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ボッチの僕、イケメンの俺  作者: リディア


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第39話 花火のあとで

帰り道。 さっきまで夜空と世界を震わせていた花火の轟音が、嘘みたいに遠い残響へと変わっていく。


大通りから一本入った住宅街の道。

提灯の明かりは途切れ、街灯が等間隔にアスファルトを照らしている。


人通りもだいぶ少なくなったこの道を、俺と橘さんは――繋いだ手を一度も離さないまま、歩いていた。


どちらからともなく、自然に。

言葉もなく。

ただ、吸い寄せられるように。


右手に伝わる橘さんの手の感触は、驚くほど小さくて、驚くほど温かい。


薄い皮膚越しに、彼女の鼓動がドクドクと伝わってくる気がして、俺は前を向いたまま自分の胸の鼓動をなだめるのに必死だった。


「……静かだね」


橘さんが、夜風に溶けそうなほど小さな声で呟いた。


「そうだな」

「さっきまで、あんなに賑やかだったのに。……なんだか、全部遠い国の出来事みたい」 「……夢みたいだな、って俺も思ってた」


そう答えると、橘さんがふふっ、と少しだけ笑った。


「……本当だね。一緒だ」


そして――彼女は、俺の手をぎゅっと、壊さないように、でも確かに力を込めて握り直した。


「……でも、夢じゃないよね。……白石くん、ここにいるよね」


確認するように。

少しだけ潤んだ瞳で俺を見上げてくるその表情に、俺の理性がまた一歩、削られる。


「好きだ」と言ったあとの俺たちは、もう、ただのクラスメイトには戻れない。


「……ああ。夢じゃない。ここに、いる」


夢じゃない。

俺は逃げずに、言葉を伝えた。

彼女は、それを受け入れてくれた。

そして今、隣に並んで歩いている。


指の隙間を埋めるように絡まった指先、浴衣の袖が擦れ合う微かな音、隣から漂う彼女の甘い匂い。


そのすべてが、これまで俺が閉じこもっていた孤独な世界を、鮮やかな「現実」へと塗り替えていく。


「……帰りたくないな」


無意識に漏れた独り言に、橘さんがまたパッと顔を赤くして俯いた。

俺も慌てて口をつぐむが、繋いだ手から伝わる彼女の体温が、もっと触れていたい、もっと近くにいたいという俺の本音を、容赦なく暴き立てているようだった。


言葉にできない感情が、夜の静寂の中に溶けていく。


俺たちは、明日からの新しい日々に足を踏み出すように、一歩一歩、噛みしめるように夜道を歩き続けた。




駅へと続く道すがら、街灯に照らされた小さな公園に立ち寄った。


ベンチが一つあるだけの、静かな場所。


「……少しだけ、座らない?」


橘さんが、繋いだ手を引き寄せるようにして言った。


「ああ、そうだな」


二人でベンチに腰を下ろす。

手は、まだ繋いだままだ。

見上げた夜空には、花火の煙が薄くたなびき、その隙間から星が瞬いている。


祭りの喧騒が遠のき、世界が二人を祝福するように静まり返っていた。


「……ねえ、白石くん」

「ん?」

「私たち、これから……どうなるんだろうね」


橘さんが、少し不安そうに、でもどこか期待に満ちた声で呟いた。


「……どうなるんだろうな。想像もつかない」


俺が正直に答えると、橘さんはふふっ、と優しく笑った。


「どうなる、じゃなくて……一緒に、決めていくんだよ? 恋人なんだから」


恋人。


その言葉が、耳の奥で甘い痺れとなって広がった。


「……そうだな。俺たちで、決めていけばいいんだよな」


俺が深く頷くと、橘さんは安心したように俺の肩に頭を預けてきた。


この人と一緒なら、どんな未来でも、光の方へ歩いていける気がした。


再び歩き出すと、すぐに駅の明かりが見えてきた。


改札が近づくにつれ、この時間を終わらせたくないという焦りが胸を刺す。


「……あ」


不意に、橘さんが足を止めた。


「どうした?」


彼女は少しだけ俯き、浴衣の裾を揺らした。

提灯の残り火のような赤い頬をして、俺の顔を伺うように見上げてくる。


「何?」

「……名前。……呼んでも、いいかな?」

「名前?」

