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ボッチの僕、イケメンの俺  作者: リディア


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第58話 名前で呼ぶ、その瞬間

文化祭が終わった翌日。 学校は、耳が痛くなるほど静かだった。


昨日まで校舎を満たしていた熱狂は、魔法が解けたように跡形もなく消えている。

壁に残るテープの跡、少し乱れたままの机の列、西日の角度。

祭りのあと。

世界は、淡々と日常へ回帰していく。


けれど、俺の中の何かが、決定的に変わっていた。

もう、あの頃の「透明な自分」には戻れないし、戻りたくもない。


「……おはよう」


教室の扉を開けると、いつもの声がした。


「おはよう、白石くん」


隣の席。

美咲が、昨日と同じ柔らかな笑顔でそこにいる。

その「白石くん」という響きも、もう他人行儀には聞こえない。

学校という公の場所での、二人だけの正しい距離感。

それを互いに選び取っているという信頼が、心地よかった。


授業は淡々と進み、休み時間のチャイムが鳴り、昼が来て、また放課後になる。

劇的なことは何も起きない。


でも――その「何もない日常」が、たまらなく愛おしかった。




放課後。

校門を出ると、空はすっかり高く、秋の色を深めていた。


「……少し、遠回りして帰ろっか」 美咲が、いたずらっぽく俺の袖を引く。


誰もいない裏道。

住宅街の奥にひっそりとある、小さな公園。

錆びたブランコが、秋風に吹かれてキイと鳴った。


「昨日さ」


ベンチに並んで座りながら、美咲が切り出した。


「正直、怖かった?」


俺は一瞬、昨日の光景を思い出し、深く息を吸ってから答えた。


「怖かったよ。足がすくみそうだった。……でも、逃げたくはなかった」


少しだけ空けた二人の距離。

けれどそれは、心の壁ではなく、互いを尊重するための距離。


「前の俺だったらさ、たぶん文化祭の途中で息ができなくなって、どこかへ姿を消してたと思う」


美咲は、膝の上で手を組み、静かに聞いている。


「でも、隣を見たら美咲がいて、後ろには真琴たちがいてくれて……それで気づいたんだ」


俺は、そっと彼女の手の甲に触れた。


「守るっていうのは、俺が一人で盾になって前に立つことじゃなくて――『一緒に立つ』ことなんだって」


美咲の指が、ゆっくりと、確かめるように俺の指に絡んでくる。


「……うん。私も、そう思うよ」


沈黙。


けれど、そこにあるのは気まずさではなく、温かな充足感だった。


夕暮れのオレンジ色の光が、二人の影を長く伸ばし、やがて一つに溶け合わせていく。


「ねえ」


美咲が、少しだけ潤んだ瞳で俺を見上げた。

頬が、夕焼けよりも赤く染まっている。


「学校じゃ、まだ名前で呼べないけどさ」

「うん」

「ここなら……いいよね?」


胸の奥が、きゅっと甘く締め付けられる。

誰もいない公園。

ここは逃げ場でも、隠れ場所でもない。

俺たちが選んだ「二人の場所」。


俺は、正面から彼女を見た。眼鏡の奥の瞳で、しっかりと。


「……美咲」


その一言で、世界の色が鮮やかに変わった気がした。

彼女は驚いたように目を瞬かせ、それから、花が綻ぶように優しく笑った。


「……ふふ。やっと、呼んでくれた」

「呼ぶよ。これからは、ちゃんと」


言葉はいらなかった。

美咲が、少しだけ背伸びをする。

俺も、ほんの少しだけ身を屈める。


触れるか触れないか、まつ毛の音が聞こえそうな距離。

彼女の柔らかな額が、俺の胸にトン、と当たった。


トクトクと響く、二人の心臓の音。


夕風が止まる。


そして―― 唇が、そっと触れた。


深くはない。

激しくもない。

まるで春の陽だまりのような、優しく、温かい感触。


それは、俺たちが互いを「選んだ」という、何よりの証だった。



帰り道。 人目も気にせず、手を繋いで歩く。


もう、何かを隠すためじゃない。

見せびらかすためでもない。

ただ、君の温もりを感じていたいから。


過去の傷は消えない。

未来への怖さも、完全にはなくならないかもしれない。


でも――ここには、もう逃げなくていい場所がある。


隣を見る。

美咲がいる。

俺の愛する人が、そこにいる。


「……もうすぐ家だな。帰ろうか」

「うん」


家の明かりが見えてくる。

繋いだ手に、ぎゅっと力がこもった。

美咲が、世界で一番優しい声で言った。


「おかえり、悠真くん」


その言葉に、胸がいっぱいになり、視界が滲んだ。

俺はずっと、この場所に帰りたかったんだ。


俺は、もう透明じゃない。

誰かの隣に立つことを、愛することを、自分で選べる。


これから先、どんな嵐が吹いても。

この手だけは、絶対に離さない。


それだけは、はっきりと分かっていた。


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