竜の呪い、娘の願い (二)
「で、あなた誰?」
場所を遷して、フレイ……の、幻影、らしきもの、がある正面の建物、その屋根の上。
何故そんな場所にと思わない事もないのだが、道端で話すよりかは屋根の上の方が良いとアンスタータが判断したためである。
尚、アンスタータとスカウフは普通にひょいっと昇り、リモネとオランジュは精霊の力を借りて登り、謎の青年は一度猫の形になるとたん、たん、たん、とテンポよく昇り、再びヒトの姿に戻っていた。
それを見て強烈な違和感を覚えたのは、アンスタータだけだったらしい。
だからこそ、アンスタータは少し警戒を増してその青年に聞き返す。
「まあまあまあまあ。警戒しないでくださいよぉ。面倒ですからぁ。……フレイ・マルボナ、に、何か異変があったところまでは察知して、その異変があったところを目指してきたら、ここだったんですよねぇ。ほらほら。私、セントラの、エスト寄りに居ましたからぁ。そこから急いで来て、今到着という次第ですねぇ」
警戒というより苛立ちが出てくるのは口調のせいだろうか。
何か口調がゆっくりとしているというか、あまりにも遅すぎる。
「今のこちらはコルバと名乗っていますねぇ。ですがアンスタータ・フーミロ、あなたはその名前をしませんよねぇ。あなたの知っている名前ならば、ィシヴェーですよぉ」
「…………」
やっぱりか、と。
アンスタータは大きく息をついた。
「待って。アンスタータ。その。彼は何者だい? 思いっきり今、偽名を使っているみたいな事を言っていたけれど」
オランジュの問いかけに、アンスタータは「そうねえ……」と真剣に悩んだ。
「まあ、気にしないで頂戴。私と私の母パトリノ、そしてフレイにとっても因縁深い存在であることに違いはないわ」
「君がそう言うならそれで納得しておくが。……えっと。ィシヴェー? なんだか、発音し難い名前だね?」
「コルバで良いですよぉ。今はそう名乗ってますからねぇ」
くすくすと笑い、彼は言う。
「アンスタータ・フーミロ。彼は確か、スカウフ・ウォムスでしたかぁ?」
「ええ」
「ならば、スカウフ・ウォムスにはごめんなさいをしなければなりませんかぁ。私の同胞が色々とご迷惑をおかけしてぇ、大変申し訳ないのですねぇ」
「同胞って、君のかい? 幸いと僕は、特に猫人から目立った被害を受けた事はないのだが……」
ああ、そうではありませんねぇ。
ィシヴェー、もといコルバは言う。
「話しを進めるためにもぉ、ちょっとアレしますけどぉ。アンスタータ・フーミロ、いいですかねぇ?」
「殺しちゃだめよ。そうじゃないなら、まあ、いいわ。あなたがやるなら、そこまでの心配はしないし」
「そうですかぁ」
コルバはそう言って、何処から取り出したのやら、筆を使って屋根に何かを描いて行く。
描かれた何かは奇妙な記号、が九個ほど。しかし、九つの内の四つと、二つは同じ記号で、実質五種類の記号だった。
そしてその記号を纏めるように、その周囲に不思議な文様を描き。
一瞬、空が翳る。
いや、翳っては居ない。ただ、空間が黒い靄につつまれたような、そんな錯覚が訪れる。
そして……昼だからか、賑やかは賑やかでも、途方もなく賑やか、というわけでもない猫人の里は。
突如、静寂に包まれていた。
「これでよしですかねぇ」