「うん。……その、白石くん、じゃなくて」


心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

橘さんは恥ずかしさに耐えるように目を閉じ、意を決して唇を開いた。


「……悠真くん」


その瞬間、頭の中が真っ白になった。

自分の名前なのに、彼女の声で呼ばれると、まるで魔法の呪文みたいに響く。


慣れ親しんだはずの三文字が、世界で一番特別な響きを持って俺の鼓動を叩いた。


「……っ。……うん。いいよ。っていうか、嬉しい」


声が震えるのを隠せなかった。

橘さん……いや、彼女が顔を上げ、花が綻ぶように笑った。


「……悠真くん。……えへへ、なんか変な感じ」


もう一度呼ばれる。


そのたびに、俺たちの境界線が溶けて混ざり合う。


これが「恋人」になるということなんだ。


世界の解像度が一段上がり、目に入る景色すべてが愛おしく見えた。


「……俺も、呼んでいいか?」

「え……?」

「その……名字じゃなくて」


彼女が、期待を込めた瞳で俺を見つめる。

俺は喉の渇きを堪え、その大切な名前を呼んだ。


「……美咲」


呼んだ瞬間、自分の顔から火が出るかと思った。


「……っ。……恥ずかしい、ね」


美咲は頬を染めて、両手で顔を覆った。


「俺もだよ。……心臓、壊れそう」

「ふふ、お揃いだね」


二人で顔を見合わせて笑った。その笑い声が、夜の空気に溶けていく。

また歩き出す。

駅の改札が、すぐそこだ。


「……じゃあ、今日はここで」


美咲が、少し名残惜しそうに手を離した。


指先が離れる瞬間の冷たさに、胸がキュッとなる。


「……次は、夏祭り。今度は、最初から二人でね」

「ああ。約束だ」


美咲は小さく手を振り、改札の中へと消えていった。

俺は、彼女の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとその場所に立ち尽くしていた。


夏休みは、まだ半分以上残っている。

でも、俺の人生にとって、これ以上ないほど最高な夏のピークは、今この瞬間に更新されたんだ。



深夜。


静まり返った部屋で、俺は着替えるのも忘れてベッドに横たわっていた。


天井を見つめる。

視界の端で、窓から差し込む月光が白く光っている。


今日の出来事が、まだ現実味を持たずに脳裏を滑り落ちていく。

あの日、彼女の裾を掴んだ指。

今日、触れ合った僕たちの腕。


夜空に咲いた大輪の花火と、震えながら伝えた言葉。


そして――。


『……悠真くん』


耳の奥で、彼女の声がリフレインする。

自分の名前が、あんなにも特別で、あんなにも熱い響きを持っていたなんて知らなかった。


「……幸せだ」


独り言が、暗い部屋に溶ける。

指先にはまだ、彼女の手の温もりが、柔らかな皮膚の感触が、確かに残っている。


そう思った瞬間。

胸の奥で、ヒヤリとした冷たい風が吹いた。


――怖い。


この幸福が、いつか砂の城のように崩れてしまうのではないか。


もし、俺が「白石悠真」として目立ってしまったら。


中学の時と同じように、俺の隣にいることで、美咲が誰かに傷つけられたら。


俺の「過去」が、呪いのように足元から這い上がってくる感覚。


逃げ出すようにしてこの街に来て、分厚い眼鏡と前髪で自分を殺して生きてきた。

誰とも関わらなければ、誰も傷つかない。

そう信じてきた。



でも。



俺はゆっくりと目を閉じ、握りしめた拳に力を込めた。

脳裏に浮かぶのは、泣きそうな笑顔で「ずっと待ってた」と言ってくれた、美咲の顔だ。


もう、眼鏡の裏に逃げ込んで、彼女を一人にはさせない。

もしこの幸せの代償として、あの忌まわしい過去が再び俺を引きずり出しに来るのだとしても。


俺は、もう二度と、この手を離さない。


月明かりの下、俺は静かに、けれど強く、自分に誓った。

 本日も読んでいただきありがとうございます。

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 どうぞよろしくお願いします。

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