

 十三年後、彼女は一人の娘を産んだ。

 娘はすくすくと、その箱庭のような世界で育った。

 あらゆることを母親に学びながら、それが普通だと信じて育った。

 が、物ごころが付き始めると、流石に何かがおかしいと言う事にアンスタータは気づく。

 決定打となったのは、パトリノを頼ったイェンナ商会の主人が、その娘をパトリノに預けた時……つまり、ジェシカ・イェンナと出会ったことである。

 ジェシカとアンスタータはすぐに打ち解けると、色々な事を教え合いながら切磋琢磨した。

 その中で、ジェシカが持つ一般常識と呼ばれる知識にアンスタータは大きな衝撃を受けたわけである。

 もちろん、アンスタータはそれが母親のせいだとすぐに理解し、母親を問い詰めたが、当のパトリノは『聞かなかった方が悪い』の一点張りで、アンスタータもそれで『それもそう』と納得してしまったのだから母子である。ちなみに事の時、ジェシカが扉の向こう側で大きな大きなため息をついていたらしい。

 ともあれアンスタータも幼女から少女に育ち、ジェシカと別れた頃には小娘になっていた。

 だが、小娘は現状の生活に満足していた。

 外の世界に興味が無いわけではないけれど、ここが安全であるならばここで良いかなと思っていたし、何より彼女は母親が好きだった。

 それに、この家は確かに他人を排除した広い領域に建てられたものではあったけれど、ジェシカやその肉親が訪ねてきたりするように、まるで何も訪れないわけではない。

 忘れ去られつつある女傑であるパトリノを頼って尋ねてくる者もいるし、迷い込んでしまっただけの旅人だとかもそれなりには居る。

 訪れた人たちから外の話を聞くだけで、アンスタータはおおむね満足していた。

 その日が来るまでは。


 その日。

 訪れた者は異形だった。

 体長は三十メートルあるだろう、鳥獣にしては大きすぎる。

 斑模様の力強い体表には傷が付いていて、痛々しいがそれが何であるのか、当時の彼女は知らなかった。

「母さん。なんか変なのがいるわ」

「変なの?」

 家の中で裁縫に勤しんでいたパトリノは、愛娘に言われて外へと出る。

 そして視界にその生物を捕えるや、一瞬だけ目を細め、アンスタータをそれとなく自身の後ろへと移動させた。

「『極法竜』が何の用事かしら?」

「…………」

 それは、極法竜(ジャッジドラゴン)