コルバは筆を空に投げ捨てると、筆は砂のように崩れて空に消えて行く。
何か、性質の悪い奇術を見ているような気分になってくる。
「じゃあ、驚かないでくださいねぇ」
コルバはそう言って屋根から身を投げる。
ふっ、とその姿が消えて。
ふと気が付けば、手を伸ばせば触れるほどの距離に、『それ』がいた。
『それ』は艶やかな、とても濃い紫色をした鱗を纏っていた。
ほとんど黒に近しい色の、小柄な存在。
小柄とは言えど、それはその種族にしてはと言う話であって……ヒトからしたら巨大なるもの。
『それ』は俗に。
「……黒曜竜!?」
そう。
黒曜竜と呼ばれる竜種である。
黒曜竜。
『原姿三竜』の一つ。
精霊魔法にせよ竜種魔法にせよ、そのどちらをも恐ろしく高い力で使いこなす、そういった自然的、あるいは超自然的なものに対する適正が尋常では無く高い竜。
金剛竜が竜種としての完全を体現しているならば、黒曜竜とは竜種としての調和を体現している。
単純な力の強さでは、黒曜竜を超える竜種も多い。だが、実戦になれば黒曜竜は、金剛竜さえも凌ぐと言われていて、その本質は『二つの魔法』にあった。
彼らは精霊魔法を自在に操り、竜種魔法を高度に操る。
魔よって力を制す。技によって体を補う。
それが黒曜竜という竜種である。
「こういうわけなんですよぉ。あらためて……こちらの同胞が迷惑をかけているようで、申し訳ありませんねぇ」
「…………」
スカウフは頬を引き攣らせて、なんとか頷く。
無理もない、アンスタータはむしろスカウフが、それでも現実を受け入れている事を評価した。
常識的に考えて、竜種が普通に話しかけてくるなんてあり得ないのだから。
もっとも、それはあくまで常識的な場合だ。
アンスタータにせよコルバ、ィシヴェーにせよ、非常識な存在としては、特に驚くまでもないことだった。
「折角元の姿になりましたからねぇ、ちょっと強引に、あれを剥がしてみますかねぇ」
と。
ィシヴェーは翼を一閃させる。
音も無く、何か見えない刃がその翼から出されると、フレイ、の幻影が映し出されている場所へと殺到する。
ぱんっ、と。
弾かれる音に良く似た、弾ける音がした。
そして、フレイの後ろにィシヴェーは移動すると、再びあの猫人の姿に戻り、フレイの頭に手を乗せようとして、すかっ、とその手は通りぬけた。
ふむ、と頷いて、たんっ、とアンスタータたちがいる側に飛び移るようにして戻って、ィシヴェーは口を開いた。
「来るべき時が来てしまったと、そういうわけですかねぇ……。アンスタータ・フーミロ。以前エストで一度、その寸前にはなったんですよねぇ? その後、ちゃんと元通りになってたんですかぁ?」
「……概ねは、ね。様子を見ながら旅をしていたけれど、徐々に『痣』は戻っていたから大丈夫だろうと踏んでたのよ」
「なるほど。なるほど。つまり完全ではなかったんですね」
「何の話だい?」
「フレイ・マルボナに掛かっていた『呪い』の話ですねぇ」
呪い。
「ま、彼にそれを掛けたのがこちらならば、こちら側である程度の把握は出来るんですけどねぇ。アンスタータ・フーミロにかけた『呪い』は、何ら問題なく機能しているようですしぃ」
「……え?」
スカウフは間の抜けた声で聞き返す。
アンスタータに……『呪い』をかけた?
