幕間(曳)
部屋の中をそよ風が吹き抜ける。
それに合わせるようにさわやかに、ギターの和音が心地よく。
尻尾はゆっくりゆらゆらと、ご機嫌そうに大きく揺らしながら、ギターを奏でるその小猫は、目を瞑って思うがままに、両手を器用に動かしていて、なんとも和む光景だ。
一弦が奏でる高い音、六弦が支える重い音。
一音一音丁寧に。
特に何の曲を弾きたいわけではない。
単に思うがままに弾いているだけ。
そうして何度も何度も弾き続けると、いつしか曲の基礎になる。
もっとも、最初に作った一曲以来、彼は新たな曲を紡ごうとしていない。
あの一曲だけで十分だ。
それ以外は其の時の気分。
彼はいつだったか、彼女にそう言っている。
今日の彼はよほど気分が良いのだろう、心地の良い和音が続く。
柔らかな音は部屋を満たし、音がそよ風に乗ってゆく。
きっと、いい日になるだろう。
そんな予感を、彼は覚えた。
竜に恋した小娘と、娘に従う小猫の噺
幕間(曳)
さて、場面を大きく切り替えて、セントラ州が王都、その一等地に店を構えるヴィリオ商会。
その商会の幹部たちが一堂に会し、沈黙のままに互いをけん制し合っていた。
ヴィリオ商会は実力主義。
実力があれば下働きも幹部になれるし、実力が無ければ幹部も下働きに逆戻り。
そんな厳しい組織だからこそ、五大商会のひとつに数えられるほどになってるのだが……ともあれ。
ヴィリオ商会、その経営方針を決定する『会合』。
定期的に行われる『会合』ではなく、今日のそれは緊急のものであり、故に議題は唯一つ。
「またイェンナが『やらかした』……か」
上座に座った老年の男が、黒塗りの机に書類を投げ置きながら呟いた。
その書類には、イェンナ商会が十五台を超える幌馬車という、大規模極まるキャラバン隊を結成した事。
そして、そのキャラバン隊は荷駄を積まずに出発した事などが書かれていた。
これは今回が初めてのことではない。だから、採算的には奇行としか見えないその行動が何を意味しているのかは明白だ。
「こちらで掴んだ情報ですが。街道沿いにエスト州に向かっているとか。具体的な目的地は不明ですが」
「エスト州といえば、丁度『彼』が向かっていますね。それと関係が?」
「それは無いでしょうな。『彼』の動きはあくまで必要に駆られての事。それに商会が連動する事は無い」
それもそうだ、とそれぞれが頷く。
「ともあれ、間違いなくイェンナは竜種の死骸を手に入れるのだろうな。十五台を超えるとなれば、積載量は百トンは超える」
「積載量よりも使っている人員の数が問題でしょう。十五台を超えるキャラバン。はたして何人参加しているやら。それに人質の件もあります。イェンナはかなり『甘い』んで、そこに経費がかなり掛かるはずだ」
「それでも黒字になる、それも膨大な黒字になると言う確信があると言う事か。ならば中位竜種以上」
「原姿三竜は除外して良いと思いますが、上位竜種の可能性はありますね……」
「百トンならば原石竜は厳しいな。となると、極属六竜もしくは始原竜あたりか」
「どちらにせよ、羨ましいものだ。この数年間、竜種素材は事実上、イェンナ商会の独占状態だろう。このままでは商会間のバランスが崩れかねん」
竜種素材という莫大な富。
それを一つの商会が独占している。
それは確かに由々しきことだ。
だが、それに手を出すのは難しいことくらい、ここに居るものならば理解をしている。
竜種の素材を手に入れることができる……竜種の死骸をこうもコンスタントに手に入れることができていると事実は、『名無しの竜殺し』との間にコネクションがあることを暗示どころか明示している。
そこに手を出せば、まず間違いなく『名無しの竜殺し』の機嫌を損ねるだろう。そうなれば英雄では無い『名無しの竜殺し』に、報復という選択肢を与えかねない。
それに、確かに竜種素材は一度イェンナ商会が独占する形ではあるが、その後きちんと適正価格で市場に流している。
「ふん。面白くは無いが、暫くはイェンナの機嫌とりが必要だな。他の四商会よりも、より多く仕入れられるように」
上座に座った老年の男が纏めると、他の面々が一様に頷く。
そこには多大な諦めの感情が込められている。
そう。
この世界において、竜種素材というものは莫大な価値を持つ。
それは金銭的な価値であり、それを扱う商人は、ただそれだけで信用される。
同時に政治的な価値であり、それを扱う王者は、ただそれだけで畏怖される。
さらに名声的な価値であり、それを扱う旅人は、ただそれだけで称賛される。
価値とはいわば力なのだ。
だから現状は。
ヴィリオ商会を始めとした、王国全土、あるいは国外にさえ進出しているような商会を差す五大商会と呼ばれる存在よりも、竜種素材を定期的にそして安定的に供給しているイェンナ商会の方が、ある意味においては力が強い。
今のところその動きは無いが……イェンナ商会がその気になれば、あっさりと王国全土に進出できるだろう。
国外への進出だって、さほど労することはないはずだ。