 但し『それ』には、『死にかけの』という冠詞を付けたほうが自然しれない。

「あなたに、おねがいがあるのです」

 拙い言葉で、それは言った。

 幼子のような言葉で、覚えたての言葉でそれは言う。

「わたしをどうか、ころしてください。黒曜竜(ァルヴォー)の娘」

「ァルヴォー……、なるほど。そう言うことか」

「ァルヴォー……って誰? なんかすごい発音し難いわ」

「人間にはね。私の育ての親よ……私が殺した、ね」

 ああ、黒曜竜の事か、とアンスタータは頷く。

 この母親は、竜種に育てられるという奇妙な生い立ちであることは、パトリノ本人からも聞いていたし、ジェシカ達からも散々聞いたことである。

 ただ、その竜の名前を知ったのはこの日である。

「良いわよ。でもあなた、その程度の傷ならばまだ、なんとかなるんじゃないかしら。竜種は生命力が高いわけだし」

「むりです。きずはともかく、どくがまわっていますから。くるしいだけです。だから、ころしてほしいのです」

「そ」

 パトリノは無造作に極法竜に近づくと、裁縫に使っていたらしい糸をはらりと宙に舞わす。

 ただそれだけで。

 竜の首から上が、落ちた。

「片付けが大変ねぇ。ま、イェンナにでも頼みますか」

「……母さん、今、何をしたの?」

「何って、そう難しい事はしていないわよ。糸をさっとしてばっとしてきゅっとしてひゅんっとしただけ」

「相変わらず擬音ばかりで解らないけれど……糸でそんなこと、できるんだ」

「流石に相手が警戒してたら無理よ。でもあそこまで『死にたがり』なら、たとえ竜種でもあの通りってわけ」

 なるほど、とアンスタータは頷く。

「私にもできるようなるかな?」

「もちろんよ。私にだってできたんだから、アンスタータ、あなたにできない理由が無いわ」

 じゃあ、練習してみよう。アンスタータはそんな軽い考えで、新たに殺す術を覚え始める。

 その日を契機とするように、定期的に彼女たちの家には竜が訪れるようになっていた。

 そのいずれもが死にたがりの竜たち。

 理由は様々……苦しいから死にたいだとか生きるのに飽きたから死にたいだとか、本当に様々で、パトリノはその全てを受け容れ、当然のように竜を殺し続けた。

「母さんは、なんで竜を殺すの?」

「彼らがそれを望んでいるからよ。彼らは生命として、たしかに私たちヒトよりもはるかに上の存在だけれど……だからこそ、衝動的に死にむいてしまう事がある。それを手助けするのも、竜に対する恩返しだから」

 その理屈を、アンスタータはなかなか理解できなかった。

 恩返しもなにも、相手が死んでしまえば意味はない。

 だが、これまでパトリノが殺し続けた竜たちは、その皆が満足そうに死んで行って。

 きっと彼女の言葉は、理解できないだけで真実なのだろう。

「アンスタータ。竜種(かれら)はね。とても強いし、とても優しいのよ。けれど同時にとても脆い。あなたは彼らの死を何度も何度もその眼で見て、何を感じた?」

「…………」

 命を『終える』歓び。

 それは長い命を持つが故のものなのだろうか。

 アンスタータはそう思う。

「竜はね。強くなければいけないの。下位竜種と呼ばれる者たちだってそれは同じ……強くなければ竜として失格だと、そう育てられてしまうから」

 だとしたら、竜という生き物はとても可哀そうな生き物だ。

 弱さを個性と認めない。それはきっと、辛いことだとアンスタータは思った。

 それでも、強い生物として君臨し続けている事は、凄いことだとアンスタータは思った。

 以降も、何匹も何匹も竜は殺され。

 いつしかアンスタータは、それぞれの竜の死に様に、誇りのようなものを垣間見ていた。

(……ああ)

(格好いいなぁ……)

 だから竜に恋をした。

 錯覚にすぎないのだとしても。

 歪んだ恋であったとしても。

 死に様の誇り高い姿に、彼女は恋をしてしまった。

 そして、今日もまた、竜の首が落される。

 彼女は落ちた竜の頭に駆け寄り、抱きしめた。

 己を染める鮮血は、とても幸福な匂いと肌触りで、暖かかった。


    ◇


 パトリノにとっての転機がアンスタータの誕生であるならば、アンスタータにとっての転機はパトリノとの別離である。

 それは。

 紫を深く濃く暗くしたような黒い鱗の竜だった。

 あれが、黒曜竜かと。

 アンスタータはパトリノに聞いていた特徴から、それを判断する。

 しかし、その竜はこれまでアンスタータが見てきた竜達とは違った印象をアンスタータに与えていた。

「あぁ。パトリノ、ひさしぶ……って、君はよくよく見ると似ているけれど、パトリノじゃないねぇ」

「…………? 私はアンスタータよ」

「アンスタータ?」

 黒曜竜は小首を傾げて聞き返す。

「パトリノは私の母親だけど。あなたも死にに来たの? 黒曜竜さん」

「いやいや。こちらはまだまだ死ぬ気は無いよぉ。そういえばパトリノは、最近竜種(はらから)の自殺を手伝っているとか聞いたことがあるねぇ」

 そしてなんだか、この黒曜竜の口調はいらつく。

 妙に語尾が長いと言うか……それが小動物とかであれば単に殴りたくなるだけなのだろうが、この黒曜竜に死ぬ気が無いと言うのが真実であるならば、妙に手を出したら殺されるのは自分であることをアンスタータは自覚していた事もあり、とにかく我慢。

「しかしなるほど。君がパトリノが産んだと言う娘かぁ。パトリノにはとってもよく似ているけれどぉ、父親にはいまいち似ていないねぇ」

「あなた、私の父親を知っているの?」

「これでも伊達に黒曜竜の里で長を勤めているわけじゃないからねぇ。まして、パトリノとこちらはそれなりに因縁もあれば普通の縁も深いからさぁ」

 それにしても娘にアンスタータと名前を付けるとはねぇ、と、その黒曜竜は意味深に言う。

「……私の名前、変かしら? ジェシカ達は特にこれといって反応しなかったし、特に変な言葉でも無いと思うのだけれど」

「君達ヒトの間では、さしたる意味の無い言葉だから問題ないよぉ。それに竜種(われら)の中でも、もはやそういった言葉を知っている者は数えるほどしか居ないしねぇ……。ま、パトリノならばそれを知っていてもおかしくないかぁ」