「おや。アンスタータ・フーミロは教えてないんですかぁ」
「教えたところで、信じてもらえないと思ってね……それに、『呪い』と間違われる可能性もあったし」
「ふぅむぅ。道理ではありますが、説明をするためですしぃ。ちょっと移動しますよぉ」
ィシヴェーはそう言ってアンスタータの頬に指を向ける。
自然と。
アンスタータの頬に、取ってつけたような、ラベルのような痣がすいすいと移動した。
ラベルのような痣。
白い文様が浮かび上がる、奇妙な痣。
「痣……呪いか!」
オランジュはそう叫びつつも。
しかし、違う事にも気が付いている。
その痣の色が、青ではなく、赤いのだ。
「そもそもぉ、ヒトがどの程度こちらの魔法についてを知っているのかという点からなんですけどねぇ。竜種魔法とヒトが呼ぶものはぁ、大まかに二つに分けられるのですよぉ。『呪い』と、『呪い』にですぅ」
呪い。
呪い。
「『呪い』は何らかの不利益を与えるための魔でぇ、『呪い』は何らかの利益を与えるための魔ですねぇ。見分け方はとっても簡単、痣の色ですよぉ。青ければ『呪い』、赤ければ『呪い』。解りやすいですねぇ」
ィシヴェーは笑みを浮かべて言う。
「アンスタータ・フーミロにこちらが掛けた『呪い』はぁ、」
「待ちなさい、ィシヴェー。あなたが喋るとなんかいらっとするわ。毎度毎度殴りたくなるから、私が話す。良いわね?」
「……はい」
ィシヴェーは冷や汗を浮かべながら頷いた。
それをみてスカウフは、アンスタータとィシヴェーの間に明確な序列があることを悟った。
なんだか妙に、気の毒になるが。なんだろう。仲間っぽいという感覚がする。
「私がこのィシヴェーに掛けて貰っている『呪い』はね。『時移しの呪い』と言うものよ。ある何かの経験を、別の何かに移し替える。そういう『呪い』……」
「移し替える……? 経験をかい?」
「そう。私は私の母親、『竜殺しの女傑』パトリノ・フーミロが得た経験の全てを『遷されている』の。私の戦闘能力はね。私の力じゃないのよ。私の母親の力を遷して貰っているだけの、仮初の形に過ぎないわ」
「…………!」
もちろん、というか。
鞭と言う道具を武器として扱う技術は、アンスタータが訓練し獲得したことだ。
しかし、その前提である身体能力……身体をどのように動かせばどのように動けるのか、どこをどう傷つければどう殺せるのか、そういった経験値は、そのほとんどは母親の力が下敷きになっている。
『竜殺しの女傑』、パトリノ・フーミロ。
アンスタータ・フーミロの実母にして、幼くして竜に拾われ、竜に育てられ、竜と生き、竜に力を示し、竜を殺め、そののち、空虚に時を過ごした女。
アンスタータとフレイの演じる戯曲。
『竜と娘の戯曲』の原典にして、王国が誇る空前絶後の才にして、王国が隠す空前絶後の災。
なるほど……アンスタータがああも強いのは。
戦闘で一切迷いが無いのは、それが理由かと。
スカウフはあっさりと、それを受け容れた。
スカウフだけではない。
たった一度、共に戦った……いや、共に戦ったとさえ言えないような相手ではあったけれど、リモネも何となく納得したし。
オランジュにせよ、アンスタータの振る舞いにパトリノの影を見ていて……だから、それが真相で、それが裏にあったのかと納得してしまう。
元々、アンスタータ・フーミロという人物の強さは異質だった。
『名無しの竜殺し』として、多数の竜種を屠ったその力は……もはやヒトのそれではないとさえ言われるほどに。
「『女傑』の力、その全てを遷されただけの、『小娘』。それが私の真実よ」
「……ふむ。納得はできる。君の強さはあまりにも異質だったしね。単なる戦いの天才とは異なり、君の戦いは経験に裏打ちされたものだった。それは君ほどの年齢では決してたどり着けない筈の領域だった……だからむしろ、安心したな。君も僕と同じ、本質は同じヒトだということだろう?」
「そうね」
少し嬉しそうにアンスタータは頷いた。