そうなれば、イェンナ商会は間違いなく五大商会の一角に食い込む、どころかその上に立つことさえ、よほどの下手をしない限り実現できるはずだ。
だが、イェンナ商会はそれをしない……竜鱗素材は供給するのがほとんどで、それ自体を加工した上で売ろうと思えばできるはずなのに、それをしない。
というのもヴィリオ商会の理念が拡張であるならば、イェンナ商会の理念は維持だ。
イェンナ商会は、現状に満足している。
そして将来的な事を考えるならば、つまり竜種素材が手に入らなくなるであろう未来の事を考えれば、維持をするので十分だと、そう判断しているらしい。
「監視は前提。使者も出しておくとしよう」
男が言う。
具体的な人員の選出、派遣先。
それらを決めるべく、議論は活発になってゆく。
未来の収益を、少しでも大きくするために。
ずびんっ、と。
妙な音を立てて、次に「に゛っ」と、その少年、フレイは声を上げる。
先程まで奏でられていた音は途切れ、フレイの尻尾は緊張に染まっているし、その頬には一筋の傷。
「むー」
憮然とした表情でフレイはギターを置くと立ちあがり、近くの窓に顔を映す。
そして頬に一筋の傷が出来ていて、そこから少し血が出ていることに気が付くと尻尾と耳を垂らし、大きく息を付いてギターの元へと戻る。
弦が切れ、その表紙にフレイの頬を斬ったわけだ。
切れたのは三弦。
やれやれ、とフレイは切れた弦を慣れた手つきで取り外し、予備の弦をケースから取り出して、張り直す。
五分ほどで作業は終わり、調律も終えて満足したのか、フレイはギターを立て掛けると、改めて鏡の前へと移動して、傷の具合を見る。
思ったよりも血が出ているなあ、と。
フレイは嫌々、部屋の片隅に置いた箱を引っ張り出すと、鏡の前の机に置いた。
箱を開けるとそこには沢山の小ビン、ガーゼ、包帯などの医療品。
特に使う機会があるものではないのに一式そろえているのは、単に以前、彼がその手の物を作ることに凝った時期があり、ついでに用意しただけである。
フレイはラベルの付いていない小瓶の蓋を開けると、それで傷口を洗浄。
改めて鏡に映して怪我の度合いを確認、このくらいなら放っておいた方が良いと判断したようで、ガーゼを当てることはしない。
空っぽになった小瓶を机の上に、それ以外は再び箱に戻して元の場所に移動させた、ちょうどその頃、がちゃり、と。
「あら」
アンスタータが戻ってきた。
「ギター弾くのは飽きたのかしら、レイ」
「まさかー。弦が切れちゃってさー」
災難だよねーとフレイは言いつつ、アンスタータに顔を向ける。
アンスタータはそんな彼の頬に一筋の傷が付いている事に気がついて、大体何が起きたのかを察する。
「珍しいわね。あなたのギターの弦が切れるなんて」
「考えて見れば半年くらい交換してなかったからね。切れて当然かなー。に。でも、そろそろ予備が心もとないかな」
「そう。じゃ、また注文しておきましょうか」
「うん」
フレイはぐるりと首を回して、大きなあくびを一つ。
「に。なんか眠いー」
「お昼寝してないからでしょうね。少し眠りなさい」
「んー」
少し考えて、結局フレイは頷く。
「そうだね。そうするよ、タータ。おやすみー」
「ええ、おやすみ。ベッドで寝て良いからね」
「うん」
フレイはベッドに飛びこみながら、その姿を猫のそれへと変じる。
先程まで着ていた服を器用に布団がわりにして、その茶トラの猫はベッドの上であおむけに眠り始めるのだった。
それをみて、アンスタータはちぐはぐだなあと思う。
警戒心があるんだか無いんだか。まあ、信頼されていることはいいことだ。
そして猫型でも、その頬には一筋の傷が痛々しい。
部屋の隅に置かれたギターに視線を向ける。弦は一本だけが新品に。それを張り替えたと言う事だろう。
弦は強い力で張られている。だからそれが切れた時、それはさながら武器のように、瞬間的な力を持つ。
まして素材が素材だ。
実際、ギターの弦を武器として用いる音楽家も居るらしいという話を、彼女は旅の中で聞いたことがある。
考えて見ればギターという楽器にはそれなりの重量があるし、取っ手があると言えない事もない。物理武器として使えないわけではないのだろうが、それはどうかとアンスタータさえも思ったものだ。
大体、音楽家が戦闘をするってどんな状況だ、とも。
思考が妙な方向に進んでいる事を自覚し、アンスタータは軽く頭を振って切り替える。
とりあえず、フレイが使うギターの弦を追加で発注するとして……。
それ以外にもそろそろ補充したほうが良いものは、ついでだ。補充しておくべきだろう。
次の街まで、また長い旅になることは間違いない。
準備は少し大袈裟なくらいで、丁度いい。
発注先は、もちろん……。
幕間は単なる幕間にて。
世界は移ろい時代は流れ、されどヒトらは変わらない。
ヒトらは変わらず、変われずに、その生涯を終えるから。
舞台が幾度と移ろえど、彼も、彼女も変わらない。
……それがヒトである限り。