「ふうん。……母さんも知識が偏ってるものね、そう言う事もあるか。で、黒曜竜さん。アンスタータって、どんな意味なの?」

「うん? 聞きたいのかい?」

「そこまでもったいぶられるととても気になるわ。母さんがそれを意図して私に名付けたのだとしたら、母さんが私に何を期待したのかとか、そう言うのもわかるじゃない」

「それは道理だけれどねぇ。けれど、名前と言うものは呪縛だよぉ。その人物を強制的に『かくあられし』としてしまう、言霊のようなものだからねぇ。聞かなければそれに引っ張られる事はないかもしれないけれどぉ、一度でも知ってしまえば君は、その宿命に囚われてしまう。それでも良いのかい?」

「良いわ。私、そういう宿命とか運命とかはあまり好みじゃないけれど、囚われるという言葉は好きなの」

 また妙な娘だねぇ、と黒曜竜は言う。

「アンスタータという言葉はねぇ。竜種(われら)の古い言葉でぇ、『代替品』だとか『代用品』だとか、そういう意味があるよぉ」

「じゃあ、母さんは私に、母さんの代わりになってほしいなって思ったのかしら?」

「多いにあり得るんじゃないかなぁ。聞くもんじゃなかったでしょぉ、あんまり気持ちのいい話でもないしさぁ」

「いやあ。むしろ興奮してきたわ。というか恍惚だわ」

 アンスタータは頬を赤らめ目をとろんとさせながら言う。

 そんな尋常ならざる様子に、黒曜竜は気押される。

竜種(あなたたち)が死ぬ時に見せる、死に様。そこには誇りがあるの。とってもとっても強い誇りが。私たちヒトには抱けないであろう、何かがあるの。それが命を失って、死に様がただの死体になる時、私は何とも言えない気持ちになるわ。とっても胸がどきどきするの。間違いないわ。これは恋よ」

「…………」

 尚、この時の黒曜竜は言葉にこそしなかったが、次のように思考している。

(あれれぇ、この娘さんはぁ、あれじゃないかなぁ。なんか今殺しておくべきなんじゃないかなぁ……?)

 竜種としてはその方が確かに正しいだろう。

 とはいえ、その黒曜竜は彼女はともあれ、彼女の母親に用事があってここに来たのだ。

 ここで彼女を殺し、結果彼女の母親を怒らせてしまったらできる話もできなくなる。

「……ま、いいやぁ。アンスタータさぁ。パトリノを呼んで来てくれないかなぁ。たぶん彼女は、こちらのことを知っているからぁ」

「良いわよ。なんて伝えればあなたの事を解ってくれるかしら?」

「そうだねぇ。ィシヴェーと名乗っていたと言えば、良いんじゃないかなぁ」

「ィシヴェー……ね。ていうか、竜種ってみんな、あなたみたいな名前なの? なんだか呼びにくいことこの上ないのだけれど」

「こちらにしてみればぁ、ヒトの言葉は発音し難いことこの上ないしねぇ。だからお互い様だよぉ」

「ふうん……」

 そんなものか、とアンスタータは納得し、パトリノを呼びに向かったのである。


    ◇


 その日の事を、アンスタータはついに生涯を通して、忘れることが無かった……忘れることができる道理が無かった。

 ィシヴェーとの出会いの日。

 『最悪』と呼ばれる竜の存在と、その竜についてを知った日。 

 パトリノはより安全でより確実に『最悪を抑圧するため』に、例えパトリノ自身が死ぬことになるとしても、アンスタータの若い身体に己の力を移す事を望んだ。

 ィシヴェーの(まじな)いによってパトリノの願いは果たされ、パトリノはその命を落とし、そしてアンスタータは『抑圧する代替品』の名に込められた言霊に囚われることになった、そんな一日。

 彼女は押し付けられた使命を、それでも己が母を超えるための使命であると前向きに捉え、その力を更に研磨しつつ捜索に当たったのである。



    竜に恋した小娘と、娘に従う小猫の噺

     終章 小娘の託、小猫の涯

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