「だが、同時に解せないな。なぜそのような事をする? いや、単に君が望んだというだけかもしれないが、それで黒曜竜が協力を申し出るとも思えない。あるいは『女傑』、パトリノ氏の願いかい?」
「いいえ。それを願ったのはィシヴェーよ」
そう言って、アンスタータは視線をィシヴェーに向ける。
ィシヴェーはその視線を、フレイの幻影へと向けていた。
「君達が『フレイ・マルボナ』と呼ぶ彼の名前を付けたのは、実はアンスタータ・フーミロでねぇ。アンスタータ・フーミロにその名前を授けたのが、他ならないこちらなんだよねぇ」
「…………? 黒曜竜は猫人と何かあるのかい?」
「いえ、少なくともこの里に関係する猫人はそういうの、ありませんよ。あったとしたら私が知ってますし」
「大体、半人半獣はあくまでもヒト。竜種はまず、在り方が違う」
「それも、そうか」
大体、竜種がこうしてヒトの言葉を使うこと自体が本来はあり得ない事なのだ。
己こそが最強の種族であると信じて疑わない、そして事実として存在としての格が高い竜種は、ヒトごときの為に力を使う事を好まない。
ィシヴェーはそういった竜種の中では例外的にヒトを好み……ヒトに紛れて生活をすることを好む黒曜竜であるというだけだ。
「こちらの兄弟はみんな、何かしらヒトに対して惹かれるらしくてねぇ。こちらの姉は、一人のヒトの子供を保護したんだよねぇ……そして、その子供を育てて、ヒトを知ろうとした。そのヒトはあっという間に育ち、力を付け、そして姉に守られるだけでは無く、姉を護れるのだと証明するために、姉と手合わせをしたんだぁ。竜に育てられたその子供は、死というものをいまいち理解できていなかった。だからその子供は、いつまでたっても起き上がらないこちらの姉が、その手合わせの中で死んでいた事に、気付かなかったんだねぇ」
「その後、私の母親は王国に保護された。オランジュ、あなたの家族の養子としてね。そしてパトリノはほどなく『女傑』と呼ばれ、騎士団長にさえなり、結局は失意のままに無為を過ごした……そして、そのまま死ぬはずだった。そこにィシヴェーが来たの。『頼みがある』、ってね。母は最初、ィシヴェーが復讐に来たのだと思ったそうよ。でもそうじゃなかった。頼りにされた。けれど、もう母は老いていた。生きるだけならば数十年は大丈夫でも、私を産んだせいで、戦える身体じゃ無くなっていたの。……だから、私に経験を遷した。私に代替をさせるためにね」
アンスタータ・フーミロという強いだけの女は、こうして産まれ。
そして、運命に出会った。
「ィシヴェーの願いはただ一つ。その一つが途方もなく難しく、途方もなく大変だったんだけどね……それを叶えることで、私は初めて母を越えられる。だから、私は彼と。レイと一緒に旅をしてるの」
「だから……? つまり、頼みというのは、フレイくんに関係する事ということだよね」
オランジュの問いに、そう、とアンスタータとィシヴェーは同時に頷く。
「『最悪』の、抑圧。それがィシヴェーの頼みだったの」
「『最悪』?」
リモネの問いに、ィシヴェーは、フレイの幻影に向けて何かを投げるようなそぶりを見せる。
何も持っていなかったはずなのに、何かの塊がフレイの幻影へと向かい、その塊はフレイの幻影を通り過ぎて、向こう側に着弾した。
「あの子の正体は、こちらが言うところの『最悪』でねぇ。こちらにとって、竜種にとっての最悪とは、決して『竜殺し』のヒトじゃないんだよぉ。そんなのに殺される竜種は、所詮その程度の力しかもっていなかったと言うだけの話だからさぁ。あるいは、相手の力を見誤った間抜けと言うだけの話だから、同情には値しないし、怨敵というわけでもないんだよねぇ。でも、彼は違う。彼は、文句なしに『最悪』だ。だからこちらは、彼に『最悪』と名付けたんだねぇ」
最悪と書いて、フレイ・マルボナ。
個体名にして種族の名称。
種族名にして象徴の名称。
「竜種が秘匿して畏怖まう、異った到達点。『原姿三竜』、最後の項にして最初の頂。生命を体現する災厄なる竜……。フレイ・マルボナこそが、『王虎竜』なのさぁ」




